六限目 迷子犬夜を往く 後編

「考えようによってはよかったんじゃないか?いつでもレオラに会えるじゃないか」

「馬鹿を言え。休憩以外はほとんど軟禁状態だ」

「近くにいるのに会えない。とんだ生殺しだな」

「父上は毎日孫に会えて喜んでいるがな」

「・・・はめられたんじゃないか?」

「かもしれないな」


 真夜中の校庭で繰り広げられる和気藹藹とした会話の応酬。シェニーはそれを茂みの中で聞いていた。

 先生って、こんなにおしゃべりする人だったんだ。

 こんなに楽しそうに誰かと話をする声を未だかつて聞いたことがない。

 フィデルという人物とはよほど親しい間柄なのだろう。


(この声、あの女よね?)

「はい。こんなに楽しそうな先生初めてです」

(あいつの仲間かもしれないわね。ちょっと見てくるわ)

「えぇっ!?見つかっちゃいますよ!」

(あんたにしか見えてないの忘れてない?)

「あっ・・・」


 あまりにも身近になりすぎて忘れかけていた。

 シェニーから離れたヴィレッタは茂みを抜けて向こう側へと向かい、程なくして帰ってきた。


(駄目。暗くてよく見えないわ)

「幽霊なのに?」

(明日の特訓メニュー10倍ね)

「聞いただけじゃないですか!?」

(・・・っ!静かにっ!)


 抗議の声を上げるシェニーを手で制す。慌てて口を噤むと制止した理由が見えてきた。

 二人の声色が深刻なものになっていたのだ。


「彼はどうしている?」

「療養中だ。快癒はまだ先だろう」

「そうか。任せきりにしてすまない」

「構わないよ。フィデルだって忙しいんだ。このくらいのことは僕に任せてくれ」

「ありがとう」

「どういたしまして。彼の様子を見に行こうと思うんだが、君はどうする?」

「もう戻るよ。執務室で寝てることになってるからね」

「目を盗んでサボりか。悪い子だ」

「ははっ。懐かしいな」


 そこで会話が途切れ、足音が動き始めた。遠ざかるその音を聞いているうちに違和感が頭をもたげた。

 足音が一つしかない。

 茂みに隠れる前は確かに二つあった。しかし、今は一つしか聞こえない。

 どうなっているのかと茂みから目だけを出して周囲を窺うと背を向けて歩くイーベルジュの姿を見つけた。

 だが、もう一人は影も形もない。


(どうしたの?)

「先生と話してた人がどこにもいないんです」

(なんですって?)


 ヴィレッタと一緒に再び周囲を見渡すも人影すら見当たらない。

 文字通りこつ然と消えてしまったのだ。


「どこに行ったんでしょうか?」

(・・・まさかね)

「先生?」

(いない奴のことは忘れなさい。それよりもあいつよ)


 ヴィレッタはイーベルジュの背中を顎でしゃくる。


(あいつを尾行つけるわよ)

「えぇっ!?なんでですか!?」

(さっき言ってたでしょ?様子を見に行くって。あいつのアジトや仲間のことがわかるかもしれないわ)

「別に知りたくないんですけど・・・」

(あぁっ?)

「尾行させていただきます!」


 ヴィレッタに凄まれ慌てて尾行を開始する。しかし、ここで問題が発生する。


「あの、尾行ってどうやるんですか?」

(・・・借りるわよ)

「はいっ」


 ヴィレッタが体に乗り移り、改めて尾行を開始する。

 イーベルジュの背を見失わず、しかし近すぎないつかず離れずの距離を保って音を立てずに後を追う。

 生まれてこの方尾行したことがないシェニーにとってそれは末体験の世界だった。

 人どころか鳥や風も寝静まった真夜中の学園には音を掻き消してくれる雑音がない。

 にも関わらずヴィレッタが乗り移ったシェニーの体からは足音どころか息遣いすらもほとんど聞こえない。

 わたしの体じゃないみたい・・・

 自分でもあやふやにしか認知できないほど存在が希薄になっている。

 まるで闇夜に溶け込んだかのようだ。

 ヴィレッタの力を借りて気配を殺しながら後をつけること数分。

 イーベルジュはある場所で立ち止まった。


(庭園?)


 そこは数ヶ月前に観樹会を楽しんだ庭園だった。

 庭園の門前で立ち止まったイーベルジュは上着のポケットから何かを取り出すような動きを見せた。

 恐らく鍵だろう。

 金属が擦れ合う音と共に門が開き庭園へと入っていく。

 だが、ヴィレッタはそれを追いかけなかった。それどころか逃げるように素早く退避する。


(なんで逃げるんですか!?)

「開けたってことは閉めるでしょ?」


 その意味はすぐに分かった。鍵を閉めるべく振り返ったのだ。


「ほらね?」

(すごいですっ!でもどうやって入るんですか?)

「門が駄目なら柵よ。あんたならできるでしょ?」

(・・・っ!はい!)


 言葉の意図を理解し早速行動に移す。

 まずは掌から一本の木を生成する。闘春祭で使った粘着性の高い葉を茂らせる木だ。

 それを両掌と靴の裏に貼って柵に手をつける。くっついたのを確認してから身体強化をかけ再びヴィレッタに交代。

 葉が柵に張りつく力を支えに柵を登りきり、高所からイーベルジュを探す。

 庭園の入り口付近には背の高い木のような遮蔽物はなく、イーベルジュの姿はすぐに見つかった。

 登りと同じ要領で柵を降り、葉っぱを捨てて後を追う。

 イーベルジュを追ってやって来たのは以前二人きりで話をした森の中。

 昼間は穏やかな木漏れ日が射し込む森も夜になると一切の光源を失う。

 深淵の闇を彷彿とさせる森の中を光源もなく歩くのは流石のイーベルジュも無理だったらしい。

 腰に下げていた火刻灯を点火して森の奥へと進んでいく。


「願ったりね」

(はい。見失わないで済みますね)


 先生は本当にすごいなぁ・・・

 イーベルジュが点けてくれた明かりを頼りに道なき道を進むヴィレッタに尊敬の眼差しを向ける。

 実際に進んでいるのは自分の体だが自分だったら進むどころか森に踏み入ることすらできなかっただろう。

 大きく広がった枝葉が月明かりを遮る夜の森はまさに深淵そのもの。

 一寸先も見えない夜闇の中を歩くだけで言い知れない恐怖に襲われる。

 人間は昼行性で夜目も効かないから闇を照らし克服する術を身に付けた。

 生物学の授業で教わった言葉だ。人間は本来闇夜の中を歩ける生き物ではない。だからこそ闇に根源的な恐怖を覚えるのだとか。

 そんな人間の本能に反して淡々と森を歩くヴィレッタの背中は先導する明かりよりもなお頼もしく見えた。

 闇夜を恐れないヴィレッタのおかげで無事に森を抜けることができた。

 月明かりが照らすその場所は何度も庭園に来たことがあるシェニーも見たことがない場所だった。


(家?)


 二人の前にあったのは一軒の小さな家だった。

 実家の領地にあってもおかしくないようなごく普通の作りの家で傍から見る限りおかしいところはない。

 イーベルジュは家のドアを数回ノックして中に入った。それを追ってドアに近づきドアに耳を当ててしゃがみ込む。

 身体強化を耳に集中させて音を探ると二つの息遣いが聞こえてきた。

 一人は恐らくイーベルジュだろう。ではもう一人は誰だ?


(誰かいますね)

「さっきの奴かしら?ちょっと見てくるわ」


 そう言うと体から抜けて家へと入っていった。誰にも見えず物体を通り抜けられるヴィレッタはこういう時に心強い。

 音に神経を集中させているとヴィレッタが戻ってきた。


「どうでした?」

(あいつしかいなかったわ。薄ぼんやりとしか見えなかったけどね)

「そうですか・・・」

(しょうがないでしょ!?そんなに離れられないんだから!)

「何も言ってないじゃないですか!」


 残念そうにしているのを見て責められていると感じたらしい。

 勢いよく弁明するヴィレッタに意識を奪われ家の中から注意が逸れてしまった。

 その一瞬が命取りとなる。


「きゃあっ!?」

(シェニー!)


 ドアが突然開かれ、支えをなくしたシェニーはそのまま転倒。体を強かに打ちつけてしまった。


「いたたっ・・・」

「おやおや。誰がついてきてるのかと思えば・・・」

(気づかれてた!?)


 痛む体を押さえるシェニーの頭上から声がかかる。

 恐る恐る見上げるとドアを開けたイーベルジュがシェニーを見下ろしていた。


「こんばんは。ミス・ローレリア」

「あははっ。こ、こんばんは・・・」

「月夜の散歩かい?」

「えーっと、はい。そんなところです」

「こんなところまでか?君はつくづく森が好きらしいな」

「えへへっ・・・」


 ゆっくりと立ち上がり少しずつ距離を取る。

 言葉だけを聞けばとても穏やかなものに思えるがその目には警戒と猜疑心がありありと浮かんでいた。

 こんな時間にこんな場所で生徒に会ったのだ。当然と言えば当然だろう。


(逃げるわよ!)

「はい」


 ヴィレッタの言葉を受けて全身に魔力を巡らせる。

 イーベルジュの力は未知数。何ができてどれほど強いか全く分からない。だからこそ逃げるのが最適解だ。

 動きを見逃さないよう一挙一投足を注視する。わずかでも動きを見せたら背を向けて全速力で逃げるためだ。

 空気の流れすらも肌で感じ取れるほどの緊張感に全身が総毛立つ。


「怖い顔だ」


 警戒されていることに気づいたのだろう。笑みを浮かべて軽口を叩くイーベルジュからは余裕すら感じ取れる。

 経験の差からくるものか、あるいは優位を保てる何かがあるのか。

 半歩後ずさって更に距離を取ったシェニーの意識は思わぬ形で乱されることになる。

 イーベルジュが警戒を解いたのだ。


「そう警戒しないでくれ。戦うつもりはない」

「えっ?」


 両手を挙げて敵意がないことをアピールするイーベルジュを信用して警戒を解く。


「僕が攻撃したらどうするつもりだった?」

「逃げるつもりでした」

「いい判断だ。だが、夜の森を全力で走るのはおすすめできない。今度は先導する僕もいないからね」

「はぁ・・・」

「まだ夜は冷える。入るといい」


 そう言ってシェニーを招き入れるようにドアを開けた。


(気をつけて。罠かもしれないわ)

「はい。えっと、いいんですか?」

「あぁ。夜の森に生徒を放り出すわけにはいかないからね」


 ドアを開いてにこやかに微笑むイーベルジュの表情からは真意が読み取れない。罠かもしれないという疑念は拭えなかったものの真夜中の森で朝まで過ごす勇気はない。

 意を決して中に入ることにした。


「お邪魔します。わぁ・・・っ!」


 招かれた家は思ったよりも大きいところだった。

 そこは家というより書斎といった方がいい空間で家中所狭しと並べられた本棚には本がぎっしりと納められている。それを読むために設えたであろう簡素なテーブルと椅子、仮眠用のベッド以外の空間はほとんど本と本棚が占拠していた。


「隠れ家みたいですね!ルジーちゃんが喜びそう」

「ミス・ドワルホルンは喜ぶだろうね」

(ちっ!忌々しい場所ね・・・っ!)

「先生がいたのもこんなところでしたね」


 中に通されたシェニーはイーベルジュに勧められて椅子に腰掛ける。

 背もたれがついた木の椅子はお尻が少し痛いことを除けば座り心地のいいものだった。

 イーベルジュは火刻灯をテーブルに置いてシェニーと向かい合うように席に就く。


「もてなしはできないが日が出るまでくつろいでいくといい」

「ありがとうございます」

「わかっているとは思うがここの存在は他言無用だ。何を見聞きしても忘れてほしい」

「えっ?」


 含みのある言葉に思わず聞き返す。

 そこで思い出したのは先ほどイーベルジュが話していた彼という存在と家の中から聞こえたもう一つの息遣い。

 この二つを統合すると自分達が知らない誰かがここにいるということになる。

 その可能性に思い至り慌てて周囲を見回すもそれらしき姿は見えない。


「さて、君にはいくつか聞きたいことがある。今度は答えてくれたらありがたいのだが」

「わたしも聞きたいことがあります」

「利害が一致したね。ではこうしよう。君が一つ答えたら僕が1つ答える。どうだ?」

(私が言う通りに答えなさい)

「はい」

「君からどうぞ」

「ここはどこなんですか?」

「早速か。まぁ、気になるのも無理はない。ここは・・・、なんと言うべきかな?秘密の隠れ家?とでも言うべき場所だ。この学園では僕と僕の知人しか知らない」

「それってさっき話してたフィ・・・」

(シェニー!!)


 ヴィレッタに止められ慌てて口を塞ぐ。イーベルジュに聞かれていないのは幸いだったが危うく漏れかけた失言を咎めるような視線が剣のように突き刺さる。


(余計なこと言うんじゃないわよ!!)

「すみません」

「次は僕の番だ。君の秘密を知りたいのは山々だがここでそれを聞くのは些か不平等だな。・・・どうして僕をつけた?そもそも何故夜間に出歩いていた?消灯時間はとうに過ぎていたはずだが?」


 質問を受けたヴィレッタはシェニーに答えを耳打ちする。それは思いがけないものだった。


「あの、質問って1回につき1個ですよね?2つありましたよ?」


 粗をつつくような物言いに一瞬面食らった表情を見せる。それも束の間、すぐにくつくつと愉快そうに笑い出した。


「言われてみればそうだな。僕が決めたルールを僕が破ってしまうところだったよ。ありがとう、ミス・ローレリア」

「いえ、どういたしまして」

「個人としては前者だが教師としては後者を聞くべきだろうな。何故夜間に出歩いていた?」

「魔法の練習をしてました。夏休みがなくなるかもって思ったらもやもやして眠れなかったので・・・」


 今しがたでっち上げた理由を述べる。半分嘘だが魔法の練習は本当にやっていたので丸っきりの嘘というわけでもない。


(リーチェのことは言わないの?)

「言えばリーチェちゃんも巻き込まれちゃいます」

「なるほど。勉強熱心なのはいいことだ。だが校則違反はいただけないな」

「すみません」


 怒られはしたが尾行していた理由とリーチェも出歩いていたことを誤魔化せた。


「次は君の番だ」

「はい。えっと・・・」


 次の質問をしようとヴィレッタに目配せした・・・その時だ。


「誰かいるのか?」


 ここにいない誰かの声が聞こえてきた。

 獣の唸り声のような重く野太い声。恐らく男性のものだろう。

 第三者の声が聞こえてきたのも驚きだが更に驚くべきは声がした場所。

 声は壁に備え付けられた本棚の向こう側から聞こえたのだ。


「すまない。起こしてしまったか」


 イーベルジュは突然聞こえた声にも動じることなく本棚の向こう側に話しかける。


「あぁ。寝てばかりでは居心地が悪いからな」

「怪我はもういいのかい?」

「まだ痛むが大分楽になった。感謝する」

「だ、誰かいるんですか!?」


 シェニーの声に呼応するように何かが軋むような音が部屋中を駆け巡る。その音を出しているのは本棚と本棚の間にあるわずかな隙間。

 元からそう作られているのか、本棚は門のように軽々と開き、その中にある隠し部屋を白日の下に晒した。

 ベッドがあるだけの簡素な部屋の中には全身に包帯が巻かれた大柄な男性が佇んでいた。

 薄暗くて顔はよく見えないが熊のような巨躯と鍛え抜かれた筋骨隆々な肉体、そしてその包帯の合間から覗く生々しい古傷の群れがただ者ではないことを雄弁に物語っていた。


「その子は?」

「うちの生徒だ」

「何故生徒がここにいる?」


 男にとってもこの状況は想定外らしい。その声には隠しきれない動揺が混ざっていた。


「話せば長くなる。だが、彼女ならわかってくれるかもしれないな。ミス・ローレリア」

「はい?」

「約束してくれ。彼のことを面白おかしく言いふらすようなことはしないと」

「えっと。よく分かりませんけど、そのくらいならお安い御用です!」


 小指を立てて了承したことをアピールする。それを見たイーベルジュは男に肩を貸してこちらに歩み寄ってきた。

 火刻灯のわずかな光に照らされて男の顔が露になる。揺らめく明かりが映し出したその顔は・・・


「紹介するよ。彼の名はオロウル・イェハト。訳あってここに匿っている」


 バーツキンが見せた人相書きに描かれたものと全く同じだった。


「え・・・ええええええええーーーーーっっ!!!???」

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家庭教師は最強魔女―落ちこぼれに捧ぐマンツーマンレッスン― こしこん @kosikon

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