047:テンシの本気


 増援と合わせ四体のドールが、人間離れした動きで間断なくミスティを攻め立ててくる。

 両手より生えるブレード。脚部から生えるシックル。頭部口腔箇所から射出される金属弾バレット

 全身凶器と呼ぶに相応しい人形だ。


「もしかしたら私はこれになっていたのかもしれないのですね」

『私の下にくればもっと良いものに移してあげますよ』

「結構です。私はブレアが可愛いと褒めてくれたこのボディを大切にします」


 四体ものドールの猛攻をミスティは全て捌いている。曲芸師を思わせるような、しなやかな身体使いで、ドールたちの猛攻の僅かな隙間を掻い潜るのだ。

 人形でありながら、人間が可能とする限界の駆動を最大限に発揮している。

 エッセの触手で練習したときのことが、これでもかと活かされている。


「隙だらけです」

『ッ!?』


 すれ違いざまの魔導弾がドールAの腕を吹き飛ばす。


『隙だらけはあなたもですねっ!』


 しかし、全てのドールを同時に動かしている“顔のない女”に連携のタイムラグは存在しない。魔導弾の僅かな反動をついて、ドールBの剣がミスティに振り下ろされた。

 耳をつんざく甲高い金属音。地に落ちたのは折れた剣の先端だった。

 盾のように掲げたブレアの作った右腕の義肢に、傷は一切ついていない。


「さすがブレア。申し分のない装甲――です!」

『う、が、ああっガビアガガガ……!』


 ミスティの【恩寵】による疑似アーティファクトの停止がドールBを沈黙させた。

 さすがの“顔のない女”も慎重にならざるを得ないのか、一歩踏み込んだ攻撃をしてこない。射撃による中距離戦に移行した。


「っ……」


 脚が震えて動かない。立っているのもやっと。視界の端がぼやけて、頭がガンガンと内側からハンマーで殴られているような感じがする。

 援護に向かっても役立たずなのは明白だった。いまの俺にできるのはミスティの邪魔をしないこと。足を引っ張らないことだ。

 ミスティも状況を把握しているのか、戦闘位置を俺から徐々に遠ざけている。

 【ラスタフラム】の使用も使えてあと一度きりだ。


「魔力切れを狙うのであれば些か無謀かと思われますが」

『あら、そうなのですか?』

「余剰魔力は全て魔導弾に回せます。それに私の勝利条件はあなたを倒すことではありません」


 そうだ。

 “顔のない女”の勝利条件がミスティのコアを奪取し、クリファを脱出すること。

 対して俺たちの勝利条件は、他探索者が駆けつけることだ。倒せなくとも、時間を稼げればそれでいい。これだけ暴れているのだ。いずれ誰かが来る。


『そうですわね。これ以上時間を稼がれては、敵兵を議会地区と新市街に分けさせた意味がなくなってしまいます』

『聖女滞在中のいまこそ戦力を分散させられる好機でしたのに』

『配置したモンスターもほぼ全て駆逐されてしまいましたし、致し方ありません』

「?」


 何だ。何を?

 ミスティと戦うドールの一体が、俺に向いた。


『定石通りに動きましょう。敵の弱みは突け、ですね』

「!?」


 足首を掴まれた、と思った瞬間、景色が反転した。背中に走る衝撃と同時に、何者かが馬乗りになって俺の首を締めようと手を伸ばしてくる。


「っ、な、ドール!?」

「リム!?」

『あらあら』

『行かせませんよ』

『あなたのお相手はわたくしです』


 ドール!? 新手の……いや違う。さっきミスティの【恩寵】で動かなくなったドールが消えている。まさか!


「どうして……」

『機能停止寸前に【基底ベースクラス】による再命令を施したのです。再起動に時間がかかってしまいましたが』

『あの少年との距離を離していたのは私たちのほうなのですよ。ええ。この距離では助けに迎えませんね』

「何故あなたが私の【恩寵】を」

『『『『帝国を侮り過ぎではありませんか?』』』』


 心底底冷えする、金属混じりの声が聞こえた。だけどゾッとしている暇も俺には与えられない。


「ぐっ」

『暴れないでくださいませ。うっかり殺してしまいます。あなたには人質という大切な役目があるでしょう?』

「ふざけ」

『ああ、いえ。こうして【イェソド】の気を逸らすだけで充分でした』

「!?」


 俺を抑えつけようとするドールに抵抗する最中、視界の端でミスティがドールに背後から羽交い絞めされているのが見えた。

 さっき【恩寵】で機能停止させたはずのドールBだ。

 だけど触れているのであれば、もう一度【恩寵】を使えるはず。

 しかし直後、青白い発光空間がミスティを包み、さらに他のドールたちも同じようにミスティを光の空間で包み込んだ。

 胸部の球体より放たれる、疑似アーティファクトを停止させる空間。


「……! ……!? ……!」


 ミスティは身体を震わせるだけで抵抗しない。

 まるで光の檻――結界に封じられたかのように。


「ミスティーーーーーーーーーーーーーー!」

『ご安心を。義肢への干渉ですので機能停止に追い込めはしません。そもそも【イェソド】ほどの出力もありませんから。ですが、あなたはもう必要なくなりました。死んでくださいませ』


 掌より生えた剣が俺の顔面を突き刺そうとするのを、間一髪首を捻って躱す。

 躱す。躱す。躱す……!


『あらあら生き汚いこと。先のように潔く諦めてくださいません?』

「諦められるかッ!」

『もう……さっさと死ねよ』


 ドールの口腔部に当たる場所に空洞が開く。金属弾の発射。この距離躱しきれない。

 ミスティも、あの空間のせいで動けていない。一体のドールがミスティに胸部に手を伸ばそうとしている。コアを抜き取られる。

 まずい。まずいまずいまずい――!

 ついに発射される――そのときだった。


「ああ。時間稼ぎとしては充分だったぞ。間抜け共」

『『『『『『――は?』』』』』』


 俺からもミスティからも離れた位置で、レストラが腹部を押さえ立っていた。

 視認できるほどの、膨大な青白い魔力を全身より迸らせて。

 そして足元には血で描かれた幾何学模様の円陣があった。

 魔法陣――詠唱と魔法の効果を補助するためのものだ。

 その姿には見覚えがある。魔導書こそない。だけど同じだ。

 レストラは紡ぐ。


「【間断なき塵芥の奔流。悲涙疾く吐く挽歌の結晶。爆ぜて奉じる狂騒の乙女――】」


 ダンジョンへ降りた者。混沌渦巻く地の底へ降りる者のみが得られる力。

 ――魔法。

 魔力を必要とし、詠唱を必要とし、何者にも侵されない精神を必要とする超常の発露。

 それはあらゆる戦況を一変させ、形勢を覆す、文字通り必殺の一撃となる。


『させま――』

「ああ、させねぇよ!」

『!?』


 右手に掴む翡翠剣で、左腕のガントレットに砕けるほどの渾身の力で摩擦熱を加える。

 激痛を伴わせながら魔力に還る翡翠剣を振り抜く直前、ガントレットは再燃した。

 砕け散った魔力の塵が再び収束。翡翠剣は赤熱に染め上げられ、実体を持つ波状剣へとその姿を変えた。

 一番の脅威に向かい、俺に背を向けレストラの下へ這いずろうとしたドールにその切っ先を振り下ろす。

 砲声。


「【ラスタフラム】ッッ!」

『ギッ――アア、アアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 鉄の肉は焼け落ち、ドールを崩れ落ちる。

 俺も仰向けに倒れ、手足を放る。もう指一本動かせる気がしない。


「【堰は切れ、楔は抜かれる。永訣を否定し、落陽と崩落は再演を果たす】」


 さあ、もうあいつを止めるやつはいない。

 全身より発露する魔力は腕から掌へ集約された。


「【反覆せよ】――【リナーシタ・サートゥルニア】」


 詠唱の完了と同時に、魔力を灯す掌が地に着いた。

 雨の雫がまるで染み込むように石畳の亀裂を走って広がり、周囲の家々の壁も煌々と青白く発光する。

 直後、弾けた。


『ああああああああああああああああああああああああああああああッ!』


 まるでこの石畳を、家々を建てる以前の素材の状態に戻すかのように、石の結合が解かれ、分解し、空を舞う。

 その衝撃はまるで意図したように、ミスティを取り囲んでいたドールたちの足元だけでより激しく発生し、やつらを空高く舞い上げた。

 そして、分解した石は結集しドールたちを囲い飲み込むように、巨大な塔を構築する。

 その頂点に、三つの蛇の環が三角を形作る、『学院都市ヨルム』の魔力の紋章旗が夜空を煌々と照らした。

 周囲に広がるのは石材を奪われ、何件にも渡り開放的になった家々と、地中が露出した道。

 これほど広範に影響を及ぼし、何なら最初の衝撃波だけで戦闘不能に追い込むほどの威力の魔法……。


「それを俺に使おうとしてたのかよ……」


 しかもここは街中だぞ。逃げ遅れた人がいたらどうなってたか。

 本気で笑えない。


「ごふっ……ゴホッゴホッ!」

「レストラ……!」


 レストラが吐血して膝をつく。そりゃ、そうなるか。

 だけど、これであいつらは。


『これで私を封じ込めたつもりですか!?』

『侮らないよう仰ったはずですが……!』

『無駄なのです、まるで無駄!』


 石の尖塔を砕き這い出てくるドールたち。

 装甲内部が露出し、青白いパスの糸が見えている。ある一体は足が曲がり、あるもう一体は腕を曲げている。それでも、満身創痍の俺たちを仕留めるのに何の支障もないだろう。

 だけど、一切の傷を負うことなく、回復したミスティが俺たちの前に立つ。


「無駄には私がさせません。あなたの企みはここまでです」

『【イェソド】……ふ、あらあらいいのかしら。ドールはまだ温存してあるのですよ』

「先のような油断はしません」

『誰があなたと戦うと言いましたか』


 バキバキと頭部装甲が砕け、まるで歪な笑みを浮かべたように亀裂が入る。


『あなたの大事な大事なブレア・マウアー。今頃どうなっているでしょうね』

「!?」


 その言葉に、明確にミスティが動揺した。

 人質。脅迫。街の襲撃。どれだけ汚い真似をしたら気が済むんだ、こいつは。

 頭を焼く怒りが、這いつくばってでもこいつらを倒せと叫ぶ。


『さぁ【イェソド】。義肢装具士の少女が大切ならわかっていますよね?』

「……………………投降、します、ですからブレアには」

「その必要はない」


 ミスティを遮ったのは背後にいるレストラだった。口元から血を垂らし、目に力は宿っておらず、もういつ倒れてもおかしくはない。


「ブラック・マウアーが一緒にいるのだろう」

『……それが?』

「やつのレベルは40間近だ。俺の作った木偶人形が敵うと思うのか、バカめ」

『……』

「それにドールの数くらい把握している。残り四機。お前のことだ。俺の工房から動かしていないだろう。その用心深さが致命的だったな、間抜け」

『――』


 “顔のない女”がレストラに対して静かな怒りを見せるのを、ミスティは見逃がさない。


「もうあなたには何もさせません」

『あら、死にぞこないの後ろの二人を道連れにすることくらいは』

「いいえ、させません」


 ミスティが義肢ではない左手を天高く掲げた。クンッと手首を捻り、まるで何かを回るような動作をする。

 俺の頭上に影ができた。街灯が消えた、わけじゃない。何かが空中で俺に影を作ったのだ。

 ミスティの上部後方。何もない虚空。そこに翡翠の魔力光で描かれた魔法陣があった。

 そしてその中心にあるものは闇。

 その闇を俺は知っている。無限に広がる泡沫の世界。ダンジョンへと繋がることで行くことのできる場所。

 【フラクタルボーダー】。


「同じ【恩寵】でドヤ顔しているあなたにわからせてあげます」


 あ。


「テンシの本気というものを」


 手を引くとともに、可視化された【フラクタルボーダー】から、巨大な物体が出現した。

 金属の腕。上腕部から掌までの、鮮やかな銀色の装甲に覆われた巨腕。

 明らかにミスティの替えの腕、とかじゃない。

 巨人の腕。巨木の幹と見紛うほどの腕が出現したのだ。


「【霊器アウゴエイデス】起動」


 銀の巨腕が活性化したように、関節部より翡翠の光が溢れ出る。

 ミスティが左腕を横に振りかぶると、巨腕がそれに倣うように動いた。

 トンッと軽い調子でミスティがジャンプする。空中で腕を振るった瞬間、巨腕はミスティをドール目掛けて弾き飛ばした。

 地面と平行に超高速移動するミスティと完全なる同速で、巨腕が追従する。


『!?』

「万全でないため片腕のみですが、はい。充分ですね」

『あなた――!』


 ミスティが空中で拳を振るう。それだけでドールは地面にめり込んだ。

 腕を振り払う、それだけでバラバラに砕け散った。

 そして、最後の一体を掴むと、迸らせた翡翠の魔力を纏わせ空に放る。


『アアアアアアアアアアアアア――――』


 ドールに纏わりつく魔力が一つ、二つと剥がれ、中空に魔法陣を形成していく。

 空天に浮かぶ極星の如く、眩い輝きを以てドールを中空に固定した。

 ミスティが腕を掲げる。


「横道軌道修正完了、白道展開――」


 呼応するように巨腕が掌を広げ、そこより一段、二段、そして三段と展開される砲塔。

 砲塔の根本より翡翠の輝きが増す。遠いのに熱を感じる。


「『極大星食砲ドラゴンヘッド』――発射」


 閃光が瞬く。

 全身が地にめり込むかに思えるほどの圧が降り注ぐ。

 砲塔より放たれたのは、あのゴーレムすら丸呑みにしかねない極大の光線。

 それが魔法陣に通過すると極光を迸らせ、より太く、より強く、その光線の質を変える。

 緑から青へ、青から紫へ。闇すら塗り潰す無数の光の帯が、闇夜をドールともども呑み込んだ。

 光は散り消え、空はまたいつもの夜の世界に戻る。

 けれど、そこにドールの姿はない。塵どころか断末魔さえ残さなかった。


「なるほど、これが清々しいという感情なのですね。胸がすく思いです」

「……」

「……」


 俺もレストラも多分同じ気持ちだろう。

 ――敵じゃなくて良かった。


『何それ、何それ何それ、知りません。私知りませんわ。そんなもの。あはは、あはははははははは! 欲しい、欲しい欲しいッ!』

「あいつまだ動いて」

「いえ、パスが辛うじて繋がっているだけでしょう」


 ミスティに身体を支えてもらい、立ち上がる。確かにもう四肢はズタボロで繋がっていない。頭部が僅かに原型を留めているのみだった。


『ああ、そんなものを見せられたら諦められません。ええ。今日失敗してもまた挑戦すればいいのです。そう、私にはがあるのですから』

「いいや、お前は終わりだ」


 昂揚する“顔のない女”に水を差すように、レストラが酷薄に告げた。

 よろよろと拙い足取りで、ぺしゃんこになったドールの下へ歩いていく。


『逃げられないとでも? 潜伏する手段ならいくらでも』

「お前の技術を用いた時点で、こうなる可能性は予期していた。監視役のを潰されたから、あの魔法を使わざるを得なくなったが」


 レストラは塔を見上げた。もう魔力の光は失われている。


「何故、俺が塔の頂上に紋章旗を掲げたのかわからないか? あの女なら察する」

『――――あ』

「俺はあの女を嫌悪している。だが、帝国貴様らほどじゃない」


 空気が凍り付くほど冷徹に、レストラは言い放つ。

 ドールからの返答はなかった。

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