044:嗤う人形


「なに?」


 眉をひそめるレストラに、重い腕を上げ波状剣の切っ先を突き付けた。


「泣いていたんだ、ミスティは……!」

「泣く、だと? 間抜けかお前は。あれは人形だ。泣きなどしない」

「いいや、泣いていた。俺は知ってる。涙を流さずに泣くやつを。どれだけ辛くても泣けないやつがいるってことを。それはテンシだからとか関係ない……!」


 自分には泣く資格などないと、そう思ってしまう人がいるんだ。

 それでいて、自分じゃない誰かのために笑顔で居続けようとする人がいるんだ。

 その笑顔に救われ、俺はいまもここに在る。


「俺はそいつを助けるために生きてきた。そんな俺が、あいつを、ミスティを見捨てられるわけないだろうがッ!」


 肩で息をしながら、俺は一歩レストラへと進む。


「理由がない? 得がない? だったらお前はなんだ。もう滅んで、存在しない故郷を取り戻そうとしているお前はどうなんだ……!」

「……貴様!」

「ああ。怒るだろうさ。わかるよ。そのとき何もできなかった自分を恨む気持ちもな。だが、そこにミスティを巻き込むんじゃねえ!」

「ほざけ! 知った風な口を利くなッ!」


 初めて見せた激情。激憤に駆られる暴風の銀の籠手が、俺を呑み込まんと迫って来た。

 それに全霊で応え、ない!


「ッ!?」

「フッ!」


 その暴風全てを見切り、波状剣の刃を立てアッパーの勢いを後押しするように、かち上げさせる。

 お互い万歳するような開く上体。その脇腹に、渾身の蹴りを見舞う。脚に伝わる生々しい肉と骨の感触。


「ガハッ……クッ!」


 吹き飛ぶのを堪え、いま被弾したのを思わせない軽妙なステップで即座に距離を詰めてくる。

 数度のフェイントの末に放たれた拳。だけど俺は躱さない。歯を食いしばり額で受け、そのまま波状剣で逆袈裟に斬り上げた。


「なっ!」


 驚愕するレストラへ追撃の剣閃を見舞う。反撃を厭わず、ステップで逃れようとするレストラに食らいついた。


「貴様まさか!」

「もうわかってる! お前がずっと魔法を使ってたってな!」


 苦虫を潰したように苦渋の表情を浮かべるレストラに、思考の余地は与えない。


「ステータスを弄る魔法なんだろ!? お前はさっきから速さと力で使い分けてる!」


 恐らくは強化バフ魔法の一種。だけど無条件じゃない。

 代償として別のステータスに弱化デバフがかかるのだ。恐らくは筋力と敏捷を強化・弱化の天秤にかけて、状況に合わせて使い分けている。


 ヒントは最初からあった。最初の交戦時での突如としての加速。そして拳の威力に強弱があった違和感。

 今回もすでに何度か被弾しているのに致命傷を負っていない。

 だから単に速くなっていたわけじゃない。敏捷は器用さ。身体操作性の向上で俺の防御や、意識から外して攻撃していたのだろう。

 そしてさっきの〈ナーマヴェルジュ〉を掴み、肩と背をぶつけたときの威力。あの致命の一撃は明らかにこれまでのレストラの強さとはかけ離れていた。


「こっからは消耗戦だ、レストラ・フォーミュラ! 俺はもう避けない!」

「こいつ! 舐めるなッッ!」


 剣(拳)戟に血風が舞う。苛烈する暴虐の押し付け合い。

 お互い致命傷を与えきれないのは、片腕しか用いていないからだろう。

 だから先にどっちの体力が尽きるかの勝負だった。


「はああっ!」

「チィッ! シッ!」

「ッッッ!」


 銀の籠手の拳閃をもう使い物になら右腕を差し出し逸らす。もはや痛みはなかった。

 思考だけが目まぐるしく動きの先を伝えてくる。全身に何が最適解を伝え指示する。


「ああああああああああああああッ!」

「ッ! 何なんだ貴様はッ! どこにそんなバカげた体力があるッ!」

「!?」


 全力でレストラが俺から距離を取った。逃げた、わけじゃない……!


「【Act1:射出せよ】ッ!」


 躱せない。発射阻止も間に合わない。

 レストラは地に刺さっていた鉄杭を青白まだらに輝く剣へと構築し直す。

 だったら!


「【ラスタフラム】――!?」


 ――剣を上に放った!? まさかブラフ!?

 空撃ちとなった鉄食みの焔に視界を塗り潰されて、レストラの姿が視えない。

 どうすべきか。

 迷いは死に直結する。

 俺はそれを知っている。


「!」


 俺は筋力と敏捷のステータスを全開に、焔すら追い越さんとする速度で駆けた。

 左右から飛来する何かが背後を掠める感覚を置き去りに、炎を掻き分け〈ナーマヴェルジュ〉を握る腕に力を込める。


「そう来ると、思っていた!」


 焔を抜けた先にレストラはいた。拳をすでに振った状態で。

 焔を抱く赤熱の波状剣と、銀光の籠手が真正面からかち合う。

 速度を捨てた、筋力全振り。剣が折れることはなくとも、俺の片腕で耐えられる威力じゃない。

 ああ、そうだ。

 そう来ると、俺も思っていた――!


「!?」


 俺は〈ナーマヴェルジュ〉を捨てた。魔力に解けて消え、かち合いの力が消えた籠手がその力の行き場を求め俺の顔面を貫く。

 明滅する視界。首から上がなくなったんじゃないかと思える衝撃。だが、俺の足はまだ地についている。

 踏ん張ることができる。


「何故、これで倒れないッ!?」

「ああああああああああああああああああああああッッ!」


 波状剣の解けた魔力が、翡翠の魔力が、再び形を取り戻す。

 最も使い慣れたブロードソードの形へと。

 銀の籠手を越えた翡翠の剣閃は、吸い込まれるようにレストラの袈裟を結んだ。


「グゥッッ!」


 全身全霊、残る体力をつぎ込んで放った一撃に翡翠剣の耐久限界を越え、砕け散る。

 切れ味を持たなかった翡翠の剣。それがレストラの鮮血を舞わせることはなかった。

 だけど。


「……つぁ」


 レストラはそのまま仰向けに倒れた。夜空を見上げ、肩で息をしながら指一本と動かさない。

 苦痛にしばらくの間表情を歪めていたが、深く息を吸って吐くと険が取れ、俺に不満げな表情を向けてくる。


「……何故斬らなかった」

「はぁはぁ、お前の言う通り、脆いんだよ」

「何なんだ貴様のステータスは。バグッているだろう」

「バグ……なんだって?」

「…………もういい、俺の負けだ」

「え……」

「何を驚いている」


 いやだって、地べたを這いつくばってでも負けを認めなさそうだったから。


「体力バカにこれ以上付き合うのはごめんだ」

「さっきからバカバカって喧嘩売ってるよな」

「フン、殺し合いのあとに喧嘩をするバカがどこにいる。……ああ」


 なんで俺を見て納得してんだこいつ。俺、勝ったんだよな? 何なんだこの妙な敗北感は。


「勝ちは勝ちだ。ミスティのことは諦めるんだよな?」

「追うのはやめるが、所有権を決めるのは俺じゃない」


 そうだった。結局、ブレアとミスティが仲直りできるかに懸かっているのだ。

 レストラが身体を起こす。お互い血塗れだから人のことは言えないけど、よくもう起き上がれたな。

 とは言え、そこに戦意はもう見られない。別に殺し合いがしたくてやっていたわけでもないし。


「……一つ聞きたいことがあるんだけど」

「答えてやる義理がないが?」

「お前、帝国から故郷を取り戻そうとしているんだろ?」

「チッ……そうだ。帝国に『学院都市ヨルム』は滅ぼされ、占領されたままだ」

「なら“顔のない女”と組むのはやめとけ。あいつは帝国の人間だぞ」


 それに幾ら故郷を取り戻したいがためとはいえ、セフィラ様暗殺を企てるような奴と組むのは悪手が過ぎる。

 だけど、レストラの浮かべた表情は俺が思っていたものと全く違っていた。


「何を言っている?」


 眉をひそめて困惑していたのだ。何故そうなるのだと言わんばかりに。

 そして思いもよらない事実を告げる。


「俺は“顔のない女”と協力したことなどない」

「は……? 」


 そんなわけ。だってミスティは。


「奴が帝国の手先である可能性は初めから考慮していた。だから俺はあの女に【イェソド】の――」

『あらあら。あらあらあらあらあら』


 よく通る声が響いた。頭上より降る、奇妙な甲高い金属音の混じる声。


『嘘でしょう。予想外ですわ。まさかあなたが負けてしまうなんて』


 家の屋上。そこに立つ人影。魔石灯に僅かに照らされるそれは、人間じゃなかった。


『うふふ、いまのあなたなら始末するのも容易いですわね。感謝しますわ、【イェソド】の守り人くん。私を追っていたときはそこまで強そうな方に見えませんでしたのに。異国の諺、男子三日会わざれば刮目して見よ、ですわねぇ』

「お前、何だ?」


 人間じゃあない。黒と白の鉄の体躯。人型であるだけの、目が明滅する赤い宝石を持つ人を模した何か。

 ミスティを人と呼んでも、こいつは人とは呼びたくない。ミスティの美しさに到底及ばない。

 しかし、笑った。

 表情がないにも関わらず、そいつは笑ったのだ。


『うふふ、始めまして。わたくしがいまクリファを賑わせている騒動の首謀者“顔のない女”ですわ。そして、『マルクト帝国』の者です』


 “顔のない女”は酷薄に告げる。


『さぁ、臓物より滴るその生き血、私に飲ませてくださいな』

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