虚食漢

小狸

虚食漢

 何かを食べることがとても苦手だ。

 もちろん食べなければいけないのは理解している。

 エネルギーだのという話をしているのではない。何かを口に入れてもぐもぐとしゃくし――噛み締め、切り、磨り潰し、そして飲み込む。

 別に消化器に何らかの障害があるわけでもなく、傍から見ればいやいやお前は何を甘えているんだ世の中には食べることができない人だっているのだ――という的外れな指摘が飛んでくるかもしれない。

 ただ――苦手なのである。

 苦手だから食べないということは、しかししていない。

 きちんと三食食べている。

 しかしそれは、腹を空かせて作業効率を下げないためである。

 こんなことを言うと驚嘆されるかもしれないが、僕は仕事をしている。

 日中働き、夕方(ほとんど夜だ)に一人暮らししている家に帰ってくる。

 そして一応、食事をする。

 他人に迷惑をかけたくはないからだ。

 もし食べずに倒れたら、効率が悪くなったら。

 職場にも周囲にも迷惑をかけてしまう。

 自分の意志を貫くより、他人に迷惑をかけないことを選ぶ。それが僕の流れるような(くだらない)生き方である。

 だから、嫌々ながら食べている。

 食べ物を美味しいという時は、確実に嘘を吐いていると思っていただいて構わない。

 事務的に食べ物を、口に運んでいる。

 何かを美味しいと思ったことは、ほとんどない。

 もしご飯を食べずとも生きていけるのなら(実現不可能な願望である)、僕は食べないだろう。

 一時期、一人暮らしを始めた頃はあまりに痩せすぎて、親に病院に連れていかれたことがある。

 そのままを話したら、拒食症という診断を受けた。

 その診断に(だからといってセカンドオピニオンを受けたという訳ではないが)、僕は疑問を持った。身勝手なイメージで悪いが、拒食症というのは、太りたくないから食べないだとか――そういう心因性のものなのだろう、と思っていたからだ。

 疑問に思ったので、その場で聞いて、色々と得心がいった。

 ネットで調べると、拒食症になりやすい性格は「自分に自信がない」「完璧主義」「本音を他人に話せない」のだという。

 成程、僕だ。

 全てに当てはまっていた。

 体重が減り、身体がどんどん弱っていくことは確かに怖かったが――それ以上に、自分で食べないことを選べるその環境が、心底嬉しかった。

 もう無理して食べなくていい――その嬉しさを、ずっと保ちたかったのだ。

 体重については、あまり細かくは考えていない。

 別に太るとか、痩せるとかそういうことはどうでもいいのである。

 どちらになっても自分の容姿がどうにもならないくらいに醜いことはよく知っている。そしてもう諦めている。

 服や清潔感、髪型や立ち振る舞いなどで緩和できるような醜さではないのだ。

 小学生の頃、毎日浴びるように「気持ち悪い」「キモイ」と言われ続けたのだ――それくらいは自覚している。

 いや――そんな風に諦めていながら、僕は深層心理で太ることに恐怖を感じていて、だからこそなるべく食を細く――しようとしていたのかもしれない。

 幼い頃のトラウマなんて覚えていない(トラウマしかないからだ)が、ひょっとするとそういう暴言を浴びたことがあったかもしれない。

 幼い頃はもう少し太っていたからだ。

 ああ――そうかもなあ、などと思って、しかし追及することは止めた。

 どうでも良かったからだ。

 どうせ気付いたところで、食べ続けなければ、人間はいつか死んでしまう。

 そうでなくとも、他人に迷惑をかけてしまう。

 ならばそんな気持ちは、誰かに話すべきではないのだ――理解も共感も、享受すらしてもらえないだろう。食べられないでも食べたくないでもなく、食べるのが嫌いな人間など――普通ではないからだ。

 普通。

 ちゃんとご飯を食べられて、にこにこ笑顔になれて、自分を認められて。

 小さい頃の僕は、生きていたら勝手に、普通の人間になれると思っていた。

 テレビでやっているような殺人犯やニートなど、自分には関係ないと思っていた。

 しかし、大人に近づいて、自分と向き合って――嫌々食べていることを自覚して、それを周囲に話した時の反応を見て。

 僕は普通ではないことを知った。

 ほとんどの人は、食べることに、そこまでの意味を感じてはいないらしい。

 もちろん食品によって好き嫌いはあるけれど、食べること自体については、好きとか嫌いとか、そういう領域ではない――のだそうだ。

 毎日嫌々、嫌な顔を噛み潰して食事を行っているわけではないらしい。

 いいなあと思った。

 好きになればいいのかなあと思って――一人暮らしになった時に、料理のヴァリエーションを増やしてみた。

 が――何も違わなかった。

 液体でも固形物でも、何であれ、何かを口の中で咀嚼し、それを呑み込むという行為そのものに、どうやら僕は嫌悪感を覚えるらしい。

 他人が何かを食べているのを見るのも、あまり好きではなかった。

 時折いるだろう――咀嚼音を大袈裟に響かせながらものを食べる輩が。

 あれを見ると吐き気を覚える。

 ビール(でなくともいいが)をごくごく飲む時に、喉で音が鳴るだろう。

 あれを見ると眩暈がする。

 無論そういう迷惑客でなくとも、誰かが咀嚼し嚥下しているのを見ているのが、心底嫌だった。

 ただ――まあこれも僕の悪いところなんだろうが、嫌だからといって、しないわけにはいかない。

 この醜悪な顔面で何をと思うやもしれないが、僕は営業職をしていて――かなり競争の高い会社だったためか、飲み会やご飯会が恒例的に開かれていたのだった。

 積極的に参加して、人と会い、人と話す――だけならばまだいい。

 他人にとっては僕のような醜い人間と会うことは嫌なのだろうが、僕はそこまで嫌いではなかった。

 人と話して、時に意見を交換し、自分にはないものを吸収するのは、とても有意義なものだと思っていた。

 しかし、共に食事をするという部分だけが、とても嫌だった。

 ただ、嫌だということは、できないということと同義ではない。

 嫌々、できてしまう。

 自分の気持ちにそっぽ向いて、誘われるがままに先輩や上司とご飯に行き、今すぐ逃げ出したい気持ちを殺しながら、何度も食事に行った。

 毎日食べたくはないけれど食べないと死んでしまうから、口に物を入れたくない衝動を無理矢理我慢して、毎日三食ご飯を食べた。

 苦痛のような毎日だった。

 相談? 

 いやいや、止めてほしい。

 そういうのは、容姿が整っていて、自分に自信があって、自分の過ちを許容することができて、恵まれていて、心に余裕があって、誰かにいじめられた経験などなくて、自分の希望の職種に付けて、まっすぐ前を向けて、自分が醜くないかを逐一確認する必要などなくて、自分の行動一つ一つがおかしくないかを他人と見比べることなどしない、精神的に安定している――普通の人間のすることである。

 普通。

 それは僕には、高すぎるハードルだった。

 会社の人一人一人に、自分はこういうトラウマがあって、小学校の頃毎日罵詈雑言を浴びていて、一時期不登校になったこともあって、誰もそんな自分の話など聞いてくれなくて、孤独で寂しくて、でも生きなければいけないから無理して生きているんです――などと説明するわけにもいくまい。

 生きるためには、働かなくてはいけない。

 人が動くためには、食べなければいけない。

 当たり前のように社会が要求してくるそれに応えるために、僕は自分の気持ちを、心を、真意を、無視し続けた。

 そんなことが積み重なったある朝のことだ。

 朝、布団から起き上がることができなくなった。

 目の前が黒く、薄暗い。

 文学的な表現になってしまうが、陰鬱な気分というのは、こういうものかもしれない。

 異常に身体が重かった。

 鉛でも入っているのだろうか――僕は大柄な方ではないけれど、体幹が倍くらいになった感じである。

 立ち上がって見た僕の目の下には、黒い隅がくっついていた。

 いつも通り、とても醜い。

 会社へと連絡をして、僕は横になった。

 三日たっても治る気配がなかったので、精神科を予約した。

 一度拒食症診断をされた時にも痛感したが、精神科というのは、かなり先まで予約が埋まっているものだ。

 しかし偶然、その診断をした先生の診察が空いていて、次の週に行って、重度の鬱状態であると診断された。

 へえそうなのだと思った。

 これが鬱か。

 薬を処方されて、そのまま帰った。

 ご飯を食べたら、数時間後に全て戻してしまうようになっていた。

 受け付けられるものをいくつか探し、サラダと水ならば問題はないことが解った。

 このままでは会社の人の迷惑をかけてしまう。

 連絡し、子細を詳らかに報告した。

 上司はいい人だった。

 醜い僕を顔で差別しない、数少ない人である。

 だからしばらく休みを頂けることになった。

 加えていくつか謝罪をされた。

 君には無理をたくさんさせてしまったとか、一年目がどうとか、二年目がどうとか。

 どうして謝っているのかが、微塵も分からなかった。

 僕がもし死んだ時のために、保険をかけているのだろうか。

 自分は彼に心的なストレスなど与えていないと、念押ししたいからか。

 いやいや、冗談だろう。

 無理など、毎日必ず三回、食事の度にしていたからである。

 ストレスなど、毎日必ず三回、食事の度に感じていたからである。

 電話を切って、ふと気づいた。

 ああ、そうか、もうしばらくは仕事に行かなくていいのか。

 食べなくとも、誰にも迷惑をかけないじゃないか。

 

 そうしてその日から、食事を辞めた。

 どんどん痩せていった。

 毎日が幸せだった。

 もう、無理してご飯を食べなくて良いのだ。

 体調が悪くなっていった。

 貧血も下痢もあった。

 途中から立つ力もなくなり、視界もどんどんゆるやかになっていった。

 手を見ると、まるで棒のように細くなり、血管が浮き出ていた。

 持ち上げようとして「ぽきり」という小気味よい音が鳴り、うまく上がらなくなった。

 髪の毛が沢山抜けた。

 そうして、意識がどんどんぼんやりとしてきた。

 寝る前の、全身から疲れが噴き出すような感じである。

 ついに起き上がることもままならなくなり、天井だけを見て過ごし、挙句の果てには何も見えなくなっていた。

 動けないのでトイレにも行けず、垂れ流すことになった。

 臭かったのだろうが、嗅覚もほとんど、まともに機能しなくなっていた。

 人間として、もう既に終わり切っている。

 これ以上食べなければ死ぬのだろうなと――ぼやとした意識の中で、何となく自覚した。

 でも、それでも、

 もう何も食べなくていい。

 それだけで僕は、幸せだった。



 神奈川県内のアパートで餓死した遺体が発見され、その身元が会社員川北かわきた久博ともひろだと判明したのは、令和四年二月二十九日のことである。



(了)

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虚食漢 小狸 @segen_gen

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