漠然とした不安

「無茶苦茶な理屈」

 柿色のコートを羽織った天奈が、傍らの青田をそう評価した。

 「カフェ・ピッツベルニナ」を出た二人は、すぐさま裏路地へと入り込んでいる。街灯の光も届かない。寂しげな区画だ。

「ふん。対象が大きく、つかみ所がないものほど、責任転嫁しやすい」

「お優しいこと」

「角谷家から報酬が提示されてな。それで、話す気になった」

「報酬? もう十分だと思うけど」

「千葉にな」

「千葉?」

「良い感じの家があるわけだ。いおりのような……」

「ちょっと待って」

 さすがに天奈が青田を止める。

「二十三区から遠すぎると困るんだけど」

「俺が家を手に入れることと、君はまったく関係がない。放っておいて貰おう」

 しかし青田は、天奈の意図を察しつつ、それを瞬間で否定した。

 こういう男だ。また何とかして、言質を取らなければ――

 天奈が頭の中で策謀を組み立て始めると、今度は逆に青田から問い掛けられる。

「それより君は良いのか? 要望通り、あの女性に“引っかかり”を作っておいたが」

「ああ、そうだったわ。ありがとう」

 その礼は他にも、「カフェ・ピッツベルニナ」での不手際を黙っていたことへの礼も含まれている。

 亜耶子が外部の者――即ち天奈と会っていることを目撃されている可能性は高い。

 そのため、亜耶子は2-Cの生徒たちに外部調査員だと思われたのだ。

 彼女たちの幼い思い込みで、事態はさらに悪化した。

 そして、その対処を全く行わなかった、加路女学院。

 教育機関としては、もう終わっていると言うしかないだろう――民主主義はともかく。

 そして、民主主義をあげつらった当人は、もうそれを忘れてしまったのように、今度は朋代を論う。

「正直、彼女の使い勝手は悪いと思うがな」

「――“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”」

「それはビスマルクの使い方では無いな――では『自己呪』を使うつもりか」

「その呼び方気に入ったの?」

「便利ではあるな」

 そんなやり取りを続ける内に、二人は街を抜けて川沿いの道に辿り着いていた。

 さらさらと水が流れる音が聞こえてくる。

 川面に映る星が、それに併せてゆらゆらと輝いていた。


「――ねぇ、民主主義危ないの?」


 いきなり投げかけられた天奈の問いかけには、否定して欲しいという感情が透けて見えていた。

 それに対して、青田は振り返りニヤリと笑う。

 笑みの意味を読み違えるような付き合いでは無い。

 だから天奈は深々とため息をついた。

 そして、再び歩き始めた青田の背に向けてこう投げかける。


「あなたの存在の方がよほどの――不条理ホラーだわ」

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自己呪 司弐紘 @gnoinori

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