Happy is Finish

あばら🦴

Still unhappy

「はあ……はあ…………着いた……!」

 さっきまで息を切らしながら上り坂で自転車を漕いでいた五十嵐いがらしももという女子高生がサドルから降りてまじまじと言った。

「ふう……。ようやくだな」

 桃の後を行く男子高校生、福田ふくだ友宏ともひろも立ち止まる。桃と違って若干余裕があった。

 二人は『神奈川』の文字が書かれた青い標識を見て達成感に満たされていた。

「休憩するか?この辺で。お前疲れてるし」

「えっ?い、いいよ、私は…………」

 そうは言うが汗だくで明らかに体力が限界に来てる桃は自転車のハンドルを握って肩で息をしていた。

「慌てたってなんにも無いだろ。座ろうぜ」

「う、うん……。分かった」

 友宏は高速道路のガードレールまで自転車を押して雑に堂々と道路に座ると、桃がそれに続いていきそっと腰を下ろした。


 日本はとある驚異的な奇病が蔓延して世界から隔離されてしまった。その奇病とは感情を決定づける脳内物質が『幸せ』の感情に置き換わってしまう病気だ。

 初期段階では多幸感が多くなる程度だが、末期になると全ての感情が『幸せ』になるので『幸せ』のために動く必要が無くなる。

 空腹の辛さまでも幸せと感じるため、世界から隔離されて六ヶ月後の今、道路には餓死する幸せな死体が溢れていた。

 そしてこの奇病の驚異さは初期段階と末期段階の間にある第二段階だ。この段階になると多幸感に多幸感を感じ、積極的に他人に病気を移そうと動き出す。

 患者の唾液や血液を摂取すれば健康な者は簡単に感染する。


 この第二段階の患者が溢れる頃の日本において、十七歳の友宏は『幸せ』にならずに生きてきた。

 理由は単純。ダサいと思ったからだ。幸せの病気にかかって楽に幸せになるなんて逃げてるみたいでダサかった。

 友宏の両親はむしろ積極的に感染しに行った。その姿を見た友宏はより一層ダサいと思っていた。

 そしてつるんでいた同級生の仲間と共に、この地獄から救われるまで耐え抜こうと誓った。


 結局はその仲間達も全員『幸せ』になった。救われないと悟ったからだろう。

 二ヶ月前に『幸せ』になった最後の仲間を見て、自殺みたいなものだと友宏は思ったのだが自分で思って自分で違和感を抱いた。

 自殺にはその先が無い。しかし『幸せ』になるとその先には大量の幸せがある。

 俺もそっち側に行こうか―――。友宏がそう考える頃にはもう既に『幸せ』がダサいなんてハリボテの気持ちは無かった。


 だが友宏は少し『幸せ』にならずに生きることにした。

 理由は単純。優越感があった。両親も仲間達も見ていない景色を見ている。『幸せ』になった奴らと違って両足をついて立っている。

 どうせいつでも『幸せ』になれるんだから、この優越感に飽きたら俺も幸せおわりを迎えるか―――桃と旅をすることになったのはそんな気持ちで何となく生きていた時だった。


 桃は友宏と同い年だった。未だ生きている者同士で協力して行われるで二人は出会った。

 炊き出しで普段から顔を合わせてはいるし在校していた高校は同じだったのだが、顔見知りでしか無いため話したことは無かった。

 しかしある日、友宏は炊き出し会場では無い場所で桃と会った。いや、桃が会いに来た。

 その時の桃の勇気を出した一言が友宏を数週間の旅へと向かわせることになった。

「あ、あの……着いてきてもらっていい、かな……?」

「はあ?」めんどくさそうなその声が友宏の返事だった。


 友宏が桃から聞いた話を要約すると、桃の父親が出張で神奈川に行ってて会いたいから一緒に着いてきて欲しいという内容だった。

 女の一人旅は心細いしなんかあった時誰にも助けてもらえない。そこで同じ高校の同級生である友宏に思い切って頼み込んだらしかった。

 友宏は断ってもよかったのだが承諾した。

 理由は単純。暇だから。


 車なんて通るわけのない高速道路の上で太陽に照らされながら桃が休んでいると、急に友宏が話しかけてきた。

「なあ。もしもお前の親父が生きてなかったらどうすんだ?」

 友宏は聞いた。失礼な質問なのは分かっていたがそれでも聞いた。

 桃がオドオドしながら答える。

「そ、そうだね……。そうなったら私は……泣いちゃうかな…………」

 頬と眉を不器用に動かして微笑む桃。

「じゃあ逆に生きてたらどうすんだ?」

「うーん……。泣いちゃう、かも……」

 桃の目線は友宏の方では無く道路に生えた雑草に向けられていた。


「そんで……その後はどうするんだ?見つけた後。お前も『幸せ』の病気にかかるのか?」

 友宏の声は至って真剣だった。神奈川に着いたら絶対聞こうと思っていた質問だ。

「そ、その後?その後かあ……。わかんないけど…………」

 桃のボサボサの髪が風になびき、桃は気まずそうに顔を横に向かせる。

「私が『幸せ』にならなかったのは……パパにまだ、ありがとうって言ってないから、なの」

 友宏は真剣に耳を傾けていた。

「『育ててくれてありがとう』ってパパに言うまで『幸せ』になりたくないの……。『幸せ』になったらもう……言いに行けないから」

 桃は父親へお礼を言うために『幸せ』にならずに生きてきた。

『幸せ』になって死ぬのが嫌なわけじゃない。ただ桃は、家を空けることが多かったものの男手一つで愛情を込めて育ててくれた父親にお礼も言わずに死ぬのは嫌だった。


「じゃあそれが終わったらお前も『幸せ』になるのか?未練が無くなったからって」

「わ、わかんないよ、その時になってみないと…………」

 今の桃の言葉が友宏の頭の中でこだました。

「その時になってみないと、かあ」

 小声でそう言ってから友宏はガードレールに寄りかかって空を仰いだ。

「えっ?な、なに……?」と聞こえなかった友宏の声に戸惑う桃。

 桃が持つ何者よりも優しい瞳が友宏を捉えていた。その瞳が向けられるたびに友宏の心が揺れ動くのを桃はまだ知らない。友宏はそれが憎かった。


 友宏が首を下げて桃の黒い瞳を見つめ返すと、あくまで平常心を演じて桃に言った。

「桃。俺はお前が好きだ」

「ふえっ?!」

 困惑し素っ頓狂な声を出す桃。困り顔も可愛い、と友宏は思った。

「お前に着いてった時は飽きたら人生を終わらせるつもりだった。だけどだんだん、これを言わないと終われなくなっちまったんだ」

 赤面しながら友宏は、同じく赤面して黙って聞く桃を真っ直ぐ見て言った。

「その時になってみねえと分からねえとか言うから今言ってみた」

「は、はぃ……」

「分かったことがあった」

「そ、そうです、か…………」

「幸せになる時はお前と一緒が良い。いや、どんな時でもお前と一緒が良い。お前に着いていきたい」

 久しぶりに感じた『恥ずかしさ』という感情で頭に湯気が出そうなほど顔を真っ赤にする友宏。それは桃も同様で真っ赤な顔を俯かせていた。


 だが桃は勇気を出して顔を上げた。そして友宏の真剣な瞳をまっすぐ見つめ返す。

「どこまでも……着いてきてくれる?」

「ああ。お前がどこに行こうとも、何しようとも、絶対に俺が一緒だからな」

 もう二度と車の走る事のない高速道路の上で、バクバクと鳴るエンジンに似た二人の心臓の鼓動が聞こえた。

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