042:己が賭す


 ミスティを一度【アスクラピア】の新市街中央病院を経由して、工房に送り届けたあと、リンダ・トゥリセは即座にリムたちのところへ戻っていた。

 リムは【極氷フリジッド】の下へ戻るよう言ったが、聞く気は毛頭なかった。

 リムのレベルは一桁。どう頑張っていても二桁に到達するか否かのはず。

 対してレストラのレベルは20を越えていることをリンダは知っていた。

 対人戦において、高レベル帯ほどステータス差よりも技術や魔法、スキルが重要視されるが、逆に低レベル帯はステータス差が勝敗に直結する場合が多い。

 低レベル=経験に乏しいことを意味するからだ。

 10以上もレベル差のあるリムが、レストラに勝つのはまず不可能。そのレベル差を埋め合わせる技術があるとも思えない。

 リンダに考える頭はないが、それでも殊戦闘においての嗅覚は団員の中でも随一である。リンダがリムが負けると確信した以上、それは確定であった。


 確定であった、はずだった。


「えぇ? ……なんで?」


 リンダは建物の屋上に降り立ち、眼下に広がる光景に我が目を疑った。

 剣と籠手が火花を散らす。

 付き従う火球が、使役された剣とかち合い弾かれる。

 魔石灯だけが照らす闇夜の下、騒動に巻き込まれたくないと遠目から眺める民衆の中心に二人はいた。

 ミスティを送り届けてここに戻ってくるまで十分と経っていない。それでも通常一対一の戦闘がいつまでも続くことはない。レベル差があるのであればなおさら。

 何よりだ。

 リンダは驚愕をその口から零す。


「リム、ちょっと前にダンジョンから帰って来たばっかだよね?」


 リムは今朝からダンジョン探索を行い、初めての第二階層探索を終え、数時間前に帰還したばかりなのである。

 それから街にモンスターが出現する騒動が起こり、休息などほとんど取れていないはずなのだ。

 たとえ探索で戦闘はなくとも、ダンジョンの侵食効果のせいで体力は削られる。

 レベルの高い自分たちならば数日の行軍はなんともないが、レベルが低いほど慣れない階層での探索は辛くなるはずだった。

 にも関わらず、一桁か二桁序盤のレベルの動きとして、精彩さを欠いているような印象は覚えなかった。

 明らかに実力が拮抗している。


 だが、リンダ・トゥリセが理解できないのも無理はなかった。

 リンダ・トゥリセ、そして当人であるリム・キュリオスも知らないことだが、彼にはダンジョンの侵食効果を受けるごとにステータス、及びレベルが向上する、スキルとも魔法とも呼べない、能力があった。

 それは【叡樹の形図】を読めるシスターですら知らないものである。

 知っているのはエッセと、その能力の可能性を発見したサリア・グリムベルトのみ。

 つまり、リム・キュリオスのレベルは、第二階層の長時間の探索で受けた侵食効果により、一時的に20に届くかというほどに跳ね上がっていたのである。


「フッ!」

「チッ、はあああっ!」


 リムの波状剣と火球による挟撃。それを避けるのではなく、一歩踏み込むことで着弾のタイミングをずらし、防御と回避を同時に行うレストラ。

 金属音のかち合う音が響く。火花が二人の残影を浮かび上がらせる。街の混乱の最中で突発した決闘に、傍観者たちは通報するでもなく息を呑み見入っていた。


「……」


 拮抗している。とはいえ、二人ともに動きは稚拙だ。

 リムは半身となっていないから攻防の体勢が中途半端になっている。剣の振りも大雑把。

 レストラは魔法のおかげで敏捷に僅かな長があるが、接近戦の立ち回りがなっていない。

 自分よりも遥かに格下同士の戦い。

 格上に食らいつくリムに驚きこそはしたが、戦い自体に光るものはない。

 そうリンダは思った。思ったが。

 戦う彼らのその顔に、笑みはなく。悲壮感もなく。

 ただ己を賭している。譲れないものがあり、それを通すために戦っている。

 リンダにはそう見えた。


「……なによ、これじゃあわたしが邪魔者じゃない」


 尊いものに見えたのだ。

 己を賭す戦いがどれほど当人らにとって重要なものか、知っていたから。

 リンダは彼らの視界に入らないよう、その場から離れる。

 結末を見届けたくもあったが、もしもリムが窮地に陥れば自分は我を忘れて助けてしまう気がした。

 邪魔をしないためにはこの場を離れるしかない。

 クーデリア・スウィフトの下へ帰ろうと、【瞬雷(リンダ・トゥリセ)】は闇夜を駆けた。



―◇―



 レストラ・フォーミュラ。鍛冶ギルド【アルゴサイト】所属。

 俺よりも明らかな格上。一度の交戦で底を見たとは言わない。さっきまでの戦いで全貌を知れたとは言わない。

 けど、明らかにサリアやダフクリンよりも強い。


「フッ」

「チッ、はあああっ!」


 身体を転身し、レストラの横へ潜り込ませ、火球をその場に待機。

 波状剣での攻撃を仕掛けると同時に火球に挟撃させる。

 だが、レストラは一歩踏み込み、銀の籠手の甲で波状剣を弾きながら火球を躱した。

 火球の数はあと四。ここまでの全弾が決定打になれていない。寸前のところで躱されてしまう。


「硬いなその籠手。青白い魔力もない……!」

「【復元魔法】とは違う。【修復魔法】は魔力による補完もできない。……だが!」

「ッ!」


 突如、レストラの一歩踏み込む速度が速くなる。全身へ伝播した加速に一瞬で肉薄された。

 右側頭部への風圧。悪寒。来る。


「強度は元と何ら遜色はない!」


 右側頭部にめり込むレストラの左フック。咄嗟に左に飛び、少しでも衝撃を殺そうと頭と身体を回転させる。

 その動作の中で斜め下から斬り上げた。身を翻して躱そうとするレストラのジャケットを、切っ先で裂きながら外套のホックを断つ。拘束が解かれた外套は、風にさらわれ飛ばされていった。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ」

「はぁ、はぁ、はぁ」


 頬骨がズキズキと熱を孕む。けど骨にヒビが入った感じはしない。

 対してレストラのジャケットにも血が滲み出ている。

 痛み分けの形だけど、やっぱり何かがおかしい。

 普通、各ステータスの上昇幅は個人差がある。魔法使いなら身体能力に影響する筋力や体力といったステータスは上がりにくい、というのが通説だ。

 もちろん、レストラが当てはまるとは限らないけども。


『び、敏捷値は身体の扱いの、器用さを、し、示すから。た、高いからって、足が速いわけじゃない、よ……覚えててね』


 とアシェラさんに教わった。脚や動作の速さは、主に筋力と敏捷の値でおおよそ導き出されるそうだ。

 だから、前衛職に比べて後衛職の魔法使いが接近戦を行うには相当なレベル差がないと難しいはずだった。

 事実レベル差はあるんだけど、何か違和感を覚えるのである。


「考えごとをしていられるとは余裕だな」

「ッ!?」


 何度目かわからない接近戦(インファイト)の申し出。それを切り払いによるカウンターで返答するも、潜られ躱される。

 アッパーの体勢。顎を見据えて――いや違う! 口が動いている!


「――【Act3:回転せよ】」

「【ラスタフラム】!」


 レストラの腰にある試験管が弾けるようにして出現した剣が、振るう回転ではなく錐揉み回転による突きを放ってくる。

 波状剣より溢れる、視界すら塗り潰す鉄食みの焔。だが、それに晒され形を喪失させながらも、復元された剣の切っ先が肩に突き刺さった。

 あの回転。炎を弾くための……!


「うぐあああっ!」


 だけど驚いている暇も、痛みに喘いでいられる暇もない。レストラが焔を裂いて、拳を振るってきたから。


「フッ!」

「ぐぅうううううっ!」


 咄嗟に右手を差し出し籠手の強打を防ぐが、ミシッと嫌な音が体内を通じて耳まで響いた。


「ッッ、パイルッ!」

「!? 【Act0:霧散せよ】、ぐッ!」


 速度と貫通力に特化させた鉄杭の火球を頭上よりレストラに降らす。一発がレストラの右肩に突き刺さるが、致命傷となる寸前で【復元魔法】に鉄粉へと還された。

 痛み分けで再び中距離に。俺たちはじりじりとお互い間合いを見極めるように横へ歩く。


「火球は残り一発。左肩を貫かれ、右腕にはヒビがいっているな。そのレベルで未だ立っていられているのは驚嘆に値するが、もうまともに戦える状態じゃないだろう」

「そっちも辛そうだけど? 結構深く刺さっただろ」

「強がるな。その身体で、残弾一発の火球。何ができる」

「あーん、増やしてやろうか?」

「やってみろ」


 苛立たし気に顎を突き上げて、レストラは言ってのける。

 〈ナーマヴェルジュ〉を握る手の中に汗が滲んだ。


「何年魔法使いをやっていると思う。魔力切れの兆候など見ればわかる。それに戦闘中に火球の操作に思考リソースを割けるほど扱い慣れていないだろう」

「……」


 全く以てその通りだった。

 一瞬の判断が命取りとなる接近戦(インファイト)で、火球の操作を組み込むと頭が追い付かない。

 だから牽制か初手の攻撃に交えるか、さっきのように逃げの攻撃くらいしかできない。

 なら中距離戦に持ち込むという選択肢が上るんだけど、それをレストラは許してくれないだろう。

 何故ならもう弾切れ間近だからだ。

 放たれた【復元魔法】の剣をカウンター的に火球へと変換するならともかく、いま落ちている金属を【ラスタフラム】で喰らい直すのは隙が大きすぎる。

 焔が人を焼かないとバレている以上、急加速で距離を詰められ、顎を打ち抜かれて終わりだ。


「作戦は決まったか!?」

「ねぇよッ!」


 ついに間合いを縮めてきたレストラと戟を交わす。

 五指全体を覆う柔軟な稼働、かつ〈ナーマヴェルジュ〉でも傷つかない銀の籠手。

 矛であり盾であるそれを蛇が空を泳ぐように弧を描いて舞い、俺の袈裟切りを払うと、獰猛な牙を喉元へ放ってくる。

 すんでのところで躱し、身を翻しながらの水平斬りを銀の籠手が火花を散らしながら受け流した。そして執拗なまでの首狙い。

 徹底した急所狙いだ。掠めるたび背筋が幾回もの悪寒が走る。

 流麗な銀閃が煌めくたび、首が無事か気になってしまう。止まない剣(拳)戟の連続で息継ぎができない。

 以前とは違う。速度に追いすがれてはいる。でも、その次に行けない……!


「ッ!?」


 突如襲ったのは、がくんと左腕を引っ張られる感覚。止まってはいけないのに、俺の身体は一瞬だけ硬直してしまった。

 波状剣が、その波を掴むようにして銀の籠手に握られていた。

 獲物の長さから超々近距離は圧倒的に不利。わかっていたけど、刀身を直接握られるとは思いもしてなかった。

 だけど魔法使いの筋力なら――。


「甘い」

「っ」


 そして、思いもよらない力に引き寄せられ、前のめりになったガラ空きの胴体に、レストラが身体を潜り込ませてくる。

 肩と背に触れた瞬間、力の膨張を感じた。逃げないといけない。


「足!?」


 股下に差しまれた足が俺の逃亡を阻止する。そして。


「フゥ、ハッ!」

「ガッ!?」


 肉を貫き骨を震わす衝撃が、内臓へと突き刺さった。

 【無明の刀身】の反動を何倍にもしたような激痛。口の中が鉄の味に満たされ、肺から空気のみならず血まで吐き出された。


「あああああああああああああああッ!」


 全身の筋肉が、肺が悲鳴を上げるのを無視して、なけなしの魔力を使い【ラスタフラム】を放つ。風圧に見舞われ拘束が緩んだ銀の籠手から逃れ、俺は今度こそ距離を取った。


「寸前で火球を滑り込ませたか。いや、攻撃は捨てていたんだな」

「ハァハァハァ、ゲホッ、ゲホッゲホッ……」


 咳とともに血が口の端からボタボタと垂れる。

 レストラの言う通り、火球を膜状にして間に滑り込ませなければ、このダメージじゃ済まなかった。


「だがいまの炎で火球を作れなかった以上、詰みだ。ここで退くなら見逃してやる」

「あ……?」

「道を開けろ。所有権を得られるあの女ならともかく、お前が【イェソド】のために命を懸ける理由はないはずだ。お前には何の得もない」


 断言する。レストラは冷徹に、終わりだと告げる。


「…………」


 力が抜けた。〈ナーマヴェルジュ〉の切っ先が地に着いた。

 荒い息が徐々に落ち着いて、口の端から血が零れ、地面がそれを吸う。

 理由……理由か。

 ミスティを助ける理由。

 それに命を懸ける理由。

 これだけボロボロになってでも目の前の格上に立ち向かう理由。


「……」


 唇を引き絞る。溜まっていく血をまとめて吐き出して、レストラを見据えた。

 その黒い目を真正面から射抜く。

 燃える。焔が胸の内で息を吹き返す。

 どれだけ肺が痛くとも、俺は息を吸い全身に活力を漲らせた。


「理由ならあるさ」

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