第8話 泡沫のユートピア③

 ガエリオの腕を下ろし、カレンさんに向かって走る。そして、思わず抱き着いてしまった。


「あぁ、私はここにいるよ」


 そう言うと、そっとあたしの頭を撫でてくれた。


「まったく……私達が合流できていなかったら、危険なところだったんだがな」

「ファルネーゼさん! それに部下の方たちも!」


 カレンさんの後ろには、怪我を負いながらも元気に笑うファルネーゼさん達がいた。どうやら、カレンさんはみんなに助けられたらしかった。


「そ・れ・よ・り! あれを見てごらん」


 しかしカレンさんは、ファルネーゼさんに借りを作ったのがしゃくだったらしい。無理やり話題を変えようと、あたしの頭を掴んで空を見上げさせた。


「あっ……!」


 そこには、ロケットとは違う光を放つ飛行物体があった。もくもくと物体から出ている煙を追うと、それは海の方から飛んできたらしい。

 つまり、あれが撃墜用に発射されたミサイルだ。

 ミサイルは、瞬く間に高度を上げていく。その速度はロケットよりも速い。ぐんぐん上昇すると、その姿はあっという間に小さくなる。

 ロケットとミサイル。その二つが米粒ほどの大きさになった頃、空に閃光が走った。数秒遅れて、爆発音と衝撃があたし達の元へ届く。


「どうやら、成功したみたいね~」


 今度はレーナさんが、屋上に姿を現した。大きく伸びをしながら、満足そうな表情をしていた。


「これで、世界の平穏は保たれた。そういう事だね」


 大量のバイオソルジャーを乗せたロケットは、ミサイル艦によって撃ち落とされた。もう世界を混乱に陥れる存在はいなくなった訳だ。


「僕の、理想が……」


 しかし、この結果に納得できない人間が一人だけいた。


「さぁ、イシュール・ガエリオ。貴方は大人しく、罪を償うんだね」


 ガエリオは膝から崩れ落ち、涙を零していた。そんな彼の肩に、カレンさんが手を置く。ファルネーゼさんも、手錠を取り出していた。


「ガエリオ、手を出すんだ」

「僕は……」


 その時、ガエリオはカレンさんの手を振り払った。勢いよく立ち上がり、走り出した。


「どうするつもりだい⁉」


 あたし達は、その背中を追いかける。

 ガエリオは、屋上の端まで行くと立ち止った。そして、こちらに向き直る。


「どうして⁉ 僕は、素晴らしい理想郷を叶えようとしただけなのに‼」

「あんたの理想自体が間違ってたってこと。いい加減理解したら?」


 レーナさんは容赦のない冷たい言葉をかける。しかし、それで黙るようなガエリオではなかった。


「僕は完璧な世界を作るはずだった! でも、お前達がその夢と希望をぶち壊したんだ。もうこの世界は、僕の理想を叶えられない……」


 涙を頬に伝わせながら、ガエリオは下唇を噛む。

 彼はまだ、自分の間違いと向き合えていないんだ。あたしは一歩前に出て、手を伸ばす。


「人は、全てを平等にすることはできないかもしれません。命の価値を、心のどこかで決めつけてしまっているような生き物ですから。それでも人は、全ての人の平等を掲げる。命の優劣なんてものは、存在しないと言い続けるんです。だってそれが……人の善意から来る理想だから」


 あたしは信じる。人の善意を。それが人を、人たらしめる大切なパーツだと思っているから。


「は、はは……」


 しかし、ガエリオは笑った。乾いた笑い声で。虚ろな瞳で。


「そんなもの、僕の理想ではない。そんな世界、僕はいらない」


 次の瞬間、ガエリオの体は宙を浮いた。背中から、ビルの外へと飛び降りたのだ。


「ぁっ――‼」


 反射的に、手を伸ばす。精一杯伸ばすけれど、ガエリオの手は届かない。虚しくも、あたしの手は空を切るだけだった。

 落ちていくガエリオ。その表情は、どこか悲し気で、どこか安らかに見えた。


「小町……」


 何も掴めなかったあたしの手を、カレンさんが握る。


「帰ろうか。シャオも待っている」

「カレンさん。あたし、間違っていたんでしょうか。ガエリオを説得できなかったから……」


 すると、あたしの手を引っ張り、抱き寄せられた。


「そんな事はないさ。理想やら目標なんてものは、人の数だけある。今回は、小町の理想とガエリオの理想が正反対の位置にあったというだけさ」


 しかし、その言葉を聞いて、あたしは胸が苦しくなる。


「でもそれだから、理想同士がぶつかって人同士の争いが起こるんですよね。きっと、この衝突は今後も絶え間なく……」

「あぁ、難しい問題だね。人と人が分かり合うというのは」


 ガエリオと同じ理想を持った人が現れた時、また今回のような争いが起こってしまうのだろう。それは避けられないのだろうか。


「そうならないように、人は誰かの痛みを知らないといけない。他人の痛みがわからない人間は、簡単に他人を傷つけるからな」


 ファルネーゼさんが、青い空を見上げながらそう言った。その瞳は、空の遠くを見つめているようだ。


「他の人のことを知って、自分のことも知ってもらう。単純だけど、それを繰り返していくしかないのかもしれないわね」


 レーナさんも同じように、空を見つめながら言う。

 あたしもカレンさんも、空を見る。どこまでも続く青空は、ここからは遠く、でも近くも見えた。


「いつか、この手は届くんでしょうか……?」


 空の青を掴みたくて、あたしは再び手を伸ばした。

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