「七島センパイは二刀流らしい」

龍宝

『七島センパイは二刀流らしい』




 持ち主同様に、手元のスマホが身を震わせる。


 小柄な少女は、右上に表示されたバッテリーの残量が1から0に変わるのをしかと見届けてから、いささかぞんざいな仕草でスマホを上衣のポケットに仕舞しまった。


 昨夜、眠気に任せて充電をおこたった自分をうらむも、予備のバッテリーや充電器を持ち合わせていない現状では、今更どうしようもない。


 とにかく、これで寒さをまぎらわせる手段を、ひとつ失ったことになる。


 座り込んだまま、少しでも暖を求めて少女は抱えた膝に顔を埋めた。




「伊東くん。冷えるだろう? こっちへおいでよ」


「……いえ、大丈夫です」




 少女――伊東いとうつきは、前から掛かった声に、わずかばかりの間を置いて返した。


 向かい合った位置にいる声の主は、気にした様子もなく、再び自分の隣を手のひらで叩いている。




「気をつかってくれなくていい。救助は呼んだけど、すぐに来るとも思えないし。こんな硬い床じゃ、座っているのもつらいだろう? そうだ。どうせなら、私の膝の上はどうだい? 肩を並べて座るより、君も私も、一緒にぬくもれるはずだ」




 常人よりも寒さに弱い月が――誠に不本意ながら――座っているのは、二藍ふたあい学園高等部の資料棟、そのエレベーターの中だ。


 故障か何かで止まってしまったのが、大体30分ほど前のこと。


 備え付けの非常用ボタンで業者と連絡は取れたものの、同乗者の言う通り、実際にこの鉄のおりが動き出すには、まだしばらく掛かるに違いない。


 そう、同乗者。


 放課後の遅い時間のことで、室内に居合わせたのは、同じ委員会の先輩である七島ななしま日輪ひのわだけだった。


 一年生である月のひとつ上の学年で、剣道部に入っている。


 月は、この日輪という女が、どうにも苦手だった。


 いや、正確には、苦手になりつつあった。




「……怪我けがでもしたらどうするんですか。わたしのせいで試合に出れないなんてことになったら、どんな騒ぎになるか。文句を言われるぐらいなら――」


「なんだ、そんなことかい」




 くつくつ、と日輪が口元に手をって笑った。


 肩口で短く切りそろえられた黒髪が、弾みで揺れる。




「そんなみっともない真似をするほど、私は狭量でもなければ、君を支えきれないほど貧弱でもないつもりだよ」




 だから、安心してもたれるといい、と日輪がこちらを見遣る。




「先輩が言わなくたって、他の人が――あなたの後を付け回してる人たちが、言ってくるでしょうから。もう、呼び出しを食らって悪態をかれるのはうんざりです」




 剣道部でエースの名をほしいままにしている日輪には、いわゆる〝追っかけ〟がかなりいる。


 女子高生にしては身長があり、顔立ちも整っているのだから、それは分かる。


 だが、何故か少し前から委員会の仕事以外でも月に声を掛けてくるようになった日輪に、その追っかけたちが不満を感じていることは、そしてそれを月にぶつけてくることは、まったく納得のできない話である。




「迷惑を掛けていることは、謝ろう。だけど、だからといってそう距離を取られるのはつらいな。……学園での世渡りとしても、正しい手段とは思えない」


「何故です? 先輩がわたしに関わろうとしなければ、すぐに興味も薄れますよ。そういう手合いでしょう、あれは」


「悪いが、それは無理だ。君には、剣道部のマネージャーになってもらいたいからね」




 思わず、月は顔を上げていた。


 そんな話は初耳だ。




「わたしに、そんなつもりはありません」


「そうか。――なら、どうする? これは忠告だけど、中途半端な状態というのは、問題トラブルの元だよ、伊東くん。面倒だから、労力を要するから、と先延ばしにして放置しておくと、決まって事態は悪化するものだ。賢明な者なら、解決には時に大胆と思われるような英断を下すべきだと口を揃えて言うだろう」




 歌劇の台詞せりふよろしく大仰な物言いだが、日輪は実に耳触りの良い声だった。




「君が微妙な立場に立たされているのは、その位置が問題なんだよ。どちらの側にも立っていないから、どちらの庇護ひごも受けられないでいる」


「わたしが立っていたのは、最初からここです」


「言いたいことは分かるが、そうもいかないのが人間で、学園生活というものだよ」




 精一杯の抵抗としてにらんでみるも、日輪は肩をすくめるだけだった。




「結論から言うと、だ。君が部のマネージャーにさえなってくれれば、すべては終わる話なんだよ。くだらないや嫌がらせなんて、私の身内というにしきの御旗の前には塵芥ちりあくただ。部の連中も、君の味方になってくれるだろう。みんな、気の良い子ばかりだからね」


「強引な理屈です、それは。不遜ふそんですらある」


「そうかな。私は、そうは思わない」


「そもそも、どうしてわたしを?」




 日輪に譲歩する気がないのを見て、月は一番の疑問を口にした。


 確かに、後期から始まった委員会でペアになってから半年ほど、一緒に仕事をこなしてきた仲だ。


 それだけあれば、互いの人柄もそれなりにつかめてくる。


 日輪は外見だけでなく性格も美人なものだから、月も親しみを感じていないではなかった。


 だが、それにしても急な話だろう。




「君が、優しくて、聡明な子だからだ。少し前に、私の力仕事を代わってくれたことがあっただろう?」


「……ええ。先輩が、手を痛めていらしたので」


「あの時、部の仲間を入れても、私の不調に気付いて指摘したのは、君だけだった。君はそれを、偶々たまたま委員会の書類を渡しに剣道場に来たわずかの間に感じ取ったのだから、聡明としか言いようがない。君以外に、私を支えられる者などいようはずがないと思わせるほどに、ね」




 褒められ慣れていない月は、日輪の言葉に思わず黙った。


 日輪は、練習でも試合でも、両手に竹刀を構える、二刀流をくしている。


 それが、あの日だけは竹刀を一本しか持っておらず、「相手の動きを読むために、時々はこっちの型にも慣れておかないと」と説明していたが、ほんの少しだけ、動きの端々に左手をかばっているように月は思ったのだ。




「それを抜きにしても、私は君に好意を抱いている」


「だから、マネージャーになれと?」


「そうだ。もちろん、委員で君と過ごす時間も、これはこれで良いものだけどね」




 まるで、好きなものを手元に置いておきたい暴君のようだ、と月は思った。


 息を吐く月に、日輪が視線で返事をうながしてくる。




「……わたしは、奨学生ですから。部活に入って、成績を落とすわけには」


「それは、心配しなくていい。当然、部全体として配慮はするし、それでも不安なら、私が勉強を見よう。これでも、学年主席だからね」




 天が二物を与えた、という言葉を体現しているのが、七島日輪という少女である。


 二刀流というのは、何も竹刀の数だけではない。


 外見と内面は言うに及ばず、剣道にとどまらない圧倒的な運動センスと、他にやることがない無趣味のガリ勉を鼻で笑う明晰な頭脳・成績の持ち主なのだ。


 日輪に勉強の面倒を見てもらえれば、むしろ何もしない状態の月よりも、成績は上がることだろう。


 それだけで、マネージャーを引き受ける甲斐かいがあるともいえる。




「他に、何かあるかい? いくらでも言ってくれていいさ。そのすべてを、私が解消してみせよう」




 退路を断たれつつある月の前で、日輪が不意に立ち上がった。


 資料運搬用のエレベーターとはいえ、さほど広いわけでもない。


 あっという間に眼の前に迫った日輪が、座り込んだままっている月に覆いかぶさるように、壁に片手を突いた。






「私も剣士の端くれだ。正々堂々、宣言しよう。是が非でも、君を手に入れる。こんな機会を、ずっと待っていたんだ。君に、逃げ場はもうない」




「せ、先輩……⁉」






 思ってもない状況だった。


 鼻先が触れそうなほど近い、互いの吐息すら感じられる距離。


 頭の奥に響く、ぞっとするほど低い声。


 月は、身動みじろぎすらできずにただ日輪を見上げていた。




「時に、他人の評判とは決まって正確ではないものだ。ねえ、伊東くん?」




 体勢はそのままに、日輪が口元をゆがめた。








「知っているかな? ――私は、、伊東くん」








 温もり。



 冷え切った身体が、一点からどんどんと熱くなっていく。



 口。とっさに押さえようとした両腕は、日輪に掴まれる。



 触れ合ったのは一瞬で、それでも月の心臓は早鐘のように騒ぎ立てていた。






「君が、マネージャー私のものになると言うまで、止めないからね……? 賢明な判断を、期待しているよ――――――」






 沸いた頭に、日輪の両眼だけが、やけに輝いて見えた。











 それから、エレベーター業者の救助が来たのは、一時間も経ってのことだった。




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「七島センパイは二刀流らしい」 龍宝 @longbao

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