今日の贈り物 ~顔も知らない誰か~

美袋和仁

第1話 君がいるから

「うん...... また一品増えてる」


 朝の忙しい時間。夕べの残り物をリメイクして冷蔵庫に保管していた敦は、何気に口角をひきつらせた。

 彼は夕べすき焼きを食べ、その残りを卵でとじて冷蔵庫にしまったのだが、翌朝、レンチンしようと冷蔵庫を開けてみたところ、その残り物の横に見知らぬ温野菜のサラダが鎮座していのだ。

 ブロッコリーとニンジンが彩りよく盛られ、ポテトサラダを添えた立派な一品。


 しばし無言で見つめていた彼は、おもむろに両方を取り出してレンジにかける。


 いまさらだ。すでに何度も口にしていた謎な贈り物。


 ある時、彼は泥酔し、着替えもせずにベッドに沈没した事があった。

 当然、前の日の残り物もなく、無様な二日酔いにも見舞われ、休日なのを良いことにダラダラと昼まで惰眠を貪ったその日。敦は初めて冷蔵庫に贈り物をいただいた。


「...............」


 勿論、何が起きたのか分からず、しばし無言で凝視してから冷蔵庫を閉じた敦だが、ガンガン痛む頭や、盛大に空腹を訴える身体に負けて、その贈り物を口にした。

 その前日、敦は恋人に振られ、深酒をし、惨めで半分自暴自棄になっていたのだ。

 ふらふらな体調で外食にも買い物にも行く気力もなく、腹にたまるならこれでも良いかと、微かに残る警戒心の警報を無視して冷蔵庫から贈り物を取り出す。

 死んでも構わない。そんな自棄っぱちな気持ちもあったのだろう。


 何より、用意されていた得体の知れない小さな土鍋を見て、敦は妙に心を惹かれた。


 コンロにかけてコトコトと煮詰まる音を聞きながら、不思議と気持ちが穏やかになっていく。

 湯気があがり蓋を開けてみると、中には卵とネギのシンプルな雑炊。

 ふわりと漂う優しい匂いに誘われ、敦は無言で雑炊をかっ込んだ。

 食べるにつれ口に広がり残る暖かな味わい。薄味だが、しっかりと出汁を取ったのが分かる丁寧な味。

 口にしただけで本能が理解する、誰かの気持ちのこもった料理。

 一口食べるごとに惨めな気持ちが洗い流され、それは敦の眼から、ほたほたと零れ落ちた。


 あっけない恋の終わりで打ちのめされ、それでもこびりついていた未練に、じわじわと沁み入る心悲しさ。


「う.....っ、くぅ.....」


 堪えきれぬ嗚咽をあげ、敦が雑炊を完食したころ、彼の心はすきっと晴れ渡っていた。

 惨めで悲しかった一夜が遠ざかり、お腹から全身がポカポカと暖かくなった彼は、終わった恋を吹っ切った。


「ありがとう.....」


 誰にあてるでもなく呟いた敦の言葉は、部屋の片隅に転がり消えていく。


 こうして、彼の日常に不可思議な贈り物が加わるようになったのだ。


 温まったブロッコリーを咀嚼しながら、彼は首を傾げつつも嬉しそうだ。


「これって、誰かが俺の部屋に入ってきてるって事だよなぁ? 寝てる隙に置いていってる訳で」


 真っ当に考えれば異常事態だ。しかし、敦はこの状況を歓迎している。まるで応援されているかのような気分だった。


 毎日冷蔵庫に侵入する不思議な料理。


 これに、どん底を救われた。毒が入っている訳でもなく、ただひたすら美味しいし、なんの文句があるものか。

 失恋で正常な判断力が欠けているのかもしれないが、敦にとって、この料理の主は恩人だった。


 彼は贈り物を完食し、洗った食器にメモをのせる。


『ごちそうさまでした。出来たら、俺がいる時に訪ねてくれたら嬉しいです』


 敦の顔が、ふわりと綻ぶ。


 ..........逢いたい。


 何処の誰とも分からない、男女の判断すらつかない怪しい人物だが、敦は心の底から感謝していた。

 顔も知らない誰かのエールを心地よく受け取り、彼は玄関で靴をはく。


 今日も頑張ろう。


 そう彼が前向きに玄関を開けた時。


「え.....?」


 一面に溢れる暖かな光。


 それは呆然とする敦を呑み込み、零れるような光の渦が消えた時、敦の姿も忽然と消えていた。


 残されたのは温野菜のサラダがのっていた一枚の器のみ。


 その器からメモを取り上げ、一人の女性が佇んでいる。

 

「お疲れ様でした」


 彼女の手にしていたメモが端から崩れ、カサカサと音をたてて風化していく。

 



 彼女が部屋の異変に気がついたのは引っ越し当日。


 なんといきなり入ってきた男性が彼女のベッドに凭れ込み、寝てしまったのだ。

 思わず悲鳴を上げて警察を呼んだ女性だが、やって来た警察は何も見えないと言う。

 どんなに説明しても分かってもらえない。友人を呼んでも同様だ。


 どうやら、この男性は彼女にしか見えていないらしい。


 幽霊..........?


 途方に暮れる女性だが、新たに引っ越すお金もなく、仕方無しに何日かベッドを占領されつつ、触れられもしない男性と暮らした。

 女性の声も聞こえてない男性は、泥酔し、ベッドにうずくまって何もしない。ときおり冷蔵庫を開けては水やジャーキー等を口にし、再びベッドにこもる。

 そしてしだいに弱り果て、ある日とうとう動かなくなり、消え失せた。


 何が起きているのか分からないまま、何日か過ぎ、彼女が男性の事を忘れたころ、また彼がやってきた。


 前と同じように泥酔し、ベッドに倒れ込み、何もせず弱り果てて消えていく。


 それが何度も繰り返され、驚きも恐怖も通り越した女性は、言い知れぬ怒りを覚えた。


 何故、私がこんな目に遭わなくてはならないのかっ!


 彼女は地元の図書館や情報ベースを漁りまくり、件の男性を見つける。

 彼女のアパートで数十年前に死んだ男性だった。

 何かの理由から衰弱死し、発見されるまで数ヶ月かかったと記事にある。


 事故物件ーーーっっ!!


 奈落に穴を掘り下げて埋まりたい気持ちを抑え込み、彼女は知り合いの伝を辿って霊感の強いという人に相談した。


 結果分かったのは、たぶん、その男性は己の死の自覚がないのではという事。

 だから果てた瞬間から心残りの瞬間まで何度も巻き戻っているのだろうという話だった。

 彼女が調べて分かったのは、彼は七日にやってきて十三日に消える事。

 そこから、その十三日が彼の命日じゃないのかという推測のみがたてられ、これ以上は本職に頼んでくれと言われて彼女は霊媒師をググった。


 ..........けっこうな金額をとられる。これだけ出せるなら、とうに引っ越してるわっ!


 ジレンマを抱えつつ、毎月やってくる男性の幽霊を観察しているうちに、女性は彼が嘆き苦しみ泥酔しているのを察した。

 あちらの声も、こちらの声も聞こえないが、しだいに衰弱していく男性の幽霊からは、言葉に出来ない複雑な憐憫が感じられたのだ。


 うちひしがれ力なく横たわり、どんどん生気を失っていく男性。

 顔をくしゃくしゃにしてすすり泣き、胡乱げに虚空を見つめる彼に、彼女は胸が痛くて堪らない。


 何度、こうして彼が息絶えるのを見守ってきただろうか。


 こういう時は取り憑かれてしまうから同情してはいけないとか聞くが、元々あちらからは見えていない状態である。

 彼女は、泣き崩れてベッドにうずくまる男性の幽霊に何かしてやりたくなり、翌月の七日、雑炊を作って冷蔵庫に入れておいた。

 何もしない彼だが、冷蔵庫を開けることだけはしていたから。ひょっとしたらと思い置いてみたのだ。


 気休めだ。彼には見える訳もないだろう。


 まるで重なる二つの世界があるかのように、男性と女性の生活空間は違っていた。

 家具やインテリアも違うし、当たり前だが透けたようなダブった景色なのである。それぞれが、それぞれの空間で生活している感じな奇妙な暮らし。

 その中で、ベッドと冷蔵庫だけが同じ位地にあった。


 しかし毎回同じ行動をとるはずの幽霊が、その日は冷蔵庫の前で固まり、なんと、訝しげな顔をしつつも入れておいた雑炊を食べたのである。


 えっ? 食べられるの?


 驚嘆に眼を見開き、彼女は嗚咽を上げて小さな土鍋の雑炊を食べる男性をずっと見守っていた。


 その日から、彼女は毎日何かしらを冷蔵庫に入れておく。


 何でも良い。少しでも彼の力になりたい。


 その心が通じたのか、男性の幽霊はしだいに元気を取り戻して、仕事にでも行くのかように部屋から出るようになった。

 昨日など、すき焼きの材料を買って帰り、そのお肉の単価に殺意が芽生えた彼女。


 グラム千二百円って、良い暮らししてるわねっ!


 それでも彼女の脳裏に浮かぶのは、何度も衰弱死を繰り返していた彼の姿。

 あれと比べれば、今は元気になったのだから良い事だ。

 思わず苦笑し、彼女が新たな幽霊との生活にも馴れた頃。


 朝食を終えて出勤していく幽霊を見送る彼女の視界が光で奪われた。

 光の中には誰かがおり、その誰かは男性の幽霊を優しく抱き締め、そっと光の中へ消えていく。


 ああ。御迎えが来たんだね。


 彼女はそう直感し、深々と頭を下げた。


 そして器の中に置かれたメモを読み、声もなく一筋の涙を零す。


「お疲れ様でした」


 気づけば日常になっていた彼との暮らし。一抹の寂しさを胸に、彼女はこの出来事を生涯誰にも話さず墓まで持っていった。



『まさか、こうして逢えて言葉を交わせる日が来るとは..........』


 盛大な苦笑いをする彼女の前には敦がいる。


『自分が死んでいたなんて思わなくて。だから御迎えから話を聞いて、君の御迎えは俺にやらせて欲しいって頼み込んだんだ』


 あのままであれば悪霊となってさ迷い続けるはめになっただろうと御迎えから聞き、背筋を凍らせた敦。


 地縛霊になりつつあった彼を、彼女の心がこもった供え物が救ったのだ。


『だから御礼を言いたくて。高月敦と言います。ありがとう。本当に』


『こちらこそ。満永馨です。御迎え、ありがとうございます』


 微笑みながら天に昇る二人は、気を利かせた神様により、記憶を持ったまま生まれ変わり、新たな物語を紡ぐのだが、それはまた別のお話。


 真心のこもった料理で思わぬ緣を結んだ二人の来世に、すこぶるつきな幸が訪れますように♪



 


 

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