最終章 繋がれていく命
円環の血脈者たち
警戒を促すような音が断続的に鳴り響いた。
リーシュが正面の画面に走り寄って、ユウも思わず後に続いた。
「モノリス。状況を!」
「この場所から勾配を降った約五キロ地点にダストリアと思われる敵兵です。こちらに向かっています。その数は約一〇〇名」
「馬鹿な! どうやってこの場所が……しかし、数が多すぎる。分隊のはずではなかったのか!」
ケレング怒濤のような声がユウの耳をつんざいた。
「足跡だと思いますが……優れた偵察兵がいるのだと思います。急いで外の兵士と合流しましょう」
ユウに頷いたケレングだが、顎に手をおいて何やら考え込んでいるようだった。
ユウはモノリスに別れを告げた。
「モノリス。僕たちは行くよ。また会うと思う。この場所は生き繋いだ人々の証だとも思うんだ。これからも頼む」
「……わかりました。【制配】はこの場所に近づいたために機能が回復しましたが、離れるとそれもできません。修復する時間も今はないですから、後で一名、義体をユウの元に送ります。私との連絡役です」
モノリスは微笑み想像させるような優しい声で二人に語りかけた。
「イユキとモアレアルの末裔はその思いを引き継いていると、私の記憶回路に永遠に残します。まだ未来は確定していません。二人とそして全ての人々と生き抜いてください。また会いましょう」
ユウは真剣な眼差しで「ああ、またな。モノリス。人間くさいな。お前」
恥ずかしい感情を表すような刹那の後、モノリスは「それは、たいそうな褒め言葉ですよ。ユウ」と小さく呟いた。
出口に到着したユウたちの前に現れた空は僅かに赤みを帯びていて、夜は遠くから手招きを始めていた。
走り寄ってきたヒロミカに、ケレングが指示を出した。
「ヒロミカ。全員をここに集めてくれ。ダストリア軍が近づいて来ている。一〇〇〇名規模だ」
ヒロミカは慌てて走り出した。緊張が膨れ上がる中、エルシスはケレングに進言した。
「団長。兵力差を考えると、我々に勝ち目など、到底ありません。アニアース城に戻らなければなりませんが、今はここで籠城し、敵の撤退を待つべきです」
「籠城しても、ダストリアがいつ兵を引くか分からないぞ。加えてその間に、ダストリアの本陣が首都アルティスティアに侵攻するかもしれん。一刻も早くそのことを伝えなければ」
ケレングは腕組みしながら、ユウとルティアを交互に見つめた。
「では……どうすればいいのでしょうか。ケレング様」
ルティアはケレングをじっと見つめた。
ケレングは何も話さずにルティアを見つめ続けている。かつてないほどに優しい目元で、まるでこれが見納めとばかりに。ケレングはゆっくりと目を閉じて、開いた時は、軍人のそれに戻っていた。
「方法はある……敵の数は多いが勾配で上に立つのは我々だ。あえて敵に我々の存在を伝えれば、横に展開して囲もうとするだろ。そこに我々は針のような陣形を作り一点突破、開いた道筋を加速した馬二頭なら抜けられる。単純な計算で二六対一〇〇という圧倒的な戦力差だ。奇策でなければ、状況は打開できない」
「駄目です。それでは……みんな、死んじゃう……」
ルティアは、ひたすらに顔を横に振る。
この作戦だと残された兵士たちは全滅するだろう。だがユウはこの窮地を抜け出す方法としては、悪くないと感じていた。
今はなんとしてもアニアース城へ戻らなければならない。
「ルティア様。アルティスティアに迫る危機を、王女様に伝える方法は……これしかないのです。今、決めなければ……その機会さえ、失われます」
ケレングの眼差しはルティアを諭すような強さである。
「そんな。他に方法が……」
「……ルティア……いえ、ソリューヴ様。これを……」
ルティアの前に膝をついたケレングは、劣化の変色が目立つ四つ折りの紙を胸のポケットから取り出した。ケレングはルティアの手を取って、その上に置いた。
「私の大切な思い出です。これだけは……アルティスティアにお連れください」
さあ、と、ケレングが促して、ルティアは恐る恐る紙を開いた。
かさかさと過去へといざなう音が聞こえる。
————ケレングじいじへ。ルティア。
それは幼いルティアが、赤や青の色鉛筆で描いたケレングの似顔絵であった。
ルティアの指は紙に皺を作り、痙攣したように手は震え始めた。
「こ、これ………わたしが……ケレング様に……」
双眸は潤み、必死に何かを伝えるような声だった。
「常にポケットに入れておいたので、ほら……端がこんなに、ぼろぼろに。肌身離さずに持ち過ぎましたかな……私にこの似顔絵をくれたあの日のソリューヴ様の笑顔、このケレング、忘れた日など一日足りともありません」
ルティアは口をパクパクと動かすだけで、それ以上の言葉は生まれない。
「私は楽しかったですぞ。ソリューヴ様の側にいることができて、なんといい人生か。じいじと呼んでくれたことは、子供に恵まれなかった私の生涯の宝となりました」
染み出した涙がケレングの目に薄く膜を引いた。だがしばらくのあと、ケレングの目元は鋼鉄のように固く引き締まり、視線はユウに向けられた。
「ユウ。ルティア様を頼む……」
「はい。必ず送り届けます」
ケレングの軍人としての矜持よりも、人としての有り様に、ユウは全力を持って答えたいと思った。必ずルティアを送り届ける。胸の中にいる彼女と共に。
「エルシス、団長として最後の命令だ」
「はい」
「ルティア様とユウに付き添え。お前の正確な予測は必ず二人の助けになるだろう。アルティスティアに着いたら、ハリグレクに全てを伝えて彼の指揮に入れ。お前がアルティスティアを守るんだ。必ずできる」
エルシスは震えながらかろうじて頷いた。耐えた目元は軍人の誉れと言えよう。
「そして……ジュリスディス」
「はいっ————」
「俺と残ってくれるか。すまない……」
「何を言うのですか。団長。弟子が一緒に戦わずにどうしましょうか。もちろん這いつくばってでも生き残るつもりですよ。それに……ルティア様の命を守る戦など、まさに兵士の本懐。これ以上の晴れ舞台などあり得ません。ここにいる兵士たちも皆、同じ思いです」
兵士たちから言葉はない。だがジュリスディスの言葉に同意するような視線をルティアに向けていた。
「わたしも戦う、ケレング。敵に顔がバレてるけど少しは陽動になる。この義体は戦闘向きではないけど、ケレングには負けないと思うわよ。あ、剣、貸してね」
「ははっ。それは頼もしいですな。リーシュ様。さあ……行きましょう」
ケレングたちは針のような縦一本の陣形を組み、距離を置いた先兵の二人にわざと談笑をさせながら歩かせた。やがて二名は勾配を駆け上がって戻り、ケレングに発見されたことを伝えた。
ケレングはユウに視線を送る。
「ユウ、どうだ? ダストリアの陣形が分かるか? 霧が深くて双眼鏡では分からん」
「……ええ、足音が横方向に広がって聞こえます。ケレングさんの予想通りです」
「よし。これで突破できる」
全員が最後の準備に取り掛かった。ある者は上を向いて何かを呟き、あるいは仲間同士で抱擁し、言葉をかわす。それは残り少ない時間を嘆くのではなく、未来を継ぐむことができる行為への喜びのようであった。
「やはり駄目です……ケレング様。こんな方法」
最後尾でユウと共に馬に跨っていたルティアは、飛び降りてケレングに駆け寄ったが、ケレングは無言のままであった。
ユウは馬を降りてルティアを連れ戻そうとした。
それでも声を出して暴れるルティアを、ユウは大声で叩いた。
「ルティア!」
荒れ狂うユウの咆哮はルティアの動きを止めた。
「……頼む、ルティア……分かって……やれよ……」
どんなことがあっても前を向いて、未来へと生き繋ぐ。全てを自分たちに託し、犠牲となるケレングたちの意思を無駄にするなどできない。
ユウこれまでの時間の苦楽を全てその瞳に乗せて、ルティアを見つめた。
「生き延びるんだ。必ず。僕たちはここで死ぬわけにはいかない」
「ユ……ウ……」
ルティアの精一杯の声は力なく地面に落ちていった。
霧は薄くなり、横に広く展開する敵兵が見えてきた。
ダストリア軍は少しずつ、距離を詰めて来ているようだ。
リーシュがユウに声をかけた。
「ユウ。ありがとう。スリーク一族に二度も救われた。会えてよかった。この時代は私のものではない、あなたたちのものよ。だから全力で生きて」
「何言ってるんだ、らしくもない。また会おう、リーシュ。必ず」
「その時は、お茶ぐらい、ご馳走しなさいよ!」
リーシュらしく言葉をしめて、ユウから離れていった。
「ユウ。霧が晴れる。今しかない。後ろに距離を取って待機だ。俺が叫んだら、助走をつけてエルシスと一気に突っ切るんだ。頼んだぞ……」
「はい。ケレングさん」
ユウはこれが最後の頷きと、強く顎を引いた。
ケレングは大きく息を吸い、吐き出す突風に言葉を乗せた。
「行くぞ!—————————」
峻烈な雄叫びが響き渡り、答えるように霧は晴れていく。
鋭い針を模した陣形のケレングたちは、雪崩のように急斜面を駆け下りていった。
ダストリア軍は理外の奇襲に対応できず、横に広がり切った陣形をケレングたちに集中させることができない。ひたすらに前に突き進む先頭のケレングたちは、薄い敵陣をついに切り裂いて、未来への道筋を作った。
「ユウ!——————」
どこまでも貫くようなケレングの声。
ユウは手綱をしっかりと握り、白馬に語りかける。
さあ、行こうか。始まりの場所、アルティスティアに。
二頭の白馬が大地を踏み鳴らす音は次第に間隔をせばめ、背中から吹き荒れる新しい南風はユウたちを前へと加速させる。
ユウはケレングたちが掻き分けた道へと飛び込んだ。
ユウの両脇に見える友軍の恐るべき奮闘、ジュリスディスの華麗な剣技、ケレングの豪快な大剣の振り下ろし、目があったリーシュは、ちょろっと舌を出す。
離れた場所から戦況を見つめるヤーカトとユウの視線はかち合った。
つまらない奴、とユウは無下に視線を外すと、その態度にヤーカトの口元は醜く歪んだ。
ついに二頭は敵陣を抜け出した。
背後から聞こえる仲間たちの声が背中を叩き、ユウにしがみつくルティアの腕がきゅっと締まる。
白い光芒に見紛う二頭の馬は、戻るべき場所へと疾走していった。
ラインエイジ・オブ・トーラス 灰緑 @f_s_novel
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