姉貴の推し活

石田宏暁

推し活

「もういい加減やめれば、推し活っていうのこれ?」


「いいでしょ。だって親友なんだよ」


 超人気のシンガーソングライター、国民的破天荒アイドル〈あやちょん〉。姉貴の部屋には溢れるばかりのグッズ、DVD、雑誌、ファンブック、コラボ菓子、缶バッジまでが散乱している。小学生時代には、俺も一緒に遊んでもらったことがある……とはいえ。


 姉貴の部屋には、小学生時代にあやちょんと一緒に撮った写真や、一緒に描いたお絵描き帳や、一緒に作ったぬいぐるみまで飾ってあった。


「どうしてこんなに差がついたんだろうか。かたや一流ファッションリーダー、かたや地味で貧相で締まりのないボディのクソ田舎娘まるだしの姉貴」


「あやちょんが特番に出るんだから、用がないなら出ていって」


「だからさ、それ辞めなって。もう十年以上連絡とっていない親友って、友達でもなんでもないからね。他人だよ、他人」


「あんたに何が分かるのよ」


 姉貴には他の趣味も、男っ気も、何もなかった。過去の思い出に浸って、国民的アイドルの親友だったことを自慢気に、推し活を続けている。そんな姿は、けして前向きだとは思えない。


みじめだよ」俺はぼそりと言った。「覚えてるよ。姉貴が彼女のこと庇ってイジメから守ったんだよな。あのあと、あやちょんは都会に引っ越していったけど、残った姉貴は友だちからイジメられたろ。それって、つまりは……全部あやちょんのせいじゃんか」


「待って!」姉貴はモニターをじっと見ながら手を上げた。「あ、あやちょん。け、結婚発表、ええええっ! まじ、まじ、お……おめでとう。まさか、引退なんかしないよね。新曲作ってるっていってたよね」


 呆れて、ため息が漏れた。当時の俺にも、あやちょんは魅力的に思えた。すこし尖って、生意気な印象もあって、強くて、カリスマ的な要素みたいなものは感じていた。もともと俺や姉貴とは別世界の人間だ。


「色々とグッズが届いてたけど、俺がまとめておいたよ。もういいだろ――」


 そんな彼女に姉貴は憧れたんだ。才能があって、物事をハッキリ言うタイプで、生命力があって、周りに嫌われたってお構いなしの性格。夢をまっすぐに追いかける人生。真逆だからこそ、惹かれて、今では崇拝までしている。


 いつか、姉貴はあやちょんのような人間になりたいと言った。姉貴みたいな従順なタイプは定職につけただけで上等だと返したが、今はこの俺が無職っていう状況だ。


 姉貴は青ざめた顔で俺の肩を掴んでいた。


「た、大変なことになったわ」姉貴の瓶底眼鏡がグラグラ揺れて、全身が震えているのがわかった。「どうしよう。あ、あやちょんが結婚式の介添人アテンダーに私を指名したわっ!!」


「もう、いいだろ。辞めろって、えっ、えっ、嘘だろ!?」


 確かに、送られてきたグッズは俺がまとめておいた。そこには結婚式の進行表、スピーチの仮原稿や、直筆の手紙があった。まさか、まさか、それが姉貴宛の本物の手紙だったとは。


「ま、ま、ま……待て、待て、待ってよ。なんで、勝手に私宛の郵便物をあんたがしまってるかなっ! 結婚式は明日の朝じゃない。ここから新都心までなんて、もう、どうやったって間に合わないじゃないの」


「いや、夜どうし走れば間に合うかもしれない。いますぐ行こう!」


 それから先はあまりよく覚えていない。とにかくドレスに着替えた姉貴をバイクの後ろに乗せ、深夜の高速を駆け抜けた。


 姉貴のスカートが風に引っ張られてビリビリと音をたてた。だが何としても間に合いたいという姉貴の腕には、熱がこもっていた。


 モニターに映るあやちょんは、少し悲しげだった。『ずっと連絡がとれない親友に結婚式に来てほしいんです。介添人が無理なら、顔を見せてくれるだけでも嬉しいな。もし、番組をみていたら気づいてくれるかしら』と笑った。


 小雨が降って、俺は疲労と自責の念で感傷的になっていた。両親が死んで、ずっと俺の面倒をみてくれた姉貴。地味で化粧水すら買えず、おしゃれな服装なんて一枚も持っていない貧しかった時代。


「俺のせいだ」


「い、いいよ。隆史のせいじゃない」


「違う。ぜんぶ、全部、俺のせいだっ」


「隆史のせいじゃないって言ってるでしょ」


 よく寝返りをうって泣いていた姉貴を思い出した。バイト、就職、仕事と家事。ヘトヘトになりながら、鋭い非難、罵りに耐えていた。怒りや挫折感にかられながら眠れない夜をずっと孤独と戦ってきた。


「そうやって、ずっと文句ひとつ言わなかった。だから余計な町内会の仕事まで押し付けられるんだ」


「そうね。でも頼まれれば、仕事が早く覚えられるから」


「……俺はさ、姉貴に幸せになって欲しいんだよ」


「何言ってんのよ、馬鹿ニートのくせに」


「ちゃんとするよ、仕事」


「はあ、何か言った?」


「ちゃんと掴まってろよって言ったんだよ!」


 推し活は、そんな姉貴の唯一の癒やしだった。心の底から愛した虚像アイドルは、姉貴自身が激しく望むものにほかならなかった。ひっそりと心の奥に不安をおいこめたまま、年月だけが過ぎていく人生の、たったひとつの光だった。


 ずっと黙ったまま、本当の気持ちや願望を黙り続けたまま、本当の自分の気持ちすら忘れてしまった姉貴。


 もし虚像が現実に居るのだったら、その存在を少しだけでも姉貴に感じさせてやりたいと思った。ちょっとした合図か、しるしだけでも、僅かでかまわないから見せてやって欲しいと思った。


「少しは自分の意見とか言えよ。俺が仕事をクビになっても、しれっとしちゃって。姉貴は一度も怒ってるところを見せないよな。本当は怒鳴りたいんだろ」


「怒って欲しいの? コノコノ」


「そ、そんなんじゃねえよ」


 同じ過去の記憶を共有したというだけの虚像アイドルを愛したのだ。彼女の歌う詩を、この世界に住む幸せな家族の詩を愛したんだ。まぼろしで終わらせたくなかった。


 朝焼け。やっとの思いで高速を降り、式場へ到着したころ、姉貴の着ていたドレスは雨と跳ねたドロで台無しになっていた。


 こんな惨めな格好では、会場に入れてもらえないだろうと思った。そもそも結婚式はもうとっくに始まっていた。


「お引き取りください」黒服をきた守衛の男は言った。「ご友人の皆様は、すでに参加されております。一般の方は入場できません」


「どけよ、案内状はこれだ。行こうぜ、姉貴」


『きったな……』『やだ汚ならしい』『何なの、あの人っ』『ちょっと泥だらけじゃない』

 聞こえてくる罵倒の中を俺は突き進んでいく。姉貴の冷えきった手を握って。


「……やっぱり駄目だよ。こんな格好じゃ、あやちょんに失礼だよ」


「ぷぷっ。今更やめんのか、推し活?」


 呆然と立ち尽くした姉貴をみて、俺は笑ってしまった。メットで貼り付いた髪にびしょ濡れのドレス、いつも真面目な姉貴とは思えないインパクトある破天荒スタイルだ。


「本当はさ、イジメから庇ってくれたのはあやちょんのほうだったんだ。友達がいなかったのも、私の方。だから向こうは私のことなんか、覚えちゃいないわ。ファンレター送ったって、一度も返事が来なかったし」


「忙しかっただけだろ」


 姉貴は、SNSやレビューでもあやちょんの応援コメントを送っていた。たったの一度も返信がなかったのは、やっぱり親友とは思われていない証拠だろうか。


 式場の大きな扉が開いた途端、マイクから反響したキーンという嫌な音が響いた。大勢の視線が姉貴に向いてスポットライトがあたる。ざわざわとした会場が一瞬で沈黙に包まれた。


「!!」


 中央のステージからマイクを放り出して彼女は走ってきた。このまま、そんなペースで走ってきたら、タックルされるか、ぶん殴られるか、あるいは抱きついてしまうのではないかと慌てた。


「やっと会えた!」姉貴に力いっぱいで抱きついたあやちょんを見てホッとした。張り詰めていた気が緩んで、うっすらと涙がでた。


「あなた、名字変えちゃうし、住所も変えちゃうし、番組まで利用してやっと見つけたんだよ。ごめんね。ずっと応援してくれてたのに、ごめんね」


 後で分かったが、事務所はSNSもファン交流も禁止していたらしい。マネージャーは手紙もよこさないから、ずっと知らなかったんだ。


「……ぷっ」


「何が可笑しいのよ、親友だっていったでしょ。推し活サイコー!!」


 笑いながら涙がでた。姉貴は推しに憧れ、勇気をもらい、強く、優しく、俺を守り、育ててくれた。友情は時間がたっても変わらない本物だった。こんな性格だけど、幸せそうに笑った姉貴は、とても綺麗に見えた。











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