二刀流
横蛍
違えた道
駅前にある桜が芽吹き始めた。市政何周年かの記念に植えられた一本だ。
「ああ、春だな」
ぷっくりと膨らみ始めた桜の枝の向こうに空が見える。
ああ、空を見上げるなんていつ以来だろうか。
オレを現実に引き戻したのは、SNSの着信音だった。『これから行って来るぜ!』というメッセージと、胸に金メダルをぶら下げた自信ありげな写真付きのメッセージだ。
スマホのニュース速報では、アポロ計画以来の月面着陸をするため、月探査船を乗せた宇宙船が打ち上げられると大々的に報じている。
宇宙飛行士のひとりは日本人であり、オレの友人だ。
先ほどSNSを寄越した奴で、オリンピックで金メダルを取って宇宙飛行士になると子供の頃に公言していたなぁ。
世の中を知らない子供の夢だ。
それが……今、叶おうとしている。
吹き抜ける風はまだ冷たい。
自販機で缶コーヒーを買うと、冷たく冷えた手には熱いほどだった。
こっちは日々の暮らしでせいいっぱいだっていうのに、あいつは今もあの頃と変わらない夢を追いかけている。
『一緒にやろうぜ』と誘ってくれた幼い頃のあいつの言葉に乗っていたら、今頃オレもあちら側の人間だったのかなと思う時がある。
『土産は月の石でいいぞ』
短い返信をして友を送り出す。無事に帰って来られればいいがなぁ。それだけが少し気掛かりだ。
オレは夢だ希望だという歳でもない。守るべき家族がいるわけでもない。
人生の落伍者だろう。友人から見ると。
それでもあいつは日本に戻ってくると連絡をしてくれる。忙しいだろうに必ず会う日を作ってくれては、昔のように馬鹿話で時を過ごす。
満員電車に揺られ、前にいたOLに嫌な顔をされつつ車窓から見える街並みを見る。
長生きしたいなんて思わない。ただ、与えられた命を生きるだけだ。
電車を降りると、宇宙船の打ち上げが成功したとニュース速報が目に入る。
とうとう行ったか。
あいつは、次はどんな夢を追いかけるんだろうか?
オリンピック選手と宇宙飛行士の二刀流なんて、あいつだけだよなぁ。本気で目指したのは。
そんな友人の夢の行く先を見たい。
生きている意味があるとすると、そのくらいかもしれない。
それはそれでいいかと思いつつ、重い足を動かして前に進む。
二刀流 横蛍 @oukei
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