45▷三十二歳 弓月一日 - 3
聖神司祭様方とは同じ卓に着くことはない……と思っていたのだが、皆様が『料理の礼を』と仰有ってくださりお話しさせていただく機会を得た。
……正直、もの凄く緊張しているし、できるならすぐにでもその場を離れてしまいたいくらいだった。
しかし、思っていたより短いお声がけ程度で済んで、私はほっとしていた。
レトリノは残念だと言っていたが、明らかに顔はほっとしている表情だった。
私はそんな虚勢を張ることもできないし、なんて気弱なのだろうと情けなくなるが、私自身まだ自分に自信がないということの現れなのかもしれない。
また、アルフアス神官に背筋を伸ばしなさい、と言われてしまいそうだ。
昼食も終わり、そろそろ聖神司祭様方はお帰りの頃だろうと思っていたのだが、お見送りの準備をしていたガルーレン神官が慌てて私達がいる二階の居間へと入っていらした。
「すまん、紅茶を入れるのを手伝ってもらえるか?」
「どうなさったのです? もう、皆様はお帰りになったのでは……」
自分達へのお声がけが終わったのだし、お忙しい方々が留まる理由などないと思うのだが……?
ガルーレン神官は短く溜息を吐くと、私達三人にだけ聞こえるような小さい声で仰有る。
「あの賓客室をお気に召してくださったのはありがたいのだが、どなたも立ち上がらなくて……今、ファイラス殿がタクト様を呼びに行ってくださっている」
「どうして、タクト様を?」
「タクト様とお会いになれば皆様のお気も済むのでは、というファイラス殿のご提案なのだ」
そんな話をしつつ紅茶を準備し、三階へと運び込んだ。
隣の部屋に紅茶を置き、ヨシュルス神官が皆様にお出しし終わると私達もほっと息を吐いて二階へ戻った。
そのすぐ後に、タクトさんがいらっしゃって聖神司祭様方とお話しになっていると、ミオトレールス神官が教えてくださった。
「上手く、テルウェスト神司祭達も誘導してくださると仰有っていましたけど……このまま夕食までいらっしゃるのでは……」
「えっ……」
いかん、思わず……嫌がっているような声を出してしまった。
折角聖教会で過ごす最初の夕食なのに、この教会の祝いの日にテルウェスト神司祭やレイエルス神司祭と別々に食事を取らなくてはいけないなんて、と思ってしまったのだ。
だけど、ラトリエンス神官がぽん、と私の肩を叩き、タクト様を信じよう、と呟かれた。
シュレミスとレトリノも頷くので、気持ちは私と一緒だと思っていいのだろうか。
とりあえず、夕食の支度だけはしておこう、と厨房に入る。
「私達の分だけ……でいいのでしょうか?」
「願いを込めて、そう致しましょう」
「そうですね、タクト様がなんとかしてくださると信じて!」
だけど……どうも、私だけが未だに『どうしてタクトさんが?』と思っているみたいだった。
そんなにもタクトさんは聖神司祭様方と、気安くお話になれるのだろうか?
暫くすると、満面の笑みでテルウェスト神司祭が二階の居間にいらっしゃった。
「聖神司祭様方がお帰りになりましたよーっ! 皆さん、今日はお疲れ様でした!」
ほーーっ、と全員の吐く息の音がして、全身が弛緩する。
「夕食の支度はできていますか? タクト様がご一緒くださるのですが……足りますか?」
「「大丈夫です!」」
……言いそびれた。
パンも大丈夫です、と後から言った。
二階の私達が使う食堂に、料理を並べている時にタクトさんがいらっしゃった。
笑顔で『今年の乾酪は最高にいいできなので、一緒に食べましょう!』と仰有るので思わずみんなで笑顔になった。
「それではー、いただきます! んんっ、この玉葱茶、美味しいですねっ」
タクトさんの言葉に、レトリノの背筋が伸びた。
確かにこの玉葱茶は私も大好きでとっても美味しいから、タクトさんにそう言っていただけたことはもの凄く嬉しい。
パクパクと軽快に召し上がるタクトさんを見つめ、レイエルス神司祭がくすり、と微笑む。
「タクト様は本当に、美味しそうに召し上がりますね」
「本当に美味しいのですから、しょうがないですよ。パンも何個でも食べたいくらいだし、この鶏肉も玉葱茶も絶品ですから!」
「そうでございますでしょう! 最近、レトリノもシュレミスもアトネストも、シュリィイーレ教会の全員が本当に料理が上手になったのでございますよ」
テルウェスト神司祭にそう言っていただけて、口元が緩むのを止められない。
やっぱり、今日みんなで一緒に食事ができることが、こんなにも楽しい。
タクトさんが、私達とこの祝いの場に一緒に居てくださることが堪らなく嬉しいのだ。
更にタクトさんは葡萄酒とそれに合うという乾酪や乾燥果実なども取り出した。
酒……は、冒険者時代に少し飲んだことはあるけれど、得意ではない。
でも、皇国の酒はアーメルサスの物とは違って美味しいかも……と、注がれた杯を見つめる。
「……これ、カストーティアの……赤葡萄酒ですね!」
「ご存知でしたか、ラトリエンス神官! 去年は葡萄の豊作だったとかで、珍しくシュリィイーレにも入って来ていたので、買っておいたのです」
「素晴らしいですね! 私も数十年振りです、この葡萄酒をいただくのは」
酒のことをよくご存じのラトリエンス神官と、レイエルス神司祭がこんなにも喜ばれるということは、相当素晴らしい酒なのかも。
「それでは、改めて、聖教会完成に!」
テルウェスト神司祭のお声がけで、杯を高々と上げる。
これは神々と共に祝い、恵みに感謝をするという意味の込められている。
ひと口、口に含む。
……美味しい。
初めての味だ……皇国の葡萄酒って、こんなに美味しいのか……!
その美味しさと大切な儀式などの全てが終わった安堵感からか、なんだか全員笑顔が多いし口数も多くなっているような気がする。
タクトさんにあの『演出』のことを聞くと、どんな魔法だとかどういう風に方陣と組み合わせているとか話してくださる。
楽しくて、身体もなんだか温かくなって、タクトさんに次々に皆が色々なことを聞いていく度に……なんだか少しずつ、タクトさんの笑顔が少なくなるような気がした。
なんでだろう……?
もしかして、お疲れになってしまったのだろうか?
「あ、あの……お願いなのですが……どうしてもその、敬称……止めてもらったりできませんか?」
ふと耳に届いた、淋しそうなタクトさんの小さい声に、私達は口を噤んでしまった。
一瞬、意味を掴みかねて押し黙ったままでいると、タクトさんが続ける。
「皆さんが俺の身分階位のことをご存知で、それについて心から敬意を払ってくださっているのは解りますし、ありがたいとも思うのですが……その、どうしても、『様』付けで呼ばれる度に、皆さんとの距離を感じてしまうんです」
「……距離、でございますか?」
テルウェスト神司祭の繰り返された『距離』と言葉に、私も心の中と口に出す言葉で『違う距離感』を感じていたことを思いだした。
タクトさんも、私と同じようにもっと近しい間柄でいたいと思ってくださっているのだろうか。
「俺が、勝手に思っている価値観ですけど、とても、そう呼ばれる度に皆さんが遠くなっていくようで……えっと、いつまでも友人にも身内にもなれていない気が……してしまって。友人とまでいかなくても、仕事仲間とかそんなんでもいいんですけど、もっと……近いと嬉しい……と、思っているのですが駄目、ですか?」
「よろしいのですか……? 私達が、タクト……さんに、友情を感じても……?」
思わず、言葉にしてしまった。
身分階位が全く違うのだということは解っている。
本当ならば、こうして言葉を交わすことすらできない方なのだということも。
「勿論ですっ! 俺は、皆さんに……そう、思ってもらえる方が嬉しいですっ!」
少し嬉しそうなその声に、調子に乗りすぎたのではと思う自己保身が働く。
「……で、ですが……その、身分階位というものも、無視はできませんし……」
本当は気安く、友人として振る舞いたいのに『身分階位を弁えていない』と思われてしまうことを恐れている。
違う、私は……周りからの評価を恐れているのだ。
え?
評価……?
誰の?
誰、からの?
「解っています、公式の場では、仕方ないかもしれません。だけどこの町で、シュリィイーレで共に暮らしている時に、同じように遊文館にいたり、市場で買い物したりしている時に、俺だけ敬称で呼ばれるの、嫌ですし……俺は、ただの『客』ではなくて皆さんの仲間だから、今日、こうして祝いの席を共にしているって思いたいです」
状況も何も全然違うのに、私は友人だと思っていた三人に『友達なんかじゃない』『生まれが違うのに関わられることが迷惑だった』と言われたあの日のことを思い出していた。
そして『いい職に付いたらこっちにも見返りありそうだと思ってた』と、下卑た笑いを漏らしていた彼等を。
明らかに上だと解っている人を『友人』と言うことで、彼等と同じ下心があると思われたくなかったのだ。
おかしな話だ。
ガイエスのことを、レトリノやシュレミスのことを友人だと自覚しているというのに。
私は……どこかで『自分にとって友人と言っていい程度』などと……皆を侮り、こんな、実力もなく自信も持てない自分でも心の中で同列だと思っていたのか?
なんて、なんて、浅ましいのだろう……!
自分を責めるような言葉ばかりが頭の中に渦巻いて、全く周りの音が聞こえない。
すぐ隣で、テルウェスト神司祭とレイエルス神司祭がタクトさんと話しているのに、何を言っているのかの判別もつかない。
駄目だ。
自分を責めたって、卑下したって、何ひとつ変わらない、変えられない。
暗い感情も、無意識の差別も、あって当たり前なのだ。
その心を認めて、見つめることで直すことも克服することもできる。
そう、信じて諦めないことが何より大切だと、ここに来て知ったではないか!
自分で自分を貶めて可哀相だと酔うことは簡単で楽だから、どうしても流されてしまいそうになる。
そんな駄目な自分を解っているのだから、誰かを傷つけても許してくれなどと逃げるのはなんの解決にもならない。
いや、自分に価値がないとか駄目だなどと思ってはいけない。
今、価値がないのであれば、これからそれを見出していけるように生きればいいのだ。
まだ全ては『
思わず、手に持っていた杯を思いっきり仰いだ。
葡萄酒が喉をすぅっと通り抜け、すぐに腹の奥と顔が少し熱くなる。
正面を見ると、ミオトレールス神官も同じように杯を
タクトさんも頬を紅潮させ、笑顔で『はいっ』と答える。
シュレミスもレトリノも……そして私もそれに続いてしまった。
多分、これが酒の勢いというものなのだろう。
悪い気分ではなかったし、なんだか……嬉しかった。
いつか必ず、誰の前でも誰にでも、タクトさんと友人だと言える自分になろう。
レトリノとシュレミスと、そしてガイエスからも『友人だ』と誰にでも笑顔で紹介してもらえる自分に。
彼等を、タクトさんを、私の大切な友人だと……誰にでも笑顔で言える私になろう。
……今……飲み干さなかっただろうか?
杯にまだ、葡萄酒がある。
視線を上げると、瓶を持っているラトリエンス神官がにっこりとされた。
「ラトリエンス神官……?」
「美味しいだろう?」
「はい……っ!」
思わず返事をして……またぐいぃっと一気に飲んでしまった。
身体が、自然に椅子の上に座り込み、隣にいたレトリノに寄りかかったところから……記憶がない。
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『カリグラファーの美文字異世界生活』第765話とリンクしております
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