第14話
「え!?」
ひらひらと手を振って宣言する桜深の横で、紅葉はどうやらポテトを詰まらせたようでけほけほと咳込んでいた。そもそも二人がつがいだと確信したあの場に友人たちはおらず、桜深も今の今まで詳しく話すことはなかったので、友人たちの中では『一目惚れ疑惑』で止まっていたのだ。
そもそも桜深も、信じ切れなかったからこうして今日会う約束をしたのであるが……今日の再会から先ほどの表情で、これが冗談などではなかったのだとはっきりしたと考えられた。あるいは踏ん切りがつかなかっただけなのかもしれないが。
「あの後たまたま触ったら二人して能力が暴走したんだよ」
「……マジで?」
「マジ。じゃねえと一つ目とか倒せるか。一応、こいつが一人で頑張ったって話になってるけどな」
そもそも余裕で倒せるなら最初からそうしていた、というわけだ。
話を聞いたのち、やっぱり驚きが強すぎたのか、もう一度「マジか」と尋ねる俊に「マジ」と桜深が返せば、がたんと音を立てて俊は立ち上がった。したたかに腿を打ちつけたようで少々悶絶したが、そのまま涙目でがしりと桜深の肩を掴む。
「んじゃ桜深ってば地樹月学園に転校すんの!?」
「えっ!」
「うそっ!」
俊の言葉にようやくその可能性に気付いたのか、玄太と真白も声を上げて立ち上がった。朱里も驚いてはいるのか口元に手を当て目を見開いて固まっており、そんな中桜深はその可能性をある程度察していたようで難しい表情で黙り込む。
咽せた後こくこくとお茶を飲んでいた紅葉に視線が集まり、ぱちりと瞬きした紅葉は、そうっとグラスをテーブルへと戻した。
「基本的にはそのようになっております」
その言葉に友人たちはショックを受けたように固まったが、当人である桜深は違った。
「基本的には?」
「はい。桜深さんは、おいやなのですよね」
「……まあ、そうだな」
「でしたら構いませんわ」
「構いませんの!? なんで!?」
あっさりとした紅葉の答えに、口調までつられて驚いたのは俊であった。オレの従姉妹は、と続いたその表情から見るに、転校は強制的なものだと思っていたのかもしれない。
「それは……そもそもつがいの皆様は多くが恋人関係にあることが理由なのかも知れません。つがいをそばにおくのは大体が異形能力者の自己満足、もしくはつがいを守ろうとする考えからのようですから。ですが私と桜深さんはそういった関係とは違いますし、それに……」
「それに?」
言い淀む紅葉の顔を覗き込み桜深が尋ねるが、そこで顔を上げた紅葉はふるりと首を振った。
「出会えただけで幸運ですもの。私はそれで充分なのです」
あまり変わらぬその表情が僅かにほころんだその瞬間、桜深の脳裏に過ぎるのは、あの幼き頃の記憶に残る、黒髪の誰かの表情だった。今の今まで顔すら思い出せずにいた幼子の表情が僅かに目の前の少女と重なり、思わずその細い肩をがしりと掴む。
目を丸くした紅葉が「桜深さん?」と視線を合わせるが、似ていると断言できるかと言えば違う。何せあの記憶は朧気過ぎるのだ。
「どうしたの、桜深くん」
「……いや。悪い。なんでもねえよ」
「なんだなんだ? 桜深ってば、転校してほしいって言われないのが実は不満とか?」
にやにやと揶揄うような笑みを浮かべる俊に、そうじゃねえし転校はしないときっぱり言い切った桜深を見ても、紅葉の表情に悲嘆はない。まあそれならいいんだろうと空気を呼んだのか、そういえばさ、と話題を変えたのもまた俊だった。
「地樹月ってことは、やっぱちょっと前にあった亀裂痕についても詳しいのか?」
その瞬間、明かに空気が変わった。僅かに目を見開く紅葉はぴたりと動きを止め、見る見るうちに顔から血の気が引いていく。
「……どこでそのお話を?」
「え? あ、いや、ちょっと前にあった……じゃん?」
戸惑う俊は、「なあ?」と周囲を見回した。その様子に戸惑うように真白たちは頷くが、桜深だけは目を細めその紅葉の様子を伺う。
「ちょっと前……そう、ですね。そういえば、少し前にありましたか。いつでしたかしら、えっと」
「二週間くらい前……だっけ?」
真白が答えると、ああ、そうでした、と静かに答える紅葉の顔色は戻らない。
「申し訳ございません、亀裂痕の対策に動くのは、地樹月でも私のような未熟者ではなくて」
「未熟者って、そんな」
「事実ですもの。私も皆さまと変わらず、少し前に発見された、ということしかわからないんです。ごめんなさい」
その表情があまりにも硬く、未熟者という言葉からも、聞いてはいけなかったのかもしれないという空気が漂った。申し訳なさそうにした俊が、ちょっと歌ってみようぜと空気を換えるように発言するとほっとした様子を見せた為、それはあまり間違っていなかったのかもしれない。
なんにせよ、その後は買ってきた食べ物や周りが歌う曲に欣喜雀躍する紅葉を見てそれぞれが嬉々として不慣れな彼女の世話を焼き、夕方まで騒ぎ切った。
またね、というお決まりの挨拶をして、別れる。ただ一人壁の向こうにいたように今日一日の様子を見ていた桜深も、俊に背を叩かれて最後は「またな」という声をかけたが、それでもどこか一線引いた様子の桜深に紅葉はとくに表情を変えることなく去っていった。
「おいおい、いいのかよ桜深」
「いいんだよ。つか俺ちょっと用事できたから、またな」
「えっ」
驚く友人たちをおいて、桜深は走り出す。
桜深の脳裏にあるのは、あの、両親が遺した符術士の為の本……いや、桜深の為の本だ。伏せられた最後のページ。昨夜は疲れて確認せずに眠ってしまったが、今まさに桜深の身に起きていることこそ、『困ったこと』なのではないかと思い至ったのである。
正確にいうならば、今日は友人がいた為はっきりと確認できなかったが、あの『守種』のことだ。ただの傷跡だと思っていたあれが消えた瞬間、桜深と紅葉は互いをつがいと認識し力を暴走させた。あの傷跡を、幼い頃の古傷だと桜深に伝えたのは両親だ。両親があのことを知らない筈がないのである。
家に飛び返った桜深はすぐに遺された本を手に取った。慌てたせいで一度滑り落ちたが、その瞬間はらりと捲れたそのページを見て、桜深は息を飲む。
「やっぱそういうことかよ……!」
父親の続る『困ったこと』というのは、やはりあの傷跡の事だったのだ。本を手に取りその秘されていたページを撫でた桜深は、その字が何度も読んだ父のものであると確認して、その内容に目を向ける。
桜深はそのあとのことをよく覚えていなかった。
隠されていたのはたった数ページ。だというのにそこに綴られた内容は、容易く桜深を混乱の渦に叩き落としたのだ。
桜深の両親は、符術士だ。だが、母親は、符術士の中でも特殊な家の出であったとそこには綴られていた。それは、察していたことだ。桜深は、『符』でなくとも、布や壁を『符』に見立てて紋様を描くことで効果を発動できる。符ほどではないがそれが異質な力である可能性を考え極力使用せずにいたのは最適解であったようだ。
だが問題はその後の内容だった。
疲れた桜深は、風呂にでも入って落ち着こうと支度を進め、浴槽に湯が溜まるまでの間本に触れることなく内容について何度も考え直した。
桜深は、幼い頃つがいと思われる相手に会ったことがあるという。もしやあの記憶にある幼子は――そこまで考えたところでじゃばじゃばと水が溢れる音が聞こえた桜深は、慌てて立ち上がると風呂に走った。無理をして一人暮らしを選んだ桜深の暮らすアパートの浴室に、自動で湯が止まるような設備はない。
きゅっと蛇口をひねった桜深は、ふと、その溢れた浴槽の湯が不自然に揺らいでいることに気付いて目を止めた。
何かが、映っている。
そんな筈がないと思うのに、桜深はまさかとそれを覗き込んだ。揺らめく水面に映るのは、艶やかな黒髪だ。朧気な記憶のあの幼児ではなく、昼も見た、あの長く美しい黒い髪。ほっそりとした白い腕が、ふわりと舞うように動いている。
「……紅葉?」
そんなばかな。なぜ彼女の姿が水面に浮かぶのだと考えた時、桜深の脳裏に過ぎったのは先ほど処理できなかった文章の一つ。
桜深の、二つ目の能力の秘密。ウツス者、――鏡の異能について。
少女が、手を動かしている。その前にあるのは、壁だ。いや、ひどくひび割れたそれは壁の役目を恐らく果たしてはいない。あれは……亀裂痕、ではないか。
嫌な予感に、桜深の背に汗が流れた。亀裂痕の対処をするのは、地樹月だ。だがその対処をするのは、未熟者だという紅葉ではないのではなかったのか。
少女が、歩く。亀裂に向かって手を差し伸べ、その瞬間、じわり、と水面が赤く滲みだす。
少女が、藻掻く。苦しいのか体を両腕で抱き込み、亀裂痕の前で蹲る。
少女が、跳ねた。その体から、大きな枝がいくつも伸びあがる。声は聞こえないのに、絶叫が耳に響くようであった。浴槽が、赤く赤く染まっている。
少女の体が枝に捕らわれる。見ているだけで、体が震えるような衝撃が走った。取り込まれてその白い表情を見せた少女の口が、動いている。
『桜深さん』
「紅葉!」
咄嗟に水面に手を伸ばした桜深の腕が湯を叩いた。湯が跳ね全身に降り注ぎ、見ていた光景が掻き消える。その時桜深は、自分の体が震えているのではなく、浴室が、いや家が揺れているのだと気が付いた。地震だ。嫌な予感に、桜深は体を濡らしたまま部屋を飛び出した。他にも近所の人間らしい姿がちらほら見え、何事だと叫ぶその中で。
桜深は自身の目を疑った。アパートの二階の通路から遙か先に見える、不自然にも急速に成長する大きな樹。
その正体をきっと、桜深は知っていた。
黒泪の能力者 薄藍新茶 @tea_forest
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