推しとせんせいと私

とは

第1話 推し活せんせい

「せんせ~い! 我々は推し活精神にのっとって」


 先生が右手をまっすぐに伸ばし高らかに叫ぶ。

 さぁ、次は私の番だ。

 大きく息を吸うと私、冬野つぐみは真っ直ぐに前を向き、右手を高々と掲げる。


「日ごろの成果を発揮し、正々堂々と、さとみちゃんをでることを誓いま~す」


 続けて私も同様に声を張る。

 ここは木津家のリビング。

 エアコンが効いた快適な部屋で、私と先生は熱き高校球児の様に二人で並んでいる。

 そうして私達が大好きな女の子、さとみちゃんへの思いを込め宣誓を行っているのだ。

 机にあった教材をぱたんと閉じたヒイラギ君が、私達の前まで来ると大きなため息をつく。


「なぁ、ちょっと待て品子。そもそも日ごろの成果って何だ?」

「兄さん、つっこむところはそこではありません。この二人の発言自体にです」


 ヒイラギ君とは違い、課題を続けたままこちらを見ることもなくシヤちゃんは呟いた。

 そんな相変わらずクールな対応をしてくれる木津兄妹に先生はくってかかる。


「なんだよ! 私達二人の『イエスさとみちゃんノータッチ』計画にどこにおかしなところがあるって言うのさ!」


 思っていたリアクションが得られず、つられるように私も大声になる。


「そうですよ! しかもお二人とも気付いていないのですか? 先生が『宣誓せんせい』って言っているのですよ! これは奇跡のコラボと言っても過言ではありません! 褒めてくれてもいい位なのに」


 私達の熱弁に対し、ヒイラギ君は冷静な言葉で返してくる。


「お前らのは奇跡のコラボではなく、ただの残念なコラボだ。ったく、褒めるところがあるとしたら、その発言を本人の前で言わなかったってことだけだ」


 彼の言葉にシヤちゃんがうなずいているのを見て私は動揺する。


「あれ、これってさとみちゃんの前で話してはだめなものですか? さとみちゃんにとっても、私達が急に抱き着いたりしないから安心材料になる。そして私達は新たにその思いを誓う。つまりwinwinな関係と呼べるものなのでは?」

「ふざけるな。さとみちゃんにはメリットどころかデメリットしかないじゃねーか」

「そうですね。私は品子姉さんの攻撃には慣れていますが、さとみちゃんにあの頬ずりは危険です」

「えっ? シヤ、攻撃って何? 私の愛情表現って攻撃なの?」


 確かに先生の高速で行われる頬ずりは危険だ。

 一番初めに見た時に、私もシヤちゃんの首が取れるのではないかと心配したものだ。

 そんな私の耳に来客を告げるチャイムの音が響く。


「あぁ、多分さとみちゃんですね。お散歩から帰って来たのでしょう」


 シヤちゃんが立ち上がり、玄関へと向かって行く。

 しばらくしてシヤちゃんには珍しく驚いた様子の声が聞こえてきた。


「さ、さとみちゃん? どうしたの」


 バタバタと足音が響き、涙目のさとみちゃんがリビングへと飛び込んでくる。


「さとみちゃん? 泣いてるけど一体どうしたの?」


 私は彼女のそばに向かうと、頭をそっと撫でる。

 さとみちゃんはぎゅっと目をつぶると、私の胸へと飛び込んできた。


『冬野っ。昨日お話した、おさんぽの時のおいしいごはんがっ!』


 あぁ、そういえば。

 昨日の朝の散歩で綺麗な青の朝顔が咲いていて、蜜が美味しかったって言っていたなと私は思い返す。


『今日も青いがほしくて行ったんだ。でもお花がくるんってなって、しょんぼりしていたんだ。私がおいしいしたからなのか? だからお花は元気がなくなっちゃったのか?』


 どうやらその朝顔が今日はしぼんでしまっていたようだ。

 朝顔ってそういえば一日くらいしか、もたなかったよなぁ。

 小学校の頃に家に持ち帰った朝顔の事を、そう思い出していると。


「んぬぅわぁぁぁ。さとみちゃん! なんて君は可愛いんだ! お花さんと一緒に君がしょんぼりしてしまったなら。もう私がなぐさめるしかないよねぇぇぇん!」


 鼻息も荒く、先生がこちらに駆け寄って来るのが見える。

 まずい、今の先生には一片の理性すら感じられない。


「せ、先生! 落ち着いて下さい! 先程の宣誓はどこへ行ったのですか?」

「可愛いお嬢さんが泣いている。一教師としては、そのままにしてはおけないだろう!」

「教師という単語から果てしなくかけ離れた人間が言っても、……説得力はないですけどね」


 いつもならば、このシヤちゃんの言葉にへこんでいそうだが耳に届かなかったようだ。

 近づいて来る先生に明らかにさとみちゃんは怯えている。

 そんな中、救世主が私達と先生の間に立ちふさがった。


「いい加減にしろよ。さとみちゃんが怖がっているだろう?」

「そこをどくんだ、ヒイラギ! お前が従弟いとこであってもこれは譲れない」


 互いにがっちりと両手で組みあい押し合っている姿。

 いくら何でも男の子であるヒイラギ君に先生が勝てるわけがない。

 そう思って見ていたのだが……。


「はあぁぁ! 推しへの愛の力をなめるなよぉ! うりゃっ!」


 なんと、先生の方がヒイラギ君を押し返しているではないか!


「これが本当の『つ』なんだよぉぉぉぉ! さとみちゃんへの私の愛の力を知れぇ!」


 ――誰がうまいことを言えと。

 先生以外はきっとそう思ったに違いない。


「なっ、お前っ! これくらい普段から真剣に仕事に取り組めよ!」

「ふっふ~ん、いつもこうですぅ! あと、ヒイラギ、押すだけではだめなんだよぉ!」


 言葉と同時に先生は力を抜く。

 そうして自分に向かって倒れこんでくるヒイラギ君をひらりとかわすと、こちらに向かって『にやり』と笑いかけて来た。

 ……怖い、怖すぎる。

 すぐさまシヤちゃんの鋭い声が響く。


「いけません! 兄さん、『脱兎だっと』をっ!」

「言われなくても! そのつも……」

「あっれぇ、冬野君。ブラの肩ひもが出ちゃっているよ~」

「え! 嘘っ?」

「えっ、冬野のブ……!」


 とっさに私はさとみちゃんから体を離し、肩を見やる。

 だがそんなものは出ていない。

 さらにいえばその発言に、ヒイラギ君はフリーズを起こしてしまったようだ。

 

「あっは~ん! さとみちゃ~ん。今こそ、君の元へといくよぉぉぉ!」


 その短い時間に先生はもう彼女に抱き着こうと。

 いや、ジャンプをするようにさとみちゃんへと飛び込んでしまっていた。


 だが、さとみちゃんは冷静だった。

 ぐっと先生を睨みつけると、一瞬にして白い蝶へと姿を変え、ひらひらと飛んでいく。


 数秒後。

 私達の耳に先生が顔から床に激突する鈍い音が届いた。



◇◇◇◇◇



「それでこいつは鼻血を出し、泣きながら縛られていると」

「あっははぁ~。おろかですね。上級発動者とは思えない無様ぶざまな姿ですねぇ」

「ぐしゅっ、うるしゃい! 明日人はともかく、何で惟之これゆきまでいるんだよ!」


 鼻にティッシュを詰め、おでこにはガーゼ。

 さらに延長コードで全身をぐるぐる巻きにされた先生が、木津家にやって来たうつぼさんと井出さんを見上げている。


「何でって、今日くるはずのお前が本部に来ないから、俺が書類を届けに来る羽目になった。それだけだが?」

「くそぅ、そうだった! おつとめご苦労様です!」

「何で善意で来た俺が、出所した人間みたいな扱いになっているんだよ……」

「そうですよ~、事情を聞いて僕が治療しに来たんですから。決して面白そうだから来たなんてことはありますから、気にしないでくださいねぇ」


 リビングから聞こえる会話につい笑いをこぼしながら、私は冷たい麦茶をコップに注いでいく。

 いつも通りの会話と楽しい時間。

 さて、私もその仲間に入れてもらうとしよう。


「みなさーん! お茶が入りましたよ~! あ、今日はみんな夕飯食べていきますよねぇ?」


 コップの中で踊るようにカランとなる氷の音。

 同じ位の軽やかさを胸に、私はリビングへと入って行くのだった。






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