046:遠回りの道


「あなたが世界樹からレストラが持ち帰ったモンスターとも異なる生物ですか」


 “顔のない女”と出会ったのは、レストラにダンジョンから回収されて一週間しない頃。

 ミスティがレストラとの対話中、彼の帰郷の念を非合理だと否定した翌日のことだった。

 裏地が赤い、黒の外套で頭から脚まですっぽりと覆うその女は、ミスティにはとても奇妙な存在に映った。


「あなたは?」

「ごきげんよう。私の名はマーヤ・フォン・グリム。あなたに有益な提案をお持ちしました」

「拒否。私にその提案に乗る権利がありません。私の現在の所有者はレストラ・フォーミュラです」

「あらあら、これは異なことを。ここに私を迎え入れたのはあなたではありませんか。鍵を内側から開けたのでしょう? あなたのお力で」

「……」

「迷っているのでしょう? ここにいて本当に人間を理解できるのと」

「何故それを」

「だってあなたたちはそういう生き物ですもの」

「……私が迷うことはありません」

「故に有益な提案と言ったのです。いつ完成するともわからないドールに望みを賭けるなら、私たちの下へいらっしゃいません?」

「あなたの提案が有益であるという保証がどこにも担保されておりませんが」

「あら。目の前にあるではありませんか」

「何、を……」


 突如、マーヤと名乗った女の身体が崩れた。

 落ちた黒と赤の外套の中から、立ち昇る。

 流動する白銀。艶と光沢のある金属質の液体。

 テンシではない。人間でもない。無論モンスターですらも。

 だが思考し、声を発する。つまり操作する者がいる。

 これは造られたものだ。モノだ。

 ――人形だ。


 レストラの作るドール。

 親機と子機による思考の分割による、己の使命をより効率的に果たさせる手段。発想という点において劣るとは言わないが、あまりにも技術力がかけ離れている。

 何より、レストラのドールはまだ未完成。

 対して眼前にいるマーヤが操作する人形は完成体だ。

 効率を最重視するミスティが、どちらを選ぶかは明白だった。


 そして開闢祭の日。

 ミスティはレストラの工房から飛び出した。

 だが無策でクリファから脱出できる見込みはない。

 そこでマーヤが提案した作戦が、行進するセフィラへのモンスターによる襲撃に合わせ、【恩寵】を発動させ、祭を混乱させることであった。

 

 レストラの所属するギルドは【アルゴサイト】。

 視覚を共有する疑似アーティファクトにより、情報を共有される懸念がある。

 そこで警備の都合上、それらが集中するであろうセフィラを中心に、【基底ベースクラス】を発動して無力化すれば、他所の監視の目を手薄にできる。


 とはいえ、想定外とは起きるものである。

 まず一つはレストラの追撃が早かったこと。

 予定よりも早く開闢祭で騒動を起こさざるを得なくなった。


 もう一つがリムの存在。

 広範囲に【基底ベースクラス】の力を行き渡らせるには、膨大な魔力を必要とする。

 レストラに追われている状況で、即座にその魔力を用意することは困難であった。

 だが、偶然そこにリムがいた。


 結果、想定を上回る膨大な魔力を【基底ベースクラス】に注がれ、暴発。

 周辺一帯のあらゆる疑似アーティファクトが機能停止し、その反動をミスティは被った。

 記憶喪失という形で。

 マーヤとの記憶も抜け落ち、ただ逃れなければならないという意思と、誰も味方はいないという事実から、ミスティは逃げた。

 クリファの外ではなく、自分が生まれたダンジョンへ。

 その後は、レストラに騒動の件を追及され、降伏を拒否した結果、戦闘に発展。

 弱体化しているミスティがレストラに敵うはずもなく、敗れた。

 そしてブレアに出会ったのだ。



―◇―



「義肢を完成させてくれたこと、感謝致します。記録の修復がこれ以上遅れていれば、面倒な事態に発展していたでしょう」

『この騒動自体があなたを回収するためのものなのですが。まぁ手間が省けましたわ。私からも謝辞を』


 恭しくドールたちがお辞儀する。

 奥歯を噛み締めようとして、上手くいかない。剣を握る手がどうしても強くならない。

 信じられない。信じたくない。ミスティが帝国と繋がっていたなんて。


『あなたたちは良い道化でした。レストラ・フォーミュラが交流を誤り、私の技術を使わなければ』

『ブレア・マウアーが記憶を喪失した【イェソド】を回収し、あなたがたが義肢の完成にまで漕ぎつけなければ』

『こうはならなかった』

『白状します。半ば諦めていたのですよ。【イェソド】の回収は。ダンジョンに消えたものだと思っていましたもの』

『【極氷フリジッド】にも目をつけられていましたし』

『本当に、本当に、感謝致しますわ』


 笑う。表情なんてないのに、歪な酷薄の笑みがドールたちの顔に張り付いている。

 怒りが湧いてこない。ミスティの真実は、それほどまでに衝撃的で、最後の悪あがきの力を奪うには十分すぎた。


『あらあら。片やまだ動けるのに心が折れ、片や心が折れずとももう動けない。うふふ、なんて素敵な光景なのでしょう。胸が躍りますわ、その無様な姿に。さあさあ、絶望に打ちひしがれるその表情。もっと顔をあげて見せて?』

「マーヤ。早急に脱出すべきでは? 彼らに構っている猶予などないはずです。あなたの本体も脱出しなくてはいけないのでしょう?」

『ふぅ、そうね。ではさっさと始末しましょう』

『【イェソド】、あなたに任せるわ』


 なんてことなしに、俺たちの殺害をミスティにさせようとする。

 だけど、ミスティの表情は変わらない。眉一つ、唇一つ動かさない。


『それとも、できないのかしら?』

「いえ。記憶を取り戻した私の至上命題は人間を理解すること。そして、あなたに着いていくことがその最大の近道であると考えます」


 翠玉の瞳が俺に向けられる。左腕の銃口が俺に向けられる。


「私が迷うことはありません。リム、言い残すことはありますか? 人は死に瀕したとき遺言、あるいは辞世の句というものを残したがる傾向にあるそうです。私も知りたい。人間を理解するために」

「……ブレアは?」

「その点に関してはご安心を。リムの救出という名目で待機させています」

「なら良かった」

「他には?」

「お前に言ってもエッセには届かないだろ。なら、もういい」


 翡翠剣が魔力に解けて消える。翡翠の輝きが目を焼く。銃口に力が灯りつつあった。

 ミスティの本気の魔導弾。ちょっと前に顔面に食らったものとは比較にならないのだろう。

 きっとマッドパペットを粉々にしたものよりも遥かに強い。

 いまの俺が耐えきれるとも、避けきれるとも思えなかった。


「なるほど。これが潔さ、ですか。理解しました。機会があれば私も使いましょう」

「なんだそれ」

「やはり――『ふふ、影響を受けるというのも悪いものではありませんね』」

「――――」


 そのフレーズを聞いた瞬間、俺は翡翠剣を思わず出していた。

 高らかに、目立つように、砕けても構わずその切っ先を石畳に突きつけ、甲高い音を街に響かせた。

 なんでこんなことをしたのか、わからない。

 ただ、諦めきっていた俺に命の息を吹き込んだのは、紛れもなくミスティの笑顔だった。

 だから、俺はひたすらにドールたちの視線を、意識を逸らすために自己主張をした。

 そして――。


『あぁっ!?』


 ミスティの最大威力の魔導砲は、俺に意識を奪われたドールの一体へと放たれていた。


『あなた何を――――!?』

「ミスティ!」


 今度はミスティに意識が割かれたドールの脚を翡翠剣で両断しつつ、倒れた背中を足で押さえつける。

 掛け声に、ミスティは即座に反応し、俺から逃れようとするドールの頭部に触れた。


「【基底ベースクラス】:シャットダウン」

『ア、ガ、ア、ナタ、ナン、デ……』


 全身から煙を吐き出し、ドールはぴくりとも動かなくなる。

 魔導弾を受けたドールも胸部が完全に砕かれ、四肢が別たれていた。


「あなたなら気づいてくれると信じていました、リム」

「マジで、諦めてたからな、俺」

「申し訳ありません。確実に不意を突くにはこれしか思いつきませんでした」

『どういう、ことでしょう……?』


 ゆらりと幽鬼のごとく、残った“顔のない女”のドールが首を傾げる。人間では折れてしまっているほど歪に。


『理解できません。あなたの使命は人間を理解すること、でしょう? その人間と一緒にいて叶うとでも?』


 明滅する目の赤い宝石が、怒りを示すように強く発光し、亀裂が走る。

 だけどミスティはまるで物怖じせず、俺を庇うように前に立ち、向き直った。


「以前の私であれば、あなたの提案に乗るでしょう」

『ええ。ですから記憶が戻ったのでしょう?』

「記録は戻りました。ですが、今日までのブレアやリムたちとの日々が、私の記録から消えたわけではない」

「!」

「いまの私は、効率性を求め最短の道を歩むことが最善であるとは思わない」


 ミスティが新たに得た義手で、俺の手を掴む。柔らかくも、その奥に鉄の硬さを感じる。しかし、ミスティの微かな熱を感じられる、彼女の手だ。


「どれほど遠回りになろうとも私は、ブレアやリムたちのことを理解したいのです」

「ミスティ」

「故に、あなたの提案は却下させていただきます、マーヤ・フォン・グリム。それに、あなたの悪趣味さを理解したいとは全く思えません。反吐が出ます」

「お、おぉ……」


 どこでそんな言葉を……?


『あらあら。振られてしまいました』


 ドールは落ち込むように少しの間肩を落とすが、すぐに開き直るように胸を張って手を叩く。乾いた音ではなく、甲高い金属音だが。


『まぁいいでしょう。結論は変わりません。当初の予定通り、コアを抜いて持ち帰りましょう。ええ。人形テンシの臓物がどうなっているのか、知りたかったのです』

「こいつ」


 二体ドールをやられたというのに、まるで堪えていない。それどころか嬉しそうだ。

 こうなったことを喜んでいるようにさえも見える。言動からして狂っているのはわかっていたけれど、想像以上にヤバイ。


「ご安心を、リム。今度は私があなたを守ります」

「ミスティ」

『あらあら、これを見てもそんな余裕がおありですか?』

「嘘、だろ……」


 屋上より姿を現す三体のドールたち。まだいたのか。


「ミスティ、やっぱりお前だけでも」

「拒否。リム、私があのような出来損ないたちにやられるとでも?」


 ミスティは唇を引いて笑う。蕾だった笑みはもう満開に花開いていた。


「信じて」


 その言葉に一瞬俺は呆けてしまった。

 けど、数瞬と待たせずに俺は笑みで返し、ミスティの右手を離す。

 当然だ。

 こんな笑顔を向けられたら。ここまで信頼されたら。

 もう信じるしかないだろ。

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