喫茶グレイビーへようこそ series 2

あん彩句

KAC20222 [ 第2回 お題:推し活 ]


 この店で占うと、全てがうまくいくらしい。


 店の名は喫茶グレイビー。オレはその占いによってそこで働いている。名前はあくた、もちろん本名じゃない。


 その店は廃墟に近いビルの3階にある。2階には占い師のハルマキさん、4階にはオーナーのトムさんが住んでいる。そして1階がオレの住処だ。


 ビルの見た目は酷い。思わず入るのを躊躇するような、おどろおどろしさがある。反面、店の中は洒落ていた。まるでイギリスのパブのよう——飯付きだったら最高だったのに。



 就職して3日目。


 でも、採用が決まって次の日は引っ越しに使ったので4日目。オレは相変わらず掃除を命じられ、トムさんの部屋のトイレと風呂掃除から始まり、ビルの階段、店と掃除をする。

 ハルマキさんの部屋は入らない。入るな、運気が下がると嫌な顔をされた。オレがぶら下げているのは下矢印を示すものしかないと断言されてヘコんだ。


 掃除。そう言ったってやらなくていいじゃんというくらいどこもかしこも綺麗だ、特に店は。雑巾を洗いながら、どうすっかなと悩む。悩んでずっと水道を出しっぱなしにしていたら頭を叩かれた。


「邪魔なんだよ! お前のせいで動線がぐっちゃぐちゃだっつぅの!」


 口の悪過ぎるこの人はあやさん。口どころか目つきもヤバいが、3日で慣れた。順応性が高いと思っていたのに、空気が読めないと罵られてやっぱりヘコんだ。

 その綾さんに麻婆豆腐を振る舞うのはミサキさんだ。従業員でもないのにいつもキッチンにいて、綾さんのためだけに何か料理する。



 そもそも、オレがここにいるようになってからろくな客が来ない。

 一昨日は占い目的の女子高生3人組が来た。でも肝心のハルマキさんがいない。ミサキさんがやんわりと断る。昨日は見るからに輩な2人で、綾さんと一発触発、トムさんが現れてその太腿みたいな腕で追い出した。


 ハルマキさんを見ないわけではなかった。ハルマキさんはふらりとやって来て、ふらりとどこかへ行ってしまう。必ずド派手な色の服を着て、黒い場所がないのではというくらい色にまみれている。

 綾さんはそれを「ババアは派手好きだから」と言うが、きっといっても30代半ばだろう。


 そのハルマキさんは今日、オレが観葉植物に水をやっている時に現れた、全身が真っ黒だった。黒のロング丈のワンピースに黒い手袋、黒いツバの大きな帽子を被り、黒い革のバッグを抱えていた。長い髪だけがオレンジ色で、魔女みたいだった。


「……ど、どうしたんですかね、ハルマキさん」


 死霊でも見たかのような顔の綾さんに思わず尋ねる。すると、ミサキさんが真面目に言った。


「推しでも死んだのかしら」


「有り得るな」


 ニヤリとした綾さんを見て、なんだか嫌な予感がする。違う、それはただの願望だ。なんか起きてくれないだろうかと思う。だってもう掃除は飽きた。



 ハルマキさんが顔を上げてこちらを見た——うわ、ほんとに病んでるかも。目が死んでるし、と思った時。

 店に音楽が流れた。サックスが響くジャズ。そして、入口の扉が開いた。


「いらっしゃいませ」


 声がして振り返る。カウンターの中にはさっきまでミサキさんがしていたエプロンをかけ、美しく頭を下げる綾さんがいた。


 入り口には、男性。二十代後半だろうか、今流行りの、という格好をすらっと小綺麗に纏っている。その男が不安そうに尋ねた。


「占いをしてもらえると聞いたのですが……」


 にっこりと綾さんが微笑み、カウンターから出て来てハルマキさんの方へ低く手を差し出した。


「お客様、こちらでございます。どうぞお座りください」


 ものすごく丁寧な扱いだ。殺されそうな目つきでもないし、いつもみたいな柄の悪さは微塵もなく、ブルーの髪色さえ上品に見える。


 オレの時とは全然違う! 音楽もなかったし、いらっしゃいませなんて言われなかったし、ハルマキさんだってこんな女神のような神々しさを出してはいなかった。



「何を占いたいの?」


 ハルマキさんが聞くと、男が話し出した。


「ヨガ教室をやりたいんです。でも、どうしても色々と行き詰まって……体調まで崩すし、何か打開策があればと藁にもすがる思いで……」


 背中が丸まり、本当に疲労困憊しているように見えた。ハルマキさんがバッグからカードを取り出した。手触りの良さそうな布を広げ、そこにカードを乗せる。タロットカードだ。


「そうね——打開策——ヨガ教室——嫉妬、妬み、足を引く何か——あら」


 カードを両手でかき混ぜながら、ブツブツと呟いて手を止めた。


「貴方、家族に縁が薄いのね」


 ハルマキさんが聞くと、男の肩が上がった。ここからでは表情は見えないけれど、きっと驚いたのだろう。


「そうなんです。父や母ともあまり……」


「それにお姉さんかしら——こんなこと言ってごめんなさいね、この方ちょっと頭おかしいわね」


 すげーこと言ったな、と引いたのはオレだけだった。男はピクリとも動かずに頷いた。ミサキさんと綾さんはカウンターでおしゃべりしている、まるで店員と客のように。


「お金ね、それに男。頭の中はそればかり」


「そうなんです。それで母と揉めるのことが多くて、口を出したら縁を切るって……」


 どうも語尾がはっきりしない。ハルマキさんは男をじっと眺めて、それでカードを1枚引き抜いた。そのカードを見もしないで男へ向ける。


「お母さん方に、お姉さんくらいの年齢の女性がいらっしゃる?」


「あ、はい。母の兄の子で、姉の2つ年上です」


 カードには太陽らしい絵があった。意味はわからない。でも、ハルマキさんが微笑むのだからいい意味なんだろう。


「その方に連絡してごらんなさい」


「でも、疎遠になっていて……」


「構いません。彼女は自分が家系の中で異端であることで貴方と距離を置いたほうがいいとお考えよ。ご家族で唯一の正常な方だわ——方法はなんでもいいのよ。そうね、彼女の好きなお菓子でも送ったらいかがかしら。理由はわざとらしいほどいいわ。この方は勘の良い方だから、貴方が近づきたがっているとわかります」


 それからしばらく、前のめりになった男とハルマキさんの話は続いた。男が少し声を大きくして話した未来へのビジョンを、ハルマキさんがうっとりと聞いていた。



 オレはそれを呆然と眺めていた。よくよく聞いていれば貯金もないようだ。そんなんでよくヨガを教えたいなんて言い出したな、と思ったら、頭に絞った雑巾が飛んできた。


 振り返ると、綾さんが「殺すぞ、テメェ」と物騒な視線を刺してくる。


「いつまでぼけっとしてんだよ、仕事しろ。脳なしクズ野郎、給料減らすぞ」


 いくらかわからない給料だ。それにちゃんともらえる気がしない——思ったことが顔に出ていたのか、綾さんはさらに鬼の形相だ。


「のらりくらりと一端に働いたじゃ、金は生まれねぇんだよ」


 興奮した男には届かない計算し尽くされた罵声を浴びせられる。仕方なしに適当な床の隅を雑巾がけし始めると、男が立ち上がって深々と頭を下げた。



「ありがとうございました。鑑定料はおいくらですか?」


 心なしか声がハキハキしている。ハルマキさんが満足そうに微笑んだ。


「では、千円頂きます」


 せ、千円!


 あんなズバズバ当てといて、しかもたっぷり一時間しゃべってたのに!


 雑巾を取り落とし、テーブルに札を一枚置いて出て行く男を見送った。綾さんが丁寧に扉を開け、外へ出てにこやかに見送る。


 それから店の中へ戻って扉を閉めた。



 ハルマキさんはツバの大きな帽子を放り投げた。


「忙しくなるわよ!」


 なんだか張り切っている。ハルマキさんがバッグからスマホを3台取り出して、その中の一つを握って操作し始めた。綾さんが煙草に火をつけてからかうようにハルマキさんに言った。


「なんだよ、推しが死んで喪に服してたんじゃなかったのか?」


「死んだのは財布の方よ」


 甲高く笑ってハルマキさんが答える。


「92歳、老衰で永眠。最高の最期でしょ? 次の財布を見つけるのよ——さぁて、さっきの子は近々また来るわ、ヨガ教室のパンフレットを持ってね。スタジオと資金提供者を準備してさりげなく教えるの、腕が鳴るわぁ!」



 ——なんだそれ。


 あんな覇気のない男に至れり尽くせりをやるつもりなのか、オレには便所掃除ばっかりさせるくせに!


 沸々と怒りが湧くる。雑巾を床に叩きつけるくらいの発散方法が見つかったらよかったんだけど、赤子をも容赦なく床に叩きつけそうな綾さんの目にロックオンされた。


「ボンクラが一丁前に嫉妬か、あァ? 顔洗って出直して来い!」


「やあだ、綾ちゃん! 今の芥には何を言っても無駄、洗う顔なんて持っていないんだから」


 甲高い声でハルマキさんが笑う。


「あの子ほどの純粋な欲望があったらよかったのに、芥が持ってるのは歪んだ自愛ですものねぇ!」


 ハルマキさんが、自分で言ったことに自分で爆笑する。ここに来てから、オレは毎日こんなふうに自分の嫌な面をさらされる。プライドもクソもあったもんじゃない。



 綾さんのスマホが鳴って、画面を見た綾さんが吐きそうな顔をしたので相手がトムさんだとわかる。


「——ああ、ハルマキの推しが増えただけだ——芥はいつも通りクズだ」


 綾さんが淡々と報告する。


「麻婆豆腐が冷めちまっただろ!」


「やぁだ、綾ちゃん山盛りで2杯食べたじゃない」


 再びエプロンをしたミサキさんがなぜか照れている。



 オレは雑巾を握りしめたまま、さっきの男と自分の違いをぐるぐると考えた。たいしたイケメンでもなく、コミュ力が高いわけでもない。なのに、ここに来てからの運命が分かれた気がした。


 男はきっと、噂通りにこれから全てうまくいくだろう。でもオレはなんだ——雑巾を握りしめて、いくらもらえるかわからない給料のために掃除係だ。


 ハルマキさんは確かにすごい。でも、『全てうまくいく』にこんな裏があったとは。



 オレは流されるままここにいる。逃げ出すことも面倒臭がってやめてしまったオレには、その分かれ道がなんだったのかなんて、思い悩もうとすることすら思いつかなかった。



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