もしも生まれ変わるのならば

 どうしたのだろう……いつもと違うな。というよりも、もう俺に、いつもなんてあるわけないのに……

 その若い夫婦は、俺のことを見て笑っていた。それは、嘲笑いや、皮肉を込めた笑いではなく、まるで心を包み込まれるような、優しい笑顔。俺はギャーギャー泣くだけで、何も言えないが、どうやら、生まれ変わったようだ。

 彼女の腕の中は、とても暖かかった。人の温もりとは、こういうものなのか……それは柔らかな毛布に包まれているようであり、その感触に安心を覚えた俺は、そこですやすやと眠りについた。


 暗闇の中に、一筋の光が差し込んでいる。これは夢なのか……と、初めは思うだろう。けれど俺は、ここにいることが初めてではないから、夢や幻ではないのが分かる。

「どうでした?次は上手く歩むことが、できそうですか」

 これは、天の声とでもいうのだろう。とは言っても、ここには鏡やガラスのような物はないから、自分の姿さえも、どうなっているのか分からない。

「いや、あの家族は、俺に向いていません」

「どうして?確かに、あなたは生まれ変わりに相応しい魂ではありません。ですが、あなたに苦行を与えてしまったことは、私の誤りであったと思っております。だからこうして、今度は苦しみの少ない場を与えようと思っているのです」

 この声の言うことによれば、全ての生き物は、前世の行動によって次の立場を決められるらしい。けれど、俺の場合は必要のない苦行を与えてしまったらしく、その罪滅ぼしのようなものとして、優遇されているようだ。

「だとしても、俺は死刑囚として、人生を終えました。それは誰のせいでもありません。だから、あの子に俺の魂を入れてしまえば、あの家族を壊しかねない。きっと、消しきれない邪心を持っているのです」

「前世の記憶というのは次第に薄れ、消えてゆくもの。あの子供に必要なのも、あなたの魂が持つエネルギーなのだから、それを考える必要はありません」

 かぶりを振って断るというのは、人の場合の応え方だろう。けれど俺は、幸せの中での振る舞い方が分からない。だから、自分の幸福よりも、あの夫婦を悲しませてしまうことの方が怖かった。

「そうですか、よく分かりました。ならば、どのような場所であれば、上手く歩めると思うのですか?あなたの意見も、聞かせて下さい」

「それならば……」


 ここは……まだ俺は生まれ変わっていないのか。いや、同じ暗闇の中でも、何かが違う。

 泣いても、泣いても、誰も来やしない。あぁ、腹が減った。肌も濡れていて、気持ちが悪い。そうか……また、こういう場所か。

 生まれ変わる前、俺は母親の愛というものを知らなかった。父親なんてものは存在も分からず、母からはいつも怒鳴られ、暴力を受け、ろくに食事も与えられぬまま、何日も帰って来ないことだってあったが、一人でいるその時間が命拾いに思えるほど、虐待を受けながら幼少期を過ごした。

 やがて俺は、高校卒業まで施設に引き取られて育てられ、就職すると会社の寮で暮らし始め、気づいたら成人していた。あの母親がいないことに、悲しみも、寂しさもなかったはずだが、ある日、張り詰めた糸を切るように、俺は理性を失った。

 あの母親は家族を作り、金に困ることもなく幸せに暮らしていることを知った。俺のことを捨てて、自分だけが裕福な生活をしていたことに怒りを覚えると、その家に押しかけて、一家全員を殺した。憎らしい母親から、何の罪もない子供まで。

 それは決して許される行いではない、だから俺は幸せな家庭に生まれる資格はない。けれど、この魂をエネルギーとするのなら、一つだけできることがある。

 これからこの子に、辛くて苦しい人生が待っていても、きっと耐え抜くことができる魂だろう。

 過ちは許されることなく、死をもって示せば、償えることでもない。だから、もしもこの子が初めて話す言葉を、俺の理性で伝えられるのなら、きっとこう言うだろう。

『ママ、ママ』と。

 確かなことではないが、その言葉で、この子の運命は変えられる気がするから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オムニバス~私、堀切政人と申します~ 堀切政人 @horikiri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ