一ケ谷と探偵たちの依頼ファイル

@Uogasi0427

case1-1 作家にはヤンデレがわからない

「あー、ダメだ。全然進まない」


画面に向かい頭を抱え続けるのも限界が訪れる。

背もたれに身を預けふと天井を眺めると、いつ火をつけたんだか忘れたタバコの煙が天井まで届いていた。


―――人生の一部を切り抜くと物語になると誰かが言っていたが、それは正確であるとは言えない。世の中人生の切り抜きばかり漫画や小説で出版されているのなら、それはもうエッセイ書いてたほうがマシってもんだ。中には確かにそういうものもあるだろう。だが、人の興味を引けるような人生を送ってるやつなんてそう多くはない。つまり何が言いたいのかというと、空想の人生を描いてこその物語と言えるだろうということ。


「ゲッ、酒全部飲んじまってたか。生協で頼んでたっけ?」


ふと気分転換に酒をあおろうとしたが、全部飲みきっていた。

念の為補足しておくが、年がら年中酒を飲むわけでも、飲む本数が多いわけでもない。

単に出不精なだけだ。買い物に全然出てない。

一つため息をこぼし、またPCの画面に向かう。


―――まあ、物語がどうのと当たり前のことを言っていたのにも訳がある。その当たり前を理解できてない馬鹿が世の中にあふれているからだ。曰く「経験したことしか書けない」そうだ。その場合、世の中エッセイが本屋に跋扈し、俺を含めた幾人の作家たちが男にも女にもなれる化け物になる。

まあ、そんな戯言は置いておいて、作家の描ける範囲というのは、作家の頭の中でエミュレートできる範囲であると俺は思っている。例えば、あるキャラクターの人生・設定を考慮し、ある特定の状況下でどのような行動をするのかがわかれば、描けるという感じだ。

そういった側面で確かに人生経験が物を言うところはある。ある程度は情報で補えるが、自分の世界観・人生において存在しない、ファンタジーな存在はエミュレートしづらい。

今の俺のように。


「ヤンデレとは一体……」


俺こと一ケ谷 冬馬にはヤンデレがわからなかった。


なぜこんな頭を抱える羽目になったのかといえば、編集の馬鹿の鶴の一声


「今ヤンデレってのが流行ってるらしいっス。次ヤンデレにしましょう!」


ヤンデレに流行り廃りなんぞあるか馬鹿者。

あれはある一定層のファンが固定でついている。急に数字が伸びた場合は、流行が来たのではなく、ファンの母数が増えたと考えたほうがいい。

キャラクターがヤンデレなら、見る側も病んでいるのだ。

そんなところによく知りもしない作家が石を投げてみろ。あっという間に滅多刺しだ。

そんな神をも恐れぬ所業に対して、原稿料という弱点をつかれ首を縦に振ってしまったことが今の苦悩につながったわけだ。

そもそも短編でいいらしいが、短編でかけるものなのだろうか。

アンソロジーを作るらしく、とんだ邪本が出来そうで恐怖を感じる。


「っとまあ、そんな事考えてても始まらないっか」


足りない分の経験値は他所から持ってくれば良い。

ダウンロードショップにアクセスし、音声作品を漁りだす。

自分自身がちょっと携わっている関係で贔屓目に見ているが、それなしでも音声作品はとても良いものだと思う。

ASMRとか技術の最先端だと思うのだ。


「えーっと、『幼馴染がいつの間にか隣の部屋に住んでて…』?」


それはもうサスペンスかホラーでは?

購入手続きをし、聴いてみようとしたその時、電話がなった。

慌てて締切日を確認する。

あと10日ある。めちゃくちゃ余裕ある。

スマホを手にし、恐る恐る画面を見ると見知った名前。


「はいもしもし」

『良かった、出てくれたか』


電話の相手は20年近い付き合いの友人である立川 聡だった。


「お前からの電話に出ないことなんてあると思うか?」

『出ないだろ。締め切り近いと編集さんの電話にすら出なくなるじゃないか』

「……」


事実である。

携帯を封印することしばしば。

ただ、それに関してはあの馬鹿も悪いと思うのだ。

ヤツと電話したところで得るものはなく、まさに百害あって一利なしといったところだ。何しろ書いてる最中に余計な要素を突っ込んでくる。


「まあ、なんだ。電話してきたんだ。用事があるんだろう?」

『ああ、そうだった。ちょっと力貸してくれないか。人手が足らない』

「ええー?この間上村ちゃんに怒られたばっかじゃない」


そもそも行きたくなかった。

コイツの言う『力を貸してくれ』は面倒事の可能性が極めて高い。

何しろやっている仕事が仕事なのだ。

そんなのに部外者が首突っ込んで、給料くれと言われる事務の上村ちゃんの心労は察して余りある。


『今回は独断じゃない。所長の判断だ』

「は!?」


その言葉に俺は飛び起きることになった。

荻原いづみ。事務所の所長にして俺も相当恩がある女傑。

それ以上になにか企んでいそうで恐ろしい人。

協力要請に応えなかった場合何が起きるかわからない。


「……はぁ、待ってろ。事務所に向かう」

『了解。早めに来いよ』


電話を切り、数日ぶりの外出準備をする。

タバコにライター。これは俺の必需品。

ペンにネタ帳。作家の必需品。

最後にライトとデジカメという『探偵』としての必需品をかばんに突っ込み『荻原探偵事務所』へ向かうのだった。

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