049:憎悪は何処


 レストラが目覚めて最初に目にしたのは、目を瞑ったままご機嫌にほくそ笑む【アルゴサイト】の【万目睚眥(ギルド長)】アルテイシア・ピューピアだった。

 鮮やかな青と緑の髪に、けばけばしい化粧に彩られた顔が、レストラの目覚めをどん底に叩き落とす。


「ふふっ、さすがはディカトス・トリトス。時間通りのお目覚めね」

「……【アスクラピア】か。どれくらい寝ていた?」

「二日よ」

「よくもそんな格好で来れたものだ」

「あら、一応余所行きよ? せっかくこの私がお見舞いに来てあげたのに、つれないじゃない」

「ほざけ。クビを宣告しに来たの間違いだろう」


 身体を起こし睨むと、アルテイシアは愉快気に唇で弧を描く。


「話が早くて助かるわ。ミスティの件があっても、あの非常時に私闘を仕掛けたのはよくなかったわね。街に損害も出してしまったし、さすがに処分を下さないわけにはいかなくなった……というのは建前で、どうせあなた辞めるつもりだったでしょ」

「ああ」


 決めたのはミスティが義肢をつけて戻って来た時点だった。


「だと思った」

「安心しろ、辞められるより辞めさせたほうがギルドの体裁が良いのはわかってる」

「減らず口が出会ったときからちっとも変わらないわね。拾ってあげたのに」

「感謝してるさ」


 アルテイシアが目を見開いて驚くが、すぐににやぁと笑みを深める。

 口が滑った、とは思わない。感謝しているのは事実だ。


 クリファに訪れてすぐのこと。

 故郷である『学院都市ヨルム』を取り戻すため、レストラは同じ出身の【極氷フリジッド】クーデリア・スウィフトに協力を仰いだ。

 だが、取り付く島もなく断られてしまった。あの地で為すことは何もないと、帝国に奪われた故郷を捨てたのだ。

 レストラは自分に力がないと自覚していた。仲間が必要だった。

 だが、クーデリア含め、侵略される『学院都市ヨルム』から脱出した学徒は誰一人として、故郷を取り戻そうと立ち上がるものはいなかった。

 そんなとき出会ったのがアルテイシア・ピューピアだった。


『あなたがあの魔法都市の生き残り? 故郷を取り戻したいそうね? 仲間を集めるのが大変なら作ってみるのはどうかしら?』


 魔法一筋であった自分が、疑似アーティファクトの技師となる。見ようによっては無謀であり、回り道にも見えたが、窮まっていたレストラにとっては一筋の光明だった。

 学徒のみに伝えられる【数魔術体系】を供与する代わりに、アルテイシアの持つ疑似アーティファクトの製作技術を吸収し、ドールの理論を完成させた。

 問題はコアの存在。人間の脳ではドールの操作に耐え切れない。しかし、天啓は日を待たずレストラの下にやってきた。


 【イェソド】との出会いだ。


 “顔のない女”が接触してきたのもちょうどその頃。

 信用証明として差し出してきたドールの完成を確実のものとする技術だったが、それがより不信感を募らせた。

 クリファですら見られない疑似アーティファクトの技術を有するのは、『マルクト帝国』以外に考えられなかったからである。

 故に供与された技術を用いつつも、“顔のない女”の協力は退けた。隠れて接触されてしまい、【イェソド】を逃がすことになったが、それは全て自分の落ち度だ。

 【イェソド】――ミスティとの対話を避けていた自分が。

 結果こうなったわけだが、それでもここまで来れたのはアルテイシアが自分を拾ってくれたおかげに他ならない。

 だから感謝している。恨み節など以ての外だった。


「ミスティの件はどうなった?」

「私の想像を遥かに上回る良い義肢だったわ。ええ、認めざるを得ないわね」

「だろうな」

「なぁに? 嬉しそうじゃない」

「嬉しいのはお前のほうだろう。死んだ仲間の娘が逆境を跳ねのけ、成長を見せたのだから」


 レストラの指摘にアルテイシアは笑みを象ったまま押し黙った。沈黙は何よりも雄弁だ。


「誤解を解かなくていいのか? あの日、〈月の目〉で死にゆく仲間の視界を共有し続けたのは背負うためなのだろ。当時のギルド長を止められず二人を死なせてしまった罪を」

「話した覚えがないのだけれど?」

「お前はもう酒を飲むな」


 ああ、とアルテイシアは髪をくしゃくしゃと掻く。

 アルテイシアが〈月の目〉に目の光を捧げたのは、死にゆく者が見る景色を視たいという好奇心からではない。


 全ては憎悪の火に薪をくべるため。


 【アルゴサイト】の前身となるギルドは当時のギルド長以下、幹部数名の絶対的な権力の下、不正や改ざん、他所への脅迫紛いの行為などが横行していた。

 睡眠時間は切り詰められ朝から晩まで、押し付けられた業務をさせられる日々。

 探索者ギルドの協力なしでダンジョン探索をさせられるのは当たり前。

 まともな装備は支給されず、負傷しようとも休むことは許されない。

 十年以上前という、ギルドの透明性がいまよりもなかった時代と考慮しても、劣悪であったと言わざるを得ない。


 辞める選択肢はなかった。団員の多くが身寄りのない者たちであり、アルテイシアもその例に漏れなかったから。

 告発はできなかった。彼らはずる賢く強かであったから。

 それでも死人が出ずに済んでいたのは、ブレアの父ジェフと母トト、そしてブラックの尽力があってのもの。

 ジェフとトトはギルド内での立ち回りが上手だった。処世術に長け、緩衝材となってくれていた。

 ブラックは職人気質でギルドの運営に関心がなかったものの、ギルド長を凌ぐ実力者であり、鍛冶師としての腕も確かだった。


 それでもギルドを根本から変えるには至らなかった。

 現状維持に過ぎなかった。

 あの頃のアルテイシアは弱かった。三人の陰にうずくまる無力な女でしかなかった。


 ――私たちは大丈夫だから無理しないで。


 いつか言おうと胸の内に秘めていたことを明かす前に、ジェフとトトは死んだ。

 後悔は間を置かず憎悪に変わる。

 当時のギルド長への。

 アルテイシアは徹底した。

 あらゆる手段を用いてギルド長他、ギルドの運営に関わる者たちを陥れた。彼らが犯した悪事のみならず、証拠の捏造もして教会に彼らの【樹上の形図ルーツリー】の封印措置をさせ、国外追放にまで至らせた。


 手間はかかったが、さして苦労はしなかった。

 失明したアルテイシアは無能の烙印を押され、誰も警戒しなかったからである。

 これで虐げられていた者たちを解放できたと思った。二人の仇を取り、忘れ形見であるブレアを自由にしてあげられる。


 だが、ブラック・マウアーがブレアを引き連れてギルドを辞めた。

 引き留めはしなかった。

 恩人の忘れ形見であるブレアを大事には思っていたが、ギルド長たちへの憎悪に走った自分が育てるよりも、彼に任せたほうが真っすぐ育つだろうと。


 レストラは、悪酔いしていたアルテイシアにこの話を延々と語られたのである。


「もし、ミスティの義肢を完成させられなかったなら、ブラックの選択は間違いと判断して、ブレアをギルドに戻していたのだけれど。あんな素晴らしいものを見せられたら、ね」

「不器用なことだな」

「あなただけには言われたくないわ」


 くつくつと笑い、アルテイシアは踵を返す。


「いますぐじゃなくてもリム・キュリオスとミスティにお礼を言いなさい。いまあなたがこうして生きているのは、二人が【アスクラピア】に運んだからよ」

「……お人好しばかりだ」

「ふふ。じゃあね、良き仲間に巡り合えることを祈ってるわ。…………あら、を躱して来るのやめてくれないかしら?」


 アルテイシアが病室のドアを開くと、そこには【極氷フリジッド】クーデリア・スウィフトが立っていた。

 退室するアルテイシアに目礼だけすると、クーデリアは許可を待たず入室し、ベッド横の椅子に腰かけた。


「あなたは礼節だけはしっかりとしているものだと思っていたがな」

「こうでもしないと話を聞いてもらえないと思った」

「もう話は済んだはずだ」


 『学院都市ヨルム』の中核を担い、帝国の皇族たちとすら渡り合えると称された上位学徒たち。その一人であり、将来を嘱望されていたクーデリア・スウィフトですら、帝国との戦いを避け、故郷を取り戻すことを諦めたのだ。

 学院のために戦うのは上位学徒の使命であるはずなのに。

 帝国への恐れなのか、それとも学院を見捨てたのか。

 いずれにしろ、レストラはクーデリアを軽蔑する。

 戦う力があるにも関わらず、与えられた使命を果たさない彼女を。


「帰ってくれ。あなたと話すことはない」


 レストラは顔を背け、壁を向く。クーデリアを見るくらいなら壁を眺めているほうが遥かに有意義と言えた。

 今回の騒動で、“顔のない女”の情報を提供したのは、帝国の人間である可能性があったからだ。奴らの目論見通りになるくらいならば、クーデリアに協力したほうがマシだと思っただけに過ぎない。

 クーデリアの躊躇いの息遣いが聞こえる。ややあって、息を吸う音が聞こえた。


「済まない、私は君の代わりにはなれない」

「どういう意味だ」

「当時、逃げるしかなかった君の埋め合わせはできない」

「!」


 一瞬で頭に血が昇った。

 嘲笑など一切含まれていない語気だったが、あまりにも人を見透かしたその言動は看過できなかった。

 図星だった。そうだ。侵略されたとき自分はあまりに無力だった。守る意思はあっても戦う力はなかった。だからこそ、悔しいのだ。腹が立つのだ。

 他でもない。故郷を守る戦いという土俵にすら立てなかった自分に。


「お前は…………?」


 クーデリアに向き直り、我を忘れて喚き散らすのを、レストラは間一髪踏みとどまることができた。

 彼女の表情があまりにも苦渋に満ちていたからだ。

 初めて見る。それどころか、想像ですらそんな表情をするイメージが湧かなかった。

 常に凍り付いた、澄ました顔をしているのがクーデリア・スウィフトだったはずだ。

 なのに、目の前の妙齢の女は重責を背負い、苦しむか弱い女にしか見えなかった。


「あの日、真実を話せば君が死んでしまうと思った。生きる目的を絶やしてはいけないと、そう思ったんだ」

「どういう、意味だ?」


 冷たい汗が喉を伝い、白の病衣の内に伝っていく。焦燥にも似た、感覚が背中に迫ってきている気がした。


「だが、それは過ちだった。きっと私は己の罪悪感から目を逸らしたかったんだろう」

「だから、どういう意味なんだ……!」

「『学院都市ヨルム』は帝国に滅ぼされた。これは正しい。だが正確はない」

「……」

「学院は――いや上位学徒は、下位学徒を切り捨て帝国との戦いを放棄したんだ」

「――――」


 いま自分がどんな態勢でいるのか、レストラにはわからなくなった。

 寝ているのか、座っているのか、立っているのか。

 前提条件が崩れて、自分のアイデンティティが崩壊していくような、筆舌にし難い感覚。

 クーデリアの話すことが真実であるかの保障もない。だが、彼女が真実を伏せることはあっても、こんな嘘を吐く人間ではないことは知っている。


「上位学徒たちはまだあの地にいる。外部から断絶された空間で、ただひたすらに魔法の深奥に至るために」


 後悔に満ちた表情を浮かべるクーデリアに吐ける罵詈雑言など、レストラは一つも浮かびはしなかった。

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