47▷三十二歳 春の終わり
その後も少しだけ新しい菓子……『ぽんぽん黍』という不思議な食感の菓子を食べながら、皆で話をしていた。
まだ話足りないという感じではあったが、私達は今度食堂に行きます、と約束してタクトさんはお戻りになった。
今日からは、新しい聖教会での課務を覚えていかねばならない。
もう少しだけ先ではあるが、シュリィイーレの皆さんへの『配務』も新しく加わるから、やることは沢山ある。
このやり方もタクトさんの考え出した方法だと言うから、私達はまたしてもその思いつきに舌を巻くことになった。
「いや、これからはもっとタクト様のなさることに触れる機会が増えるのだ。これくらいで驚いていてはいけないだろうな」
「そうだね、レトリノ。僕もそう思うよ。それに、いつもアトネストがとんでもないことをタクト様に尋ねるから、思っても見なかった面白いお話も聞けるしね」
「え、私が?」
思わず聞き返してしまったら、自覚がないのかい、と溜息を吐きつつ言うシュレミスだけでなくレトリノにまで呆れられた。
確かに、私はついタクトさんには変なことを聞いてはしまうが……そうそう、いつもという訳では……いや、いつも、かもしれない。
でも、なんだかちょっとだけ癪に障って、ふたりに嫌味を言ってしまう。
「……確かにそうかもしれないが、ふたりみたいに未だにいない時に『タクト様』と呼んでいたら、いざ目の前にいる時に変な呼びかけになってしまうんじゃないのか? そうしたら……タクトさんはまた、自分が無理を言ったなんて、悲しまれるのではないのかなぁ」
ふたりは無意識だったのだろう、はっとしたかのように口に手を当てる。
自分で、自分がおかしかった。
こんな軽口のようなこと、今まで誰にも言えなかったのに。
私は、このふたりにこんなことを言っても、誤解されたり避けられるようになったりはしないと、やっと思うことができたのかもしれない。
「むむっ……そうだな、普段から呼んでいると……つい、口に出てしまうな」
「そうだね、気を付けよう……僕等は、タクトさ、んの友人としてこれからも付き合っていくのだしね!」
友人という言葉が、過去に呪いの象徴であったかのようなその言葉が、ガイエスやこのふたりに出会い、タクトさんに望まれて、私の中で完全に素晴らしい宝物に変わった。
いや、皇国に来てから、私の中では絶望と悲しみしか感じなかった全てが意味を変えたのだ。
生誕日の度に味わった苦い想い、家門のことも名前のことも神々への信仰さえ否定された成人の儀の絶望。
だが、何もかももう色褪せた過去でしかなく、心を砕くことなどなくなった。
教会の扉を開くと、町の景色が目に飛び込んでくる。
もうかつて暮らしていたアーメルサスのどの町も、どんな色をしていたのかさえ思い出せない。
まだ初めて皇国に辿り着いた
「アトネスト、レトリノ、遊文館に行く前に昼を食べてからにしよう」
「そうだな、今日から昼は外食になるから……何処にする?」
「私は……一度、どこかの外門食堂に行ってみたいと思っているのだけど……どうだろう?」
いつも誰かに従うばかりで、指示を待っていたような私の提案に、ふたりも賛成してくれた。
では、遊文館に一番近い北西門に行ってみよう、とレトリノが言い、それなら遊文館に飛んでから行けば早い、と言うシュレミスに同意する。
私達は、初めての外門食堂に心を躍らせた。
「……この仕組みも、タクトさ……ん、だそうだな」
「一度頭の中を直接覗いてい見たいものだよ……!」
「玉子焼き……甘い」
「えっ、甘いのかいっ?」
「うむむ、甘くて美味しいが……菓子みたいだ。塩気がもっと欲しいが……」
「レトリノ、またやたら辛いものを作らないでくれよ? 今日の夕食、君だったよな?」
「食べられんものなど、作らんぞ! 食べられないというならば、責任取って俺が全部食べる!」
……そうだな。
作ったものには、責任が生まれるのだったな……そう思うと、改めてタクトさんは凄いな、と呟いてしまった。
外門食堂のこの仕組みも魔法も、全てタクトさんが信用されているからこそ使われているのだ。
数多くの魔道具、魔法、そして訳文……何もかもに『責任』を取るつもりでなければ、こんなにも多くのものを生み出せやしない。
それを『好きだからやっている』と言って退けることも、私からは眩しいばかりの強さだ。
今まで私が自分のことすら決められなかったのは、誰かに決めてもらうことの方が楽だったからだ。
成功して次に過度な期待をかけられることもないし、失敗しても自分のせいにはならないだろうという卑怯な甘え。
何かの理由をつけては、自分にはできっこないと全てを諦めていたくせにどこかで自分のせいではないと思っていた。
他者を拒絶したり無関心を装うことでしか保てなかった自分。
やらないこと、できないことが当たり前になっていてガイエスが手を差しのべてくれるまで、私自身が『停止していた』のだと思うほどだ。
周りも見えなかったし、正しく見ようともしなかった。
だけど、アーメルサスでもなんの見返りもなしに助けてくれた人達だっていた。
決して奪われるばかりではなかった。
その人達にはもうきっと会うことは叶わないだろうし、礼を言うこともできないだろう。
だからせめて、神々にその人達の無事と幸福を祈ろう。
きっと今、幸福を手に入れられたから、自分を見つめることが怖ろしくなくなったから、そう思えるのだろう。
『誰もが自分で決めている。そこに在るのが自分の意思だけではなくても、神々の意志だけということでもない』
神々の意志も自分自身も間違いなく私の中に存在し、強制されてもおらず見放されている訳でもない。
自分の思い通りでなかったから見放されたと嘆き、思い通りになったら自分の努力の賜だなんて言うのはただの傲慢。
それさえ解ったのであれば、嘆く必要も諦める理由もないのだ。
アーメルサスの暗闇の中で支えてくれた手を思い出すことはもうできないが、ガイエスに導かれて道を見つけられた。
タクトさんの言葉で光が見え、やっと、自分の周りにいてくれる人達を大切なのだと知ることができた。
レトリノに、シュレミスに隣にいてもらって、自分の足元を見て立ち上がることを覚え、司祭様達に高みへ誘われて階段を見つけられて一歩ずつ上ることも、できるようになった。
子供達からも、本を通じて自分の中を見つめることを教えられ、寄り添う温かさを初めて知った。
生きていくことが喜びであると……この町に来て教えてもらったのだ。
その全てが神々の用意してくださった道だ。
だけど、その道を見つけられたのは私の力ではなく、ずっと求めていた光を与えてくれた私に関わってくれた人々だ。
風に乗って辿り着いた私がこの町で芽吹いたのだと言っていただけたが、その芽を育て、樹木となれるかはこれからの私自身にかかっているのだ。
立ち枯れてしまうか、大きく枝葉を広げられるようになるかは、全て。
食堂を出て、すぐそこに見えている遊文館までの短い道を歩く。
春ももう終わり、夏が近くなる季節だがシュリィイーレに吹く風はまだ少し冷たい。
だが、とても心地よくて爽やかだ。
去年は……こんなことを感じることもなく、過ごしていたんだな……
遊文館に入ると子供達が駆け寄ってくる。
レトリノは手を引っ張られ図録の説明をして欲しいと強請られ、シュレミスはこの数式を解けるかと挑まれている。
私の元にも、何人かの子供達が本を持って瞳を輝かせる。
なんの本にしようか。
そうだな、あの辺りに腰掛けて、一緒に読もう。
私に全てを与え、全てを受け入れてくれたこの国の、美しい神話を一緒に読もう。
いつか、聞いてくれた君達の誰もが
了
2024.3.20
*******
今回をもちまして、アトネストの物語は一応の最終回となります。
今後はタクトやガイエスの物語の中で『間話』として、アトネストやシュレミス、レトリノの現状が描かれる話もあると思います。
もしくは、近況ノートの『限定公開』でお目にかかるかも。
その時はまた、この物語を思い出してくださると嬉しいです。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
磯風 拝
アカツキは天光を待つ 磯風 @nekonana51
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