26_エピローグ その2
やっと朝食の準備ができた。お姉さんもシャワーから帰ってきた。
シャワーを浴びたからだろうか、お姉さんは既に着替えていた。
俺だけパジャマでなんか自堕落な感じじゃないか。
リビングのテーブルでいつもの様に二人横並びでご飯を食べながら今日の予定を確認した。
「お姉さんは、今日は13時から出版社の人とオンラインで打ち合わせでしょ?」
お姉さんは、予定をちょくちょく忘れてしまうので、俺はマネージャー的なこともしている。
その忘れるのがうっかり忘れているのか、病気によるものなのか分からないのでちょっと困る。まあ、どちらでもいいのだけれど。
「うぎぎぃ……地球に隕石が落ちてこないかなぁ……」
不吉なことを言うお姉さん。筆が進まない時は打ち合わせは嫌らしい。
実際は、筆ではなく、キーボードを叩くので「キーボードが進まない」が正しいのだろうか。
最近では打ち合わせがオンラインでできるので、お姉さんはほとんど家から出ない。
元々ここ数年はそんな生活をしていたみたいだから、その方がお姉さんは好きらしい。
「あっくん、打ち合わせを2時間で終わらせるから、その後ご褒美にお散歩付き合って~」
手を合わせてウインクしながらお願いされてしまった。これは「行く」一択だろう。
実際俺はお姉さんとの散歩を楽しみにしていた。
ただ、打ち合わせは本当に2時間で終わるのだろうか……
お姉さんは足に力が入らないことがあるみたいで、外に出かける時は一応杖を持って行く。
それが恥ずかしいみたいで、散歩に行くときは俺が一緒に行くことになっている。
そうすれば、いざというとき腕を組むこともできるので杖を持って行かなくていいのだ。
探してみたけど、お姉さんが言う「かわいい杖」とは中々なくて、多くの物は年配者用だった。
お姉さんはまだ若いので、「気にいった杖」にはまだ出会えていないようだった。
お散歩は、リハビリも兼ねての運動だった。
力が入らない脚は病院でいうところの「麻痺」らしく、解消するには動かすしか方法がないらしい。
ちなみに、通院の予定もお姉さんが忘れないように俺が管理している。
退院から1年経過したので、それまで毎月だった検査は3か月に1回に減っていて、CT、MRI、エコーの検査がローテーションだ。
結局、「奇跡」は起きたのだろうか?
お姉さんの状態は、良くも悪くも医者から説明された範囲内だった。
ただ、俺は「奇跡」だと思っている。
一度は、死のうと思っていたほど自暴自棄になっていたお姉さんがすぐ近くにいる。
そして、笑っている。それだけで俺は十分だった。十分に「奇跡」だと思った。
***
最近の俺の悩みはお姉さんの「病人ジョーク」だ。
面白いとか、面白くないとか、そんなのは全然問題ない。
お姉さんは可愛いので相当つまらないことを言っても俺にとっては微笑ましいだけ。
ただ、お姉さんの「病人ジョーク」はリアクションに困る。
退院して一発目が「シャバの空気はうまいねぇ」だった。
半年間入院生活で病院から1歩も出られなかったので、外の空気を吸うのは必至ぶりだったろうけど、とてもツッコミにくかった。
何か忘れた時に「そこの記憶は手術の時に焼き切った」とか言われたら、笑っていいものか、悪いものか、ちょっと悩む。恐らく俺は苦笑いしていただろう。
「脳腫瘍どうしよう」というダジャレもツッコミが難しい。
そもそもいつ使うのか分からないけど、思いついたら言いたかったらしい。
俺は何かに似ているとずっと思っていたけど、最近思いついた。
親戚の会合などで久々に会ったおじいさんが「来年は棺桶の中かもしれないからな」と言って笑っているあれだ。
あれと一緒で本人以外は笑うこともツッコめないネタなのではないだろうか。
感性が独特なところがあるお姉さんなので、俺は多分一生楽しめる。
そういう意味では、とてもいい奥さんだと思う。
実際、お姉さんの記憶は、どれくらい無くなているのか分からない。
ある区間をごっそり忘れているということはないみたいだけど、ソフト屋さん時代のことはあまり覚えていないらしい。
それは単に嫌な思い出だったから忘れたのかもしれないし……
昔、俺と公園で遊んでいた頃のことはしっかり覚えているらしい。
楽しかった時のことだからだったら俺としては嬉しいのだけど。
これは、もう誰にも分からないことなので、俺たちは特に追求しないことにした。
分かったところでどうすることもできないのだから。
***
午後、打ち合わせは早めに切り上げたらしく散歩に行けるようになった。
「散歩」と言っても歩くことが目的になると「リハビリ」が第一目的になり、辛い感じになるので、地域猫の「クツシタ」にエサをやりに行くことを俺たちは「散歩」と呼んでいる。
公園に行くとお姉さんに猫が集まってくるから面白い。
最近では、俺も「エサをくれる人」として認識されているのか、少しだけ寄ってきてくれるようになった。
公園の近所のコンビニで猫用のエサを買って、公園でエサをあげる。課金だ。
誰かに家で飼われている「家猫」に比べて「地域猫」は寿命が短いらしい。
たしか、家猫の寿命が12~18年なのに対して、地域猫は7~8年らしい。
お姉さんは地域猫が好きだ。一時期自暴自棄になって治療を受けずに死ぬつもりだったみたいだから、自分を短命な猫に映してみているのかもしれない。
聞いたことはないので、それは俺の勝手な思い込みなだけかもしれないけど。
俺達の「散歩」にはいくつかパターンがあって、地域猫にエサをやりに行く「公園」、ハトにエサをやりに行く「神社」、鳥にエサをやりに行く「川」などがある。
「お姉さん」
「なーに?」
公園で腕を組んで歩いている時にふと聞いた。
実際は、結婚しているのだから、「お姉さん」ではなく妻なのだが、長い入院生活とリハビリの闘病生活だったので、「お姉さん」、「あっくん」のまま来てしまった。
特に不具合はないので、もうしばらくこの調子でいきたいと思う。
「ご両親はお姉さんの病気のこと知ってるの?」
「いや~、言えないよぉ」
お姉さんは、少し困ったように笑顔を作って答えた。
「親より先に死ぬのは親不孝っていうじゃない?何年も連絡してなかったから、そのままフェードアウトしようと思ってた」
とんでもないことを言い始めた。
「知らない間に娘が死んでたら、そっちの方が悲しむでしょ!?」
「うーん、告知されたときに一番最初に思い浮かんだのは親だったけど、言えないなぁって……」
とりあえず、考えはしたんだ。その上で、受け止めきれなかった、と。
まあ、自分に残された時間を言われたら実際、人は何を考え、どう行動するのか……その人じゃないと分からないかもな。
「今はもう、会えるんじゃないの?」
「まだダメだよ。娘が杖ついて歩いてきたり、脳みそぶった切ったって聞いたら、お母さん失神すると思う」
一部、言い方の問題もあると思うけど……
「両親は悲しませたくないから、会えないなぁ……」
お姉さんは、少し寂しそうな目で消える様な小さな声でつぶやいた。
実際、お姉さんの場合は再発のリスクがあるらしい。
「5年後生存率」という言葉があって、手術の5年後に生きている人の数を数えたものらしい。だから、交通事故など病気と関係ないものも入っていると聞いた。
腫瘍を全部取り切れたら100%に近いらしいけど、お姉さんみたいに取り切れない場合は再発があり、その場合は再手術らしい。
そこで10%~70%とだいぶ幅を持った数値を聞かされている。
俺が聞いたときは、単なる過去の結果の数値、統計だと聞いていたのに、「お姉さんの生きられる確率」に思えて苦しかった。
70%だったら多分大丈夫だろうけど、10%だとしたら……
俺達は、あえて考えないようにしているところがある。
どんなに考えても結果が変わる気ではないので、再発にビクビクしながらも楽しむようにしているのだ。
お姉さん曰く、例えば手が痛い時、病気の再発なのか、たまたま痛いだけなのか、その痛みも気のせいなのか判断できないと言っていた。
この病気の経験者の多くは再発に怯えながら過ごす。
一区切りになるのが「5年」という訳らしい。
手術から5年後、つまり、あと4年間経過したらお祝いをしないといけないな。
「無事に5年を迎えたら、一緒にご両親に会いに行こうか。ご挨拶も兼ねて」
「え!?」
「結婚して5年も黙っていたら、それこそ親不孝かもだけど、そこは寛大に許してもらうとしてさ」
「あっくん……」
急にお姉さんが涙ぐんでいた。お互い最近涙もろくていかん。
日本人の平均寿命は男は81歳、女は87歳。その差6歳。
俺とお姉さんの年齢差は8歳。ちょっとの誤差だろう。
俺とお姉さんは同じくらいの時に寿命を迎える可能性だってあるんだ。
むしろ、ちょうどいいぐらい?
***
4年後とはいえ、俺が未来のことを考えるようになったことに気が付いた。
フリーターをしていた時は、ずっと「今」しか考えていなかった。
俺はずっと考え違いをしていたことに最近気づいた。
人は興味があるから物事に取り組み、頑張れると思っていた。
小学校、中学、高校と俺にはなにも好きなこともやりたいこともなかった。
あえて言うならラノベなどを読むことくらい。
だから、「俺には何もない」と思って何も取り組まなかったし、頑張らなかった。
大学の授業を受けてみて、課題をやってみて思った。
好きだから始めるのではない、と。
始めてから好きになるのだ。
お姉さんのことがあって、俺も「脳」について色々調べることがあった。
そしたら、脳の機能としてもそうらしい。
やる気があるから始めるのではなく、始めることでやる気や興味が出てくるらしいのだ。
そのうち、人は自分が覚えたこと、身に着けたことを何か活かせないかと考え始める。
そこに足りないものが出てきたら、それも身に着ける。
勉強ってそんなものだった。
もっと早く知りたかった。
そしたら俺の小学校、中学、高校生活はもっと違ったのではないだろうか。
本当に勉強しなかった。
人についても同じだ。俺はほとんど人と接してこなかった。
これは今も、俺のコンプレックスの一つになっている。
そういった意味では俺は色々なものに囚われている。
お姉さんに「監禁」されることで、次々「解放」されているというのも皮肉なものだ。
「そうだ!お姉さん、最初に言ってた『監禁』ってなんだったの!?」
急に思い出して聞いてみた。
「監禁?何のこと?」
「10年ぶりに会った時、お姉さんは俺に『監禁されて』って言ったんだよ!」
「ああ、そうかも?あの時は、あっくんにおうちに来て欲しいと思っていたから……」
本当だろうか。それで「監禁」なんて強烈な言葉を使うかどうか……
ただ、もう1年以上前の話になる。
今のお姉さんが本当に覚えているのか……それはお姉さんにしか分からない。
「お金とおうちはあったけど、私には要らない物って思ってたし、全部あげるからあっくんにちょっとだけ一緒にいて欲しいと思ってたかなぁ」
依頼内容に対して対価が大きすぎる!
俺は、お金も家も要らなかった。
確かに、一生使いきれない程のお金だろう。
家は、最初見た時度肝を抜かれた程の豪華なマンション。
でも、俺はただお姉さんに傍にいて欲しかった。
あのまま死んでほしくなかった。
俺の初恋の
そして、同じ人に二度目の恋をした相手。
自分が好きな人くらいモノにできなくて何が男かと。
まあ、お姉さんの家に住まわせてもらって、ご飯を食べさせてもらって、お姉さんのお金で大学の授業を受けさせてもらっているので偉そうなことは全く言えないのだけど。
ただ、人には幸せの量に上限があるのだとしたら……お姉さんとお金と家を天秤にかけてどちらかを取らないといけない時が来るのだとしたら、俺は迷わずお姉さんを取る。
どんな貧乏生活でも構わない。
貧乏が嫌なら俺が稼げばいいだけだ。
将来何になりたいかもまだ決まっていない俺の未来。
お姉さんのことは一生支え続ける。これだけは間違いない。
その上で、俺も何者かになりたいと思う。
今度は、自分から人と絡んでいくんだ。
俺の二大コンプレックスの「学歴」と「人付き合い」。
当時の俺には何にもできなかったけれど、俺はお姉さんの助けによって、一段階成長しようとしている。
そう言えば俺も
これが大人ってやつだろうか。
「俺はやっぱりお姉さんさえいれば、他は要らないや」
公園で一緒に歩いているお姉さんの方を見て言った。
腕を組んでいるからお姉さんの顔はすごく近い。
「あー、あっくんが私を感動させて、泣かせようとしてる……(ぐずっ)」
言ってる傍から涙ぐんでる。
幸せの笑顔。これは俺の好きなハッピーエンドだ。
「お姉さん、キスしよう」
そうだ。俺たちはこれから死ぬまで何度もキスをするんだ。
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=「あとがき」のようなもの=
お読みくださりありがとうございました。
病気や死を扱ったテーマは、すごくセンシティブでどうするか悩みました。
部外者に無神経にズカズカ入ってきてほしくない分野というか……
「お姉さん」とは部位が違いますが、この文章を書いている今日、
私もステージ3の宣告を受けましたので、
それなりにはショックを受けている最中です。現在進行形で。
個人的には、もう少しオープンになっていいジャンルかなと思います。
そうでないと、宣告を受けた人はかなり孤独になります。
周囲に話したとしても、何と言っていいか分からず
誰も気軽に声をかけられないので。
宣告を受けたらどんなことを考えるのか、私のつたない文章で少しでも
伝わったら嬉しいなと思います。
ちなみに、私は私でちゃんと治療を受けていく予定なので、
もし心配くださったならば、ありがとうございます。
「俺」の成長も描けたら、と考えてました。
ただ、読者様に読んでいただくのに辛い思いはしてほしくないと思って、
「俺」の学生時代は思い出でしか出てきません。
19歳って大人で子供。
子供と言われるのに大人みたいにしないといけない時もある。
2022年4月1日から、成年年齢が20歳から18歳になります。
「こんな時代もあった」って後で思えたらいいかなと。
また次の作品を書きたいと思います。
ハッピーエンドな楽しい話を書きたいと思います。
やっぱりハッピーエンドがいいでしょう!
(まだでしたら)ぜひ、ブクマよろしくお願いします。
応援してくださったあなた!本当に感謝です。
感想をくださったあたな!いつもありがとうございます。
やる気出ます!
猫カレーฅ^•ω•^ฅ
【感謝1.7万PV】やさしい監禁-幼馴染のお姉さんにお金をあげるからあなたの人生をくださいと言われた 猫カレーฅ^•ω•^ฅ @nekocurry
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