推しのウンチで育ったマッシュルームは美味い。

夕藤さわな

第1話

「引、退……」


 推しの引退――。


 それは本来、死亡宣告と同じ。良い知らせと悪い知らせで言えば圧倒的悪い知らせに分類される重大なお知らせだ。

 しかし、引退発表と同時にもたらされた情報によって圧倒的悪い知らせは圧倒的良い知らせに変わった。


 なにせ、やっとこさ――。


「推しに……貢ぐことができる!!!」


 自室でパソコン画面を食い入るように見つめていた私は、いきおいよく立ち上がると天井に向かって拳を振り上げたのだった。


 ***


 私が推しに出会ったのは二〇一八年、平成最後の秋の天皇賞が開催された東京競馬場でのことだ。


 出走する馬たちはレース前にパドックと呼ばれる場所を歩くのだけど、そこで目がくりっとして可愛い栗毛の馬に目を奪われた。

 レースが始まり、ゴール前最後の直線。最下位を走っていたその馬がスタミナ切れで失速した前を走る馬をすーっと追い抜いて、ゴール板前を駆け抜けるのを見て心を奪われた。


 順位は下から二番目。

 だけど、この瞬間――栗毛の馬は私の推しになっていた。

 ナンバーワンにしてオンリーワンだ。


 長さがそろった後ろ足の白靴下模様が素敵である。

 競走馬にしては年令がいっているせいか落ち着いた雰囲気なのも素敵である。

 四戦四勝と驚異的な結果を残しながらも足のケガを理由に惜しまれつつ引退したアグネスタキオン。その息子である推しが四十戦以上をケガなく走り切っているとか……そんなん知ったら鼻水ずびずびしてしまう。


 ただ競走馬を推す場合、貢ぎ先がないのが問題だ。

 推しの馬券を買いまくっても推しや推しの馬主の財布が直接的に潤うわけじゃない。グッズも特に販売されていない。


 一体……一体、どうやって推しに貢げばいいのか!

 薄い本やライブグッズを買うように推しに万札を叩きつけたいのに!!

 この万札を一体、どこにどうやって推しに叩きつければいいのか!!!


 なんて、悩んでいるうちに約一年の放牧と言う名の休養期間を経て、推しは引退。


 推しの引退は悲しい。

 悲しいけれども――!


「ついに貢ぎ先が……!」


 推しの隠居先はマッシュルーム農場。推しを含めた十数頭の馬たちが暮らし、馬糞からたい肥を作って、そのたい肥を使ってマッシュルームを育てている。

 そのマッシュルームはオンラインショップで販売されている。農場からはるか遠くの地に住んでいる私でも推しに万札を叩き込むことができるのだ!


「て、いうか生きてるだけでも尊いのに推しのウンチで美味しいマッシュルームが育つとかヤバすぎない? 私の推し、ヤバすぎない???」


 とかなんとか呟きながらオンラインショップでウキウキショッピングタイム。

 目安はただ一つ。目指すはただ一つ。お会計額が一万円を超えること。


 まずはブラウンマッシュルームを一つぽちり。

 全然、一万円に届かないー。


 続いてホワイトマッシュルームを一つぽちり。

 まだ一万円に届かないー。


 ブラウンマッシュルームを一つぽちり。

 ホワイトマッシュルームを一つぽちり。

 まだまだ一万円に届かないー。


 ブラウンマッシュルームを一つぽちり。

 ホワイトマッシュルームを一つぽちり。

 よし超えた!


「会計ボタン、ぽちっと」


 本当はもっと貢ぎたいところだけど初回はこれくらいで……なんてニヤニヤしていた私は一週間後――。


「お届け物でーす。サインお願いしやーす。ありがとうござーっしたー」


 ドドーーーン! と積み上げられた段ボールを見上げたあと。リビングにいる母親の元に行き――。


「こっそりぽちったマッシュルームが到着しました。想定外に大量でした。……もーーーしわけありませんっっっ!!!」


 流れるように報告と土下座をした。


 推しに一万円を叩き込むべくブラウンマッシュルームを三ぽちり、ホワイトマッシュルーム三ぽちりした結果、到着したマッシュルームはブラウンマッシュルームが三kg、ホワイトマッシュルームが三kgの計六kg。

 ちなみにスーパーでパック売りされているマッシュルームは一パック約百gらしい。つまり約六十パック分の大量マッシュルーム様ご到着である。


 食べ盛りが一人もいない小食三人家族の元に約六十パック分の大量生マッシュルーム様ご到着である――!


 そのままで一週間、冷凍すれば一か月もつものの、それでも小食三人家族が食べきれる量ではない。


「なぜ、こんなに大量のマッシュルームをこっそりぽちったのか」


 我が家の台所と食材の賞味期限の番人・オカンが重々しい声で尋ねた。


「こちら、推しのウンチで育ったマッシュルームにございます」


「推しの……ウンチで……」


「推しに万札を叩き込むべくキロ数確認しないでぽちりました」


「ふむ」


「推しのウンチで育ったマッシュルーム、食べきれないなんてことも傷ませてしまうなんてこともあってはなりません!」


「ふむ、確かに」


「幸い、母上の教育のたまもので好き嫌いに関しては少なく、マッシュルームは好物の部類に入ります!」


「ふむ、あがめたてまつれ」


「そんなわけなので傷む前にこの大量のマッシュルームが食べきれるよう私の食事を推しのウンチで育ったマッシュルーム一色に染めていただきたく! 米の代わりにマッシュルームを!! パンの代わりにマッシュルームを!!! 食後のデザートの代わりにマッシュルームをぉぉぉ!!!」


「事情はよくわかった。落ち着け、我が娘」


 ポンと私の肩を叩いてうなずいたオカンは、すでにそのときオカンの顔をしてはいなかった。


「この大量のマッシュルームが推しに貢いだ結果だというのなら、私はあなたにこの言葉を捧げよう」


 どこからともなくオカンがすっと取り出したのは三枚のCD。全く同じ三枚のCDである。

 すでにそのときオカンはオカンの顔をしていなかった。そう、解散した某国民的五人組男性アイドルを推し、貢いでいた推し活大先輩の顔で微笑んでいたのだ。


「推しのグッズを購入するときの基本は観賞用・保存用・布教用。我が家だけで食べきれないのなら……ご近所さんに配ればいいんじゃなーーーい!?」


「ご、ご近所さんに……! それはつまり!?」


「布教です、布教活動です! ダンボール箱に入っていたパンフレットをコピーしなさい! マッシュルームといっしょに配って布教するのです!!」


「さ、さすが……布教しなれていらっしゃる! イエス、マム!! イエス、マム!!!」


 パンフレット片手にプリンタへと向かおうとした私は足を止めて振り返ると、


「……同志・母上様」


 ビニール袋片手にマッシュルームを分け始めたオカンの背中に恐る恐る声をかけた。


「また、そのうち……一万円分のマッシュルームをぽちりたく思っているのですが」


「同志・娘よ、愚問です」


 オカンは振り返ると真顔で言った。


「リピートアフターミー! 食用、堪能用、布教用!! 布教は継続、継続は力なり!!!」


 推し活大先輩の力強い言葉に私は熱くなる目頭を押さえて復唱した。


「食用、堪能用、布教用!! 布教は継続、継続は力なりぃぃぃ!!!」


 ***


 ちなみに推しのウンチで育ったマッシュルームは美味しかった。


 ホワイトマッシュルームは薄くスライスしてそのままサラダに。

 ブラウンマッシュルームはベーコンとほうれん草と炒めて塩コショウをするだけで超絶美味しかった。


 て、いうか生きてるだけでも尊いのに推しのウンチで美味しいマッシュルームが育つとか、ヤバすぎない?

 私の推し、ヤバすぎない……?

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推しのウンチで育ったマッシュルームは美味い。 夕藤さわな @sawana

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