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「同じ『命を奪う行為』でも、他人の命か自分の命かで条件が変わるんです。他人の命を奪った魂は相手から赦される、もしくは、時間経過に伴って恨みが風化することでお勤めから解放されます。一方、自分の命を奪った場合は違います。加害者と被害者が同じであるために、罪のベクトルと解放の対象が循環し続ける。まあ、簡単に言うと『バグっちゃう』んですよ」
黒髪の童顔の美女は、かつて聞いたことがないほど早口で喋っている。肌は白いが日本人らしくバターのような黄味を帯びており、頬にはもう通っていないはずの血色が差していた。
「自ら命を絶った者が解放されるには、他者からの介入が必要です。循環し続ける罪と解放の対象の間に、別の魂が介入する。これが救いです。ですが、自ら人に乞うことは許されません。案内人は対価のない強制労働人です。ですが、あなたはこの摂理を知ることなく、食べ物を与えました。分かりづらいですね、もう少し詳しく言いましょうか。『案内人は黄泉の食べ物でもてなされることがない』。言いかえれば、『黄泉の食べ物を与えられないものは住人ではない』。なのに、あなたは『案内人に黄泉の国の食べ物を与えた』。そこに矛盾が生じ、結果、強制的に私のバグは修正されたわけです」
色を取り戻した案内人は、嬉しそうに語る。
「誰も食べ物を与えてくれませんでした。まあ、仕方ないといえばそうなんですが。肉体からの食の快楽を断たれた魂は飢えた状態でここに辿り着き、食事でもてなされ、それは一口食べれば至高の味。普通、そんな料理を案内人に譲ろうとは思わないでしょう。たしかに美味しかったです。倒れるほど。死ぬかと思いました。死んでますが。死んでましたが、死んでから初めて『あ、死んだ』と思いました」
——私が世の摂理に戻れなかったのは、黄泉の料理が美味しすぎるせい。
解説をひとしきり言い切った後、案内人はそう呟いた。
「こんなに美味しいものを自ら分け与えてくれる人、今までいませんでした。ありがとうございます。……これからは同じ黄泉の国の住人として、仲良くしてくださいね〜!」
彼女は眩しい笑顔を向け、出ないはずの手汗が滲む手をとった。
こんな美女に笑顔で手を握られたら、どうしていいか分からない。
何はともあれ、これからは元案内人の美女と共に、黄泉の国の超絶美味しい料理を食べまくれるハッピーライフが待ち受けているらしい。
ファンタジックな展開にも大分慣れてきたし、これからは安らかに暮らそう。
まずは他の料理を——。
「あの〜、すみません。お取込み中」
感慨に水を差したのは、丸眼鏡をかけた細身の男性だった。
「手違いがありまして……。そこのあなた、まだ死んでませんでした。いや、あまりに魂が死んでいたので、うっかり。あ、比喩ですよ。まだ肉体が生きてますのでね、迅速にあちらの世界へ戻ってください」
元案内人に両手を握られたまま、思わずぽかんとする。
「ああ、彼女、そう、そこの美人の元案内人の方。無事、黄泉の国の食べ物を召し上がったようですね。いやあ、よろしゅうございました。黄泉の国へようこそ。また、改めてご案内しますので、あなたはそこでお待ちください」
元案内人は開いた口をそのままに丸眼鏡の男性に軽く会釈をし、そっと手を離した。
「いや、待ってください! 自分も黄泉の国のおむすび食べたんですけど?!」
今更生き返るなんて冗談じゃない!
「はあ、それが何か」
「いや、だから、黄泉戸喫が済んでるんだから、あっちに帰れないんじゃないですか?」
丸眼鏡の男性は合点がいった顔をする。
「ああ、そんなことはありません。黄泉戸喫ね。たまに勘違いされている方がいらっしゃるんですよ。まあ、『美味しすぎてもう戻れないよ〜』とお喜びの声をいただくことはよくありますがね」
そんな……! せっかく生まれて初めて、もう死んだけど、いや、生きているのか? とにかく、幸せな未来(?)に希望を抱いていたのに。
「あの、生き返りたくないんでこのままここにいさせてもらえませんかね?」
おずおずと慣れない交渉を試みる。
「何をおっしゃいます。せっかく生き返れるんですよ。ああ、分かりました、あちらの世界で生きることがお辛いんでしょう。手違いでご迷惑をおかけしてしまったお詫びと言っては失礼ですが、私でよければお話をお聞きしましょう……」
丸眼鏡の男性は、なぜか慈愛たっぷりの眼差しをこちらに向け、手のひらを開いてにじり寄ってくる。
カーブの強いレンズで拡大された幅の広い二重の目が、爛々と輝いていた。
「あの人、話長いんで早く逃げたほうがいいですよ〜。親身になって人を救うことに快感を覚えるタイプというか。不幸話をすると離してくれないことで有名なんです〜」
生前からああだったんでしょうね〜、と元案内人が肩をすくめて首を振る。
「いや、自分、大丈夫なんで……」
「でも、あなたは戻りたくないと嘆いているではありませんか! さあ、理由を聞かせてください、私が力に……」
思わず後退りながら遠慮するが、とうにロックオンされてしまったらしい。
「…-戻れないのは、黄泉の国の料理が美味すぎるせい!」
きっぱりと言い放ったところで、元案内人が助け舟を出す。
「とのことですよ。よかったですね、ここに不幸な人なんていなかったんです。めでたし。こちらの方は私の恩人ですので、私が元の世界へと送りましょう。案内人の最後の仕事として」
はいはい、行った行った〜、と元案内人は手をひらひらと振る。
丸眼鏡の男性は、どこか残念そうな顔で「では、お願いします……」と言い残して礼をし、背を向けて数歩進んでゆっくりと消えた。何で残念そうなんだよ。
「と、いうことで、この度は本当にありがとうございました。おかげで黄泉の国の住人として、これから美味しい料理とのんびりとした日々を楽しむことができます。じゃ、あちらの世界へ戻りましょう」
元案内人は一件落着といった風だが、まだ話は終わっていない。
「いやです! まだおむすびしか食べてないのに! 戻ったらまたすぐ死んでやる!」
「あら、自分で死んだら食べられませんよ〜? 私だって何十年もかかったんですから。大丈夫、いつかは死にます。さあ、
なんで釜戸の火?!
いつの間にか釜戸の火はごうごうと燃えさかっている。
「あ、そのままだと熱いですよ〜。元の魂に戻ってください。よくある火の玉みたいな形をイメージして、感覚をそこにしまってください〜。いきますよ、さん、に、いち……」
「ま、まって……!」
小さく丸くなるイメージをした直後、釜戸が何十倍にも大きく見えた。そして、指で掴まれる感覚が……そう、感覚がある。感覚をしまうってどうやるんだ、このままだと『燃えさかる火のイデア』を直に感じてしまう。集中するな、いや、無理! しまえ、しまえ……!
「高速……スライダ〜!」
何で高速スライダーなんだよ! 投げれるのかよ!
恐ろしい速さで迫ってくる炎に、全身がぎゅっと縮こまり——。
目が覚めると、湿った布団の中だった。
いつもの光景にいつもの癖が蘇り、スマホを見れば『8:32』、新着通知欄は上司の名前でいっぱいだ。
まずい。
一瞬固まった心臓に鞭を打って蘇生し、入社式で「新人は一時間前出社が当然」とのたまった、口のひん曲がった上司の名前をタップする。
「……アッ、もしもし」
『もしもしじゃねえよ! 今何時だと思ってんだ!」
電波を通って届いた怒声は鋭い。
「い、いや、あの、そ、そ、す」
『どもってんじゃねえよ、いつもいつもよ!』
すみません、死んでて。いや、おかしいだろう。まずは謝罪だ、それからすぐ顔洗って着替えて、着いたらもう一度すぐ謝罪、何度でも謝罪。何度でも何度でも何度も何度も。ああ、またこの生活が続いていくのだ。苦痛ばかりで何の快楽もない日々、終わりにしたい、やめたい、泣くな、いや、泣いてもいいからまずは声を出せ、そう、集中しろ、集中——?
——思考を垂れ流しにすることと、会話をすることは別物です。頭のフタを開けっぱなしにして口から中身をばらまくのではなく、思考や言葉の中から適切なものを『選ぶ』感覚、これがコツですよ。
「会社辞めます」
『ハァ?! 何でだよ!』
「料理人にでもなろうと思って」
『ふざけ……』
「お世話になりました。さようなら」
ああ、腹が減ったなあ。
スマホを布団に投げて、狭いキッチンへと向かう。
冷蔵庫を開けると、飲みかけのペットボトルのお茶と味噌くらいしか入っていなかった。
「本当になんもね〜」
ぶつくさ言いながらも湯を沸かし、いつ買ったのかも分からないだし入りの安い味噌を溶かした。
マグカップに味噌汁を注ぎ、五感を研ぎ澄ます。唇、舌、鼻、脳、全てに集中する。
揺蕩う味噌の熱くて柔らかい口当たり、染みわたる塩気と旨み。少し飛んでしまった出汁の香りになんだかほっとした。
——なんだ、現世の食べ物も悪くないな。
あのおむすびにはとうていかなわないけれど。あれは本当に美味かった。
かびくさい布団に目をやり、数年ぶりに窓を開けようと思い立つ。窓の桟はがりがりじゃりじゃりと耳障りな音を立てたが、抗って窓を全開にすれば、久しぶりに目にする明るいブルーの空と、少し煙たい風の匂いが気持ちよかった。
「それにしても、可愛かったなあ」
何か食べよう。
食べて、食べ終わったら、また次の食事を考えてみよう。黄泉の国に戻るのは現世の食べ物を楽しんでからでいい。
楽しいときは五感に集中して、困ったときは思考をちゃんと選んで、なんとか最期までやってみよう。なんて、柄にもないことを思ってみたりする。
こんな気分になるのは多分、黄泉の料理が美味すぎたせい。
よもつへぐい〜現世に戻れないのは黄泉の料理が美味すぎるせい! 火星七乙 @kaseinao
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