46▷三十二歳 弓月二日

 ……起きると、自室だった。

 いつ戻ったのか全く記憶がない。

 卓の上にあった水を飲み、窓を開けて風を入れる。

 少しだけ冷たい風は、朝の心地よさを運んでくれる。


 ちょっと身体が怠いような気がしたが、くるくると腕を回すとなんとなくスッキリしたので気のせいだったのかもしれない。

 窓の外を見つつ、タクトさんと昨日交わした会話を思い出していた。

 友人……という言葉に、無意識に線引きをしていた自分が本当に馬鹿だったとやっと認められた。

 また、大切な気持ちを手に入れられ、目標ができた。


「アトネスト、大丈夫ですか?」

 廊下からラトリエンス神官の声がして、はい、と返事をし扉を開く。

「ああ、大丈夫そうだね。でも、着替えた方がいいな。昨日のままの中衣だから」


 くすくすと微笑みながらのラトリエンス神官にそう言われ、自分の格好に初めて気付いた。

 確かに、昨日の儀式の時の中衣……あれ?

 ということは……?

 ひょっこりと隣の部屋から顔を出したシュレミスに、やれやれという溜息を吐かれた。


「君は昨日、酒を飲み過ぎて食堂で眠ってしまったのだよ」

「え……」

「大変だったのだぞ? レイエルス神司祭とラトリエンス神官と僕、それとタクト様で酔いつぶれた皆を部屋に運んで上衣を脱がせて寝床に入れてやったのだからなー」

 さーーーっと血の気が引くような感じ。

「もっ、申し訳ございませんっ!」

 ふたりに向かって思いっきり謝罪するが、自分の冒した失態にクラクラする。


「いやいや、私が調子に乗って、皆に酒をついで回ったからなぁ。すまなかったと思ったんで、運んだだけだ」

「タクト様が『酔い潰れた者を運ぶ由緒正しい道具』をお貸しくださったんで、軽々とは運べたけどね……自分の酒量は把握しておきたまえよ、アトネスト」

「……すまない……ありがとう」


 情けなくて赤面したままだったがなんとか着替えを終え、ふたりと一緒に食堂の脇、居間として作られた部屋に入る。

 するとラトリエンス神官やシュレミスのように元気なのはレイエルス神司祭とレトリノだけで、あとは皆どこか身体を擦ったり、捻ったりしている。

 きっと、椅子に腰掛けたまま酔いつぶれてしまったせいで、身体に痛みが出ているのかも。

 私とレトリノは運が良かっただけだろう。


「こんな風に、身体に怠さがある時は、魔力流脈が滞っている可能性があります。こういう時に一番いいのは、蓄音器体操ですっ! さぁ、始めますよーー!」


 ちょっと肩を擦りつつのテルウェスト神司祭の号令で、蓄音器体操が始まる。

 レイエルス神司祭は初めてらしく、興味津々といったご様子だ。


 ♬ーー!


 私もレトリノもシュレミスも難なく身体を動かせるのだが、皆さんは腕が上がらなかったり、身体を曲げた時に『うっ』というような声を発していた。

 ……痛そう……

 だが、最後の『深呼吸』という呼吸法の時には、殆どの方は身体が解れたのかスッキリしたお顔をなさっていた。


「はー……なかなかきつい……あ、タクトさ……んっ」


 ミオトレールス神官の声に吃驚して部屋の入口付近を見ると、タクトさんがいらしていた。

 皆が昨日のタクトさんからのお願いに、慣れない呼び方で声をかける。

 タクトさんはその度に、少し申し訳なさそうに返事をする。


 だからか、私が思っていたより簡単に『タクトさん』と口にすることができたせいで、少し驚かれてしまった。

 なので、ずっと心の中ではそう呼んでいたこと、やはり私自身も『様』と言ってしまうことに距離を感じていて淋しかったとお伝えした。


「そうだったんですか! だったら、もっと早く頼めばよかったな」

「いえ、結構ドキドキしているんですよ? あまりにタクトさんは……私とは違い過ぎて」


 そうだ。

 私はタクトさんとは、違い過ぎる。

 だけど、同じでなくても、近くなくても、全てを理解などできずとも、友人でありたいと思う気持ちはあるのだ。

 すると、タクトさんは私の気持ちを汲み取ってくれたかのように話してくれた。


 何もかも包み隠さずなんて絶対にできないし、全部を知ることが、信頼という訳でもない……と。


「俺もどうしても変えられないことだってありますし、皆さんだってあって当然ですよね。だから、強要するつもりはないんです。だけど、自分がどうして欲しいかだけはお伝えしたいですってことなのです」


 テルウェスト神司祭とレイエルス神司祭だけでなく、ガルーレン神官達も、こんな風にご自分の階位を笠に着ることもないタクトさんを微笑ましいと思っているだろう。


「大丈夫ですよ、タクト

 そう呼んだレイエルス神司祭に、少し驚いた。

「私達も自分の気持ちを素直に言葉にしますよ。ただね、あなたに対して『敬語』を使ったとしても、それはそれで『素直な気持ち』なのです。だから、遠いなどと考えないでくださると嬉しいです」


 続けられたその言葉は、私達が思っていることを代弁してくださっている。

 そうなんだ、言葉という形に囚われ過ぎているのは、私達もタクトさんもどこか似ているのかもしれない。


「はい……俺、自分の価値観に拘り過ぎるところがあるので、意固地になっちゃってたら教えてください……ご面倒でしょうけど」

「いいえ、あなたと様々な価値観などについて話せることは楽しいですから、喜んで。私達こそ、くどくど言うかもしれませんよ?」

「お、お手柔らかに……」


 場がふわり、と和んだのが解った。

 それだけのことで、なんだか途轍もなく嬉しい。

 かつて、全く人の気持ちが理解できないと嘆いていたことが、遠い過去のような気がした。


 そしてタクトさんの訪問理由を聞くヨシュルス神官とヒューエルテ神官に、酒で魔力流脈に流れる魔力が多くなる可能性や、昨日は甘いものがなかったせいで筋肉痛になっていないか心配だったタクトさんが言う。

 え、そんなこともあるのか……アルフアス神官とミオトレールス神官も驚いた様子だった。


「俺も痛くて、子供達と蓄音器体操をしてなんとか解したんですけど、バルテムスが描いた『微弱回復の方陣』を使ってくれたら、もう少し楽になったんです。試してみてください」


 タクトさんはそう答えつつ私にも一枚、微弱回復を方陣札を渡してくれた。

 試しに、と使うとすぅーーっと、背中と腰の辺りが軽くなった。

 ……全然痛みなんてなかったのだが、やはり某かの滞りがあったのかも……と、思わず腰回りを触ってしまったほどだ。



 タクトさんが『甘いもので回復しましょう』と、何種類かの菓子を持ってきてくださっていたので私達は喜び勇んで紅茶の準備をした。

 テルウェスト神司祭も昼前の課務にはまだ時間もあるし、と全員でいただくことに。


 当然ながら、話題は昨日の『演出』についての続きになる。

 昨日の夕食の時ほど白熱した感じはないが、またいつかあのような『星空』を聖堂に作り出して欲しい……と、テルウェスト神司祭が仰有っていた。


 私は……また、あの湧き上がってきた『疑問』でいっぱいになった。

 不敬ではないか、いや、神々に対する冒涜なのではないかなどと逡巡していたら、タクトさんから何かあるのですか、と声をかけられた。

 どうしても聞きたいと思っていることがある……と、口にしてしまってから、取り繕う。


「なんというか……その、タクトさんのなさることが……どうしても私には、神々のなさることのようにしか……思えないことが多くて」

「それは、買い被り過ぎでは……」


 そんなことはない。

 誰もが解っていることだ。

 あれが奇蹟でなくて、なんだというのだろう。


「その全ては、タクトさんだけの意思なのですか?」

 そう言ってしまった私に、タクトさんがまったく意味が解らない、というような視線を向ける。

「神々が……タクトさんの意思のように見せかけて……全て、神々のご意志で動いていらっしゃるのではないですか?」


 その場の空気が、少しだけ緊張したように感じた。

 だが、タクトさんは鷹揚に、優しい声で答えてくれた。


「神々のご意志、というなら、全ての人がそうだと思いますよ?」

「え……? しかし、誰もが神々のご意志を理解できるわけではありませんし……」

「神々のご意志なんて俺だって解りませんし、誰ひとり理解はできませんよ。人には、神々の声は聞こえないし。だけど、誰でも必ず神々からの啓示を受け取っていますよ」


 啓示?

 神々からの?

 私などが、何時、何処で、どんな啓示をいただいたと言うのだろう。


「身分証に刻まれる魔法や技能、職位は、神々が俺達ひとりひとりに示してくださっている神々のご意志の片鱗ですよ?」


 思わず自分の身分証のある位置に、手を置いた。

 ……そう、だ。

 これは、私のための……私だけのための『神々からの報せ』だった。


「神々のご意志は神典にあるように『智を以て扉を開くこと』です。人は多くを学び、考えて、試行することで魔法や技能、職位を得る。それを神々がお認めくださって魔法や技能という『鍵』を得たことを記してくださるのが、身分証じゃないですか。その魔法や技能が職位になって『未来への扉』を開くんでしょ? 全て、神々の意志そのものです」


 タクトさんは、魔法や技能が増えて職位が変わることは『新たに開くことのできる扉が増えた』ということを、神々が我等に示してくださっているのだと言う。


「神々の意志で動いているというのなら、確かに俺は身分証に記していただいた魔法などを使って行動しているから、その通りでしょう。そして、アトネストさんも他の誰でも、それは変わらない」


 ただ、加護や使えるやり方が違うだけだ、とタクトさんは微笑む。

 それを聞いて、何度か頷いているテルウェスト神司祭とレイエルス神司祭が目に入った。


「神々は全てを織り込み済みです。だから、我々の全てが神の意志で動いているとも言える。だけど、それは自分の意思がないということの証明にはならない……と、俺は思っています」


 正確には神のご意志だけではない……かもしれないし、自分の気持ちだけではないかもしれないってことだと思うけど、とタクトさんは続ける。

 何度となく、ご自身にも問いかけたのかもしれない。

 ずっと、考えていらしたことなのかもしれない。

 だから……単に思いついただけという私の、軽く口にしてしまった言葉にこんなにも深くご自身の思いを語ってくれるのだ。


「俺はそもそも、俺だけの意思で生きている訳じゃないと思っています。今まで関わった人達から得た知識や言葉にとても影響されているし、一般的な常識と言われていたことや慣習などにも囚われています。そういう意味まで含んでしまったら、誰ひとり自分の意思だけでなんて生きていません。だけど、それらの過去の自分に与えられて今持っているものをどう使うかということは、誰もが自分で決めている。そこに在るのが自分の意思だけではなくても、神々の意志だけということでもないんじゃないかな。全ての人がそうだと、俺は思っていますけれど」


 ああ、そうか。

 やっと腑に落ちた気がする。

 タクトさんの言葉やなさることに『神々の意志』を感じるのは……私が今、言って欲しい言葉と、して欲しいことを与えてくれるからだ。

 自分に自信がない私は、誰かに言って欲しかったのだ。


 全てが神々の識るところであるが、決してそこに自分がないと言うことではない、と。

 そして、常にこんな愚かで矮小だと思っている私でさえ、神々の意志が在って生きているのだということを自分以外の誰かに認めて欲しかったのだ。

 いや、認めているよ、解っているよ、と……言葉にして欲しかったのだ。


 神々に対して疑うようなことを考えていたとしても、それすら神々はご存知でその意思を持つ私ですら……許されていると言って欲しかったのかもしれない。

 タクトさんに。


「……ありがとう。少し、解った気がします」


 私の目の前に、タクトさんが新しいお菓子ですよ、と差し出してくださった。

 ひとつ、口に含むと甘くて不思議な食感で、思わず笑みがこぼれる。

 お陰で涙が出ずに済んだ。


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『カリグラファーの美文字異世界生活』第767話とリンクしております

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