お天気キャスター押田活人の憂鬱

青キング(Aoking)

お天気キャスター押田活人の憂鬱

 陽気な朝の日差しに輝くテレビ局本社ビル前の広場で、毎朝恒例の中継撮影が始まっていた。

スタジオと中継の繋がったテレビカメラの前に立つ青年が、もともと柔和そうな顔をさらに柔らかく綻ばせた。


「はーい。オシカツです」


 お茶の間のテレビでお天気コーナーが始まると同じく、青年と隣の鶏の形を模したデジタルの気象計がテレビ画面に映る。

 青年の名は押田活人といい、毎日朝八時の情報番組『アサ8』で天気キャスターを務めている気象予報士だ。

 初回放送で総合司会が『オシダさん』と言い間違えて以来、本名を約した『オシカツ』の愛称で世間に顔を知られている。


「今の気温は18℃。湿度は53パーセント。気温も上がらず風も少なく、穏やかな日和になりそうです」


 予報士らしく一日の天気の見通しを簡単なフレーズを使って解説する。

 お天気コーナーが終わり中継が切れると、番組はエンディングまでの残り一〇分、小さなニュースに司会やコメンテーターが発言する時間が訪れた。


 押田はいつでも振りに対応できるようにスタジオを繋げたままの画面を眺めながら、やりきれない思いに深く溜息を吐いた。

 コメンテーターに詰まらない質問を返す司会を見下ろすように睨む。

 

 たかが五分のために朝六時起きしないといけない俺の気持ちが、あんたにわかるか?



「オシカツはどう思う?」


 スタジオから急なコメントを求められた。

 中継カメラが映す寸前に表情に柔和さを取り戻し、押田は言葉を返す。


「あんまり良いとは思えませんね」

「オシカツも同意見だ」


 司会の内心嬉しそうな声の後、すぐに中継が切れた。

 押田の顔に不愉快そうな険しさが蘇ってくる。


 スタジオでの話し合いに天気キャスターを巻き込むな、ムカつく。


 『オシカツ』の心中は暴風雨だった。 

 

 

 二日後。東京一円は朝から横殴りの雨が降っていた。

 テレビ局本社前の広場も地面が布を被せたように雨水が溜まり、中継スタッフの靴底を濡らしている。

 そして押田はスーツの上の透明の合羽に雨を打ち付けられながら、中継のテレビカメラに険しい顔を突き付けていた。


「それでは今日の天気。オシカツゥー」


 雨の影響をほとんど受けないスタジオで総合司会がお決まりの合図を送った。

 押田の前の中継カメラがオンになると、押田は慌てて表情に笑顔を張り付ける。


「はーい。オシカツです」


 恒例の台詞とともにお天気コーナーがスタートする。

 今日は雨粒が痛いほどの降雨のせいか、広場には中継スタッフと押田しかいない。

 それでも押田は気象計の数値を読み上げる。


「今の気温は12℃。湿度は70パーセント。春の装いでは肌寒いかも知れませんので、上に何か羽織るなどするといいでしょう」


 他にも色々と天気について解説すると一旦中継が切れた。

 はあ、と仕事を終えた押田は野太い溜息を吐く。

 スタジオで総合司会がゲストの女優に話を振った。


「明美さんはこんな雨の日はどうしてますか?」

「雨の日はいっつも頭が痛くなるんですよ」

「そうなんですか。オシカツゥ―?」


 総合司会が返答に困った顔をして押田へ助言を求めるために中継を繋げた。

 中継カメラが急遽オンになり押田を映す。

 押田は雨の鬱陶しさに歪みかけていた表情を無理やりに和らげた。耳に入れた中継マイクに意識を傾けるフリをする。


「はい。なんですか?」

「明美さんがね、雨の日に頭は痛くなるらしいんですね。理由とかあるのかな?」

「それは低気圧が原因じゃないでしょうか。雨に対して無意識にストレスを感じていて、交感神経がストレスに反応して脳の血管を広げてしまうんですね」

「なるほど。ありがとうオシカツ」


 総合司会が形ばかりの感謝を口にすると中継が切れた。

 押田の顔を憤怒が彩る。


 雨の日の頭痛のメカニズムなんか、ネットで調べりゃすぐに出てくるだろうが。雨に打たれて二時間以上もここにいる人へする質問の内容じゃないだろ!


 『オシカツ』の心中は低気圧前線に覆われていた。


 


 八月の某日。東京一円は朝から雲一つない空の下で、肌を焼くような真夏の太陽に晒されていた。

 今日もテレビ局本社前の広場で、押田が頭頂が焼かれる思いをしながら中継カメラの前でスタンバイしている。


「それでは今日の天気。オシカツゥー」


 程よく冷房の利いたスタジオから顔に汗一つかいていない総合司会が、涼しい顔で合図を送った。

 押田は暑さでとけそうな脳みそを奮い起こして笑顔を作る。


「はーい。オシカツです」


 お天気コーナーが始まる。

 夏休みの時期だからか気象計の後ろに、耳に金のピアスを空けたあきらかに輩らしい若い男たちがテレビカメラに映ろうと右に左に身を伸ばしていた。

 けれども押田は輩を気に掛けないようにしながら気象計の数値を読み上げる。


「今の気温は36℃。湿度は51パーセント。からりとした猛暑日なのでこまめな水分補給を心がけましょう」


 その他にも暑い日の詳しい注意点や熱中症対策などをわかりやすく解説紹介した。

 押田の中継を見ていた輩の一人が冷やかしの笑みを浮かべる。


「オシカツさーん。俺らも紹介してくださいよ」


 直後、押田のこめかみが弾ける音が中継カメラからスタジオまで届いた。

 押田が輩の方へ振り返った瞬間、危険なものを隠すかのように中継が切れる。

 スタジオは数秒間の沈黙に包まれ、総合司会が心配顔で中継を繋げるために押田へ話しかける。


「オシカツ、オシカツ?」

「……はい。なんでしょうか?」


 中継が再開されると同時に、耳に入れた中継マイクから声を聞き取ろうとする押田の姿と血らしき赤い液体で縁が汚れた気象計が映された。

 何故か先程まで気象計の後ろにいた輩達が一人残らず姿を消し、血のような赤い水たまりと死後痙攣のようにピクピクする片腕だけが同じ場所に見えていた。

 総合司会は気象計の後ろの光景には気が付かないまま押田との中継を続ける。


「オシカツ。途中で中継が切れましたが?」

「あっ、すみません。カメラさんが躓いちゃったみたいで」

「なるほど。わかりました」


 何事もなかったかのようにこの日のお天気コーナーは終了した。


 『オシカツ』の心中は猛暑日で、炎暑のせいで脳みそが壊れかけていた。



 この日以来、朝の顔であった『オシカツ』の姿をテレビで見なくなった。巷では格闘家になったとか、山奥に潜んで熊と戦っているとか、多忙に耐えられず引きこもりになった、とか根拠のない噂が飛び交った。


 『アサ8』では押田の件があったせいか、屋外でのお天気コーナーは取りやめになり、新任の天気キャスターはスタジオで今日の天気を報知している。


 あの日に放送事故があったかどうかは、その場にいた者以外知らない。

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