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「よくある話です。神話や、宗教や……それをモチーフにした話はたいていそう。人の命を奪うことだけは、別格なんですよ〜」


 案内人は食材を刻みつつ、釜戸かまどの火加減を見ている。さきほどまで控えめに燃えていた薪は、うねる炎に巻かれて火の粉を散らしていた。


「ここでの命を奪うって定義は、『意志を持って命を消すこと』です。自分だろうが他人だろうが、殺意を持って害せば、実行した本人が罪人です。ですが、その人が誰かの意思で命を奪うよう誘導されたなら、話は別。そう誘導した元凶が罪人となる」


 焦って鋭くなった意識が、もう出ないはずの冷や汗が背をつたう感覚を拾った。


「たとえば、彼氏が私を自殺に追い込もうと意図して私の精神を蝕み、その結果私が死を選んだなら、アウトなのは彼氏の方」


 米が煮えている釜のフタの隙間からじゅ、と吹きこぼれが起きるのを見て、案内人は薪を抜いて火を弱めた。


「まあ、実際は私が案内人になっているので、彼は私をここまで追い込んでやろうとは思ってなかったってことなんですね〜。彼は私に死ぬほどのことをしたけれど、死んで欲しくはなかった。皮肉ですね〜」


 案内人の手には、藁。

 藁は彼女の手を離れ、静かな火にくべられる。

 思考の坩堝るつぼで、慰めの言葉や焦燥感、気の利いたことを言えない自分への嫌悪感が高速で渦巻いている。


「それで、今からあなたに食べていただくのは、その彼氏が二十六年前に食べたのと同じ三種のおむすびです」


「そんな話をされたら食べづらいわ!」


 彼女の身の上話の思いもよらない着地点に、慣れないツッコミが飛び出した。


「冗談言い過ぎました。ここでは、みなさんに今からお出しする三つのおむすびを食べてもらうことになっている、という意味ですよ」


 案内人は手を動かしながらも振り返る。その顔は優しく笑っていた。


 あ、わざとインパクトのあることを言って、流れを変えようとしてくれたのか、と気づく。

 そして、どこまでが本当かもうやむやにしようとしてくれている。


 彼女の表情や声色に集中すると、すべての流れが腑に落ちた。


 生前、特に成人してからは、人の機微に集中したことがなかった。何かを読み取ってしまったら、人の生ぬるく、おぞましいものが流れ込んでくるような気がしていた。

 けれど、少なくともこの場ではそれは起こらなかった。


「ごめんなさい。食事前に変なこと言って……。でも、召し上がってみてください。死ぬほど美味しいはずです。死んでますが」


「いや、悪いのは自分なんで……。どちらかというと、そんなことを言わせてしまって申し訳ないというか」


 食事の味は感情に左右される。生前、食事の味が褪せていたように。

 しかし、気まずいとはいえ、実際は空腹も相まって炊ける米や出汁の香りで食欲は限界まで高まっていた。


「いえ、そう言わずに、遠慮しないで。本当に美味しいはずです。みなさんそうおっしゃいますから。死にたてぺこぺこのときに食べる最初のおむすびですよ」


 死にたてぺこぺことかいう謎の言葉、生きている間は絶対に耳にしなかっただろう。


「お詫びにおむすびの解説をさせてください。食べたくなるような。そうですね、このおむすびは黄泉の国入口限定名物。そう、限定で、名物です。有名です」


 日本人の欲を無理やり刺激するようなことを言ってきた。


「名物だけに由来もあります。塩むすび、神に供える米と水と塩からなるこのおむすびは、黄泉の国で最初に口にするのにふさわしいと思いませんか?」


 なるほど、そう言われてみればそれっぽい。


「残りの二つ、えっと、炊き込みむすび、カリカリ梅とじゃことごまむすび、これは日本神話、黄泉の国で死後の姿を見られ憤慨したイザナミ、その追手から逃れる際にイザナギを助けた櫛の歯から生えたたけのこや桃……えへん、……梅の実やらがモチーフになってます!」


 ちょっと無理があるセールストークになってきた。筍も桃も、黄泉の国から「脱出する際」に使ったアイテムだけどいいんだろうか。しかも、山葡萄が仲間はずれになっている。桃に至っては梅になってるし。同じバラ科だけれども。


「黄泉の国入口限定絶品名物、その名も……『黄泉の三種のyummy!おむすび』です。はい、召し上がれ!」


 絶対今考えたな。


「じゃあ、いただきます……」


 手を合わせて頭をカクンと下げ、目の前に置かれたおむすびに浅すぎる礼をする。


 黒い陶器の皿に、俵形のおむすびが美しく並んでいる。湿気らないようにか、三枚の海苔はおむすびから離され扇形に並べられていた。


 まず、塩むすびを手に取る。潤んだ純白の米の表面は澄んでいる。艶のある一粒一粒はしっかりと形を保ちつつ、一つのおむすびとして形を成していた。


 ——これを口にしたら、もう元の世界には戻れない。


 そんなことはどうでもいい。

 しっとりとしたおむすびをそっと手に取り、口に入れた。


 ——美味すぎる!


「そうですか、よかったです〜」


 会話に集中するのを忘れるほど美味すぎる。手で持っても崩れないのに口に入れるとほろりと解け、塩味と旨味が広がる。うるち米ともち米のいいとこ取りをしたような粘り気とはっきりとした粒感を噛み締めれば、甘みがじわりと滲んでくる。

 海苔を巻いて食べると、パリ、とした食感と上品な磯の香り、濃くなる塩の味で心地いい眩暈がした。


「ここは黄泉の国、食事は概念ですからね〜。哲学的に言うとイデアです。完璧なおむすびを魂で直接味わっている状態。あなたが今食べたのは『黄泉の三種のyummy!おむすび』のイデア。ちなみに、あなたに見せた調理工程、あれは一種の儀式のようなもので、よりを概念を強固にするものです。はじめちょろちょろなかぱっぱ、じゅうじゅうふいたらひをひいて、ひとにぎりのわら燃やし、赤子泣いてもふた取るな。普通はこんなに早くできません」

 案内人はそう解説した。


 生前料理をすることなどなかったから分からなかったが、たしかに本来ならもっと時間と手間がかかるだろう。飲み込むのがもったいないくらい。


 惜しみながらも最後の一口を飲み込み、続いて、淡い茶色をした炊き込みおむすびを手に取る。


 これも美味い!

 先程とは異なる粘りの少ないパラパラとした食感に、筍の香りと出汁の旨みが上品に重なって絶品だ。そこにじゅわ、と油揚げが程よい油分を足すことで、全体の味がまとまっている。水分と油分のバランスはちょうどよく、米粒や存在感のある筍がポロポロと落ちることはない。食材の、それぞれ違う香ばしさと食感が楽しい。


 夢中で食べる様を見て、案内人は笑う。


「……そんなに喜んでもらえると、私も嬉しいです〜」


 ふと、お袋の味とはこういうものなのだろうか、と思う。


 生前、縁がなかったもの。

 丁寧につくられた手料理。

 笑顔のある食卓。


「魂だと五感に集中しないといけませんから、より感覚が鋭くなって美味しいはずです〜。今あなたは、味や香り、食感や音、それから環境、すべてが研ぎ澄まされて感じる状態ですから」


 五感に集中する。

 そして、


「……あの、嫌じゃなければ一緒に食べます?」


今にもよだれをだらだらと垂らしそうな案内人に、声をかけた。


「えっ、それは」


 案内人が目を見開く。


「あ、生前こんな機会なかったので……、自分、誰かと料理を共有したことなくて、あの、せっかくこんなに美味しいんで、あと一個しかないですけど」


 声色、表情、会話の間。五感に集中した結果、案内人が空腹なことに気がついたのである。


「じゃあ、一口……」


 案内人は一口と言ったが、意を決しておむすびを二つに割る。

 他の二つのおむすびがあれほど美味しかったのだ。このおむすびもかつてないほど美味しいに違いない。カリカリ梅とじゃことごま。これらがきっと、美しく調和してえもいわれぬ快楽を生むのだろう。お腹もまだ満たされきっていない。自分のどこかで今さら少し躊躇が生まれる。だが、案内人の喜びで艶めく瞳を見て、渡さない選択肢は消えた。


「ありがとうございます、ありがとう……」


 テーブルの向かいに椅子が現れ、気づけば案内人が座っていた。

 案内人はおむすびを受け取り、


「いただきます」


そして、口に入れた。


 美味しい、美味しい。


 案内人はおむすびを平らげる。


 自分もそれを口にしながら、彼女を見て、やっぱり半分こしてよかったと己を納得させる。後悔はないとはいえ、自分を納得させなければいけないほど美味しかったからだ。


 そして、幸せそうに笑った案内人は、気が抜けたように、静かに目を閉じ、倒れた。ゆっくりと、質量を感じさせない早さで。



 まるで、死んだかのように。

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