二刀流の甚

葵 悠静

本編

 カランコロンと草履の音を立てて歩きながら、一人の男が店へと入ってくる。

 令和の時代には珍しい甚平に近い着物姿に羽織までは追っているその姿は、なぜか店内の雰囲気に溶け込み違和感がなかった。

 しかし店の人間はその違和感のなさにごまかされるわけにはいかなかった。


「まさかうちにも来るなんて……!」


 厨房からいち早くその姿を見つけることができた店主は幸運かはたまた不運か。

 睨みつけるような視線ですでに注文を始めているその男をじっと見つめる。

 注文を受け終わったスタッフがそんな店主の視線を一身に浴びることとなり、一瞬驚いたような表情を見せながらも厨房に入ってきた。


「おい、奴は何頼んだ?」

「え、普通に塩ラーメンですけど。……どうかしたんですか?」


 普段は気さくで接しやすい店主のあまりの変わりようにスタッフもただ事ではないことを察し、声を潜めて尋ねる。


「そうか、君は最近入ったばかりだから、知らねえのか。あれは『二刀流の甚』だよ」

「にとうりゅうのじん?」

「ほら、見てみろ。あいつの席に箸とレンゲが置かれてるだろ」


 店主が指差した先にいる男へと視線を向けるスタッフ。

 確かに男の席にはすでに箸とレンゲが置かれている。

 しかしその光景はラーメン屋としては何らおかしくない光景で、ありふれた日常の一部のようにも思える。


「それがどうかしたんですか?」

「あの箸とレンゲはな、自前なんだよ」


 確かに言われてみればうちの箸は割りばしだ。

 それに比べると男の前にある箸は真っ白で光沢があるようにすら見える。


「すごいですね」

「それだけじゃねえ。ふらっと現れてはふらっと帰る。そこは一人の客と何ら変わらねえが、なぜか二刀流の甚が味をほめた店はその後大繁盛する。と言われている」

「へえ……」

「ここら一帯の飲食店を経営してるやつで今や知らないやつはいない。それくらいやばい客ってことだ」


 店主は話しながらも手は動かしている。

 その手にはすでにあの男が頼んだラーメンが出来上がっていた。


「しかし今までラーメン店に訪れたっていう情報はなかったはずだが、どういう風の吹き回しだ?」

「あの、店長。それ、持っていかなくていいんですか?」

「あ、おうそうだな。持っていってくれ」


 スタッフが店主から男が注文した塩ラーメンを受け取り、厨房から出ていく。

 店主は厳しい表情のまま男を見つめ続けていた。

 忙しい時間帯であれば男にばかり構っていられないのだが、あいにく今は客が少ない時間だ。

 だからこそどうしても男の方に目が吸い寄せられてしまう。


「くそ、気になって仕方ねえ」


 二刀流の甚は気まぐれなのかなんなのかは不明だが支払い時に一言味の感想を述べていくことがあるらしい。

 今日もそれを聞けるかの確証はない。

 そもそも店主としては今の状況でおとなしく待つという選択をすることすら難しかった。

 店主は大きく息を吐き出し、覚悟を決めるとラーメンをすすっている男の方へと歩き始める。

 その顔には貼り付けなれた笑顔を携えて。


「お味の方はどうでしょうか」


 ちょうどラーメンのスープを飲んでいるところだった男に目線をあわせるように腰を曲げて話しかける。

 男はちらっとこちらを一瞥すると、しかめ面をして首を傾げた。

 自分は彼にとってタブーな行為に出てしまったのだろうか。

 それとも味が良くなかったのだろうか。

 そんな自問自答が店主の頭の中で駆け巡り、全身が緊張で硬直するのをその身に感じていた。


「……おいしいですよ。あっさりしてますし、麺も細すぎず太すぎずすすりやすい。スープも飲みやすいし、クオリティの割には値段もリーズナブル。いいんじゃないですかね」


 口を開いた男はつらつらと言葉を並べると、またスープに口をつけ、そして持参していた箸とレンゲをしっかりとナプキンでふき取ると、そのまま懐に入れ席を立つ。

 そこまでの動きすら全くの乱れがなかった。

 店主はそこでようやく動き出す。

 あまりにもあっさりと、しかししっかりと褒められてしまって戸惑ってしまっていたのだ。


「ありがとうございます!」


 すでに支払いを終えようとしている男に向かって頭を深々と下げる店主。

 男はそんな店主の様子を見て、小さく首をかしげていた。


「……また来ます」

「ぜひ!」


 男は一言そう言い残すと店を出て行った。

 聞こえてくる草履の足音は心なしか店主の内心をいやしてくれるようなそんな音に変わっていた。


「……よし、がんばるか!」


 最近は安定を求めてだしの研究などやめてしまっていたが、そうも言っていられない。

 彼がこの店をほめてくれたのだ。客が増えるのであれば味の追及ももっとしなければ。

 店主はそう思いながら厨房へと戻っていった。

 男が来た時と帰った後の店主のあまりの変わりように周りのスタッフは驚いていた。




「なんかおかしいよな?」


 店を出て違和感を覚え、先ほど入ったラーメン店を見つめる。

 一人暮らしをしている俺は基本的に夕食は外食だ。

 ここら辺の大体の店なら網羅しているといっても過言ではない。

 そんな中でも行ったことがないラーメン店に入ったわけだが、なぜかものすごく丁寧な対応をされてしまった。店主っぽい人まで出てきてたし。

 こういうことはこの店に限ったことではない。

 最近どこにいってもひきつったような顔で接客をされるか、その店の店長ぽい人が出てきて対応されるのだ。

 何かした覚えはないが、この辺の店ではクレーマー扱いにでもなっているのだろうか。

 ただご飯を食べに来ているだけなのに。

 それにしては今日の店主のように丁寧な対応をしてくれることもあるから、余計にわからない。


「……やっぱりこの格好か?」


 自分が来ている服装を改めて注視する。

 ネットで和服風のジャージというのが売っていたから、興味本位で買ったのだが、これがなかなかに着心地がよく、今ではほとんどこの格好で移動することがほとんどだ。

 しかし周りが洋服の中で和服というのはかなり目立つ。

 それも気づいてはいるが、周りを気にして自分が動きにくい格好をするのもなんか嫌だ。

 それとも箸を持参するのが珍しいんだろうか?

 自分の気に入った箸で食べたいって言うのは普通だと思っていたけど。

それに箸とレンゲがあれば、大抵のものは食べられるし。


「うーん……まあ、うまかったからいいか」


 考えても答えが出ないと分かりきっていることに時間を費やすのももったいない。

 そう捉え、家への道を歩き始めた。

 草履の音が耳に入り心地よかった。

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二刀流の甚 葵 悠静 @goryu36

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