狂信者

@wizard-T

狂信者

「お前は何も悪くない」

「でも……!」

「お前は筋を通した、立派な社会人としてきちんと振る舞ったんだ。あの男を喜ばせたいのか」

「わかった…………」


 女性が父親に言われて立ち上がり、向かった先は会社ではない。


 ただの一般家庭だ。


「この度はなんと……」

「あなたは何も悪くないです」

「私があの時……」

「私だってそうしていましたから……」


 花束と白黒の水引付きの袋を抱えた女性を前に、還暦を迎えるはずだった女性は深くため息を吐いた。

 二人とも目には涙が光り、家主の女性は胸に一枚の写真を抱いている。




 ——————彼女が殺したと、こじつけられなくもない女性の写真を。




※※※※※※※※※




「一人娘をいきなり奪われたんだからな……」

「三児の父、頼れるお父さんだったのに」

「シングルマザーもいたよ、しかも二人」

「定年まであと三年だったのに……」

「五年間引きこもっていたのにようやく羽ばたこうとしたら……」


 二人の中年男性が、疲れ果てた表情で酒を酌み交わしている。


「社長さんは」

「私はもう社長ではありません、一応名目的に相談役となっていますが、実質弾き出された人間です、社長さん」

「私の社長は、ほぼ敗戦処理です。全く関係のない人間たちを見送るがための」


 あの時までは見向きもしなかった軽い酒が、今ではありがたい。

 水のように、いや水のようなアルコール度数しかない酒をあおり、ひたすらに愚痴をこぼし合う。


 彼らの目に、光はなかった。


 ここ数ヶ月、「元社長」は加害者家族でありながら被害者家族のように扱われ、「現社長」は自分のせいにしようがない被害者たちに毎日頭を下げていた。


「しかし本気で提携を続けてくれるなど」

「進むも退くも地獄ではありますが、それでも私としては……」


 二人の会社の規模は数対一。それでも先々代から、元社長の会社は現社長の会社を当てにしていた。その技術なしでは、すぐさま会社が傾く事を理解していたつもりだった。

 長年にわたりそれでやって来たし、彼にもその場は見せているつもりだった。


「娘さんは」

「マスゴミだなんて言葉は嘘だって事が証明されているせいで、少しずつ立ち直っております」

「そうですかね」

「ええ……」

「それを教え損ねたのがいけないんですと申し上げているのに、誰も取り上げません。世間では突然変異の鬼っ子により運命を狂わされた不幸の代名詞扱いです」




 その鬼っ子が、わずか二ヶ月の間に先に述べた六人の男女を殺した。

 またその他にも、二人の人間が彼により命を奪われた。


「甘くすれば示しが付かず、ましてや社長さんの所に去られるわけにも行かないと」

「誰だってそうします、私だってそうします……彼も籍を入れたはいい物の真面目すぎるゆえにふさぎ込んでおりまして、五代目らしき事は正直できておりません……」


 町工場上がりの中小業者の一人娘が見初めた男性もまた、今やすっかり自分のせいでと気力を失ってしまっている。先に述べた二人の内一人が大学の同級生だった事もあり、今未来の五代目様はただの事務員と化している。意欲満々であった現場に出て来る事はない。


「彼は私の目から見ても立派な青年だった」

「ありがたいお言葉です、しかしそれが」

「…………」




 幼少の時から一緒に来ては、その価値を教えて来たつもりだった。

 絶対に粗末にしてはいけないと、教えて来たつもりだった。




「だが……」




 その御曹司様は、道を誤ってしまった。




「自分では現場にも立たせ厳しくしていたつもりだったが、結局は大企業の御曹司様として育ててしまったのかもしれない……」


 何でも欲しがるものを与えたわけでもなく、甘やかしたつもりはない。だが四代目様になるべく真面目に勉強して来た彼の人生は、順風満帆だった。


 そこに現れた初めての障害に、彼は自力で対処できなかった。




「だから、クビにしたんだ」




 元社長の息子は、自分の企業の名前を使い彼に彼女を諦めるように迫った。


 彼を首にしないなら取引を中止すると彼の勤め先に圧力をかけ、彼が婿入りする気である事を知ると彼の伯父の会社にターゲットを変えた。


 そんな卑劣なやり方で彼女をものにせんとし、さらにそれも通じないと見るや彼女の企業との提携を一方的に断ち切ったのだ。




 そんな彼をクビにした事は、何も間違っていないのだ。




「そして勘当の上に追放……」

「まったく妥当な処分ですよ」




 ——————その妥当な処分を下した後、彼は何をしたか。




「被害者の内四人の所属先は、私の工場に融資をしていた銀行と、あとひとつライバル企業です」

「残る四人は、全部うちのライバル企業か…………」



 疲れ果てた老人たちに、無言で一升瓶が置かれる。これまで呑んでいたのと同じ銘柄の酒に、店主はただでいいよと右手を振る。



「ああ、お互い肝臓の数値はどうなんだ」

「アラフォーって言われましたよ、そちらは」

「十歳若かったってさ、ったくお互いどんな生活を送って来たんだか」


 飲む打つ買うの三拍子のうち、打つだけしかしなかったのがこの二人だった。独身時代は毎週万札を、家庭を持ってからも一年間で五万円をJRAに寄付する程度には好きだった彼らは、その分お付き合い以上に酒を飲む事はしなかった。

 家族のため、自分たちのために節制を心がけ、ようやくご隠居生活を楽しむかとなった所でのこの仕打ちに、若い時から続けていた全てが壊された気にもなった。




「なあ、クビにされた上で会社に尽くすとしたらどうする?」

「クビと言うのは未来永劫要らないと言う事だからな、普通なら執着しない。だが、幼い時から四代目様であれと育てられてきた人間にとっては……」




 味方として貢献できないんなら、敵を崩す。


 それが=自分が上がれないなら相手を落とす、と言う後ろ向きの極みのような発想であるのは明白だったが、彼にはその事すら見えなくなっていた。




 人生をささげるべき存在を奪われた人間が、その存在にしがみ付くために、ここまで愚かなことをしてしまった責任の何%が、彼の親と、彼をないがしろにした取引先の女と、その女の父親と、その女に横恋慕した男にあるのか。

 0%などと言い切れるほど強い人間など、めったにいない。警察官などの正義の味方様は「あなた方の行動を責める人間はいません」と言ってくれたが、それでも四人の口から鱈の西京焼きとレバーの焼き鳥と奈良漬と鴨そばが出て来る事は変わらなかった。




 ——————子会社の出向にとどめていたら。

 ——————思いの深さを受け止めていれば。

 ——————もし出先のファミレスで出会わなかったなら。

 ——————あたら八人もの前途有為な人間を失う事はなかったかも。




 そんな四人に、彼が半年後言葉が執行人から届かなかった事は、不幸中の幸いと言わざるを得ないだろう。


 あまりにも親孝行で、あまりにも親不孝な青年の、あまりにもまっすぐすぎる言葉を——————。











「父さんの企業、バンザーイ!!」

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