050:さりとて時は進む


「暫定的ではありますが、個体名ミスティをこの形で処理させていただきます。また、今回の一件で起きたことに関しては決して口外しないように。リム・キュリオス様及びエッセ様に置かれましては明朝セフィラ様との面会が控えておりますので、夜が明ける頃に『ガーデン』三階フロアにお越しください。今後についてのお話があるとのことです」


 セフィラナイトが恭しくお辞儀をして、応接室から退出した。

 残されたのは俺とエッセ、ミスティとブレアの四人である。


「……バレちゃったね」


 ブレアが苦笑いしながら、肩をすくめる。

 彼女の言葉通り、ミスティのことが教会にバレた。当然ではある。

 旧市街であんなに派手に戦い、瀕死のレストラを『ガーデン』に併設された【アスクラピア】の病院に連れて行ったのだから。

 俺もほとんど気絶寸前だったから、ミスティを庇うことまで頭が回らなかった。結局、セフィラナイトにミスティは捕らえられ、リンとエッセ、ブレアが来るまで軟禁状態にあったわけだ。


 ミスティの処遇に関しては何らかの協議があったのだろう。

 ただ、それが下りる前に【万目睚眥アルゴサイト】がやってきて『義肢、見事な出来ね。素晴らしいわ。それじゃあ、あとのことはよろしくね』とだけ言って去っていった。

 面倒事を全部押し付けられた、と感じたのは俺だけじゃないはずだ。


 ミスティの拘束が解かれたのは、俺が【アスクラピア】で治療を受けて半日後。

 元々の発言力と今回の騒動を鎮静化した立役者でもある【極氷フリジッド】の証言もあり、ミスティはエッセと同様、人に対する害意はないという判断が下された。

 特に“顔のない女”の操る子機ドールを何体も倒したという証言が、遠目で見ていた住人からあったのが大きい。それがミスティだとまでは住人にバレていなかったが。


「でもまっ、全員無事だったわけだし、アルテイシア様も諦めてくれたし、ミスティのこと隠してたのも、街に損害出したこともお咎めなしになったんだし、万々歳じゃない?」

「だけど人認定はされなかった」

「ぅ……」

「事実、私は人間ではないため問題ありませんが」

「そうだけど、ブレアとミスティ、二人が一緒にいられないってことだぞ」


 ミスティの首にぶら下がっているのは、翡翠の宝玉の内部に根から解き放たれた竜の絵が彫り込まれた、トリリアントカットのネックレスだった。

 【ルーティア】。テイムされたモンスターが装備する、人間に対する危険性がないことの証明となるアクセサリーだ。

 エッセも首元に咲かせた触手の花弁の中心に埋め込んでいる。

 そして、ブレアはテイム魔法を持っておらず、俺は対外的には持っていることになっている。

 つまりそういうことだった。


「まーまー。別に会えなくなるわけじゃないし? あ、まさか独占しちゃう感じ!? 独占はんたーい!」

「誰がするか。ただ、これはお前が求めてた自由じゃないだろ」

「……」

「随分と小難しいことを考えているのですね」


 自分のことであるのにも関わらず、まるで当事者でないかのようにミスティは話す。


「バカにしてんのか?」

「いえ、その誠実さは美徳であると考えます。好感を抱く、と言いましょうか」

「わ、笑った……!」

「笑ったよ……!?」


 エッセとブレアが両手を合わせて交互に互いとミスティの顔を見合わせる。


「えー、あの笑顔私だけのじゃなかったのっ!? ずーるいっ私にももっかいしてっ!」

「ミスティ、笑えたの!? もう一度笑って! ねっ!?」

「……」


 興奮する二人に、途端にミスティはすんっと無表情に戻る。


「私のほうは問題ありません。ブレア同様、あなたも観察対象ですので」

「え、そうなの!? どういう理解をしたいの!? お姉さんに教えて!?」

「え、私は? ねぇ、ミスティ、私のことは理解したくないの?」


 混迷を極めて来たので、俺は椅子から立ち上がって応接室を退出する。それにミスティが着いてきて、残りの二人が質問攻めするという形だ。

 何とも混沌(カオス)である。

 騒動があって丸二日と経ってはいないが、『ガーデン』のメインホールはいつものように探索者とシスターたちで賑わっている。

 街に損害があったせいもあってかいつもとは別種の騒がしさだけど。

 モンスターらしさ全開のエッセと違って、人に上手く擬態しているミスティが視線を向けられることはほとんどなかった。


「それじゃあっと」


 俺を追い抜いたブレアがこちらに振り返った。

 腰に手を当て、堂々とした立ち姿のまま上半身ごと頭を下げてくる。


「リムくん、エッセちゃん、今日までありがとう! 二人がいなかったらあたしはミスティの義肢を完成させらんなかったよ」


 顔を上げたブレアは、溌剌とした彼女らしい笑みを浮かべた。


「まぁ最初から乗り気だったエッセはともかく、俺は流れで助けただけだし」

「えー、もぅ、リムは素直じゃないなぁ」

「全くです。第二階層で私たちが落下したあと、『俺が助けたいと思ったから助ける』と熱く仰ったではありませんか」

「え!」

「何それリム、聞いてないよっ!?」


 二人して色めきだって、目を輝かせてくる。俺は両手を上げて、頭を振った。


「言ってない。言ってないから記録を捏造するな、ポンコツ」

「一言一句再現しましょうか? いまの私であれば表情も再現できるでしょう」


 マジでやめろ。やめてくださいお願いします。


「あははっ、また次会う楽しみができちゃったね。うん、やっぱりリムくんにならミスティを安心して任せられるよっ!」

「いまの会話のどこでどうやってその判断が下せんだよ」

「……責任押し付けちゃう形になってごめんね」

「思ってもないこと言うな。責任じゃなくて権利だって思ってるだろ」

「バレてるー! そうだよ権利だよー! セフィラ様のバカー」


 さすがに人の目が怖いのか、最後だけは小声だった。

 ひとしきりブレアが不満を吐き出しきったあと、踵を返した。街のほうじゃなくて【アスクラピア】に通じる連絡路のほうにだ。


「ぐすん……じゃあ、あたしこっちだから」

「もしかしてどこか悪いところでもあるの?」

「うん、エッセちゃん……」


 その背中はいつものブレアらしからぬ弱々しいものだった。

 そんな姿は余程のことでなければ見せるとは思えない。でもブレアが怪我をしている様子はないし……まさかじいさんが?


「ミスティのことで手いっぱいだったから、【アスクラピア】からの依頼全部断ってたんだけど、数日前から依頼がぱったり回って来なくなったんだよね……」

「……え?」

「まだ駆け出しもいいとこだから、【アスクラピア】との契約が切れちゃうと食べていけなくなっちゃうの! だからいまから土下座してくる」


 肩透かしもいいところだった。焦って損した。

 ブレアはダッシュで【アスクラピア】に行こうとする……が、すぐに反転して、ミスティの両肩を掴んだ。半泣きで。


「やっぱりミスティも着いてきて一緒に説明して! 一応理由はあったわけだし、ミスティが説明してくれたら許してくれ――うぶっ」


 しかし混乱状態のブレアの両頬を、今度はミスティが張り手にも近い勢いで包んだ。


「その心配はいりません」

「……んえ?」

「この義肢を完成させるほどの腕を持つあなたが解雇されるはずがない」

「う、嬉しいけど、でもぉ」

「それでも解雇するなら【アスクラピア】に見る目がないだけの話です。こちらから願い下げしてやるのがベストでしょう」


 ミスティははっきりと言い切った。俺の思ってること全てを。多分エッセも同じだ。うんうんと頷いている。

 ブレアはというと、たっぷり十秒ぽかーんと間抜けな面を晒してから俯いた。

 そして。


「…………ぷっ、あはははははははっ! さっすがミスティ! 言うこと違うわー。うん、うんうん。そうなったらしばらくミスティ専属の義肢装具士にでもなろうかな。そのときはリムくん雇ってね」

「金ねぇよ」


 こちとら借金漬けだわ。あぁ、思い出したら頭痛くなってきた。

 ブレアはミスティの肩を掴んでいた手を、そのまま背に回して強く抱きしめる。ミスティのほうも受け入れていた。


「多大なる謝意をあなたに。あなたのおかげで私は自由に――自由な意思を抱けた」

「そうだと嬉しい」


 二人は少し名残惜しそうに離れ、ブレアは手を振って【アスクラピア】の病院へと駆け出していく。

 その背に弱々しさはもうなくて、ブレアらしい弾むような軽快な足取りだった。


「行っちゃったね」

「ま、いつでも会えるだろ。何なら明日にでも会いに来そうだし」

「確かに」

「今後はどうされますか、マスター」


 んん?


「いまなんて?」

「マスター、と。暫定的ではありますがリムに仕える立場である以上、そう呼ぶべきであると判断しました」

「やめろやめろ、呼ばなくていい」

「拒否。主従関係は明確にすべきです。この偽装関係をより強固なものにするためには、まず形から入るのが鉄則でしょう。さぁ、あなたの忠実なる僕であるこの私に何なりとお申し付けください、マスター」


 飛び込んで来いと言わんばかりにミスティは両手を広げた。当然、無表情で。


「じゃあその呼び方やめろ」

「なるほど、戸惑われているのですね」


 こいつ話を聞きやしねぇ。


「確かに私のような完璧な個体を従えることに、自分では役者不足ではないかと不安を覚えるのも無理はありません。ですがご安心を。どれほどマスターが自身を卑下なさっても、私はマスターを見捨てたりはしません」

「お前はまず慎みってのを理解しろよ」


 自信過剰すぎるんだよ。無表情でドヤ顔するな。


「り、リム……」

「ん? どうしたエッセ」

「……私もマスターって呼んでみていい?」

「お前まで何言ってんのっ!?」


 おずおずとした表情から一転、期待に満ちた眼差しを向けてくるエッセ。

 触手がご機嫌にうねうねして伸びており、すぐ傍を通った探索者がぎょっとしていた。


「だ、だってぇ。『エリアル・テンペスタ』って、ご主人様のことをマスターって慕う風の精霊さんのお話があったんだもんっ。絶海の孤島に追いやられた非業のご主人様を支えて尽くす精霊さんと、それに応えるご主人様の物語でー、とっっっっても素敵なのっ。最後二人は主従関係を解いちゃうんだけど、それでも精霊さんはずっと傍に居続けてー末永ーく暮らすの」


 ときめく少女のようにチラッチラッと視線を投げかけてくる。

 その精霊とやらになりきりたくて仕方ないらしい。

 付き合ってられないと歩き出したら、手を掴まれた。最初はエッセだと思った。何が何でも茶番劇に付き合わせたいのだと。

 だが、すぐに違うとわかる。手の感触が、肌に吸い付くようなあの感触じゃなかったからだ。


 振り返ると同時に胸倉を掴まれ、押された。よろめきこそしたが倒れずに踏ん張る。


「何を」


 胸倉を掴んできたのはシスターだった。一瞬アシェラさんのことが頭を過ぎったけど、目の前の人物は彼女じゃない。

 アシェラさんは泣き腫らした目を怒りの形相に変えて、睨み据えてきたりはしない。


「あんたはアシェラさんの」


 アンバー・コレット。アシェラさんの同僚シスターで、リク・ミスリルの情報を探してもらうために彼女に言伝を頼んだ。

 そんな彼女がまるで仇を見るような、憎々しげな表情を浮かべていた。


「あんたのせいで……」


 肝が急速に冷えていくのを感じた。膝が震え始めたのを自覚した。

 頭の奥深くで警鐘が鳴り響く。聞きたくないと叫ぶ。言うなと懇願する。

 だが、アンバーさんは容赦なく告げた。


「あんたの頼みを聞いたせいでアシェラがシスターを辞めなきゃいけなくなったのよッ!」

「……え」


 アシェラさんが、シスターを辞める? なんで。え。

 胸倉を掴まれ前後に揺すられているのに、まるで何も感じない。

 俺のせいでアシェラさんが? どうして? なんで……?


「あんたが探索者を辞めろよっ! アシェラに関わんなよっ! ふざけんなっ! あの娘にここ以外の居場所があると思ってんのかッ!」

「ちょ、アンバーやめなって!」

「誰か押さえるの手伝って!」

「離せっ! くそっ、ふざけんなくそ野郎! 都合良くあの娘を使ってんじゃねぇ!」

「ぅぁっ」


 胸倉からアンバーさんの手が離れ、俺は仰け反った。

 尻餅をつきそうになったのを辛うじてエッセに支えられて、立っていられた。

 アンバーさんは同僚のシスターたちに連れて行かれ、メインホールの慌ただしさは別種のものに塗り替えられる。

 周囲から囁く声が聞こえるけど、内容まで判別できない。したくない。


「リム……」

「アシェラさん……アシェラさんに会わないと」


 辞める。辞めさせられる。いや、きっと何かの間違いだ。だって、あのアシェラさんだ。第一階層でリク・ミスリルの採取ポイントを見つけた、とても優秀なシスターなんだ。

 そんな優秀なシスターを教会が簡単にクビにするはずがない。


「いますぐアシェラさんに」

「お待ちを。様子がおかしいです」


 とりあえず受付のところに向かおうとしたとき、ダンジョン方面が突如騒がしくなった。

 悲鳴にも近い声とともに、人の生垣が左右に裂けて俺たちに向かってくる。


「おい、なんでモンスターが」

「いやあれは違ぇよ」

「何あれ、ひどい……あれじゃあもう」


 生垣を割った存在に対して、口々に言うのを耳にした。

 そして、俺たちの前にそれは現れる。


『ワォオオオオオ、オオ……オオ、オォォ…………ォォ……ッ』


 まるで風前の灯火。最後の一鳴きのように、鈍銀に輝く毛並みを持つ巨狼は啼いた。

 そして、左後ろ足を引きずりながら、よろよろとした足取りで俺の前まで来ると、力尽きるように倒れたのである。

 血塗れの銀狼ウルのその背中から、俺の足元に転がり倒れ、仰向けになったのは一人の少女。

 銀狼ウルのマスター、サリア・グリムベルト。

 以前エッセの取り合いで戦い、階層主ダンジョンイーヴルとの戦いでは俺たちを助けてくれた、モンスターテイマーであった。


「サリア……」


 服はズタボロ、全身が血塗れで、特に左目が深い裂傷で抉れているのが一目でわかった。

 その腹部からはいまも血が流れ出ており、『ガーデン』の白い床を血に染め上げつつある。

 何があったのかは明白だった。ダンジョンに行き、ダンジョンに敗れ、帰還したのだ。

 この前まで、小憎たらしく俺に絡んで来ていたサリアが。

 生気をまるで感じさせない顔で、俺の足元に転がっている。


「お、おい、テイマーの腰見てみろよ」

「【カナリアの焼印】……元奴隷か」

「【アスクラピア】です! どいてください! 治癒魔法を掛けます、下がって!」


 治癒士の始めた治療を俺はただ見ていることしかできなかった。

 あまりの現実味のなさに、意識が途切れそうになる。


「リム……」

「マスター」


 まるで力の入らない両手をしっかりと握ってくれる二人が、俺を現実に縫い留めてくれた。ただただ心強くて仕方なかった。

 アシェラさんがシスターを辞めること。

 瀕死の重傷で帰還したサリアとウルのこと。

 一体何があったのか、その推測に思考を張り巡らせられるほど、いまの俺に余裕はなかった。

 そしてサリアとウルが【アスクラピア】の病院のほうへ運ばれていく。

 一時期混乱していたメインホールも、瞬く間にいつも通りの探索者とシスターたちが騒がしく行き交う、地上とダンジョンの接合地に戻っていった。

 俺はしばらく、そんなクリファの日常に戻ることができなかった。



 第二章 了

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ダンジョン遺失物に提出義務はありません(ただしモン娘は除く) 六藤幸一 @monstrum-fraulein

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