推し守り侍

空草 うつを

推し活

 テレビの画面には、最近話題になっている深夜アニメが流れていた。主人公達がよく寄り集まる神社のモデルとなっているのが、恋人である千鶴ちづるの実家の神社らしい。

 リビングのソファーにふたりで並んで座り、神社のシーンが終わると千鶴は満足気に頷いていた。アニメとは言えもはや実写と見間違えるほどのグラフィックに、僕も感心してしまう。


「アニメのおかげで参拝者が増えて驚いちゃった。聖地巡礼、っていうんだって」


 千鶴は神職として実家の神社で働いている。最近はアニメの効果もあってか多忙を極め、僕も仕事が休みの日は手伝いに行っていた。ヒロインが手にしていたお守りを買いに押し寄せる人々の対応に追われ、毎回社務所でてんやわんやしていた。


「あぁ、ひめ様。また神社に来てくれないかなぁ」

「姫様って確か……矢内沙姫やないさきさん、だよね?」


 矢内沙姫は、今見ているアニメのヒロインの声を担当している人気声優だ。可愛らしい高音ボイスと人形のような容姿から、ファンの間では姫様という愛称で親しまれているそうだ。


「お、真澄ますみ君もようやく覚えてくれたんだね」

「千鶴があれだけ姫様、姫様言ってたらさすがにね」

「人気声優なのに奢った態度もないし、気さくに話しかけてくれて、もう天国みたいな時間だったなぁ」


 目を輝かせながら、千鶴はCMが開けたアニメに再び見入った。沙姫さんの声を聞くたびに「耳福〜」と多幸感に浸っている。

 千鶴は、プライベートで参拝に訪れた沙姫さんと話した日から彼女の虜になった。仕事の合間を縫って推し活を開始したらしい。出演しているアニメやバラエティー番組を片っ端からチェックしたり、ラジオの生配信聞いたりと、充実しているのが側から見ても一目瞭然だ。


「でも、姫様は今は体調不良で活動休止中なんだよね」


 千鶴がスマホをさくさくと動かして、ネット記事を見せてくる。公式発表では体調不良としか書かれておらず、SNS上では様々な憶測が飛び交っているという。多忙故に気分転換をしているだけだろう、というものから、悪意の含まれた出鱈目なものまで出回っていた。


「また神社に来てくれたら、私、うんとおもてなししちゃうのに」

「千鶴に会ったら絶対に元気になると思う」

「本当に?」

「少なくとも僕は毎日千鶴から元気を貰ってるからね。沙姫さんだってきっと同じだよ」


 僕の肩に預けてきた頭を撫でていれば、千鶴がだんだん眠たくなってきたのかうとうとし始めた。

 連れ立って寝室に向かおうとした矢先。窓が強風に煽られたようにガタガタと暴れ、ふたりして体が跳ね上がった。


 揺れ動いた窓はひとつだけ。顔を見合わせてその窓に近づき、カーテンを開けた先。窓にへばりつくようにしてこちらを凝視していたのは、若い落武者だった。



 落武者はソファーの真横に敷いた座布団の上に胡座をかき、腰に差していた日本刀を右側に置いている。眉間に皺を寄せて微動だにしない彼の前に熱々の緑茶を差し出した。落武者が頭を軽く下げればカチャリと鎧が音を立てる。


「粗茶ですが」

「かたじけない」


 僕達だけソファーに座るのも忍びなくて、落武者の向かい側にふたりして正座した。


「早速ですが、ご用件を伺っても良いですか?」


 落武者はひとつ咳払いをしてから、口を開いた。


「拙者、鴫野しぎの仁平次にへいじと申す。見ての通り、もう死んでいる。関ヶ原での合戦時に手柄を立てることなく、人生の春を謳歌することなく、主君を守ることもできずに討ち死にし、無念のうちにこのような姿で漂っている……だが、拙者のことなどどうでもよいのだ。姫様のことで折り入って頼みがある」

「「姫様?」」

「矢内沙姫という女子おなごだ。セイユウ、を生業にしている」

「落武……仁平次さん、姫様をご存知なんですか!?」


 千鶴が口を両手で押さえて目を丸くする。落武者、改め仁平次さんは、何やら恥ずかしそうに視線を逸らすと照れ隠しなのか頬を指でカリカリと掻いた。


「声に、惹かれてしまったのだ。偶然目にした四角くて薄い……テレビと言ったか? それから聞こえてきた小鳥のさえずりのような愛らしい声音……耳に心地よく入り込み、失われた拙者の春を取り戻してくれるような響きに、心を奪われた」


 沙姫さんの声を思い出し、うっとりとしていた仁平次さんは、突然前のめりの姿勢になる。眉間に寄せた皺は更に深く刻まれ、深刻な表情に変わっていた。


「麗しき姫様が、男の生霊に取り憑かれている」

「……それは、かなり厄介な……」


 読んで字の如く、生霊とは人間の非常に強い念によって発生する。生霊の多くは己の預かり知らぬ間に相手に取り憑き、苦しめ、適切な処置を行わないと取り憑いた相手を死に至らしめるほどの力を持っている。


「どうやら、姫様を愛おしく思うあまりに独占欲が強くなり、生霊となってしまったのだろう。人伝、いや霊伝れいづてに聞いたのだ。香坂殿の持っているニガンレフとやらを使えば、霊魂をシャシンとやらに封じ込めることができると。姫様は生霊のせいで苦しんでおられる。拙者のような力のないただの幽霊では生霊を倒すことなどできん。姫様を救えるのは香坂殿しかいない。お力をお貸しくだされ。何卒、何卒ぉぉっ!!」


 仁平次さんが勢いよく下げた頭は、床をすり抜けて首から上が完全に見えなくなってしまっている。

 僕が親から継いだ霊封師れいふうしという家業は、彷徨い歩く霊魂を写真に封印する力を持つ二眼レフカメラを駆使し、封印した霊魂を居るべき場所へ還すのが役目。しかし、今回の依頼を僕は受けることはできない。


「仁平次さん、申し訳ないのですが僕にはできません。確かに二眼レフで生霊を写真に封印することはできますが、それは根本的な解決になりません。生霊を飛ばしている本人がいる限り、生霊は沙姫さんに取り憑き続けます」


 下げていた頭を元の位置に戻した仁平次さんは、唇を噛んで俯いてしまった。


「ならば……生霊を飛ばしている男を、拙者が呪い殺すまで……」

「絶対駄目です!」


 大人しく聞いていた千鶴の、強く抗う声に遮られて仁平次さんも僕もビクッと震えた。


「そんなことをしたら、仁平次さんは怨霊になってしまいます!」

「しかし、それ以外に道は——」


 苦悶の表情を浮かべる仁平次さんの肩に手をのせた——実際に霊魂には触れることはできないが——千鶴の目は、力強かった。全てを委ねても大丈夫だと思わせるほどに。


「推しの為に自らを犠牲にしようとするあなたの決意、私は至極感動しました! 同担として、私も協力します!」

「オシ? ドウタン??」


 聞きなれない単語に戸惑う仁平次さんを他所に、千鶴は「私に考えがあります」と作戦を滔々とうとうと話し出した。





 春の柔らかな日差しを受けた長髪は、天使の輪を作って輝いている。差し出された白魚のような手から小銭を受け取ると、代わりに薄桃色のお守りを手渡した。


「……本当にこれで体が良くなりますか?」


 透き通るような高音ボイスが、にわかに怪訝な音を鳴らす。人形のような整った顔は疲労からか酷くやつれ、目の下には化粧でも隠しきれないクマが鎮座している。


「こちらは特別な祈祷がなされたお守りとなっています。すぐにとは言えませんが、少しずつ効果が表れてきます」

「……そうですね。信じる者は何とやら、ってよく言うし……。昨日の夜、うなされていたら金縛りにあったんです。そしたら、夢枕にお侍さんみたいな人が立っていて。『明日一番に吉月よしづき神社で厄除けのお守りをもらってきなさい。さすれば体の不調はたちまち良くなる』って言われたんです。普通だったら無視しちゃってますが、こんな状況ですし……藁をも縋る思いで来たんです」


 僕から受け取ったお守りを、大事そうに両手に包み込んだ。その手に力が込められたのは、うなされる恐怖から解放してほしいという彼女の悲痛な訴えだったのかもしれない。


「きっと、いえ、絶対にあなたを守ってくれます」

「……何でしょう。このお守り……本当に厄を祓ってくれそうな気がします。病は気からって言いますが、本当にそうなのかもしれませんね」


 沈んでいた顔に微かな笑みを浮かべた。いつもの可愛らしい顔貌へと戻る兆しにも見えて安堵する。

 去っていく背中を見送れば、心なしか神社の境内に足を踏み入れた時よりも軽やかに感じた。


「作戦、うまくいったみたいで良かった!」


 神職の仕事を途中で抜け出してきたらしい千鶴が社務所に入ってくると、眩しそうにその背を見つめていた。


 薄桃色のお守りの中に忍ばせたのは、二眼レフで撮った仁平次さんの写真。


 合戦で手柄を立てることなく、人生の春を謳歌することなく、主君を守ることもできずに若くして討ち死にした落武者は、神職によって祈祷された日本刀を手に最推しの姫様を生霊から守る為に側に仕えることを選んだ。



(完)

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