大陸五剣

水乃流

剣鬼との対決

『大陸に五剣あり』


 この大陸に存在する五つの大国、そのそれぞれに国の剣とも呼ぶべき流派がある。だが、かつて五剣ではなく四剣しけんの時代が長く続いていた。これは、そんな時代の話。



 南の大国、アジャンタ。大陸南側に位置する王国は、東西に伸びる熱帯の大地と大小百以上の島々からなる多民族国家である。そこに住まう南方人は大らかで陽気な性格だが、侵略者に対しては苛烈な戦士となって牙を剥く。

 そんなアジャンタのとある島に、一艘の小舟が辿り着いた。険しい山が海岸線まで迫るその島は、人が生活できないわけではないがわざわざ定住することもない――他にもっと豊かで暮らしやすい島が数多くある――だからめったに人が訪れることもない。

 島唯一の桟橋に降り立ったのは、日除けの外套をまとった細身の人物だった。目深に被っていたフードを跳ね上げると、美しい女性の顔が顕わになった。刺すような日差しに、その金髪が煌めく。


「明日またここに来て。もし、私がいなかったら、そのまま帰っていいから」


 彼女の言葉に、船頭は深く頷いた。前金はもらっているし、残りの金も期日になれば商館からもらえる契約だ。船頭はそのまま島に降りることもなく、自分の島へと船首を向けた。

 女は、遠ざかっていく船から視線を反らし、そびえ立つ山の稜線を眺めた。そして、外胴の下、腰に差した愛剣の柄をギュッと握りしめた。


「よし」


 誰にいうでもなく、そう呟いた彼女は、ゆっくりと山に向かって歩き出した。



 陽の光が届かぬ洞窟の中。

 不意に、闇が動いた。闇は人の形をしていた。


「また、物好きが来たか」


 野太い声が洞窟の中に響く。人の形をした闇が、ゆっくりと洞窟の出口へと向かって移動を始めると、外からの陽光に照らされて人の姿がはっきりと見えるようになった。


 大きな男であった。


 赤みがかった浅黒い肌と黒く縮れ気味の紙は、確かに南方人の特徴を示しているが、体格の良い南方人の中にあっても、この男は大きかった。着衣、と呼ぶのも憚られるようなすり切れ薄汚れた布を、腰に回した荒縄で縛り付けている。その腰には、鞘に収められた二振りの剣が左右一本ずつ差し込まれている。

無造作に伸びた髭面は、森の中で出会えば獣かと勘違いされるかも知れない。しかし、どことなく飄々としたその顔は、ユーモラスにも見える。

 ゆっくりと洞窟を出た男は、細めた眼で来訪者を見つめた。


「あンたが何者ナニモンかは知らねェが、悪いこたぁ言わねェ、とっとと山を下りな」

「我が名はルー。ルー・オーグ。“剣鬼”ダント殿とお見受けします。一手、お相手願いたく」


 ルー・オーグと名乗った女は、大陸に名を轟かす四剣がひとり、剣鬼ウォルゼン・ダントを前にして、臆することなく堂々としていた。


「止めとけ、止めとけ。年に何回か、あんたみたいな奴らが来るけどな。まぁ、なんだ、正直、亡骸を処分するのも面倒なンだよ。だからさぁ、帰ってくれねぇかなぁ」


 四剣を一人でも倒せば、名を挙げることができる。そんな思いでこの島にやってくる者たちは、それは腕に自信があるものたちばかりであったが、皆等しく命を落とした。


「俺を倒しに来ようという、その気合いは汲み取ってやらねェでもねェがよ、あンたの殺気じゃぁ、せいぜい町道場でやれるくれェだ。な、命を大事にしな」

「これは、失礼。戦場でのクセで殺気を抑えていました」

「んン?」


 もし、この場に武術の心得がまったくない、平凡な民がいたならば、対峙する二人はただ見つめ合っているだけのように見えただろう。しかし、もしも戦場に出たことがある者がいたとするならば。


「ほゥ。見かけによらないねェ」


 ルーの全身から溢れた闘気は、ウォルゼンをにさせるには、十分過ぎるものだった。


「いいぜ、やるか。抜きな」


 男の声に導かれるように、ルーは外套を脱ぎ捨て剣を抜き放った。その剣は細く、男の前では頼りなく見えたが、細身のルーが構えると一枚の絵のように美しく見えた。だが、戦いは美しさではない。たとえ細身の剣であろうと、目や口を狙われれば致命傷になりかねない。もちろん、だが。


 ウォルゼンは、けして油断しない。やると決めたら相手を侮ることもしない。一方で、他の四剣からは“汚い”と蔑まれていた。特に、騎士道の遵守を掲げるバージェンの“剣神”ライアンは、ウォルゼンを蛇蝎のごとく毛嫌いしており、それを隠そうともしていない。

 なぜなら、ウォルゼンの剣は戦場で生まれ鍛えられた剣だからだ。生き残るためなら、どんな汚い技でも躊躇いなく使う。それが、剣鬼と呼ばれる男の剣だった。一方で、ライアンが彼を嫌うのは、戦場では彼に一度も勝てていないからだという者もいる。戦場では天下無敵、まさに鬼が乗り移ったかのようなウォルゼンの剣は、現時点で最高峰のひとつと言えるのだった。


 対するルーは、無名といって良かった。世界最高峰の剣術使い対、一介の女剣士。勝負は目に見えていた。それでも彼女が挑むのは、祖国のため、身近な人々を護るためであった。


「いつでもいいぜ」

「では……」


 一瞬ののち、ルーが上段から放った剣は、ウォルゼンの眼前で止められていた。ルーが打ちかかると同時に、ウォルゼンは剣を抜き放ち防いだのだ。ルーは、すばやく身を引いてウォルゼンから距離を取った。


「本気で来いよォ」

「……」

「無口だねェ……それじゃァこっちからいくぜ?」

 

 ウォルゼンは、もう一振りの剣を抜き放った。二刀。これこそが、剣鬼の本領。しかも、その剣は大陸で一般的な両刃の大剣ではなく、片刃だ。切りつけた剣の背で相手の剣を受ける。一刀で攻撃、一刀で防御。攻防一体の型が、剣鬼を無敵たらしめていた。


「いくぜ、耐えろよ? すぐ終わったら面白くねェからなッ」


 ウォルゼンが踏み込む。右上段から轟音と共に剣が。左から空気を切り裂いて剣が。一刀を受ければもう一方に斬られる。普通なら、後ろに飛んで避けるしかない。が、しかし。


「ん? なんだァ?」

「流石ですね。二刀を易々と。私なら、片方の剣でも無理です」

「いや、あンたこそ、今どうやって避けた?」


 攻防に優れた二刀であっても、いざそれを扱おうとすれば、常人にそれは難しい。一本の剣でも両手で扱うのが普通なのだ。片手で一本ずつの剣を振り回すウォルゼンは、そだけで化け物だった。では、その剣を避けたルーは?


「さて?」

「つれねェなァ……ッと!」


 言葉を終える前に、剣鬼が連撃を繰り出す。そのことごとくが空を切った。それでも、ウォルゼンは間を置かず剣を振るい続けた。


「!」


 何時しか、二人の位置が入れ替わっており、ルーは岩を背に追い詰められていた。


「あンたの技は、足捌きと見た。そいつは封じさせてもらったぜ。さァそろそろ本気を出してもらおうか」

「あなたも本気ではなかったでしょう?」

「それじゃァ本気でいかせてもらおうか。今度のは、避けられねェぜ?」


 男は、両腕を広げて剣を掲げた。その全身に闘気が溢れ、ピリピリと空気を揺らした。女の背後にある岩ごと切る。ウォルゼンの気迫と膂力、経験そのすべてが合わさって可能になる彼の技だ。

 一方、女は細い腕を軽く伸ばし、握った細い剣のきっさきをユラユラと揺らしている。それはまるで風の中を舞う花びらのようだった。


「はっ!」


 それはどちらが発した気合いだったのか。二人は同時に動き出した。男は剣を振り下ろし、女は前方へと飛び出した。二人の間で、時間がゆっくりと進む。男が振り下ろした右の剣は、途中でその軌道を変えて女の剣を迎え撃つ。その狙いは剣の根元。男の剣は、そうやって何本もの剣を根元からへし折って来たのだ。

 だが、剣が触れあう直前、女の剣は形を変えた――ように見えた。男の剣に絡まるように女の剣が男に迫る。もはや逃げること叶わず。


(腕の一本くらい、くれてやるわ!)


 男は残る左の剣で、突っ込んでくる女の首を狙う。刃が女の頸に食い込む!


 次の瞬間! 男と女、剣鬼と剣士は互いに位置を変えていた。しばし、静寂が空間を支配する。そして――。


「ガハッ!」


 全身から血を噴き出し、膝を地に着けたのは剣鬼だった。ルーの頸を切ったと思った瞬間、ルーの姿はウォルゼンの視界から消え、同時に何十という攻撃を食らったのだった。


「……負けだ、おれの負けだ……ルーとか言ったか? とっととトドメをさせや」


 先ほどまでの凄まじい闘気はかき消え、一刀を支えに片膝でなんとか身体を支えている剣の鬼は、ルーにトドメをさせと言い放った。


「いえ、あなたを殺すつもりはありません。ひとつ約束して欲しいだけです」

「なンだ?」

「今後、どこかの国と私の国――バリハンドが戦になったとしても、参加しないで欲しいのです」

「味方しろ、じゃねェのかい?」

「あなたは有名過ぎるのですよ」


 ルーにはルーの考えがあるのだろう。


「わかった。約束する。だがよゥ、ここで俺を殺しておかねェと、いつかあンたを殺しやりにいくぜ」

「いいですよ。いつでもお相手しましょう――ただし、残り三剣を倒した後でなら」

「言うねェ。楽しみにしてるぜェ」


 そう言って、男は気を失った。女は拾い上げた街灯の中から、薬と包袋を取りだし男の手当をした。



次の日、桟橋に立っている女の姿を見て、船頭は内心驚いた。まさか生きていようとは。船頭は知らなかった。これが後に大陸五剣のひとり、剣聖となる剣士の、伝説の始まりであることを。

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大陸五剣 水乃流 @song_of_earth

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