両手で「あいうえお」
葵月詞菜
第1話 両手で「あいうえお」
放課後になると、学校中が様々な音で満ち溢れる。掛け声、ホイッスルの音、ボールが弾む音、金属バッドがボールをとらえた音、集団ランニングの音、楽器の音、歌声。ああ学校だなと思う、音。
すずめが所属することになった文芸部は、基本的に週一にしか全員――厳密には全員ではない――が集まらない。それぞれ小説を書いたり詩を書いたり読書をしたり、好きなスタイルで活動している。すずめ自身、緩い部活だなと感じている。
まだ高校に入学して1ヶ月と少し、とりあえず部室に何度か足を運んでいたが、部室にいるのはだいたい同じメンバーだった。
(いや、そもそもわたし流されて入ったようなもんだし……)
溜め息を吐いた時だった。
「あ、メッセージ」
スマホの振動に気付いて確認すると、同じく文芸部の
内容は図書室に来て欲しいというものだった。
「なんで図書室……?」
すずめは理由を訊ねようとしたが面倒くさくなり、了解の意味を込めたスタンプ画像を送信して図書室へと進路を変更した。
図書室は東側の校舎二階にある。普通の教室四つ以上の広さがあり、初めて来たときは想像以上に広くて驚いた。授業で調べ物学習をする機会も多いせいかグループ学習ができるようなスペースも充実していた。
開館のプレートがかかったガラス戸を押し開くと、本独特の匂いがすずめを包んだ。
カウンターに座って作業をしていた図書委員の生徒がちらとこちらを見て微笑んだ。軽く会釈をしてその前を通り過ぎる。
(
彼女を探してどんどんと奥に進む。手前の長机では本を読んでいる生徒や勉強に集中している生徒がいた。その横を通り過ぎてさらに行き、仕切りで区切られたスペースに入った。
この先はグループ学習室だ。微かに話し声が聞こえた。
「あ、すずめちゃん!」
すずめが控えめに仕切りを覗くと、そこには三人の生徒がいた。その内の一人、すずめにメッセージを寄越した白鳥美雛が振り返った。
同じクラスの美雛は美人で明るい、誰とでもフレンドリーなタイプで、クラスの中で目立たないよう大人しくしているすずめにしたら眩しすぎる存在だ。
(本当、何でこの子わたしを誘ったんだろう……)
すずめが文芸部に入部したきっかけは彼女だった。
体験入部期間中に、たまたま文芸部の部室前を通り過ぎたすずめは、部室前で文芸部の勧誘ポスターを見つめる美雛の姿に出会った。そこからなぜか「一緒に入ろう!」と話がとんとん拍子に進んでしまったのだ。
「よ、稲荷さん」
テーブルを挟んで美雛の向こうにいた男子生徒・
その雲雀の横で少し恥ずかしそうに会釈をしたのが、もう一人の男子生徒・
二人とも同じく文芸部に入部した一年であった。雲雀は別のクラスだが、鶫は同じクラスだ。
「見て見てすずめちゃん。寒河江君、かわいい絵描くんだよ」
美雛が鶫の前に開かれているスケッチブックを指差した。そこには色んな動物が特徴を捉えて描かれていた。色鉛筆で着色してあって暖かみを感じる。
「わあ、すごい。絵上手だね」
思わずすずめも声をあげてスケッチブックを見つめた。鶫は「そんな」と謙遜するように顔の前で手をパタパタと振った。頬も微かに赤くなっている。
「鶫は絵もめっちゃ上手いんだよなー」
雲雀が頬杖をつきながら隣からスケッチブックを覗き込む。
「雲雀まで何言うのさっ……」
雲雀に対しては小さく言い返す鶫に、そういえばこの二人は中学からの友人だと聞いたことを思い出した。
「絵も?」
美雛が雲雀の言葉に不思議そうな顔をすると、雲雀は何でもないことのように言った。
「こいつ、文章も書けるんだ。絵本を作りたいんだって」
「そうなの!? すごい!」
「ちょ、ちょっと雲雀っ」
「俺、お前の絵も文章も好きだもん。たくさんのやつに見てもらいたいし」
しれっと言い放った雲雀に、鶫が文句のやり場をなくしたらしく黙り込んだ。
「私も見たいなあ。でも寒河江君すごいね、絵も文章もかけるなんて」
美雛がにっこり笑うと、本当に大輪の花が咲いたような華やかさがある。俯いた鶫の耳が真っ赤だった。
「それで、美雛ちゃんと高観君は何を書くの?」
すずめは美雛の隣、雲雀の正面に腰を下ろして訊ねた。
「え?」
二人のポカンとした顔と声が重なる。
「え? 二人も文芸部だよね? 何か書かないの?」
「あー……」
雲雀が分かりやすく視線を逸らし、美雛はすずめの両肩をがしっと掴んで顔を寄せた。
「すずめちゃん……! 私がこの部に入った一番の理由知ってるでしょ」
近距離かつ小声で囁かれて、すずめは息を止めた。女子同士でもドキドキする。
「……理由って」
――思い出した。入部を誘われた日、美雛がすずめに言った言葉を。
『ちょっと……気になる人がいて』
そしてその気になる人というのが――。すずめはちらとまだ俯いている鶫を見た。
「……いやでも、それはそれで、文芸部としての活動はしないとじゃない?」
もう一度美雛に視線を戻して言うと、彼女は額に手をあててやっとすずめから離れた。
「あああ~そうだよねえ~。漫画くらいしか読まないけど~」
「いっそ漫画論とかそっち系の書いたら」
「すずめちゃん、そんな難しそうなの無理だよ。私はライトな読者なんだから」
「そういう稲荷さんは何書くの?」
雲雀がふっと笑って反対に訊いて来た。どこか楽しそうだ。
「わたし? うーん……書道で字を書くのは好きなんだけど、文章はなあ」
すずめの答えに雲雀が軽く目を見開いた。
「稲荷さん書道するの?」
「してたの、中学まで」
「へえ。俺書道苦手だったから字綺麗な人憧れる」
「別に綺麗じゃないけど、書くのは楽しかったかな」
高校で書道部に入ろうとまでは思わなかったが、今でもたまに気が向いたら道具を引っ張り出して勝手に書き散らしている。
「寒河江君みたいに絵も文もって二刀流はうらやましいね」
「分かる。俺にどっちかくれねーかなって思う」
やっと落ち着いたのか顔を上げかけた鶫が、また自分の話になって俯きかけた。ただその際にボソリと呟く。
「雲雀は……スポーツと勉強できるだろ」
「へ? いやいや、どれも並程度だよ。特別これがってのがねーんだ」
雲雀は自分を分析するように淡々と言った。その目が少し寂しそうなのが気になったが、すぐに明るい表情に戻った。
「白鳥さんも何でもできそうだよな」
「え、私?」
美雛が小首を傾げてみせる。その仕種があざとかわいい。すずめは隣に座っているのがいたたまれなくなってきた。
「うーん、私も並にってとこかなあ。スポーツも好きだし、勉強もまあ……嫌いな教科がないからだいたい楽しいというか」
「すごい。勉強が楽しいんだ」
思わず口を挟んだすずめに、雲雀も笑った。
「確かにすごいなそれ。結果、文武両道か。まあこれも二刀流だな」
「そうかなあ?」
美雛が納得しきれずにまだ首を傾げている。
「みんなすごいね。二刀流かっこいい」
すずめが溜め息を吐くと、雲雀が新たに訊ねて来た。
「ちなみに、稲荷さんは何か二刀流でできることないの?」
すずめは少し考えてみたが、思い付かなかった。
「みんなみたいなのはちょっと……」
「小さいことでも良いよ。何か得意なこと、同時にできたりしないの?」
「同時に……」
すずめはもう一度考えてみた。今までの自分を思い出して探してみる。
得意なこと。同時にできる二つのこと。
「あ」
とんでもなくしょうもないことを思い出してしまった。
出てしまった声に雲雀が興味深そうな視線を向けて来る。
「何かあるんだ?」
「い、いや、これは本当にしょうもないことで……」
こんなところで言うのは憚られる。というか、絶対呆れられる。すずめの頬が赤らんだのを見て、雲雀だけでなく美雛も鶫も目を見張った。
「良いよ、どんなことでも。小さいことで良いって言ったの俺だし」
雲雀が急に真面目な顔になるが、ここでそんな顔をされてはさらに言い難くなる。
三人の視線に耐えかねて、ついにすずめは観念した。
「えっと……わたし両利きで、両手で同時に同じ文章を書くのは得意です」
「え?」
三人の声が重なる。どういうことか説明するより前に、すずめは鞄から紙とシャーペンを二本取り出した。
「あいうえおを両手で書きます」
両方の手で同じスピードであいうえおを書く。あいうえおが二行並んだ。
三人はすずめの手の動きと、書き終わった字を黙って凝視していた。
誰も何も言わないので、仕方なくすずめは言い訳染みたことをぼやいた。
「……小学生の頃はこれで同じ漢字と文章を書く宿題が早く終わったんだよね」
それぞれの手でシャーペンをくるくると回す。間がもたない。
「……すごいな」
やっと雲雀が呟いた。その横で鶫がゆっくりと頷いた。
「すずめちゃん、これ十分な一発芸だよ」
美雛が謎の褒め言葉をくれる。すずめ自身も実はそう思っている。
すずめはシャーペンを片付けながら、本当にしょうもない二刀流だなあと苦笑した。
そのまま何だかんだと雑談をしていたら図書室の閉館時間になってしまった。
美雛と、緊張しつつも彼女と話す鶫を見ながら図書室を出ると、後ろにいた雲雀の声がした。
「両手どっちも字、綺麗だよな」
「え?」
雲雀の手には先程すずめが字を書いた紙があった。そういえばしまい忘れていた。
「俺も挑戦してみようかなあ」
「……しょうもないけどね?」
「いやいや、両手使えたら怪我した時とか役立つじゃん」
「まあそれは」
単に両方でそれぞれ字が書ければ良いだけだ。高校ではもう漢字の練習をする宿題も出ないだろう。
「稲荷さんって結構面白いよね」
「どういう意味?」
すずめが首を傾げると、雲雀は「何でもない」と楽しそうに笑った。
両手で「あいうえお」 葵月詞菜 @kotosa3
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