048:終結


「よ、良かったの? 氷漬けにしちゃって」

「許可は下りている」


 【極氷フリジッド】がドールの子機四体を、一瞬にして氷漬けにし、地下工房に降り立つ。

 その後ろをエッセが、不法侵入してよかったのか戦々恐々としている形だ。

 旧市街東部。とある家屋の地下工房。その持ち主はレストラ・フォーミュラであり、いまは彼とは異なる人物が家主となっていた。


「さて、初めましてだな。“顔のない女”」


 工房奥に座するポッド。呼びかけに応じるように身体を起こしたのは、女性型の鉄人形だった。

 ミスティとは似ても似つかない。模倣しようという頑張りは見え隠れするものの、これを人と認識することはエッセには無理だった。

 何より異常だったのが、流動する液体金属が鉄人形の体表を這いずり、侵食していたこと。


「通りで見つけられないわけだ。人の形をしていなかったわけだからな」

『あらあら。まさか彼があなたに協力するだなんて。全くの誤算でした。初対面の頃から私の正体を察していたのでしょうか』


 擦れる金属音の混じった耳障りな声が、口を動かすことなく人形から放たれる。


「え、これが、“顔のない女”なの?」

『初めまして。一度お会いしましたね。商店ですれ違っただけですけども。ふふ、まさか配置した手駒を活動前にほとんど潰され、死霊騙りもほとんど時間を稼げないとは。さすがはクリファ最大規模のギルド。そして称号を戴く【極氷フリジッド】。『学院都市ヨルム』の上位学徒の名は伊達では――』


 カツンと【極氷フリジッド】の杖が地を叩いた瞬間、地下工房の壁から天井、床に至るまで全てを氷で覆い閉じた。


「その私から逃げられるとでも思っていたのか?」

『これはこれは……』

「あ……!」


 こっそりと壁のほうへ這う金属の液体が見えた。すぐに人形の中へと戻る。


「え、こっちのリク・ミスリルみたいな液体が“顔のない女”なの?」

「本体じゃないな。ここクリファにもいない」

『まさかそこまでお見通しだなんて。魔力の流れを視る目は伊達ではないというわけですね。そう、これはただ私の意識を乗せているだけの乗り物に過ぎませんの』

「人が人じゃないものを操るのってすごく難しいんじゃ」

『あら、お詳しいのですね』


 エッセが帝国を出る少し前の頃、学習の一環として学んでいたことがある。

 人の脳は自分の身体以上のものを扱えるような構造をしていない。

 たとえば三本目の腕などだ。

 過去の研究により、義肢によって四肢を増設された者は、身体操作の情報処理の負荷に耐え切れず、最悪重い障害を患うことになるとあった。

 そして義肢がこれほど発達したクリファにおいても、健常者が義肢を追加で扱うことはない。


 だが、あれはそもそも人型ですらない。

 スライム。あるいはもっと別の何か。人の脳で、それを自在に操ることなどまず不可能なはずであった。


「帝国なら、いや、帝国の皇族たちなら可能だろう」

「えっ」

『ここまで来て名乗らないのも無粋ですわね。私の名はマーヤ・フォン・グリム。『マルクト帝国』の【血族ルーツ】にして、【ドラキュラ】の名を冠する者でございます』

「グリム……親類、貴族を皆殺しにし、自国を帝国に差し出すことで皇族に迎え入れられた『ツザンメンシュテルン』の吸血鬼」

「っ……!」

『はい、そのグリムでございます。ですが一つ訂正を。私は皇族ではありません。外様ですので貴族と呼ばれるのです。ですからこうしてここに遠征する羽目になってしまいました。うふふ、なんて。実は志願したのですけれど』

「じ、自分の国を、家族を殺して、どうしてそんな笑って」


 エッセにはまるで理解できなかった。

 母を失い家を失ったエッセにとって、自らの手で家族を殺し、国を差し出すなどありえない。脳が理解を拒絶する。そんな、人ならざる行いをできる人間がいるのかと思ってしまう。

 だが、表情の変わらない人形は、確かに満面の笑みを浮かべたと、エッセは思った。


『だってそうしないと【血族】入りできませんでしたもの。なら仕方ありませんよね? 皆、私のために礎となってくれたのです。喜ばしいことではありませんか?』

「ぅあ……」

「もういい。化物とは会話にならん」

『あら。お隣の方のほうが化物のように見えますが』

「この子は人だ。お前と一緒にするな」

「!」


 エッセは驚いて【極氷フリジッド】を見上げた。事情を知っているとは言え、はっきりと自分のことを人と呼んでくれたのだ。

 冷血にマーヤを見据えている姿は変わらない。しかし、エッセには【極氷フリジッド】が温かく感じた。


『ふぅん。ですが、よろしいのです? 私から聞き出したい情報があるでしょう?』

「外様如きが重要な情報を持っているのか?」

『あら、これは一本取られてしまいました。そうですわねぇ。数か月かけて仕込んだ隷属器も無駄になって、配置したモンスターも先ほど全滅、大金を払いダンジョンより密輸させた死霊騙りを二体とも失って、目論見は全て潰えましたわ。あ、何でしたら協力してくださったイケナイギルドもお教えしましょうか?』

「残す言葉はそれだけか?」

『あらあら連れないお方。完全敗北だとお認めしているだけですのに』


 マーヤは首を左右に揺らす。追い詰められているというのに、まるで苦に思っていない。それは本体が別にあるからなのか、エッセには判別がつかなかった。

 目の前の人がただひたすらに怖い。

 帝国の【血族(ルーツ)】。つまりは自分をはめたファブラス卿と同じ。

 【変わり儀】により人の肉体を異形へと変貌させた皇帝直下の実力者。

 なにより恐ろしいのがその精神性だった。他人が傷つくことを何とも思っていないのである。躊躇いも、恐れも、何なら愉悦にすら感じているように思えた。

 そして、まだ何かを企んでいるように見えた。


『あなたの心の氷を融かすには至りませんでしたね。仕方ありません、吹き飛ばしてしまいましょう』


 突然だった。マーヤの鉄人形の胸部が青白い光を放ち始めたのである。

 真昼の太陽を思わせる光の奔流は部屋全体を呑み込み、熱波が氷を融かし始めた。


『あなたに気づかれずに魔力を溜めるのに苦労しました。隷属器などと比べ物にならない替えの利かない品ですが、ええ、【極氷フリジッド】の命と引き換えであれば、お釣りが出るでしょう』

「やめ」

「全く」


 【極氷フリジッド】が気怠げに鉄の人形の胸部へと触れた。発せられる熱波を、【極氷フリジッド】はまるで意に介しない。


『もう臨界に達しています。止めることは不可能ですよ。周囲数件の建物ごと消滅させて』

「言ったはずだ」

『?』

「魔力の流れは見えている」

『ア、ッッッ――――』


 直後、光すら飲み込む氷塊に鉄の人形は閉じ込められた。

 一瞬だった。先ほどまで破裂しそうであった、絶体絶命の危機など消えうせ、夜の静かな地下工房に戻っている。

 同時に地上階へのドアがバンっと吹き飛ばされ、飛び込んできたリンダ・トゥリセが地下工房に降り立った。


「クー姉、すごい光漏れてたけど何っ――うっわ、びしょびしょっ! 水浸しだよもー」

「え、あ、え、倒した、の?」

「いや逃がした。腕一本の手ごたえはあったが。それよりリン、リム・キュリオスはどうなった?」

「えーと、お目当ての人形は見つけたけどレストラとリムが戦うことになって」

「リムとレストラが!? リンちゃん私もそこに連れて行って!」

「うぇ、なんでわたしが」

「連れて行ってやれ。話はあとで聞く。私はマーヤ・フォン・グリムの抜け殻を調べる」

「クー姉が言うなら。なんか今日わたし、馬みたいに運んでばっかな気がする」


 ぶつぶつと文句を言うリンダの肩に担がれた。そう思った瞬間には景色が変わっていた。

 全身が急加速の負荷に見舞われ、混迷するエッセの悲鳴が、クリファの夜空に吸われて消えた。





 外遊中の聖女を狙ったとされる帝国の作戦は阻止され、騒動は日を越さず終結した。

 人的被害は多数の負傷者が出たものの、死者はゼロ。

 建造物などの被害は新市街を中心にかなりの額に上ると見られたが、教会がその大半を保証すると宣言し、不満は各々の内に留まることとなった。


 今回の騒動はモンスターを操る疑似アーティファクトの暴走と処理され、目的はモンスターの密輸と公表された。

 それらに関与した複数のギルド関係者と個人は逮捕されたものの、疑似アーティファクトの出処が帝国であることまでは公表されなかった、

 数日はこれらで話が持ち切りとなったが、話題に事欠かないのが世界最大のダンジョンを擁するクリファである。

 教会やギルド、街への不満が爆発することはなく、ほとんどの人々はいつものダンジョン都市の日常に戻っていった。

 特に探索者たちにとっては、今日もダンジョンで日銭を稼いで酒にありつけるか、そのことのほうが大事なのである。



―◇―



「ッッ! ああっ、うふふ、侮っていたつもりはありませんでしたけど、さすがは【極氷フリジッド】ですわね」


 クリファの『巨人の森』、その南入り口より西南。

 帝国領の縁にある崖をくり抜いて作られた砦にて。

 灯りのない部屋でベッドに寝転がる妙齢の女が、天井に左腕を掲げる。

 その腕の肘から先は氷漬けとなっていた。まるで氷塊に手を突っ込み、その氷ごと引き抜いたかのように。指先一つ動かすことも叶わない。


「パスの繋がりを辿って、本体に直接攻撃してくるなんて。うふふ、どちらが化物なのでしょう」

「【ドラキュラ】様いかがなされ――その腕は!?」


 異変を聞きつけたのか、部屋の外の護衛兵が顔を覗かせ、外から差す光を反射した氷漬けの腕に驚き入ってくる。


「す、すぐに医務官に」

「ああ、ちょうどいいですね。こちらに来てください」

「え」

「こちらに、立って」

「え、と……。ここに、ですか?」


 身体を起こした女の前に青年兵は立つ。

 若く精悍な顔つき。身体つきもよく、鍛え上げられている。緊急事態に少し慣れていないようだったが、それはこれから経験を積めば克服できるであろう。

 妙齢の女――マーヤ・フォン・グリムは彼をそう評し、その腹部を凍り付いた腕で貫いた。


「……は?」

「ああ、温かいわ。やっぱり暖を取るなら人の臓物、それも若く逞しい子でないとね」

「え、あ、ごふっ……」


 青年兵の吐いた血が頬を濡らす。垂れた血を分厚く長い舌で舐めとりながら、マーヤは腕を青年の臓物に埋め、血と肉で凍りづいた腕を温めた。


「あ、が、がっ」

「んんぅ、美味しいぃ」


 変化はその直後。まるで急激に歳を取ったかのように、青年は干からび、しわしわのミイラへと変貌していったのである。


「な、んで……?」


 最後まで何が起きたのか理解できず、未来ある青年はマーヤの血肉となった。

 腕からずるりと青年兵の屍が床に落ち、最後に指先に残った彼の血をマーヤは舐めとる。

 解凍された手首に装着していたブレスレットが粉々に砕け、青年の屍に降り注いだ。クリファでの活動に用いた疑似アーティファクトボディ《アマルガム》とパスを繋げるためのものだ。

 少々名残惜しいが、マーヤは切り替えて立ち上がる。


「……」


 指を鳴らす。天井に吊るされた魔石灯が灯り、部屋を光で満たした。

 マーヤは腰まである透き通った金髪を梳いて整え、頭を左右に振る。

 縦に割れた瞳孔を持つ瞳の色は緋色。厚い唇は真紅のルージュに染められ、マーヤは淑やかな笑みを浮かべていた。

 誰もがきっと、彼女を気品に溢れた穏やかな女性だと評することだろう。


 人ならざる部分がなければ。


 左額上部。そこからは、まるで血の滴る牙を思わせる、白と赤の太い角が天を衝くように伸びていた。

 さらには彼女の背中。蝙蝠を思わせる黒い翼が金髪を払うように生え、翼膜は端に行くほど赤い。

 そして首と手首足首までを覆い、大きな胸と、腰の曲線美を強調するストッキングボディスーツのような黒い肌着は、彼女の皮膚の一部だった。


「さて、次はどうしましょう。残念ながらテンシは逃がしましたが、クリファの緊急時の即応力を量れましたし、分断時の戦力と市街地戦能力も収集できました。何より称号保持者の力量をこの目で見られたのは何よりの戦果でしょう」


 そう呟きながら壁に掛けてあった、黒のレザーブラジャーとレザーショートスカートを穿き、同色のロングレザーブーツを履く。

 直後に入室してきた老兵が、赤い裏地に黒い立襟ショートマントを羽織わせてくれた。

 最後は自分でショートマントのチェーンを、フィブラで留める。

 そのフィブラには羽ペンに蛇が巻き付く紋章が彫り込まれていた。

 いまはもう自分しかいないグリム家の家紋だ。


「……ああ、いえ。まだ一人残っていましたね」

「?」

「独り言です。お気になさらず。それにしてもあの触手少女はいったい……人、ですか……」

「何かお気になることでもありましたかな?」

「いえ。まだ内に留めておきましょう。当分の間は警戒されて潜入できそうにありませんし、今後のことをファブラス卿に仰ぎましょうか」


 老兵が開け留めたドアをマーヤは出る。

 一人の【血族】はクリファにおける作戦を終えたのだった。

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