【短編】終の雨

上地王植琉【私訳古典シリーズ発売中!】

【短編】終の雨


 雨が降っていた。

 こんな日なのに、雨が降っていた。


「…………」


 ごちゃごちゃと衣類と雑誌で散らかった部屋の中心に俺は座っていた。歳は十七でまだ若いはずだが、最近は部屋に篭っていたからか髭が伸び切っていて小汚ない格好をしている。考えれば、最近は着替えすらもしていない気がする。

 俺の前には一台のパソコンがあった。その中ではどこかのAV女優が艶かしい声を上げながら、激しく腰を振っている。こんな日のこんな時間だと言うのに、画面の中では無意味な性交が繰り返されていた。

 ピピッ!突然、セットしていた携帯のアラームが鳴った。

 俺は携帯をつけて時間を確認する。


「……あと、一時間か」


 時刻は十一時。

 あと一時間で、この世界は終わる。

 終末が来る、今はそんな瀬戸際まで来ていた。


「…………はぁ」


 こんな行為でしか自分を慰めることができない。まやかしの快楽でしか現実から逃れることができない。

 そんな自分に、酷く嫌気が差した。


「俺は、一体何をやっているんだ……」


 ふと冷静さを取り戻して、俺はため息混じりに呟いた。ズボンの中から手を抜いて、握っていたテッシュを丸めて部屋の隅でゴミに埋もれているゴミ箱に放る。


「…………ビッチめ」


 画面では未だに商売女が誘うように囁いている。愛情の全くない生殖の真似事がもはや耳障りで、俺はアダルトサイトを消してパソコンを閉じた。

 両手を広げて、目を閉じてごろりと横になる。パラパラと屋根を叩く音だけが部屋の中に響いていた。


「世界が終わるなんてな……」


 世界が終わる。隕石か異常気象か、どんな方法かは定かではないが。

 全ての人は死に絶えて、時代は終わる。

 俺たちに明日は決して来ない。


「……ふぅ」


 まだ、やりたい事とやり残した事がたくさんあった。

 でも、一時間後の『死』を前にして、今は何もやりたくなかった。


「…………」


 気づくと、俺の頬を伝う暖かいモノがあった。それが涙だと理解するのに、それほど時間は掛からなかった。

 こんな簡単に世界が終わるなんて、いつもの日常に終止符が打たれるなんて、考えてもいなかった。

 その話を聞いたのは一週間も前だと言うのに、俺は悪足掻きをしようとも、残された余命を大事に使おうとも、思わなかった。だけど、いざその時が来るとなると、なんとも言えない気持ちになった。

 海外出張に行っている両親には、電話で涙ながらに「愛している」と言われた。俺も同じように言って、長い話をして電話を切ったと思う。

 最後に一目両親の姿を見たかったが、もう遅い。


「俺は、まだ……」


 思い起こしてみれば、俺は人と何かをするのが苦手だったのかもしれない。

 学校ではいつも一人で本を読んでいた。部活もせず、クラスメイトとも関わらずに、いつも独り、物語の世界に逃げ込んでいた。

 その方が、楽だった。

 平凡な俺が紡ぐ物語は『駄作』だと知っていたから、だからこそ何も挑戦せずに諦めていた。


「くっ……」


 ……だが、今となってはやはり後悔が拭いきれない。

 俺は、生きた証が欲しかった。

 例えキレイじゃなくても、俺が主人公を努めるこの人生(ものがたり)を完結させたかった。


「俺は、まだ生きてない……っ!」


 未完のままでも、せめて最後の一瞬まで。

 あと一時間で、世界は終わる。

 だったら、その前に。


「……行こう」


 俺はゴミの中から起き上がると、服を脱いでシャワーを浴びた。温かな湯に当たって、久しぶりにほっと一息ついた。伸びきった髭を剃って、石鹸で身体を洗う。

 身綺麗にして風呂場から出ると、クローゼットの奥にあったお気に入りのシャツとズボンに着替えた。

 雨は、まだ激しい。

 俺は携帯をポケットに入れて靴を履くと、傘も差さずに玄関から飛び出した。




― ― ―




「はぁ、はぁ……」


 大きな道路の真ん中を、俺は雨に打たれながら走っていた。

 学校が休校になってからここ最近はまともな運動をしておらず、久しぶりに全力疾走しているので、肺が握られるように痛かった。

 周りを見ても道行く人はいない。本来ならば今の時間帯にそんなことはないのだが、最後の瞬間は、誰だって自分の家で過ごしたいに違いない。

 家族と、あるいは恋人と。


「はぁ、はぁ……少し休憩」


 道路の真ん中に乗り捨てられた車に手を置いて、俺は息を整えるために立ち止まった。半分開いたドアに背を置いて、ズルズルと腰を下ろす。

 雨でできた水溜まりは冷たいが、俺の心臓はバクバクと激しく脈打って熱いぐらいなので、丁度いいだろう。

 ふぅと何度か深呼吸をして、俺はそのまま夜空を仰いだ。


「星、か」


 一応、電気はまだ通じているので道路の街灯は付いているが、何故か星がいつもより光って見えた。

こんな街中では絶対に見ることのできないと思っていた、雲一つない満点の星空だ。遠くにはオーロラのような緑色の幕も見える。

 雲がないのにどうして雨が降っているのか、それは分からないが別に考えても意味はない。どうせ、すぐにこの世界は消えるのだから。


「キレイだな」


 降り注ぐ雨の雫に反射する星の光は、まるで宝石のように煌めいて、宙に幻想的な光景を生み出す。

 まるで違う世界に迷い混んだかのようだ。

 ……もしかすると、俺はずっとこんな時を待ち望んでいたのかもしれない。

 本に記されたファンタジーの世界に憧れたからこそ、少しでも近付きたくて登場人物に感情移入する。空虚な現実から目を背けるためでは、決してない。

 兎を追っていたら穴に落ちて不思議の国に辿り着いたアリスのように、あかがね色の本を読んでいたらその世界に吸い込まれたバスチアンのように、いつかは別の世界に行きたいと、そんなことは起きないと知りながらも心の底で願っていた。

 思い描いた世界ではないけれど、結果的に、確かに現実は最後に別の世界を見せてくれた。

 終末(それ)が良いものかは、俺には分からないが。


「……よし、先に進もう」


 このまま終わりの時を迎えてもよかったが、これで満足するわけにはいかない。

 俺は手をついて立ち上がると、先に向かってメロスさながらに駆け出した。




― ― ―




「……たしか、ここだな」


 途中で三回の休憩を挟んで辿り着いたのは、何の変哲もない住宅地の一角にある一軒家だった。

 昔、俺はここら辺に住んでいた。ここは何度か訪れたことがある幼馴染の家だ。


「引っ越してなければいいけど……」


 幼馴染とはもう何年も会ってない。最後に会ったのは小学校に上がる前だから、もう十年以上も昔になる。相手がこちらを覚えているのかすら、分からない。

 たが、俺はどうしても伝えなければならないことがあった。何とか、この世界が終わる前に。


「…………――、お願いだ出てくれ」


 ボソッとその名を呟いて、俺は玄関の呼び鈴を押した。ピーンポーンと発せられる電子音が、雨の音に紛れて消える。

 世界が終わる前にやってくる客人は、さぞ珍しいだろう。

 数分の沈黙の後で、ガチャと扉が静かに開かれた。


「……よ、よぅ、久しぶりだな、――。俺のこと、覚えてるか?」


 ドアチェーンの隙間から顔を覗かせたのは、昔と変わらない幼馴染だった。

 長い黒髪にパッチリ開いた瞳。記憶の中の彼女よりも、もっとずっと女らしくなった気がする。


「……もしかして、――?」


 ――はそう言うと、ドアチェーンを解除して扉を開いた。



「どうしたの、――? こんな時に……」



 ――は俺を見ると、そっと首を傾げた。こんな時間に、というのはこんな状況で、という意味も含まれているだろう。


「世界が終わる前に、伝えたいことがあったんだ……」


 俺は少し言い淀むと、ふぅと息を吐いて言葉を綴った。


「今更かも知れないけど……お、俺は前からお前のことが……」



「おい、――。こんな時間に誰だ?」



 その時だった。

 俺の言葉を遮るように、家の奥から一人の青年が現れた。

 上半身は裸で服を着ておらず、穴だらけのジーンズを着ていた。


「もう、部屋で待っといてって言ったじゃない!」

「……えっと、そいつは?」

「ああ、私の彼氏」

「そうか……」


 あれから十年以上も経っているのだ。当然だ。

 俺は急に冷水をかけられたように冷静な頭になった。――を恐れるように後退り、何を言っていいのか唇を振るわせる。


「し、幸せに……な」


 虚言か、建前か。

 しばしの思考の後に紡ぎ出したのは、そんな言葉だった。


「えっ? ……あ、ありがとう」


 ――は少し驚いたような顔をして、男の背を抱いて照れたように軽く微笑んだ。


「……それじゃ、さよなら」


 俺はそれだけ言い残すと、踵を返して駆け出した。

 その時に俺の瞳から雫が垂れたのは、俺の心のせいか、それとも雨のせいか。

 今更どうでもよかったが、この時は雨のせいだと思いたかった。

 そう、思えたなら……。




― ― ―




 記憶の中の彼女は、誰にでも優しくいつも太陽のような笑みを浮かべていた。

 俺は、そんな彼女のことが好きだった。

 だけど、告白する勇気も持てずに転校し、そしてバラバラになった。

 時というモノは残酷だ。記憶すらも風化され、薄れゆく。


「……ああ、懐かしいな」


 気がつくと、いつの間にか近くの公園に来ていた。小さな遊具が点在する、幼馴染といつも遊んでいた場所だ。

 時刻が時刻だけあり、中心にある電灯の灯りだけなので、公園内は薄暗い。

 俺はブランコに腰かけると、そっと夜空を仰いだ。

 溜まった涙が、視界をぐにゃぐにゃと歪ませる。星など、もう見えない。


「……寒い、な」


 しばらく経った後、俺は両手を抱いて軽く身震いした。頬の辺りは暖かいのに、そこから下は雨のせいで冷たかった。


「雨宿りするか」


 ブランコから立ち上がり、花壇に植えられている桜の木の下に移動する。


「クゥーン……」


 木の下には先客がいた。

 ずぶ濡れで薄汚れた茶色の雑種犬が寒さに震えながら丸まっている。昔に俺が飼っていた犬にそっくりだった。


「……お前も独りなのか」


 俺はその隣に腰かけると、ふっと自嘲気味に軽く呟いた。


「最期の時に犬と二人、か」


 全く俺らしい最期だ。まるで、『フランダースの犬』のネロ少年のような。


「お前は捨て犬なのか?」


 俺は足元で丸くなる犬をそっと撫でた。

 よく見ると首輪が付いていたので、どこかの飼い犬が逃げたのだろう。


「俺は片想いの相手にフラれた所だ。……来世では、もっとイケメンに産まれて、リア充でもやってみたいよ」

「ワゥ…………」


 犬を撫でながら、話しかけるように小さく呟く。

 愚痴が分かるのか、それともただ煩わしいのか、犬は軽く首を振っただけだった。

 雨音と共に、空虚な時間が流れていく。

 俺がそっとまぶたを閉じかけた、その時だった。


「ポチ! ……よかった。こんな所にいたんだ」


 傘を差した一人の少女が、こちらに向けて歩いてきた。俺よりも少し年下だろうか、長い黒髪を青いリボンで束ねている。


「ワン!」


 犬は起き上がると、尻尾を嬉しそうに振ってご主人さまの元へ駆けていく。


「もう、どこにも行っちゃダメだよ……!」


 名も知らぬ少女は犬を抱くと、涙ながらに優しく撫でた。

 俺はその光景を見て、ポリポリと頭を掻く。


「……よほど、その犬を大事にしてんだな」

「!?」


 俺の声に反応して、少女はビクッと立ち上がった。どうやら、薄暗いので今まで気づいてなかったらしい。


「い、いつから……」

「最初からだよ」


 俺は立ち上がって、木の下から電灯の元に出た。


「もうすぐで12時になるってんのに、誰か一緒に過ごす奴もいないのか?」

「アタシの家族は……この子だけだから」

「そうか」


 人の事情を詮索するつもりはない。

 俺は、ただ頷いておいた。


「あなたは……?」

「俺も同じだ。今から、独り寂しく死ぬ所だ」

「そうですか……」


 少女は脚に前足をかけて立ち上がる犬を撫でて、軽く俺の方を見た。


「なら、少し話しませんか? ……その、終わりが来るまで」

「いいよ。俺もできれば誰か一緒にいたかった」


 俺たちはブランコに腰かけて、初対面なのでまず自己紹介をした。それから、沈黙の気まずさを払拭するように、終末の前にする事もない、とてもたわいもない話をした。


「あれ、雨が……」

「お、雨が止んだな」


 しばらくして気がつくと、いつの間にか雨は止んでいた。

 俺はブランコから立ち上がって、両手を広げる。


「なあ、――」

「なに?」

「俺の前に現れてくれて、ありがとな」

「それは、アタシもです」

「…………」

「…………」


 そう言うと、俺たちは少し黙った。

 俺は――を見てから、真剣な顔で口を開いた。


「もし、この終末が過ぎたら……俺たち、一緒に」


 その時、俺の言葉を遮るように12時を告げる携帯のアラームが鳴った。



「――っ!!」






ソラ が パ ッと 白 ロく なる



 俺は ハンシャテキに 彼女 乃 手  握って ゐた。




 フ シギと恐 怖  カン は な。な  ぜ ら、こ でやっと、、、





 俺 の 独は 、終 わ った の だ。





fin.


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