ジェミニ
加藤 航
ジェミニ
ツァルトの村は今、不気味な噂に覆われつつあった。
噂によれば、村を囲む森の中に亡者がうろつくようになったのだという。
件の亡者はボロボロの外套を羽織り、伸び放題の乱れた長髪を引きずりながら、肺臓を捻るようなうめき声を吐いて木々の合間を徘徊しているらしい。その恐るべき姿を見たものは皆一様に身を震わせて、森での仕事を嫌がった。
初めのうちは皆、不気味に思いながらも森へ入った。外界へと通ずる道を行くには森を抜けるしかないし、森での狩猟は村の主要産業でもあるからだ。時たま亡者を目撃するものが現れては恐怖が再燃したが、しばらくすればそれも薄れた。
ある時、ついに亡者に襲われる者が出た。
命からがら村まで逃げ延びた若者は、亡者に剣で襲いかかられたのだと話した。夜の闇に赤い光が閃いたかと思うと、それは一緒にいた若者の仲間を一瞬にして切り伏せてしまったのだそうだ。
翌朝の捜索で犠牲者の亡骸が見つかった。その激しい熱に焼かれた切り口を見るに、亡者は火の魔剣を使うのだと推察された。
最初の犠牲者が出たのを皮切りに、目撃談も増加を始めた。若者と同じように逃げ延びた者もいれば、森に入って二度と出てこなかった者もいる。
目撃談が増えるにつれて、亡者の特徴が明らかになってきた。
亡者は昼も夜も関係なく現れ、出会う者に襲いかかる。人でも獣でも見境はない。また、亡者は火の魔剣の他にも、氷の魔剣を使うらしいことが分かった。赤と青の剣閃を空中に焼き付けながら、凄まじい剣術で大熊を滅多斬りにする様を、村の木こりが遠目に目撃したのだ。後に検分した熊の骸は、斬撃による裂傷、そして火傷と凍傷によって酷い有様であったという。
亡者は火と氷の剣を操る、二刀流であった。
遠く北に見える山脈の向こう側にあるという、古に滅んだ死霊都市から迷い出てきた死体の戦士に違いないと誰かが言った。伝説によると、忌むべき死霊術に秀でたその都市国家は遙か昔、疲れを知らぬ死体の戦士を数多作り出しては戦に駆り出していたのだという。その一体が遠路遙々ここまでやってきたのだ。
村人たちは現代に蘇った伝説に恐れ慄き、領主へ亡者退治を嘆願した。
嘆願を受けた領主は配下の騎士を向かわせることにした。
誰を向かわせるか領主が悩んでいると、一人の騎士が名乗り出た。
「私にお任せください。必ずや件の亡者を退治してみせましょう」
「充分に気を付けよ。亡者は二つの魔剣を操る二刀流の剣士だと聞く」
「問題ありません。私は傭兵時代に亡者を退治したことがありますが、動く死体の緩慢な戦い方など取るに足らぬものであります。大方、死霊術の真似事に弄ばれた哀れな骸が、そこらの剣を拾って振り回していただけ。それが村民には剣術に見えたのでしょう」
「うむ。では、お前に任せるとしよう」
*
騎士はツァルトの村に到着すると、明るいうちに仕事に取りかかった。
心配する村民の視線を背に森へと分け入ると、最新の目撃情報を頼りに捜索を始める。
やがて木々の合間にそれらしい人影を見つけた。
よろよろと歩むその人物は小柄で細い。乱れ伸びた髪に、荒れた肌。そして汚れ朽ちた外套。虚ろな濁った目は光を見ているのか分からない。特徴は聞いたとおりだ。
どうやら亡者は女性であったようだ。かつては白銀であったろう髪は、今はくすんで見る影もない。荒れて肉の削げつつある顔も、生前は美顔であったのだろう。勿体ないことである。
注目すべきは右手に握られた一振りの剣。赤熱する刃はまさしく火の魔剣だ。魔剣の熱にやられたのか、その右手は酷く焼けただれていた。
村民の話は本当であった。しかし、氷の魔剣が見当たらない。話によれば亡者は二刀流のはずであるが、どこかで落としたのだろうか。間抜けな亡者のことだ、充分あり得る。
騎士は剣を構えた。亡者も騎士に気づいたか、こちらへ顔を向けるやいなや、火の魔剣を振りかざして襲いかかってきた。
生前に剣術の心得があったのだろうか、確かに亡者の動きは鍛えられたそれであった。しかし、死んだ肉体が技についていかないようだ。動きは洗練さに欠け、騎士は危なげなく攻撃をいなすことが出来た。
動きが悪いとはいえ、予想以上に亡者の剣術は優れていた。加えて死霊術の恩恵か、腕力がやたらに強い。火の魔剣が相手では自分の得物がいつまで耐えるかも心配である。あまり長く戦いたい相手ではなかった。
何度かの打ち合いの後、騎士は敵の剣を受け流すと、素早く亡者の背後に回り込んだ。敵にもその動きは読めていたようだが、やはり動きが遅い。速さでは騎士に分があった。
「これで終いだ」
がら空きの背中に向け、大きく剣を振りかぶる。
突如、亡者の外套が捲れ上がった。風に流れてゆくボロ切れのような外套、その下から現れたのは件の亡者と全く同じ女の顔であった。
剥き出しの背中、大きな瘤のように貼り付いた不気味な顔面。そしてさらに下、脇腹辺りから生えている二本の腕に目が行く。そこに握られていたのは青い輝き、氷の魔剣である。
凍てついた刃が騎士の喉を貫いた。
瘤状の顔面がケラケラと嗤った。
確かに亡者は二刀流の剣士であった。しかし、一人に縫い付けられたもう一人が別々に剣を操る、異形の二刀流だったのだ。
それを見抜くことが出来なかった、騎士の敗北である。
ジェミニ 加藤 航 @kato_ko01
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