推し活するほどユートピア

惟風

推し活するほどユートピア

 仕事から家に帰ると、恋人のエリカが知らない男と性交していた。


 全裸の俺は呆然として立ち尽くした。


「け、ケンジ君……ちが、違うの! これは違うの!」


 両手両足で男に絡みついておきながら、何が違うというのだろう。


「え? ちょっ、何でアンタが裸!? 」


 男が心底驚いた声を出して振り向いた。腰を振るのを止めろ。


「……出てけよ」


 怒りに震え過ぎた俺は、そう言うのがやっとだった。

 すると、エリカの目が大きく見開かれた後、一瞬能面のような顔になった。そして男から身体を離すと、ベッドから降りて仁王立ちになる。

 まずい、と思ったがもう遅かった。彼女は般若の如き形相に変わっていた。


「何が出てけだよそれはこっちの台詞だろうが! ここは私が住んでた部屋だしお前は家賃も光熱費もろくに払ってねえだろうがよ! 大体自分は山ほど浮気しといて一回現場見たくらい何だってんだ! もういいお前なんざいらねえお前が出てけ!」


 エリカは一気に捲し立てると、大きく息を吸い込んだ。


「出 て い け !」


 エリカの絶叫が終わらないうちに、俺は玄関先に脱いでいた衣服と鞄を抱えて慌てて退室した。

 閉め出された玄関扉の前でもそもそと服を着ていると、中から「この時間は大丈夫って言ってたじゃん!」と男の声が聞こえた。

 残業せずに帰宅したことを後悔した。


「あーあ……」

 公園のベンチで横になる。固くて冷たい。

 まただ。また、失敗してしまった。俺はいつもこうだ。もう何度振られたか思い出せない。

 何度「コイツに決めた、絶対幸せにする」と思っても、浮気癖も金にだらしないのも治せない。

「何でこんなんなんだろなあ……」

 自分があまりに情けなさすぎて、自然と涙が溢れてきた。

 誰かを愛したい。愛されたい。幸せにして、幸せにしてもらいたい。

 この気持ちは本物のはずなのに、すぐに心に魔が潜んでしまう。


 傷ついた心を抱えたまま、俺は実家に戻ることにした。

 クソみたいな田舎だが、家族のよしみで家賃の催促は減ったから我慢できた。

 近くに遊び場もない退屈な地域で、仕事以外は家にいることが多くなった。さすがにしばらくは恋愛する気にもなれないから女漁りもしない。

 休日は暇つぶしにネット動画や配信を観ることが多くなった。

 そして、「ゆったん」という名で活動している配信者に辿り着いた。


 ゆったんは、大きなサングラスに髭面で、ずんぐりむっくりな体型の熊を思わせる男性だった。年齢不詳ではあったが、俺よりも少し年上のように見える。

 新旧入り混じった多ジャンルのゲーム実況動画とアニメ・映画・漫画の感想や考察を話す雑談配信を活動の主としていて、視聴者には「ユニキ」の愛称で呼ばれていた。

 しつこすぎない自虐語りや下ネタを挟み、豊富な語彙と的確なツッコミで話す様子が、観ていて飽きない。肩の力を抜いて観れる配信者だった。

 俺はいつしか、彼の動画だけを再生するようになっていった。

 飯を食いながら、風呂に浸かりながら、ゴロゴロしながら。

 次第にゆったんがプレイしているゲームと同じ物をクリアし、映画の感想を聴いては同じ物を観に行き、「○○が美味かった」と聴けば同じ店に行って同じ物を注文した。美味かった。

 スマホケースやマグカップ等のグッズを購入し、愛用しだした。その様子を画像でSNSにあげ、ゆったんの魅力について語るようになった。

 ゆったんを知って、生活が変わった。


 投げ銭をするために仕事に精を出したら、同僚や上司の当たりが柔らかくなった。

 動画や配信で得た流行の話題を出すことで、周りと打ち解けやすくなった。

 SNSに載せる画像が綺麗に撮れるように、自室を片付けた。ついでに家の掃除をすると親がちょっとだけ優しくなった。

 気分が良くなったので、家に金を入れるのもやぶさかでないと思わないでもないようになった。

 ゆったん好きの相互フォロー達と仲良くなり、友達が増えた。

 更新を楽しみに眠ると、翌朝起きるのが辛くなくなった。

 自分一人では触れることがなかった作品に触れ、その魅力を知ることができた。


 俺は、ゆったんのおかげで人生の喜びを得た。

 少しだけ、世界を愛せるようになった。


 そう、思っていた矢先のことだった。


 ある雨の週末のこと。

 ゆったんがSNSで「今夜19時、重大なお知らせがあります」と緊急配信を行うことを告げた。

 ふざけたことばかり言う彼だが、釣りや煽りをする人間ではない。他のファン達も戸惑っているようだった。

 いつになく真剣な様子の文面に、俺は嫌な予感がした。


 上の空で仕事を片付け、全速力で帰宅した。

 PCが立ち上がるのを待つ間、もどかしい気持ちで服を脱ぐ。

 2分遅れでスタートした生配信の画面に、ゆったんが映る。サングラスのせいでわかりにくい表情は、少なくとも笑顔ではない。


「どうも今晩は」


 落ち着いた低い声で、ゆったんは話し出した。

 俺は自然と、モニターの前で正座をしていた。

 窓を叩く雨の音が心細さを掻き立てる。



 持病が悪化しつつあること、死ぬほどのものではないが厄介な病気なので入院して治療に専念すること、そのためにしばらく――一年、もしくはそれ以上――活動を休止すること。



 要約するとそんなところだった。

 急激に、身体が冷えていった。服を着ていないせいではない。

 ドクドクと、心臓が早鐘を打つ。

 人生で初めてできた推しが、活動を休止する。

 目の前が真っ暗になるというのは、こういうことを言うのだろう。知りたくなかった感覚だが。

 これから、何を楽しみに生きていけば良い?

 何のために頑張れば?


 ゆったんはまだモニターの向こうで話している。

 いつも以上に勢いよく流れる視聴者のコメントを拾いながら、努めて明るく振る舞っているように見えた。


「急なことでごめんね。あれよあれよと言う間に身体悪くなっちゃってさあ」


 口元は笑っているが、明らかな涙声だった。

 そうだ。泣いている。ハッとした。

 俺は、大事な推しが涙を流している時に、まだ自分のことしか考えられないのか。

 死ぬほどじゃない病気と言ったって、苦しくないわけがない。

 好きな活動を休むことが辛くないわけがない。

 視聴者と離れてしまうことが、寂しくないわけがない。

 どうしたら……何をしたら……何ができる? この俺に。


“早く元気になって”

“ユニキ泣くなよお……”

“お大事に“

”ショックだけど、応援してるで“


 ゆったんへのエールが投げ銭と共に彼に届けられる。


「ありがとうー! 投げ銭だけじゃなくてさ、ネタコメントとか感想の呟きとかファンアートとか、そういうのですげえ支えられてました。今もそう。メッチャ元気になって帰ってきてさ、オモロな動画作って配信で喋って、皆に恩返しするから! 待っててな! その間に、誰か石油王にでもなって俺を養ってくださいこの通り!」


 いつもの調子でふざけながら拝む仕草をする彼を見つめ、俺は決意した。

 投げ銭と共にコメントを送る。


 ”楽しい時間をありがとう。ずっと、待ってるぜ”


 少しの時間差。自分のコメントが配信に反映される。


「“全裸のケンジ”さん、こんな高額投げてくれちゃってー! 無理すんなよなあ。ありがとう! 俺が帰ってくるまでに、服着ろよ!」


「ふふっ」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、俺は吹き出した。

 そう、待ってるぜ。

 ユニキがいつ帰ってきても良いように、これまで通り推し活を続けてSNSで発信して。

 居場所を守り続けていくからな。


 一時間ほどでライブ配信は終わった。SNSを覗くと、一瞬、「ユニキ活動休止」がトレンドに上がったらしい。

 PCの電源を落とし、スマホをテーブルに伏せた。

 いつの間にか、雨は止んでいた。

 ゆっくりと立ち上がる。

 少し、足が痺れているが問題ない。

 屈伸を何度かして、息を整える。


 ベッドに向かって背筋を伸ばして立った。

 涙がこれ以上溢れないよう、顔を上に向ける。

 目元に力を入れ、白目をむく。

 想いをこめて、尻に平手の一撃を入れた。

 静かな部屋に音が響き渡る。

 大きく息を吸い、俺は力の限り叫んだ。


「びっくりするほどユートピア!」


 これは、俺という獣の愛の咆哮だ。

 喉を引き裂かんばかりの声で、尚も雄叫びをあげる。

 叩きながら叫びながらベッドを踏みつけ、昇り降りする。

 臀部に叩き込まれる痛みが強いほど、自分の中の推しへの愛が確かなものになる気がした。


 薄れゆく意識の中、彼の笑い声を思い出す。


 愛してるぜ。ユニキ。

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