043:だから止める



「……ミスティ」


 工房からブレアが顔を覗かせた途端、ミスティは顔を落としてしまっていた。

 直視できなかった。

 石畳を一度駆けようとして止まる音が聞こえる。

 息遣いと衣擦れの音、足踏みする音に迷いの色が窺える。

 けれどもそれは一瞬のことで。

 深呼吸を終えた瞬間、彼女は石畳を蹴った。

 初めて会ったあの日と同じ、どれほど拒絶しようと一歩も退かなかった迷いのない足取りで。

 ブレアが目の前に立つ。

 それだけでミスティの思考に致命的な断裂が起きた。魔力の循環が乱れた。義足が破損しているにも関わらず、平衡感覚を保てているのが不思議でならなかった。


「ミスティ、顔を上げて」

「っ……」


 険のある声でブレアは言う。やはり拒絶されるのだとミスティは震えた。

 取返しのつかない過ちに、話し合いなど意味ないのだと諦めの毒が胸を満たそうとする。


「顔、上げて」

「……」


 再度の要求。そこでミスティは無意識に自分が服の胸元を皺になるほど強く掴んでいたことに気づいた。

 これは踊り子が着るようなレオタードの服。ブレアが恥ずかしいからと自分では着なかったものだ。それを自分に与えてくれた。

 与えられてばかりだ。出会ったあの日から、ブレアに与えられてばかりで何も返せていない。

 ブレアが勝手にやっていることなのだから気にする必要などない、と以前の自分ならば言っていただろう。

 だがいまは違う。何も返せないのなら、せめてブレアの憤りを受け止めることが自分の責任の取り方ではないだろうか。そう、ミスティは思った。


「……ブレア」

「やっと顔上げた」


 どんな怨嗟と拒絶を綯い交ぜにした眼差しを向けているのだろうか、とミスティは身構え、そして困惑した。

 ブレアの表情に拒絶の色はなかった。侮蔑の眼差しも。

 ただ曇りない眼で、強く見つめてくる。


「あ」


 この表情をミスティは知っている。義肢の製作に取り込むときと同じ顔だ。

 工房で休眠中、ランタン一つしかない暗がりで作業台に向かうブレアのそんな横顔を、ミスティは眺めていた。

 そのとき聞いたことを思い出した。


『疑問。何故このような夜中に作業をするのですか? 人間が最大限のパフォーマンスを発揮するためには休息が必要であると理解しています。過度な徹夜は非効率的です。合理的でありません』

『あたしは夜のほうが集中できるの。だってほら日がある間はどこも騒がしいでしょ?』

『作業に支障をきたすほどの騒音は検知されていませんが』

『すーるーのっ。あたしはおじいちゃんみたいにを上手く聞き取れないから。だから静かなとこで集中しないと』

とは?』

『対話だよ。一流の職人ってのは物の声と人の声を聞いて、結ばせて形にするんだ。だからこんな静かな夜に耳を澄まして聞くの。そーれーでっ、語り掛けるの』

『語り、掛ける……』

『そ。教えて、君はどうしたい? ってね』


 思い出した。

 その瞬間には、ミスティはブレアの眼差しを真正面から受け止められていた。

 胸に去来する、言語化不可能な衝動に突き動かされ、喉が震え、言葉を紡ぎ始める。

 怖い。それは変わらない。だが、それでも伝えたい。伝えなければならない。


「ブレア、私はあなたと一緒にいたいです! あなたに助けて欲しいです! あなたのことを理解したいのです! レストラでも、【アルゴサイト】でもない、他でないあなたに」

「…………あんなこと、しておいて?」

「っ、そう、です……。取り返しのつかない過ちを犯しておきながら、私はあなたと一緒にいたい。でもその過ちが何なのか、わからない。どう償えばいいのかも、わからないのです」

「本当に? 本当にそう? ミスティは本当にわかんないの?」

「私はあなたの祖父を傷つけるつもりはなかった。ただ、ブレアの邪魔をして欲しくなかっただけで。……教えてください、ブレア。私の過ちとはこのことなのですか?」


 ブレアがゆっくりと首を横に振る。

 同時にミスティの思考回路をが埋め尽くす。

 光が見えない。出口が見当たらない。解が出ない。


「じゃあ、ミスティはどうしてここに来たの?」


 投げかけられた問いに、ミスティは縋りつく他なかった。


「それはリムに説得されて」

「リムくんの説得だから来ることにしたの?」

「違います。それは違う。私はこんな形で離れ離れになりたくなかった。あなたに拒絶されたままなのが嫌だった。だから自分で決めて――あ」


 気づいた。気づいてしまった。


「そうだよ。ミスティがおじいちゃんにしたことが何か、わかった?」

「あ、ああ、ああああああっ」

「人の気持ちを好きに捻じ曲げて、自由を奪う。それを平気にできたミスティのことが、私は怖くて許せない」


 許せない。突き刺さる言葉の刃に、己が犯した過ちの正体に、ミスティは今度こそ立っていられず、膝が折れた。

 いま倒れれば、もう二度と起き上がることは叶わないだろう。

 だがそれが当然の帰結であると、ミスティは身を支配する絶望とともに納得もした。

 自由。自分の意思で決めること。ブレアがそう在れるようにしてくれたのは、祖父ブラックに他ならない。

 互いの意思がぶつかることはあるだろう。

 ミスティを助けようとするブレアと、ブレアを案じるブラックの意思がそうだ。

 だが、ミスティのブラックにした行為は、その意思を捻じ曲げ塗り替える、非道な所業だったのだ。

 だからブレアは自分のことを許さないだろうと、ミスティは納得した。

 それで構わないとも。

 無知と無理解を棚に上げていた自分にできる償いは、この後悔を味わうことだけだから。

 そう思い、目を閉じた。

 数瞬と経たず、倒れ伏すだろうと、その感覚を予想して――。


「……え?」


 迎えてくれたのは石畳の硬さではなく、腕の柔らかさと温もりだった。

 目を開けると、ブレアの胸に顔を埋めていた。腕を背に回され、抱き留められたのだとミスティは理解する。だが、その意図がわからない。


「ブレア、何故……?」

「だから止める」

「え?」


 顔を上げる。頬を何かが濡らした。ブレアとの出会いで取り戻した双眸の瞳が、大粒の涙と泣き喘ぐ表情を落とす彼女を捉えた。


「もうミスティに悪さなんてさせてあげないっ! わからないことがあったらなんだって教える! わかるまで教える! あたしにもわからないことがあったら一緒に勉強するっ! だからっ!」


 強く、しかし優しくミスティはブレアに抱きしめられた。

 ブレアのこの行為にどんな意図と目的があり、どのような感情に起因するものなのか、ミスティには理解できなかった。

 それでも自分は受け入れられたのだと理解することはできた。

 初めて、居場所というものを意識した。二度と離したくないと強く思った。

 だから、ブレアに返答するようにその背に腕を回す。


「はい。教えてください。私が過ちを犯さぬよう、見ていてください」


 その口元が綻ぶのを見るものは、そこには一人もいなかった。




 どのような感情に起因するものか、ミスティには理解できていなかったがなんてことはない。混じりけ無しの下心であった。

 いや、最初は思いの丈を伝えるがため、勢いの余り抱き付いたのだが、その身体の柔らかさに思考はすぐに不純な下心に塗りつぶされた。

 ミスティの許可が下りた上で公然と抱きしめられるのである。可愛いもの好き、ミスティ大好きのブレアが興奮しないわけなかった。

 あと数秒その状態が続けば、背に回った手がさらに下へと降りていたが、幸か不幸かミスティの義肢の限界により、より体重がかかり現実へと引き戻されたのである。

 そもそもミスティは長話できるような状態ではなかったのである。

 ただ、仲直りに至るまでの対話は必要で、それは為されたのだから早々に処置に取り掛からねばならない。


「よいしょ、っと。そっちの足は大丈夫? 誰にやられたの? もしかしてレストラ」

「いえ、ダンジョンで遭遇したモンスターの同種が操る敵に」

「ええ! じゃあ、もしかしてこの騒動って」

「はい。地下で私たちを襲った者と関連しているでしょう」


 工房に案内され、すぐさま椅子に座らせる。そのとき、奥で腕を組んでいたブラックとミスティの目線が合った。


「先ほどは申し訳ありませんでした」

「気にすんな。無駄に頑丈にできてる。ブレア、早く着けてやんな」

「うん。ミスティ。……じゃーん、義肢完成したよっ! 右腕と左脚。完成したよ」

「はい。ブレアなら可能だと確信しておりました」

「おじいちゃんにも手伝ってもらったけどね」


 ブラックは照れ隠しかそっぽ向いている。


「では早急な装着をお願いします。リムがレストラと交戦中です」

「リムくんが!? エッセちゃんは!?」

「一緒ではありませんでした。先にリンダ・トゥリセがリムの元へ戻りましたが、援護に行くべきです」

「ど、どうしてリンダ・トゥリセが……?」


 自分が混迷している間何が起きていたのか。

 正直これだけではまるで理解が追い付かない。

 とは言え、いまはミスティのことが先決である。

 全ての義肢を外し、ソケットも外し、翡翠に輝くパスの糸を義肢に繋ぐ。そして、糸を義肢内部に埋没させるようにしながら、ミスティの肘にはめ込むと、その部分のリク・ミスリルが融解し、義肢の関節部に癒着し固着化した。


「……どう?」

「パスの接続…………完了」


 ゆっくりと指が閉じられる。

 白磁の義手。

 人の肌とはかけ離れてこそいるが、各種感覚機能と魔力の循環を、現在のブレアが持ち得る技術を最大限費やして形にした最高傑作だ。


「問題ありません。これはもはや義手とは呼べない。私の腕そのものです。ブレア、あなたを信じて良かった」

「!」


 最大の賛辞を贈られる。目も眩むほどのミスティの笑顔とともに。


「んーミスティー! その笑顔超々可愛いっ! 何それそんな顔できたの!? え!? 私のおかげ!?」

「抱き付かないでください。気持ち悪いです。まだ脚が終わっていません」

「辛辣! うえーんさっきはしてくれたじゃんー」

「リムのところに駆けつける必要があります。迅速にお願いします」

「あわわ、そうだった」


 慌てて義足の準備も始める。準備しながら無表情に戻ったミスティを見て、ブレアはつい口元を綻ばせた。このつっけんどんな感じがミスティらしくて、無性に嬉しくなるのである。

 そうして義足も、ミスティの足となった。


「全感覚オールグリーン。問題ありません。魔力の循環良好。魔石による補充により、万全となりました」

「いっぱい買い込んだけど、リムくんのおかげで必要なくなってたもんね」

「記録データのサルベージもあと少しで完了します」

「お、もしかして完全に記憶を取り戻すってこと?」

「完璧とはいきませんが」


 それは朗報だ。

 本来の身体とまでは言わないまでも、身体を取り戻し記憶も戻る。

 これであれば、【万目睚眥アルゴサイト】も認めざるを得ないだろう。ミスティが人であると。


「サルベージ完了まで、3、2、1…………」

「…………? どうしたの?」


 何故かミスティが途中で止めてしまった。

 何事かとブレアは小首を傾げ、俯いたミスティの顔を覗き込む。


「そういう、ことだったのですね」


 紡がれた言葉とともに、ミスティがこちらを見た。


「…………なんで?」


 初めて会ったときと同じ、無機的な人形の表情で。

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