第9話 今日も探偵は踊る

 これは、レーナさんから聞いた話。GグループCEO、イシュール・ガエリオの幼少時代の事だった。

 Gシティの名家に生まれた彼は、厳しい父親の教育を受けて育ったらしい。その父親がガエリオに繰り返し語ったのは、世界平和の実現だったとか。

 父親がどんなことをガエリオに語ったのか、その内容はわからない。でも、幼少期のガエリオは世界平和という理想を刷り込まれたのかもしれない。

 その理想は、成長と共に少しずつ歪んでいった。それが、優れた人間による世界の統治、管理という内容だった。

 ガエリオは、彼なりに真剣に世界平和の実現を考えていたのかもしれない。多少の犠牲を払っても、世界を強引にまとめる。それが、効率などを考えた結果の結論だったのだろうか。

 しかし結局のところ、これが許されるかと言われたら、そうではないだろう。ガエリオはそのことに気付かなかった。いや、気づかぬふりをして計画を貫こうとしたのかもしれない。

 彼に足りないものがあったとすれば、きっとこの倫理観だろう。



 テーブルに置いていた小説を手に取り、ソファに腰かけながら読み始める。

 この小説は、あたしのバイブルと言ってもいい。憧れの探偵が登場する推理小説だ。彼の推理は的確に事件を解決に導いていく。そして、周りの人達、時には犯人の心すらも救ってしまう。そんな姿に、あたしは憧れを抱いた。


「はぁ……。それに比べて、あたしは……」


 大きなため息と共に小説を閉じる。どうしても、大好きな小説を読んでいても頭に過ってしまう。あたしの手を拒み、落ちていったガエリオの姿が。

 その度に、彼を救えなかった自分と小説の探偵を比べてしまう。比べる必要なんてないとわかっていても、どうしても無意識にしてしまう。


「どうしたんだい、そんなでっかいため息をついて」


 事務所の入り口には、カレンさんが立っていた。元々あった扉は、先の襲撃で無くなってしまった。それからというもの、修理の目途が立たず現状維持の状態が続いている。

 扉も何もない入り口を通り、カレンさんは手に持っていた袋を掲げる。


「配給、貰ってきたよ。お昼にしようじゃないか」

「すみません、わざわざ」

「いいさ、マリーに会ったついでだったからね」


 ガエリオが飛び降り、事件が終わった日からすでに五日が経過していた。

 Gグループを中心に回っていたこの街は、突然トップを失い混乱の中にあった。ロケット発射の際、エンジンの噴射で街のあちこちは半壊状態にもなっている。その影響で、信号機や電車などの街のインフラは壊滅状態。停電が続いている地域もある。

 Gグループの飼い犬だった行政は機能せず、街の復興はいまだに見えてこない状態だった。


「ファルネーゼさん、頑張ってるみたいですね」

「あぁ、お陰で飯にありつけてる」


 袋を開け、おにぎりとお茶をテーブルに広げた。

 警察から離反したファルネーゼさんだったけど、街の現状を見て考えを改めたらしかった。仲間達と共に警察へ戻り、Gグループと繋がっていた上層部の人達とは別に、新たな組織づくりに着手し始めたらしい。

 それだけじゃなく、街の復興を支援するため、独自で食料の配給やインフラの復旧のために動いている。


「マリーはマリーなりの、自分の正義を貫こうとしている。これからは、彼女が中心となってこの街は再建していくだろうね」


 珍しく、ファルネーゼさんの事を自慢気に話すカレンさん。確かに、こんな状況でも芯を持って行動できるのは凄い話だ。


「そう言えば、レーナさんはいつ出発されるんですか?」

「明日の夕方頃だとさ。寂しくなるねぇ……。今晩、ここで宴会でもするかな」


 レーナさんは、今回の事件について本国へ報告するために街を出るそうだ。軍関係者ということもあり、またこの街に戻ってくるかは不明だ。これで、最後の別れになることだってあり得る。そう思うと、あたしにも寂しさがこみ上げてきた。


「みんな、それぞれやるべきことをやり始めている。私も、そろそろ潮時かもね」

「えっ? どういうことですか?」


 かじったおにぎりをお茶で流し込むと、カレンさんは立ち上がった。いまだ窓がはめ込まれていない窓枠から、外の景色を眺めている。


「私は、フィのことがあったから警察を辞めた。そして、探偵を始めた。だけど、フィの仇だったデイビッドは死んだ。なんだか、探偵を続けている意味みたいなものがスッと消えてしまったんだよ。これ以上、探偵を続ける理由は無くなってしまったのさ」

「そんな、探偵を辞めるってことですか⁉」


 突然の話に、あたしは手に持っていたお茶のペットボトルを落としてしまった。焦げ跡が残る床に、お茶が広がっていく。


「私も私なり、この街にできる事を探そうかと思う。なんだかんだで、私もこの街は好きだからね」


 外を眺めるカレンさんの横顔に、迷いは一切見当たらない。清々しいほど、美しい横顔だった。

 でも、あたしは納得できない。納得したくなかった。


「そんなの……嫌です!」


 あたしの大声に、カレンさんは驚きの表情を向けてくる。そして、その顔が困ったような笑顔に変わる。


「嫌って……まるで子どもみたいなことを言うね」


 確かに、今のあたしは駄々をこねる子どもと変わらない。だって、本人は納得していることに他人が口出しをしている状況なんだから。


「あたし、なんだかんだでカレンさんの事は尊敬しているんです。推理力も、行動力もあたしなんかよりずっと凄い。まだあたしは、探偵橘カレンの背中を追いかけたいんです!」


 カレンさんの横に並び、同じように外を見る。青く澄んだ空とは対照的に、街は活気もなく灰色の淀んだ空気が漂っているように感じる。


「ガエリオを止められていたら、もう少し混乱は小さくなったかもしれません。この結果を招いた一因が、あたしにはあります。まだまだ、未熟者なんです。だから、目指すべき背中が必要なんです」

「なるほど、『あたしのために探偵を続けてください』ってかい?」

「なっ……」


 カレンさんの言う通りなんだけど、そんな言い方されるとなんだか恥ずかしい。まるで、わがままな彼女か何かみたいだ。

 恥ずかしさからか、耳まで熱くなる。きっと顔中真っ赤なんだろう。そんな顔を見られたくなくて、あたしは急いで顔を逸らした。

 丁度その時、入り口から階段を上る足音が聞こえてきた。早足で、急いで階段を上っているような響く音だ。


「大変よ二人とも‼」


 息を切らして現れたのはリンちゃんだった。


「どうしたんだい、そんなに慌てて。シャオも一緒に昼ご飯はどうだい?」

「そんな悠長な事、言ってらんないわよ! 事件よ事件‼」


 あたし達の元に駆け寄ると、リンちゃんは窓の外を指差した。その指示された方向を見ると、黒い煙のようなものが上がっているのが見えた。


「あっちの交差点で事件よ。盗みに入った男が、そのまま店の人を人質に立てこもったんだって!」

「あらまぁ」


 そんな間の抜けた言葉と共に、カレンさんはおにぎりを口にする。マイペースな様子に、リンちゃんはイラっときたらしい。声を荒げて叫んだ。


「これは依頼よ、依頼! 逃げてきた店長さんから、あんたにご指名が来たのよ! ここで報酬受け取れれば、事務所の修繕だってできちゃうのよ!」


 事務所の修繕。その言葉を聞いた瞬間、カレンさんの耳がぴくっと動いたのをあたしは見逃さなかった。


「修繕、かぁ……。確かに、窓が無いから夜は冷えるんだよねぇ」


 おにぎりを一気に口へ突っ込むと、カレンさんはハンガーにかかっていたジャケットを手に取った。


「カレンさん、もしかして依頼を受けるんですか?」


 あたしも、落としたペットボトルを拾い、口内を潤す。


「どうやら私にその気がなくとも、街が私を求めているらしいからね」


 ニヤリと、いつも通りカレンさんのわざとらしい笑顔が見える。


「じゃあ、探偵を続けてくれるんですか⁉」


 二丁の拳銃を取り出し、目視の点検をしながらカレンさんは頷いた。


「街が元に戻るまで、いろんなトラブルが起きるだろうね。それを解決できるのなら、私が探偵を続ける理由として十分だろう。小町も、ついて来るかい?」


 楽しそうな、嬉しそうな笑みであたしに問いかけてくる。やっぱり、カレンさんはこうでなくっちゃ。

 あたしの口角も思わず上がってしまう。こんな事を訊かれたら、答えは一つしかない。


「はい、もちろんです! どこまでもお供しますよ!」

「じゃ、地獄の一丁目にだって付き合ってもらうからね」


 拳銃をホルスターに仕舞い、あたし達は事務所を飛び出した。向かいの道路に出ると、二階からリンちゃんが顔を覗かせて叫んだ。


「報酬は山分けよ! 家賃分は引かせてもらうから‼」

「勘弁してほしいなぁ……」

「リンちゃん家だって生活がありますから。だから、いっぱい依頼をこなしましょう!」


 文句を垂れるカレンさんと、あたしは街を駆け抜けていく。

 一人前の探偵にはまだまだ程遠いけれど、いつかはなってみせる。その日まで、あたしはカレンさんの背中を追い続けよう。憧れの探偵像は、ここにもあるんだから。

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見習い探偵は世哭き街で踊る ジャックハント @JackHanto

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