045:どちら側
『キェエエエエエ――――』
黒い体色の、ローブを纏う小男のような風貌の死霊騙りが、断末魔と氷像となった。
同時に周囲を囲っていたトークンたちもその稼働を停止し、物言わぬ残骸となる。
遠方から歓声が上るのが、夜の風に乗って聞こえてきた。
「隊長、活動していた死霊騙りのトークンが停止したと報告がありました」
「わかった。引き続き、残存モンスターの捜索にあたらせろ。ゴブリン一匹足りとて見逃すな」
連絡役の隊員に【
【
「まさかこんなところにいたなんて」
貨物運搬用のロープウェイの中継駅である塔。
そこに積まれた木箱に死霊騙りは隠れていた。
「事前にトークンにしたものを貨物に紛れ込ませ、各地にバラまいたのだろう。発生地点を割り出させないために」
そして日が傾きかける頃にはロープウェイは停止し、人がいなくなる。施錠こそされるが、ロープウェイの稼働には専用の鍵が必要であるため、警備兵は配置されていない。
死霊騙りにとっては絶好の隠れ場であろう。
そして時を見計らないトークンを稼働させた。一度に操れる上限はあるが、あらかじめ破片をばらまいておけば、すぐにトークンを補充できるというわけだ。
トークンの追加発生地点が、ロープウェイ近辺に集中していることにエッセが感知で気づかなければ、死霊騙りの発見にさらに時間がかかっていただろうと【
「よく見つけてくれた。クリファの住民の一人として感謝する」
「これくらいしか私にできることはないから。それにまだ“顔のない女”を見つけられていないし」
「気負わなくていい。貴女が皇族であろうと、必要以上の責を感じる必要はない」
「でも……」
この平和な街を混乱に陥れたのは間違いなく帝国の人間であり、自分もその一人なのだ。それなのに平然と安楽としていられるはずがない。
また何か企んでいるかもしれない以上、早急に捕らえないといけないと、エッセは逸る。
感知で見つけらればと、ロープウェイの通る塔の駅より外を見下ろして感知を広げる。
しかし、何も反応しない。
「~~~~~~~~はぁーっ! はぁーっ、はーっはっはっはっ……!」
突如感知が途切れ、息が上手くできなくなった。視界が歪み、倒れそうになるのを【
身体に力が入らない。触手の先がピリピリと変な感覚を覚える。解けているような。
「感知は使うな。魔力が切れかかっている」
【
そうだと思い出す。ブレアとの戦いで自傷し、擬態できなくなったときと似た感覚だった。つまり、余計な魔力を使わないよう触手が省エネモードになっているのである。
ここに来るまでに感知をぶっ通しで使い続け、しかも範囲も最大限に広げていた弊害であった。
リムがいないとこうも容易く使い物にならなくなるのか、とエッセは歯噛みする。
「でも、早く見つけないと……。いなくなったミスティが狙われてるかもしれないの。もしかしたらレストラが動くかもしれないし」
「……? 何故、そこでレストラ・フォーミュラの名前が出てくる?」
「え? あ」
そういえばミスティのことを隠すため、レストラと“顔のない女”が繋がっている可能性があると伝えられないでいた。
もうすでにミスティの存在は周知の事実である。エッセはミスティの記憶にある二人のことを【
しかし、【
「それは、あり得ないぞ」
「え?」
「レストラは“顔のない女”が帝国の人間だと知っている」
「う、うん。そうだよ?」
「だからあり得ない。帝国は彼と私の故郷である『学院都市ヨルム』を滅ぼした仇だ」
「――――」
息が止まった。まるで足場が崩落し、塔を真っ逆さまに落ちていくような、気持ちの悪い浮遊感にエッセは晒される。
喉が凍り付き動かない。帝国が仇。それはつまり、自分も仇ということ。
「いや、実態は少し違う。説明がしにくい、すまない。だが私は帝国にそれほど恨みはない。貴女に対しては殊更だ。だから罪悪感を覚えないでくれ」
「でも」
「むしろ、恨まれるべきは私たちのほうなんだ」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉をエッセは反射的に聞き返すが、目を閉じることで封殺された。
「いまを考えよう」
「……はい。でも、それじゃあミスティはどうしてそんな勘違いを?」
「まず伏せていた事実を明かそう。実はヒュージスミロドン以前から君たちを餌に奴を釣る算段だった」
「え」
【
「君たちが【アルゴサイト】に連行されたあの日に、彼が“顔のない女”についての情報を提供してくれた。奴が帝国の者であるとも」
「し、知ってたのっ!?」
「確証はなかった。あなたが明かしてくれたことで彼の言葉に信憑性が増した」
「じゃあ【
「概ねあなたの考えで間違いない」
後ろ盾のない自分たちのところにミスティがいれば、釣り出せるかもしれないという算段で、エッセの提案に乗った。
全ては大人の掌の上だったのである。
エッセは歯噛みする。騙されたとは思わない。ただ、思惑に気づけずにいた己の未熟さが嫌になる。
【
「それに見定めたかったというのもある」
「え?」
「本当はどちら側なのか。あの――」
―◇―
鉄の肉体から言葉を発する“顔のない女”が降り立つ。
背丈はエッセよりやや高い程度の小柄なもの。女性的な丸みのあるフォルムでこそあるが、鉄のギアや青白い魔力の光が関節部から漏れ出ており、明確に人ならざる存在であるとわかる。
「どういうことだ。“顔のない女”っていうのは人間じゃなかったのか?」
「違う……奴は俺のドールを使っている」
『ええ。なかなか扱いやすいボディとなっていて感心しました』
「反吐が出る」
『あら、そんなこと仰らず、あなたの成果物をあなたご自身で味わってくださいな』
シャキンと金属音の擦れる音ともに、“顔のない女”のドールの掌から剣の刀身が生えてくる。
ぐっと膝に力を込めた瞬間、地面と平行に飛ぶように、レストラへと飛び掛かって来た。
咄嗟に間に割り込んで翡翠剣を構える。もうすぐ目の前だ。
体勢が異様に低い。前方に傾き過ぎた重心。這い寄る蛇のような。
この体勢で使えるのは突きのみ。
「ッ!?」
剣の生えた腕が後ろに回転した!?
そうか、人形だから人間の関節の動きとは違う……!
「ぐっ!」
『あら』
予期せぬ前方上方から振り下ろされた剣に、翡翠剣を横に構えて受け太刀をする。
ただの一撃で亀裂こそ入ったものの、“顔のない女”は一撃離脱でもう一度攻めてこない。
『まだそんなに動けたのですね。異様な生命力。興味深いですが、致し方ありません。あなたから始末しましょう』
「少し時間を稼げ」
「!?」
背後のレストラから囁かれた言葉と同時にドールが両の手から生える剣で斬りかかってくる。
回転しながら、這い回るように死角を縫って剣が迫ってきた。
舞踏。演舞。剣舞。どれとも違う。滅茶苦茶だ。動きが読めない。
人の姿でありながら人と異なる関節の動きに、まるで予測ができない。人間の剣技では実現不可能な――天より注ぎ、地を這い穿つ――二の剣で攻め立ててくる。
片方を弾いて、身を引くことでどうにか躱せている。万全の状態であるなら、反撃に移れるのに。
「ぅぁ……」
血を流しすぎた。視界の端が滲んでいる。もしもここがダンジョンなら、俺はすでに落ちていただろう。
『隙だらけ!』
「がッ!?」
這うドールが腕を地面に突き立て、回転するように放った脚払いに腹が薄く裂かれる。
手じゃなく、足にまで刃物を仕込んでいるのか。
〈ナーマヴェルジュ〉……いや、魔力がもう足りない。気絶したらそれこそ終わりだ。
『さあ、あなたの臓物を晒してくださいなっ! 血の滴る美味しそうなハラワタを!』
「悪趣味もそこまでにしてもらおう」
『!?』
俺に刃を突き立てようとした瞬間、“顔のない女”――ドールがガクンと首を曲げる。
『あらあら?』
「俺が何の安全装置も施していないと思ったか?」
青白い仄かな燐光を放つ魔導書を開き、レストラが空いた掌をドールに向けていた。
ドールはぴくりとも動かない。ただ、目の宝石が赤く明滅するだけだ。
「【イェソド】用のものだったが、このままオーバードライブさせて」
『あらあら、ところであなた、私(わたくし)の提供した技術を用いましたよね?』
「なに?」
「レストラ! 上だ!」
レストラが振り向くと同時に、その背後に降り立ったのは“顔のない女”、もう一体のドールだった。
胸部が縦に割れて展開すると、その中に青白く発光する球体があった。そこより溢れた透過性のある発光空間がドールとレストラを包む。
直後。
「ガッ!?」
レストラが爆発した。
文字通り、全身から破裂性の火が膨れ上がって彼の全身を呑み込み、目や鼻、耳や口、腕の血管などから血を噴き出させる。
五体こそ残っているが、レストラは膝を付き、そのまま俯せに倒れる。最後の気力を振り絞るように顔を上げるが、その目に力はない。
『うふふ、疑似アーティファクトに詠唱を任せるからそうなるのですわ』
「詠唱失敗の反動……」
「なぜ、もう一体の子機が……」
『『『全員、
耳障りな同じ声が複数同時に響く。さらにもう一体のドールが俺の逃げ場を防ぐように現れたのだ。
計三体の“顔のない女”。どうなって。
「あり、えない……! 人間が、人間の脳が思考の分割に耐えられるわけがない!」
『うふふ、人間なら……ね』
『侮り過ぎでございますわ』
『私が供与した技術を使ったのもそう』
「はぁ、はぁ……プロテクトは、かけていた」
『プロテクトの
俺たちがリク・ミスリルを買いに行った日に、“顔のない女”がいたのはそういうことか。
そして複数体作っていたっていう、ドールの子機を“顔のない女”一人で操っている。
『最大の懸念はあなたの用意したであろう安全装置でしたが。それほど満身創痍であれば、疑似アーティファクトの機能を停止させるだけで充分でございます』
「それは【イェソド】の」
『【恩寵】が世界樹よりもたらされるテンシの特権だとしても、そこに在るのは変わらないのですよ』
俺はどうにか身体を起こそうとするレストラと背を合わせるように、ドールたちに翡翠剣を構える。
しかし、まるで意に介した様子なく、異形の人形は広げる両の手に刃を生やし一歩ずつ距離を詰めてくる。
逃げ場はない。周囲に探索者はいない。俺とレストラの戦いを見ていた傍観者たちが、探索者か誰かを呼んで来てくれるのを期待するほかなかった。
間に合う目など一つもないとしても。
『私は幸運でした。【アルゴサイト】の監視者を潰すのは容易でしたが、さすがにあの雷の化物には手を出せませんから』
『鬼の居ぬ間に事を済ませましょう。彼を始末すれば、計画完遂の障害がなくなります』
『あら。あらあら。接近する個体を確認しました。これは』
家屋の天井を蹴る音とともに、ドールたちを跳び越して一人の少女が俺たちの前に降り、膝を付いた。
灰金色のロングボブ。側頭部の黒い触覚を思わせるアンテナには樹状模様が彫り込まれ、微かに翡翠色に明滅する。
灰色の金属を思わせるツルツルな肌は、膝を伸ばして立つと同時に身体の中心から健康的な人の肌へと変わっていく。
身に着ける服は踊り子のような際どい薄鈍色のレオタード風の服に、同色のショートスカートとガーターベルト。背筋を伸ばすその背中は、服を完全に着こなし、恥ずかしさなどなくカッコよくすら見えた。
そして、彼女の身体を支える左脚と、虚空を掴む右腕は、以前までの義肢と違い、その身体の動き、立ち姿に驚くほど馴染んでいた。
体色が白いことを除いて、もはや彼女の身体の一部としか思えない。
「ミスティ」
呼びかけとともに、ミスティが振り向く。ここに義肢をつけてやってきたということは、つまりブレアとの仲直りが成功したということだ。
そして駆けつけてくれた。
安堵かそれとも別の理由でか、胸が無性に熱くなり、俺はミスティに駆け寄ろうとして――翡翠の輝きが俺の足元を抉る。
「……え?」
ミスティの伸ばした左腕。そこより生える筒状の装置から翡翠の残光が消えた。
魔導弾が放たれたのだ。ミスティから俺に向けて。
俺は息を呑む。理解が追い付かない。何故、どうして。
ミスティはどうして、まるで初めて会ったときみたいに感情の一切を欠落させた表情をしている?
「なん、で?」
「申し訳ありません、リム」
そして、人形に戻ったミスティは、絶望を告げる。
「“顔のない女”と繋がっていたのは私なのです」
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