どうやら私も「推され」てる

タルタルソース

どうやら私も「推され」てる

馬場が初めて話しかけてきたのは、キャンパス内の観劇用ホールだった。


「マリア役やってた佐野結月さのゆづきさんですよね?すげーよかったっす」


大学2年の秋。私が入ってる演劇サークルの定期公演が無事終幕し、観に来てくれたお客――といってもほぼサークル員の知り合いだが――と、ホールの出入り口付近で交流するタイミングでのことだった。


「あ、ありがとうございます」

見ず知らずの男だったので、少し警戒しながらも、練習した演技を褒められるのは悪い気はしなかったので、はにかみながら頭を下げた。


 社会学部の3年の馬場です、とにこやかに自己紹介をされる。

 身長は170くらいか、細身、というかひょろひょろの体型で、無造作なぼさぼさ髪に、丸メガネ。知らないバンドのライブTシャツ。「サブカル」感が全身から滲み出ている、ていうか多分、滲ませようとしに行ってる、と私は勝手に脳内で品定めをする。


「にしても、面白いTシャツ着てるね」


 馬場はそう言って、公演の衣装から着替えた、私の黒Tシャツを指さした。

 面白いとは心外だ、と私は思った。どこにでもある普通のシャツだ。……胸元にがっつり白抜きで「瀬川晴翔せがわはると」と行書体で印字してある以外は。


「これ、“推し”の名前、なんです」

と、一応答える。

「あーそうなんだ、アイドルとか?」

「あ、一応声優の、人です、はい」

「へぇー」


 会話が途切れた。あ、えーと……どうしよう。

 戸惑っている私の空気を察したのか、横で友達と談笑していた、サークル内で一番仲のいい藍子が、すっとこちらに顔を向け、冗談っぽく喋り出した。


「この子重度のオタクなんですよ~、バイト代ほとんどこの瀬川晴翔のグッズとか配信の投げ銭とかにつぎ込んで、サークルにも名前入れた自作のTシャツ着てきちゃうんですよ~」


 馬場も、気まずい空気がかき消されたことにほっとした様子で、あっはっはと笑い出した。

「へぇ~めっちゃ面白い!なんか、そういうとこ含めて、いいと思う、素敵な公演だったよ!」

そう言って馬場は、じゃ、と満足気な顔で出口の方へ向かっていった。


「……なにあの人?」

 藍子が不審そうな顔で私に聞いてくる。

「なんか、公演よかったよって」

「批評家ぶるけど多くは語らないお客っているよね」

「まあ、多分悪い人ではないと思うけど。ディスられてはないし」

「ふーん……まあ良い感想くれんのはありがたいけどね、イケメンだったらもっとありがたかったけど」

 藍子がそう言って笑う。

「それはそうだね」

 と私も深く同調する。

「もし晴翔が、私の演技を褒めてくれたら、それだけで死ねる」



***


 7畳ワンルームの家のベッドにごろんと寝転がる。

 うつ伏せになって、ふっと顔を上げると壁には、晴翔(のポスター)がこちらに向かって微笑んでいる。どんな効能のある秘湯よりも、晴翔の笑顔がその日の疲れをまとめてデトックスしてくれることを、私は知っている。


ブブっと、枕元のスマホが鳴る。晴翔のアカウントの更新を告げる通知だった。


瀬川晴翔


TV関東で10/2(木)25:20~放送「魔導士高専」

OPテーマ「Magician」リリース記念ミーティング行いました~!

来てくれた皆に最大限の感謝!

めっちゃ濃密で楽しいひとときだった!

22:25 2021/09/23

○○件のリツイート 〇万件のいいね


先週抽選に外れ、悔しさで血反吐を吐いたイベントの報告だった。

最近にわかにファンが増え始めて、チケットの倍率上がってんだよなぁ……。

と愚痴をこぼしながらも“いいね”を押す。


その直後、ポンと画面上にまた通知のお知らせが来た。


 『@**** さんにフォローされました』


……ん?誰これ。

アカウントのプロフィールにはこう書かれていた。


ババ

@****

札幌→東政大 社会学部3年

洋楽/邦画/海外サッカー 気軽にフォロー◎


ババって……馬場か、と公演終わりに話したぼさぼさ髪男の顔が脳内に浮かぶ。

てかなんであたしのアカウント知ってんだよ、と軽く引いた後で、自分の大学用のアカウント名が本名をひらがなにしただけの“ゆづき”で(もちろん晴翔推し用のアカウントは別にある)、演劇サークルの告知用アカウントもフォローしていることを思い出した。おおかたその辺から辿ってきたか、と冷静に推測してみる。

うーん……まあ鍵かけてるわけではないし、同じ学部の人だし、一回話した相手のアカウントフォローするのって、まあ普通にあることなのかしら、などと考えながら、特にフォローバックはせず、晴翔のWe Tubeチャンネルを覗くことにした。


 一回も喋ったこともなく、私の存在すら知らないであろう晴翔にもし万が一私のアカウントがフォローされるなんて奇跡が起きたら、それだけで私は死ねるんだが。


***


 馬場と再び会ったのは、1週間後。大学の最寄り駅にあるカフェだった。

 席を立って、会計をしようとしたとき、バックの中に財布がないことに気づいた。しまった、家に忘れてきたか、とさぁっと顔が青ざめる。


 店員が無表情で支払いを待っている。ああ、やばいどうしよう、と慌てていると、


「もしかしてお金ないの?」

 と後ろから声をかけられた。はっと振り向くと、馬場がいた。たった今入店してきたところで、私に気づいたようだった。

「あ……えと、はい」

「じゃあこれ」

 と馬場は1000円札を財布から抜き出して、私に渡した。

「あ、ありがとうございますっ」

 と私は受け取り、コーヒー代400円を支払う。

 助かった……と安堵して、馬場に深々と頭を下げた。

「これ、おつりの600円と……コーヒー代もまた必ず払います!」


 馬場は、私が差し出した600円を受け取ろうとしなかった。

「いいよいいよ、400円も別にいいから。俺昨日バイトの給料日で金あるし」

「いやいやそんなわけには……」

「まあなんか、この前いい演劇見せてくれたお礼?みたいな。まあ、気にしないで」

食い下がる私を意に介さず、馬場はそそくさと去っていった。


***


 次の日。大学の食堂で藍子とランチをした際、昨日の馬場の件を話してみた。

「……どう思う?」

「どうも何も、ラッキーだったんじゃない?財布ないピンチも切り抜けて、1000円貰えて」

 藍子は注文したスープカレーを口に運びながら、平然とそう答えた。


「いや……そりゃ感謝してはいるんだけど、ちょっと怖くない?明確な理由なしでいきなり1000円って……なんかこう、下心がありそうじゃん」

「でもさ、もしその馬場ってやつが結月のこと、いいな、とか、好き、とか思ってたら、LINE教えて!とか今度飯いこ!みたいなこと言うと思うんだよね、そういうのはないんでしょ」

「なかった……けど、だったら、何の見返りも求めずに1000円ポンってくれたってこと?それはそれで変な気がするんだけど」

「うーん、そうかなあ」

 藍子は少し考える間をおいて、言った。

「でも結月も“推し”の晴翔の生配信で、投げ銭1000円でもそれ以上でも、バイトで稼いだ金送ってんでしょ?それと似てると思うけど」

「いやそれは……応援?っていうか、晴翔がこの世に生まれてきてくれたことへの感謝っていうか、そういうの全部含めて“推し”なわけだから投げ銭するわけで」

「馬場にとっては、あんたが“推し”なんだよ。あんたがその声優に1000円貢ぐのと同じ感覚なんだよ、きっと」

「ええ……」

 藍子が言う理屈は分からなくもないが、どうにも釈然としなかった。


「どうしてもムズがゆいなら、その1000円意地でも返して来たら?」

藍子の提案に、私は首を振った。

「いやそれはいいかな」

「なんでよ?」

「昨日もらった1000円分、迷わずそのまま晴翔への投げ銭にぶっ込んだから……」

「……皮肉なもんね」

藍子が苦笑いする。

「でも、ほら深く考えずにそうやって“推される”得を享受すりゃいいのよ。あ、でも馬場が、もし恩着せがましくキモイこと言ってきたらあたしに言いなね。半殺しにするから」

 

そういえば藍子、空手二段だったな、とふと思い出した。


***


 それから2カ月半ほど経って。

 藍子の鉄槌が馬場に下ることは幸いにもなかった。

 馬場は、たまに私のつぶやきに“いいね”を付けたり、構内ですれ違うときに軽い挨拶を交わしたり、演劇部の公演には観客として訪れ、褒めてくれたりはしたが、それ以上の関わりが発生することはなかった。

 そしてその間も私は相変わらず、晴翔のつぶやきには欠かさず“いいね”を付け、週末には晴翔が関わるライブやイベントに顔を出し、晴翔の生配信に癒されては投げ銭をおくる日々を続けた。


 だが、年の瀬を迎え、世間がクリスマスムードに覆われ始めたころ、パタリ、と私のつぶやきへ、馬場からの“いいね”が来なくなった。不思議なもので“いいね”が来ていた頃は虫が止まったくらいにしか思っていなかったものが、急に来なくなるとそれはそれで気になりだす。キャンパス内で姿を見かけても、ペコリと会釈されるだけで、よそよそしい。


***


「あたしこの前、駅前で馬場が女子と手つないで楽しそうに歩いてるの見たよ」

 サークルの居室で、藍子が私にそう報告してきた。

「彼女できたってこと?」

「あれ?寂しい?あ、ちなみに見た目は、結月の方が可愛かったよ」

「別に寂しくないわ」

そう言ったのは本心だったが、なんだこの妙な“悔しさ”は……。

「馬場もさあ、“推し”はするけどそれ以上何があるでもない結月より、ちゃんと自分を好きになってくれる人と大切な時間を過ごすほうがいい、って思ったんじゃない?」

「それって、遠まわしに“あんたもそうしたら?”って言ってる……?」

 藍子は肯定も否定もせず、じっと私の目を見た。

「“推し”続けることが幸せならそれでよし、でも……馬場が幸せそうなのが少しでも羨ましい、って思ったんなら、その感情に正直になってみるのも、またよし」

 うーん……と私は少しだけ考え、答える。

「まあ“推される”のも悪くないかも、とは思ったけど」

「けど?」

「”推される“んだったら、晴翔がいいかな」

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