六限目 迷子犬夜を往く 前編
走る 走る 走る
まだ雪の残る山道を、獣が駆け回る林道を、砂利が敷き詰められた河原を
どれだけの間そうしていたかなど分からない
今にも張り裂けんばかりに脈打つ心臓も震える手足もこれ以上は走れないと訴えかけてくる
この逃走に何の意味がある?逃げた先に何がある?
何もない そんなことはとうにわかりきっている
だからこそ逃げるのだ
命が繋がれば意味など後からついてくる
走り疲れ果てようとも今は命を繋がなくてはならない
その先に未来があろうとなかろうと
「いやぁー楽しみですね夏休み!」
「もう14回目だよ」
「よく数えてたねルジーちゃん」
夏休みを阻む最大の障壁、期末テストはついに倒れた。
長いようで短いテスト期間が終わり、肩の荷が下りた生徒達は学園のそこかしこで思う存分羽を伸ばしていた。
期末テストが終われば休み明けまで大きなテストはない。生徒達の頭は既に夏休みモードに切り替わっていた。
シェニー達も例外ではなく、今日は夏休みの予定を話し合うべく食堂に集まっていた。
「みんなー!期末テストおつかれさまでしたー!」
シェニーの音頭に全員が拳を突き上げて歓喜の声を上げた。テストから解放された一同は暖かい紅茶を片手に互いの健闘を称え合う。
「追試にならなくてよかったよ!みんなで勉強したおかげだね!」
「アタシは後一点で追試でした・・・」
「辛勝であっても勝ちは勝ちですぞ」
「次はもうちょっと頑張ってね。本当にギリギリだったんだよ」
「わぁっ!?」
突然割り込んできた声に全員が驚きその人物に視線を向ける。
「エミーちゃん!」
「先生だってば!」
声をかけてきたエミーに全員が挨拶する。挨拶を返したエミーは試験の疲れを労ってくれた。
「みんな。試験お疲れ様」
「ありがとうございます!」
「みんなは夏休みどうするの?遊ぶ予定とかあるの?」
その質問にリーチェは待ってましたと言わんばかりに夏服のポケットから筒状に丸められた紙を取り出した。
「よくぞ聞いてくれました!みんなで行きたいところがあるんですよ!」
広げて見せたのはこの国で広く普及している王国の地図。リーチェは南東にある丸で囲まれた湖を得意げに指差した。
「ここに行きませんか!?リバーク湖って言うんですけど、すごく大きくて泳ぐとすっごく気持ちいいんです!」
「行ったことがあるような口ぶりですな」
「うん!家族みんなでね。本当にいいところだよ!」
「思い出の場所、ということですか」
「いいね!行こう!ルジーちゃんは?」
「私も行ってみたいな」
「私も賛成です」
決議は満場一致。夏休みの計画を楽しげに話すシェニー達をエミーは微笑ましげに眺めていた。
「エミーちゃん先生は夏休みの予定ってあるんですか?」
「実家に帰るくらいかなぁ?ひいひいひいひいひいおばあちゃんにも会いたいし」
「ひいひいひいひいひいおばあ様!?おいくつなのですか?」
「聞いたことないなぁ。ひいひいおばあちゃんが1000歳だからもっとじゃないかな?」
「1000歳!?あははははっ!エミーちゃんおもしろーい!」
「人はそんなに生きられませぬぞ」
二人は冗談だと受け取ったようだがイーベルジュからエルフの話を聞いていたシェニーは冗談ではないと分かっていた。
「本当にエルフなんですね」
(私、その婆さんに会ったことあるかも)
そんなまさか・・・。そう言いかけたもののありえない話でもないので飲み込むことにした。
「エミーちゃんも夏の思い出作らない?」
「だから先生だってば!思い出って?」
「一緒に街に行こうよ!」
次に取り出したのは街の地図。
学園から馬車で一時間くらいの距離にあるセレシアの街のものだ。
既に行きたいところの目星がついているのか地図には無数の丸が書き込まれている。
「街ねぇ・・・。そういえば行ったことないなぁ」
「じゃあなおさら行くべきだよ!先生だって大変だったんだしパーッと遊んでいかなきゃ!ですよね!」
「うん!街なんてしばらく行ってないもんね!」
学園の近くにあるこの街は学生達にとって数少ない娯楽の場であり休日になると生徒達が街に繰り出して遊び回る姿が見受けられる。
魔法学園の生徒達は基本的に貴族や領主の子息。つまり金払いのいい良客であることが多い。
そのためブティックや劇場、屋台等若者向けの娯楽が充実している。
「私も行った事がないので楽しみです」
「えっ!?レンデ先輩行ったことないんですか!?」
「はい。行く用事もなく一緒に行くような間柄の人もいなかったもので」
「オゥフ・・・他人事とは思えませぬぞ」
シェニーはその理由に察しがついていた。
父親と交わした約束のために来る日も来る日もいつ訪れるかわからない戦いに供え、その上で学業も両立する。
その負担は計り知れないものだっただろう。
友達と遊んだり娯楽を楽しむこともなく一人であり続けることにどれだけの勇気と強さがいることか・・・
「じゃあこれがエミーちゃん先生とレンデちゃんの街デビューってことでいいんじゃない?」
「まだ行くって言ってないんだけど」
「いいですね!いい店いっぱい知ってるんで案内します!!」
「小生イチオシの古本屋も是非!」
「レンデリアさんは演劇って好き?今なら色々やってるよ」
「皆さん・・・ありがとうございます」
レンデは皆の提案を受けて笑顔を返す。その姿を見ているだけで諦めなかったあの日の自分が誇らしくなる。
あの時諦めていれば、膝を突いて負けていたら。彼女は今も一人で戦い続けていたかもしれない。
いつか卑怯な騙まし討ちに負けて納得のいかない人生を歩んでいたかもしれない。
そんな未来を断ち切り友達と笑い合える今を掴み取るきっかけを与えられた。
その事実に思わず顔が綻んでしまう。
(間抜け面してんじゃないわよ)
「ひどい!?」
(街ってことは美味しいものもあるのよね?期待してるわ)
「お、お手柔らかにお願いします・・・」
誰も彼もが最高に楽しい休暇に思いを馳せる。
そんな華やかな空気を切り裂くような大音声が食堂中に響き渡った。
風刻音器による校内放送だ。
『全校生徒の皆様。これより全校集会を行います。速やかに講堂にお集まり下さい。繰り返します・・・』
「集会?」
「何かあったのやもしれませぬな」
「エミーちゃん。なにか知らない?」
「先生!うーん、特に聞いてないなぁ。誘導とかあるから先に行くね。寄り道しちゃダメだよ」
「はーい!」
一体何事かと首を傾げながら一行は講堂へと向かった。
講堂は庭園のすぐ横にある建物で、全校生徒が集まっても十分過ぎるほどの広さを誇る学園の顔の一つだ。
入学式や卒業式、学園長による新年度の挨拶だけでなく文秋祭には生徒達による演劇披露の場にも使われる多目的な空間となっている。
講堂に移動し、教師の指示に従って席に就く。
集会の目的を誰も知らないらしく、あちこちで推察や憶測が飛び交っていた。
学園が廃校になる、他の学校に買収されたといったものから学園長に第二子が生まれた、庭園の花が綺麗に咲いただの冗談なのか本気なのか判別に迷うようなものまであった。
「集会なんて珍しいね」
「うん。今までなかったかも・・・」
早々に席に就き、隣のルジーと顔を見合わせる。学園に通い始めて早四年。この時期に集会があった記憶はない。
他の生徒達に混じって何事かと話し合っていると講堂の壇上に教頭のサブンドが現れた。
サブンドは咳払いをしてざわつく生徒達を鎮めると一呼吸置いて口を開く。
「生徒の皆様。本日はお集まりいただきありがとうございます。本来であればエデルバ学園長がお話する予定でしたが所用で不在のため私が代理でお話しします」
(エデルバ・・・?)
サブンドの口から出た名前にヴィレッタが反応する。
「どうかしたんですか?」
(聞き覚えがあるのよね)
「先生のお知り合いですか?」
(そんなわけないでしょ。学園長までエルフって言わないわよね?)
「耳は尖ってませんよ。もしかして、誰かが話してたのを聞いたんじゃないですか?」
(そうかしら?)
納得がいっていない様子だったが話はここで打ち切りとなる。
舞台袖からがっしりとした顎が特徴的な恰幅のいい男が現れたからだ。
豪奢な衣服を纏った金髪の男性は慣れた足取りで壇上に現れた。
そしてサブンドに恭しく一礼し、よく通る声で話し始める。
「インセィズ魔法学園の皆様!本日はお集まりいただきありがとうございます!私は憲兵司令官のバーツキン・ケツァゴウと申します!」
その名前を聞いた一部の生徒がひそひそと小声でやり取りを始める。
「ケツァゴウって代々大臣出してる家だよね?」
「司令官?そんな偉い人が何しに来たんだろ?」
そんな会話がそこかしこで成される中、バーツキンと名乗る男性は意に介することなく続ける。
「本日お集まりいただいたのは皆様にお知らせしなければならないことがあるからです!このような話をするのは非常に心苦しい。ですが心して聞いていただきたい!」
そこで言葉を切り、着ていた赤いジャケットの内ポケットから取り出した紙を広げて見せる。
それは精悍な顔つきの初老の男性と思わしき人物が描かれた手配書だった。
「この男の名はオロウル・イェハト!ひと月前に財務省の文官を殺害し投獄された凶悪犯です!しかし!つい先日プリズティーユ監獄を脱獄し、あろうことかこの近辺に潜伏しているという報せを受けました!」
拳を握り力説するバーツキンの発言にどよめきが走る。
ざわつく講堂を一瞥したバーツキンは自分を見つめる生徒達に深々と頭を下げる。
「全ては我々の不徳の致すところ!我々の不手際で皆様を不安にさせてしまったことを深くお詫び申し上げます!」
憲兵司令官という立場のある人間が公衆の面前で頭を下げるとは誰も思わなかったのだろう。
頭を下げて謝罪するバーツキンの姿にざわついていた講堂は次第に静寂を取り戻していく。
しんと静まり返ったところでバーツキンは勢いよく頭を上げた。
「ですがご安心下さい!現在憲兵隊が総力を挙げて捜索しています!必ずや奴を捕らえ再び監獄に放り込んでご覧に入れましょう!」
(何こいつ?売れない役者?)
あまりにも辛辣なヴィレッタの物言いに思わず噴出しそうになる。
身振り手振りを交え芝居がかったような大仰さで力説するバーツキンはどこか役者のようだった。
(さっきの謝罪も演出でしょうね)
「どういうことですか?」
(偉そうな役人が頭を下げるなんて思わないでしょ?それで注目を集めて話を進めやすくしたのよ)
「なるほどー!すごいですっ!」
誰もが予想だにしえない行動を取って人の注目を集める。そのためならプライドもかなぐり捨てて頭を下げる強かな姿勢に心の中で舌を巻く。
その効果は絶大で最初は不安と恐怖でざわついていた生徒達も今ではバーツキンの演説じみた言葉に耳を傾けていた。
よく通る声で話し終えたバーツキンは客席に向けて一礼し舞台袖に戻っていった。
入れ替わるように現れたサブンドは伝えるべき事項を淡々と告げる。
彼が放ったその言葉が全校生徒を絶望の淵に叩き落とした。
「ケツァゴウ卿が仰ったように凶悪犯がこの近辺に潜伏している可能性があります。皆様の安全を踏まえ、本日より一定期間学外への外出を禁止し、全ての課外学習を中止と致します」
神は・・・死んだ。
「・・・」
「オゥフ・・・真っ白に燃え尽きておられる」
「楽しみにしてたもんねぇ」
集会が終わって再び食堂に集まった一行だったが先ほどまでの夏休みムードは完全に萎んでいた。
夏休みを誰よりも楽しみにしていたリーチェは当然の如く燃え尽きて真っ白になり、街に行けると楽しみにしていたレンデも目に見えて落胆していた。
「帰省はどうなるんだろ?お父さん達にも会えないのかな・・・?」
「それはやだなぁ。わたしもお父様達に会いたいよ」
楽しみだった夏休みが一転。
暗澹とした不安が立ちこめる重く陰鬱なものへと様変わりしてしまったことに皆動揺を隠せない。
サブンドが言っていた一定期間というのは恐らくオロウルという男が捕まるまでだろう。
それは明日かもしれない。下手すれば一年以上かかるかもしれない。
そうなった場合夏休みはおろか帰省すらできなくなる可能性もある。
それはご免被りたいが学生である自分達にできることはない。
あるとすればその犯人が一刻も早く捕まることを祈るくらいだろう。
「父上も心配してくれるのかしら・・・?」
「ドナちゃん?」
「へっ?・・・うーーむ!先ほどの話を思い返していたのですが、これは由々しきことやもしれませぬぞ」
「由々しきこと?」
「ケツァゴウ卿が仰っていたではありませぬか。この近辺に潜伏しているやもしれぬと」
そこで言葉を切ったドナは左右を見渡して誰も聞いてないことを確認するとシェニーとルジーに手招きした。
訝しがりながら近づくとドナは顔を近づけて小声で囁いた。
「ひょっとするとここに侵入しようとしているやもしれませぬぞ」
「・・・っ!!」
ドナの口から出た恐ろしい想像に叫び出しそうになったルジーの口をドナと一緒に塞ぐ。急いで周囲を見渡したが誰も気づいた様子はない。
「ご、ごめん・・・」
「すみませぬ。このような時に無神経でありましたな」
「気にしないで。そうかもって思ってたから」
(まぁ、普通はそう思うわよね)
気づきとしてはあった。
相手は人殺しに躊躇いを持たない凶悪犯。
逃走中で衣食住に困っている人間にとってそれらが完備され住人の大半が年端もいかない学生という学園は恰好の狩り場だろう。
もしオロウルがこの学園に侵入したら、魔法をほとんど使えない一年生辺りが人質に取られたら・・・。
嫌な想像に額から冷や汗が垂れる。
それを知ってか、あるいは自分に言い聞かせるためか。最悪の仮定に戦慄する二人にルジーがフォローを入れる。
「大丈夫。きっと先生や憲兵さん達がなんとかしてくれるよ」
「だよね。先生と言えば、学園長先生どこ行ったんだろ?」
「確かに。こんな時に何してるんだろ?」
気になるのはオロウルの行方だけではない。
学園のトップであるエデルバの不在も気にかかる。
学園長の不在は凶悪犯の影に怯える生徒達の不安をより一層掻き立てていた。
「ひょっとするとこの件を把握していないのやもしれませぬな」
「どういうこと?」
「うむ。学園長は現在王都でお父君の代理を務めておられるとのこと。その業務に忙殺されておられるのやもしれませぬ」
「お父様の代理?」
何か知らないか?という視線をルジーに向ける。ルジーも知らないようで無言で首を振った。
「学園長のお父君は文部省の高官なのですが、近頃老齢で執務が堪えてきたとのこと。それ故後任が見つかるまでの間学園長が代理を務めているのであります」
「えぇっ!?学園長先生のお父様ってそんなすごい人だったの!?」
「ドナちゃんよく知ってるね」
「えっ?・・・いえいえいえ!!あくまで噂!風の噂ですぞ!小生もどこで聞いたやら思い出せぬほどのもので・・・」
「うがーーーー!!!もう怒った!!」
次第に小さくなっていくドナの声を掻き消すような雄叫びが食堂に響き渡る。
声に振り返ると先ほどまで真っ白に燃え尽きて座っていたリーチェが鬼気迫る表情で仁王立ちしていた。
「リーチェ氏?」
「ドナ!そのオロリンとかいうおっさん捕まえに行こう!!」
「オロウルだよ」
ルジーが静かに訂正するもリーチェの耳には届かない。頭に血が上った様子のリーチェはドナの手を取って大またで歩き出した。
「ちょまたれよ!この状況で小生は選択ミスもいいところなのだが!?小生しがない村人Aですぞ!」
突然のことにしばし唖然としていたが行動の意図を理解して慌てて止める。
「ダメダメ!相手は凶悪犯なんだよ!」
「このままじゃ夏休みがなくなって帰省だってできないかもしれないんですよ!先輩はそれでいいんですか!?」
「それは・・・」
どこまでも真摯な瞳に返す言葉をなくして押し黙る。
いいわけがない。
しかし後輩が人殺しの凶悪犯に挑むのを許すわけにもいかない。ルジーと一緒に猛るリーチェを押さえ込んでいると今度はレンデが勢いよく立ち上がった。
「レンデちゃんまで!?」
「皆さん!打ち込みをしましょう!!」
「・・・はっ?」
想定外の提案に息巻いていたリーチェですら目が点になる。
レンデの気迫に圧されてやってきたのはいつも特訓に使っている広場。渡されたのは練習に使う木剣の予備。
「胸に重く沈むままならない思いを剣に乗せて力いっぱい打ち込むのです!まずはお手本を・・・はぁっ!」
言うが早いか、鋭く息を吐いて木剣を振り下ろす。流麗で無駄のない動きで振るわれた木剣は吸い込まれるように巻藁を打ち抜いた。
「おぉ・・・!」
「ではやってみて下さい」
「無茶ぶりが過ぎるのだが!?」
「おりゃああっ!!」
「流石はリーチェさん。素晴らしい打ち込みです」
「剣使ってないよね?」
場の空気に一足先に順応したリーチェは拳で巻藁を殴る。一発では満足できなかったのか二発、三発と重く鋭い拳が巻藁に叩きこまれていく。
これ、やらなきゃ終わらないやつだ。
やる気満々な二人を見て全てを察した三人は無言で頷き合う。
そして木剣を担いで巻藁へと挑むのだった。
「えいっ!」
「シェニー!腰が入っていません!剣は腕だけで振るものではありませんよ!」
「え、えーい」
「ルジーさん!動きがバラバラです!まずは剣の持ち方から見直しましょう」
「無理無理無理ぃっ。重くて上がらぬぅ」
「ドナさん・・・後で個別レッスンを行います」
「ひぃっ!?」
街に行けなくなったショックで何かのスイッチが入ってしまったのか、スパルタモードに突入したレンデによる地獄の打ち込み稽古は全員がレンデのお墨付きをもらうまで続いた。
地獄の打ち込み稽古から解放された頃にはもう夜も更け始めており、夕食を取ったシェニーは重い足取りで帰路についていた。
「うぅ・・・手がシビシビするぅ」
(お疲れ。災難だったわね)
「すごく疲れたけどすっきりしました」
(まぁ、あぁなるのも無理ないわよね)
ヴィレッタは周囲を見渡しながら呟く。
その視線の先には魂が抜けたような暗く沈んだ表情でさまよう生徒達の姿があった。
「夏休みが楽しみなのはみんな同じですから」
(こっちもいい迷惑よ。美味しいお菓子が食べられるかもって期待してたのに)
「でも意外です。特訓の一環で捕まえてこいって言われると思ってました」
(言ったわよ。死ぬのがあんただけならね。私も死ぬならまっぴら御免よ)
「あははっ・・・。先生と繋がっててよかったです」
他愛もない話をしているうちに部屋に着く。
鍵を開けた先は見慣れた寮の一室。しかし今朝と今では見え方がまるで違う。
その原因は部屋の片隅に置かれた帰省用のトランク。
帰省のために今から少しずつ準備していこうと置いてあったそれを見るだけで叶わないかもしれない帰省が頭をよぎり陰鬱な靄が心を曇らせる。
制服から部屋着に着替え、もう使わなくなったトランクを片付けようと取っ手に手をかけたその時だった。
「・・・?誰だろ?」
部屋にノックの音が転がった。
ドアを開けると気合いの乗った表情でシェニーを見つめるリーチェの姿があった。
「リーチェちゃん?どうしたの?」
「シェニー先輩!魔法教えて下さい!!」
元気だなぁ・・・。
あの打ち込み稽古をやってなお余力を見せつけるリーチェが眩しく見えたシェニーだった。
特訓するのはいいが流石に部屋でやるのは手狭すぎる。理想は実習場だが夜間は施錠されてて使えない。
門限は過ぎているので本来なら外出はできない。しかし、派手にやって部屋が壊れるより見つかって怒られる方がまだましだ。
そう考えたシェニーはリーチェを伴い昼間散々打ち込み稽古をした広場に向かった。
巡回も滅多に来ないここなら血唱術の訓練に打ってつけだ。
「はい。これより授業を始めます!」
「待ってました!」
教壇に立つ教師の真似をして胸を張って言ってみる。その姿にリーチェはやんややんやと拍手を送る。
「その前に質問があります」
「はい!なんですか?」
「魔法教わってどうするの?」
「うぐっ・・・!」
リーチェが目に見えて動揺する。それはもう正直に話したも同然だった。
「今日の授業はおしまい。隠し事する人には教えられません」
「あー!待って下さい!話します!魔法覚えてオロロン捕まえようとしてました」
「オロウルだよ」
やはり諦めていなかったらしい。
気持ちは分かるが凶悪犯に挑もうというなら見過ごすわけにはいかない。
「そういうことなら教えられません。ほら、もう帰るよ」
「ごめんなさい!もうしないから是非教えて下さい!」
「本当に?」
「はい!」
「約束できるならいいよ」
「はい!約束します!!」
勢いよく小指を突き出して見せるリーチェの目に嘘偽りは感じられない。
不安がないと言えば嘘になる。しかし、その真摯な瞳に絆された自分もいる。
しばしの葛藤を経て自分の小指をリーチェのそれに絡めた。
「早速なんですけど、アタシの魔法って何なんですか?」
「それはね・・・」
説明する前にヴィレッタに目配せする。
無言で頷いたのを確認して授業を始める。使用する教材はポケットから取り出したメモ。
以前ヴィレッタがシェニーの体を借りて書き込んだものだ。
触れたことのない血唱術に抵抗を示すかもしれないという一抹の不安もあった。
しかしリーチェはそれらの知識を抵抗なく受け入れていった。
「・・・以上が血唱術の概要だよ。何か分からないところはある?」
「ないです!つまりドーンバーンドカーンでできるんですね!?」
(それできるのあんただけだから)
「あははっ・・・。とりあえず細かいコントロールを覚えるところから始めようか」
「はい!」
期末テストの成績を見るに机に座って勉強するより体で覚えて慣れる方が得意なのだろう。
そう考えたシェニーは概要の説明もそこそこに一番教えたかった魔力の操作と集中を伝授する。
「利き手の掌を上に向けて」
「はい!」
「そこに魔力を集中させて形を作っていくの。最初は小さな丸い玉を作ってみよっか?」
「はい!小さな丸い玉・・・むむむっ」
眉間に皺を寄せて掌に意識を集中しているようだがうまくいかないらしい。
うんうんと唸りながら掌を震わせているリーチェを眺めていると思いもよらないことが起きた。
「・・・っ!?」
リーチェの掌を基点に突風のような力強い風が吹いたのだ。
それはリーチェの魔力に呼応するように何度も吹き荒れ、周囲の木々を揺らしていた。
「風?リーチェちゃんの魔力は風属性ってことですか?」
(いえ、違うわ。これは・・・)
見たことがない現象にヴィレッタの意見を仰ぐ。そこで風が止み、リーチェは肩で荒い息を吐き始めた。
「はぁっ、はぁっ!む、難しいです」
「先生。どういうことなんでしょうか?」
自分の時とは違う状況に困惑しヴィレッタに助けを求める。
(前にも話したけど、魔力の操作と集中はかなりの高等技術よ。こいつの場合全力全開で魔力出してるからそれ以前の問題ね)
「魔力を出し過ぎてる?」
(えぇ。意識してコントロールしたことがないんでしょうね。コントロールを意識しすぎて逆にだだ漏れになってるわ)
「わたしの時はそんなことなかったのに・・・」
(私が最適なコントロールを体に覚え込ませたおかげよ)
「やっぱり先生はすごいです!」
(それにしても妙ね・・・。物質化されてない血の魔力が物理的な干渉を引き起こすなんて)
ヴィレッタの呟きは思案に耽るシェニーには届かなかった。
課題はわかった。問題はそれをどう克服するかだ。
制御を意識すれば逆に魔力が出過ぎてしまうなら今まで通り無意識で使わせた方がいいのではないか?
そんな考えが浮かんだがそうなると暴走した時が怖い。
シェニーが考え事をしている間もリーチェは果敢に挑戦する。
だが、魔力の漏洩は想像以上の負担になっているようで既に疲労困憊の様相を呈していた。
これ以上やらせるのは体に悪い。今日はここで切り上げるべきだろう。
撤退か続行か。
その二択を思案していたシェニーはふとあることに気づいてリーチェに問いかける。
「ねぇリーチェちゃん」
「なんですか?」
「今ってすごく疲れてるよね?」
「はい・・・」
「じゃあその状態で玉を作ってみて」
(・・・あぁ、なるほど)
「はい。やってみます」
シェニーの言うことに首を傾げながらも言われた通りに魔力の操作に入る。
目を閉じて乱れた呼吸を整え、突き出した右手に魔力を込める。しばしの間そうしていたリーチェが突然目を見開いて叫んだ。
「あっ!できました!掌に魔力が乗ってる感じがします!」
「すごい!どんな感じ?」
「えっと、掌に水が乗ってるような感じです」
「わたしの時と同じだね。じゃあそれを零れないように真ん中に集めてみて」
「はい!」
ようやく掴んだ手応えを手放すまいと全神経を集中させて掌を傾けたり指を曲げたりして集めようとする。シェニーは邪魔にならないよう黙ってその様子を見守っていた。
「あっ・・・!」
リーチェが落胆したような声を漏らす。その様子に事態を察したシェニーは沈黙を解いて声をかける。
「零れたの?」
「はい。もうちょっとだったのに・・・」
拳を握り締め、魔力が零れたであろう地面を睨み付ける。その姿が彼女の無念を何より雄弁に物語っていた。
そんな彼女に惜しみない称賛を送る。
「すごい!すごいよリーチェちゃん!」
「えっ?」
「初めてでこんなにできるなんてすごいよ!」
「でも失敗しましたよ?」
「そうだね。でも、もうちょっとで形にできるってところまでいったんでしょ?十分すごいよ!血唱術の操作ってすっごく難しいんだから!」
「ありがとう、ございます・・・」
できなかったことが本当に悔しかったのか、はたまた魔力を出し尽くして疲れているのか。
いつもと違うしおらしい態度に新鮮さを感じているとリーチェが尋ねてきた。
「さっきまで全然できなかったのになんで急にできそうになったんですか?」
「魔力を出し切ったからだよ」
「出し切った?」
「うん。疲れてる時って早く動いたり重いものを持ったりできないでしょ?だから魔力も同じかなって思ったの。力が入って魔力が漏れてたなら出し切った方がやりやすいかなって」
(あんたにしてはいい線いってるじゃない)
「えへへっ」
ついさっき思いついたのだがそれが功を奏したらしい。今ので感覚が掴めたのか、リーチェは自分の右掌をじっと見つめていた。
「今日はここまで。続きはまた今度ね」
「えー!もう一回!もう一回やらせて下さい!」
「ダーメ。疲れてるんだからちゃんと休まなきゃ」
「そんなこと・・・!」
そんなことない。そう言いかけたリーチェの体が支えを失った支柱のように傾き始めた。
「おっと」
それを間一髪で抱きとめる。
「ありがとうございます」
「ほらね?疲れてるんだから休まなきゃダメだよ」
「でも、早くできるようになりたいです・・・」
「わかるよ。新しいことって早く覚えたいし、もっともっとたくさんのことを知りたくなるよね。でも、疲れてたらできるものもできないし覚えるのだって大変だよ」
「・・・」
早く覚えたい、もっとたくさんのことを知りたい。その気持ちは痛いほど理解できた。
リーチェがこれまでどんな人生を歩んできたかは知らない。
しかし、身体強化しか使えないと豪語したことだけは知っている。その上でよく学びよく知りたいと願う意図を少なからず推察できる。
こんなことを言えば傲慢かもしれないが思うだけなら自由だろう。
彼女は魔法が使えなかったあの日の自分なのだ。
「感覚が掴めただけでも収穫だよ。その感覚を忘れないでこれからも頑張ろうね」
「はい!」
「だから今日はおしまい!部屋まで送るよ」
「ありがとうございます!でも、大丈夫です」
シェニーから離れたリーチェはふらつく足取りで立ち上がる。立っているだけでも精一杯なのは一目瞭然だ。
それでもリーチェの気持ちを尊重したかった。悔しさに打ちひしがれても張りたい意地がある。
エミーの手を借りずに立ち上がったあの日の自分と同じだ。
「シェニー先輩」
「うん?」
「これができるようになったら次は何をするんですか?」
「内緒。教えたらこっそりやるでしょ?」
「それは・・・」
図星だったらしい。
「できるようになったらって言うけど、それだってすごく難しくて奥が深いんだよ?ちょっと無茶したってできることじゃない」
闘春祭でちょっとどころじゃない無茶をした自分が言えた義理ではないかもしれない。
だが、釘を刺しておくことも教えた者の責務だ。
「だから約束♪」
そう言って右手の小指を立ててリーチェに見せる。小指がどうしたのかと訝しげに見つめるリーチェの前で小指の先から小さな芽が萌芽した。
「うわぁっ!?」
驚いている間にも芽は成長し、瞬く間に何層にも折り重なった無数の花弁を持った赤い花が開花した。
「は、花ぁっ!?」
「これ知ってる?」
「えっと、見たことはあります」
「これはフランフィラ。春に咲くお花なの」
小指に花開いたそれを摘んでリーチェの左手に乗せる。
「このお花に約束して?一人で無茶はしないって」
フランフィラを眺めていたリーチェは小さく頷いて花を手に取った。
「はい!約束です」
「うん。約束」
花を受け取ったリーチェは深々と頭を下げると壁を支えに覚束ない足取りで帰って行った。
シェニーはその背中が見えなくなるまで見送った。
「わたし達も帰りましょう」
(そうね)
欠伸をかみ殺しながら寮に戻る。今日は本当に色々なことがあった。
凶悪犯のせいで夏休み存亡の危機に陥ったかと思えばレンデの打ち込み稽古に付き合いリーチェの修行に付き合い・・・。
全てが一日の出来事とは思えないほどに濃密な時間だった。
しかし疲れた。流石に疲れた。
地獄のトレーニングで心身共に鍛えているとはいえこうも立て続けでは身がもたない。
早くベッドに潜り込んで今日を昨日にしたい。
ふかふかの毛布に思いを馳せながらひた歩く。そんな緩みきった思考は近づいてくる足音にかき消された。
「・・・っ!!」
誰か来る!
恐らく巡回の教師だろう。咄嗟に近くにあった茂みに身を隠す。
息を殺し、音だけで様子を窺っていると足音がこちらに近づいてきた。
足音は二つ。
どうやらこちらに気づいてはいないらしい。少しずつ遠ざかっていく足音に安堵の息を吐く。
足音が向こうに行ったら茂みを出よう。そう考えていたが現実は甘くない。
少し進んだところで足音が止まり、足音の主達が立ち話を始めてしまったのだ。
「こんな時間まで残業か・・・。フィデルも大変だな」
「全くだ。あれがなければとうに倒れていたよ」
足音の主達はそれなりに仲がいいらしい。和やかに談笑を交わす声が聞こえてきた。
その声に耳を傾けていたシェニーはあることに気づく。フィデルなる人物と話をしている声に聞き覚えがあったのだ。
この声は・・・
「イーベルジュ先生?」
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