OSHI-KATSU

小石原淳

オシカツド〇から始まる物語

 日本にやって来て七年目、初めて一人で定食屋に入った途端、「はい、オシカツドン二人前、お待ち!」と威勢のよい声が轟いて、身体がビクッとした。自分に向けられたものかと思い、焦ったが、実際は違った。

 若い女性の店員さんがどんぶり料理を二つ、お盆に載せて運んでいく。ちら見してみると、どんぶりの蓋から平べったく伸ばされた豚肉らしきかつが大きくはみ出しており、そこそこインパクトがあった。程なくして席に案内され、メニューに目を通す。さっき見たのは『押しカツ丼』という料理らしい。

 オシカツつながりで、頭の中が一杯だったため、必要以上に驚いてしまった。今、僕は“オシ”のことばかり考えている。今日、初めて顔を合わせるのだけれども、緊張がどんどん高まっている。どうしたらいいか分からないほどだ。

「お待たせしました。お席の方はこちらで大丈夫でしたか」

「はい、問題ありません」

「よかった。ご注文はお決まりですか?」

 まだ決めていなかった僕は、店の壁に貼ってある写真パネルを指さした。大柄な黒人男性が店主らしき年配男性と肩を組み、一つのどんぶりを支えるようにして持っている。黒人男性は僕も知っている有名な格闘家、オーガ・ヌーだ。どんぶり料理が美味しそうなのはもちろんのこと、二人のにこやかな笑顔が非常にいい。

「あれは何という料理になりますか」

「あー、はい。あれはですね、こちらのメニューで言うと」

 メニューを手に取るとページをめくって、一つの料理を指先で押さえた店員さん。

「これになります。牛カツ丼ビーフカレー」

「この、あとから書き足されているのは何ですか」

 メニューの料理名のすぐ上に、“オーガ・ヌー、一推し”とあるのだけれども、“一推し”が読めない、意味が分からない。“ひとすいし”だとしたら人間が溺れ死んだように聞こえるが……?

「それはあの外国人が強い格闘家で、あの人もイチオシしている、つまりえっと、推薦している、おすすめしているという意味になります」

「ああ、分かりました。ではこの牛カツ丼ビーフカレーを一つ、お願いします」

「大盛りにもできますが、いかがいたしましょう?」

 僕の体格を見てのことか、おすすめしてきた――イチオシしてきた?――店員さん。今よりもっと子供だった頃は、外見だけで判断されていわゆるOTAKU扱いを受けていたが、それに比べたら随分とましだ。

「ライスを増やすだけなら無料、具も増やすのでしたらプラス百円、多めに頂戴することになりますけれども」

 験担ぎだと思い、具も増やしてもらうことにし、注文をすませた。

 お水やおしぼりなどはセルフサービスのシステムだという説明を受け、理解して、店員さんを見送る。さて水とおしぼりを取りに行くかと、腰を上げたところ、店のドアががらりと開いて、ほぼ同時に「おーい、せきとり頼むよ」という声が遠くから聞こえた。

 僕がまたびっくりして、出入り口の方を振り向くと、入って来たばかりの人が外に向かって「大丈夫ですよ、先輩! 幸い、席は空いています!」と返した。

 何だ、せきとりって席取りのことか。僕は自分を見て言ったのではないと分かり、何となくほっとした。そうして改めてお水とおしぼりを一つずつ取って来ると、元の席に収まった。

 太い指でおしぼりを広げ、手を拭きながら、考えることはまたも“オシ”について。

 どうやったら“オシカツ”ことができるのか、堂々巡りが続いている。

 同じ部屋の先輩で部屋頭の豊羽島とよはしま関とは、稽古でもなかなか勝てない。僕も豊羽島関も突き押しを得意とし、立ち会いから一気に押し勝つのが身上。わずかだけれども確実にある押しの差が、稽古場での差につながっているのは分かっている。幸い、同部屋だから本場所で当たることはなかった。けれども今日は地方巡業で、同じ部屋の関取同士でも対戦が組まれる場合がある。土俵上で勝負する日がいつか来ると思っていたけれども、ついに来てしまった。取組決定を知らされたのが昨日で、以来、ずっと考えているのだが、よい対策が浮かばない。戦う相手と顔を合わせるのすら精神的にしんどいから、ちゃんこの食事は早々に退席して、こうして食べに出て来たくらいだ。

「おまえそれ、太い信者だと思われてるだけなんじゃね?」

「いや、そんなことない」

 また新たなお客が来店した。今度は僕と同じぐらいの若い男二人組だ。

「俺の拝金のおかげで、クビにならずに済んだって、推しから直接、お礼のメールが来たんだから」

「いやいや。それ、おまえ宛だけじゃねーから、絶対」

 聞くともなしに聞いていた二人のやり取りに、何故かしらヒントを見出した気がした。オシカツためのヒント、光明。それは“太い”“クビ”じゃないか? 豊羽島関の首はとてつもなく太くて頑丈だが、先場所、土俵下にもつれ合って落ちたときに傷めたはず。完治していないとすれば……僕は自分の右手をじっと見つめた。

 太い首を喉輪押しでとらえる、はっきりとした手応えを予感した。


 終わり

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OSHI-KATSU 小石原淳 @koIshiara-Jun

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