再びの「カフェ・ピッツベルニナ」(五)

「へ?」

 思わず気の抜けた声を出してしまう朋代。

 それはイジメ問題を扱うワイドショーで、コメンテーターがどうしようもなくなって、適当に投げ出す結論とまったく同じコメントだ。

 だが当然、青田の言葉がそれだけで終わるはずが無い。

「正確に言えば――民主主義における義務教育の在り方ですね」

「そ、それは……どういう」

 あまりにも話に関連がなさ過ぎる。

 イジメ。それと民主主義と義務教育。まったく関係無いとも言い難いが、特に「民主主義」が出てくる意味がわからない。

 そんな朋代の疑問もまた、青田の計算の内なのだろう。したり顔で青田は話を続けた。

「――民主主義とは、その政体における民衆、選挙権の所有者としても良いですが、それらがある程度の知能、知識を保持していなければ機能しません。機能しない民主主義とは即ち衆愚政治。人類は、その愚かさを知っているのです。だから名前が付けられている。『衆愚』とね。と言うことは民主主義における教育とは政体の根幹であり、民に必ず受けさせるもの。まさに義務。ここに自由を介在させては民主主義が脅かされるのです。ですから、学校そのものを機能させない愚かしい行為が行われているなら、それは即ち国家反逆罪に相当しますし、相当させなければならないのですよ。この事実から皆が目を背けている。自由という言葉を有り難がって、それを無批判に奉っていますが、民主主義という制度を俯瞰すればわかることです。民主主義とは権力者に全てを預けるのは危険すぎるから、民衆がそれを分割して保持する制度。これは即ち、民衆が少しずつを受け入れるということです。興味の無い政治に関心を持って、手間の掛かる選挙に赴いて投票する。もちろん、知能と知識を保持した上でね。最低でもこれだけやって、ようやく民主主義は機能する。民主主義と自由とは決してイコールでは無いのです」

「ま、待って……」

 いきなり始まった、青田の今まで以上の長広舌に朋代は混乱した。しかし混乱しながらも、否応もなく朋代は理解してしまった。

 青田の理屈に抗う術が無いことを。

「恐らく、日本人に民主主義は合わないのでしょうね。どうしても『政治』を嫌う民族性が見える。平安時代の昔から。それは江戸時代にも受け継がれています。だから民主主義下における義務教育の在り方を誤解している人間ばかりになり、子供の自主性などを貴ぶ。結果半端に与えられた自由によって、学校は無法地帯になった。『学校』に権限を与えすぎた。教育の邪魔をするものは、国が最優先で弾かねばならないのに」

「で、でもそれは――」

「大多数による少数の排除。あるいは無視。それもまた民主主義の根幹。しかし、それを嫌う人が多い。少数の声に耳を傾けることがと、そんな理想だけを見ようとする。しかし政治とは見たくない現実を処理すること」

 青田の表情から感情が消えていた。

「民主主義こそが正解だと讃えながら、それに不都合な自らの行いを隠し、悪意の存在を見ず、自らは被害者だと強弁し権利だけを主張する。民主主義を選んだ事によって発生する義務を果たそうともしないで――これでは民主主義が機能するはずは無い」

「そんな……ことは……」

「一番顕著な例を挙げましょう。親が子に対して行うことは、例えそれが良くない行いでも、善悪を越えた、どうしようも無い想いがある――この理屈がまかり通っていることが、まず民主主義の敗北。どんな者にでも権利を発生させるなら、情に任せて判断を誤ってはいけない。ましてや自分の子が他の権利獲得予定者の研鑽を阻むなら、親自身が子を排除しなければならない。この辺り、民主主義では無いですが生き抜くのに厳しかった古代の方がよくわかっている逸話が残っていますね。王陵あたりですか」

「で、でも、それは……」

 あまりにも酷い。

 そう朋代は言いかけたが、確かに美和子の亜耶子への対処は間違っていたとしか言い様が無い。しかしそれは“母”であるなら当然なのでは無いか?

 だが、それも青田によって否定されてしまった。

 日本が民主主義であるがために――

「日本は今、危ういところに来ている。民主主義下の教育の崩壊を目の当たりにしているのに何ら手を打たない。自由と正義を標榜し、それに縋り、自分は正しいと思い込む者ばかり。これは呪いだ――まさに『自己呪』」

 そして、それが青田の最後の言葉だった。

 青田はカップに半分残ったコーヒーを一気に呷り、そのカップで朋代の背後を示す。

 それに釣られて朋代が振り返ると――ウィンドウ越しの街は完全に夜の街へと様変わりを遂げていた。いつの間にかそれほどの時間が経過したのだろう。

 朋代の心に再び疲労が襲いかかって来た。時間の経過を意識したことで、それはより強く感じられるようになっている。

 そして、朋代がノロノロと青田たちにへと向き直ると――誰もいなくなっていた。

 まるでこの会合自体が夢であったかのように……

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