左手のおはなし

常盤木雀

第1話

 もっとたくさん書きたいと、いつも思っていた。頭に浮かぶあれこれを、文章にするのは時間がかかる。ひとつを書くうちに、他の内容は頭から消えてしまう。

 小さい頃からわたしのそばには物語があって、わたしの中にも物語があった。本を読むのが、生活の最優先事項。これは削ることはできない。しかしわたしには、食事も入浴も睡眠も必要で、学校に通い勉強する時間もあるのだ。

 そこで思い付いたのは、わたしの中にある言葉を出力する時間を短くすることだった。文字を崩して走り書きにしてみたり、キーボードでの打ち込みに変更してみたりと試したが、大幅な短縮は難しい。何かと平行して行えば良いかと考えたものの、読書と書き物を同時にすることは不可能。食事や入浴は家族の目が気になってできなかった。諦めかけたところで思い浮かんだのが、二刀流だった。

 二刀流といえど、刀は関係ない。わたしは両手にペンを持つことにしたのだ。当然はじめは利き手でない左手で書いた文字は読めたものではなかった。

左手で書けるようになっても、左右で同時に書くのは訓練が必要で、さらに別の内容を書くためには苦労した。最終的に、左手は鏡文字であれば書きやすいと分かり、右手では深い思考を必要としない筆記が同時にできるようになった。


 高校では、図書室に入り浸っている。広い自習スペースではなく、奥の古典類の棚の影にある四人掛けのテーブルがお気に入りの場所だ。人がほとんど近寄らないため、自習スペースが混雑しているときでも誰もいない。閉館時刻まで過ごして、読書用に本を借りて帰るのが日課だ。

 わたしはいつも、左手に文章を書くノートを広げ、右手に宿題のノートやワークを用意する。いくつも同時に思考するほど賢くないため、数学などの考えなければならない宿題はできないが、書き取りや書き抜きのような単調な作業はこなせる。それが勉強になっているのかと問われれば分からないが、今のところ成績が落ちるようなことはない。


 あるとき、いつものようにお気に入りの場所で過ごしていると、斜め向かいの席に誰か座ったのが見えた。その日は図書室内がざわざわと落ち着かないほど混みあっていたため、きっと自習スペースが満員で流れ着いたのだろうと思った。

 ブレザーとネクタイ。男子生徒らしかった。

 目が合うのが嫌で、それ以上は確認しなかった。わたしの奇行を見ても座ったということは、彼の中ではわたしのことを気にしないことにしたのだろう。この場所をどうしても独占したいわけではないから、あちらが気にしないのであればわたしも構わなかった。

 その日、わたしは過去にないほど集中できた。頭の中を言葉が駆け回り、手は止まることなく滑るように動いた。書き損じも少なく、文字を消すような余計な手間も省けた。

 何かが左腕に触れた気がして我に返ると、閉館十分前の音楽が流れていた。座っていたはずの男子生徒はいなかった。腕に当たったのは帰り際の彼の荷物だろうか、と思いながら、わたしも片付けをして下校した。


 翌日も彼は現れた。わたしは、この人もこの場所が気に入ってしまったのだろうかと考えながらも、気付くと執筆に入り込んでいた。

 翌々日も、また次の日も、いつの間にか彼が同席していて、わたしは時を忘れて書き続けた。


 その週の休日、わたしは自分の書いたノートを読み返していた。勉強用ではなく、書き殴る用のノートだ。

 鏡文字の文章は、自分が書いたといえども読みにくい。平日に書いた分は週末に読み直し、足りない箇所には補足を加えるようにしていた。勢いで書いているために、文章がおかしくなったり飛躍したりしがちなのだ。

 読み進めるうちに、わたしは初めて見る文章に出会った。

 書き覚えのない文章。それは他の文章と全く噛み合わず、まるでわたしに語りかけているようだった。

「君が気になってまた見に来てしまった。」

「今日もよく書いているね。」

「君の文章が好きだ。」

「もっと読みたい。」

 文字はわたしの書いた文字だ。誰かが書き足したようではない。いや、明らかに勢いにのって書いている合間に入っているのだから、他人が筆を挟めるわけがないのだ。

 怖いとは思わなかった。この言葉を嬉しいと感じる気持ちと、承認欲求によって自分で書いたのかという戸惑い。他人に言われればもちろん嬉しいが、無意識下にわたしが書いたのであれば、自分の心が心配である。

 しかし、読み続けると短文ではなく長めの節になり、言葉の選び方や文章の癖がわたしとは異なることに気付いた。

 不思議に思いながら、わたしはその文章を消さなかった。明らかに邪魔な文であるにもかかわらず、消したくなかった。


 次の月曜日、図書室のいつもの場所にいたわたしに、誰かが触れた。左腕。

 振り返っても誰もいなかった。斜め向かいの席にも、誰も。

 わたしはそのときようやく理解したのだ。あの文章は、彼のものだと。



 彼が何者かは分からない。不思議な力をもった男子生徒なのか、男子生徒のふりをした何かなのか。けれども、彼はわたしの最初の読者で、わたしの左手を通して言葉までくれた存在だ。

 わたしは文章を書くとき、少し彼のことを考える。自分のために書いていた文章が、彼が読むかもしれないという意識を加えた文章に変わった。そしてわたしのためだけの彼の言葉は、わたしを励ましていつも寄り添ってくれる。

 だからわたしは今日も、図書室奥の古典類近くのテーブルでノートを広げている。



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