破魔の娘

有澤いつき

破魔の娘

 呪われているという。誰が? 九頭見くずみサクノが。

 学校で誰かが囁いた。学校中の噂だ。だってあんな身なりなら、噂にしないほうがおかしい。ブレザーの制服があるはずなのに、古風なセーラー服を身に纏う。これがなんだそうだ。そして彼女の背中には、常に真っ黒い鞘に収められた日本刀が挿してある。二本も。いや洒落ではなく。


 九頭見サクノは訳アリの高校生だ。本来の制服を着ないのもおかしいし、日本刀を背負っているのもおかしい。現代日本においておかしい部分しか残っていない。それでも彼女がそれを当たり前にし、学校もそれを黙認しているのは……彼女が「呪われているから」だと。

 真偽は定かではない。ただ、九頭見さんの家は特殊なのでこうなっていると。担任はそう言っていた。


 もちろんそれだけで納得はできない。クラスメイトも興味本位で聞いたわけだ、その格好はどうなっているんだと。だが、九頭見は日本人形のような白い顔に一切の感情を見せず、何も答えることはなかった。誰が何をしても反応しないものだから、もう誰も相手にしなくなった。


 教室では空気のような存在だ。空気にしては目立ちすぎているのだけれど。


 その日、俺は校舎内を徘徊していた。徘徊というと聞こえが悪いだろうか。高校生活は青春の代名詞だと声高に叫ぶ奴もいるけれど、あいにく俺はそういったことにはまったく縁がなかった。部活も所属していないしアルバイトもしていない。だけどまっすぐ家に帰るのは癪なのだ。理解してもらえるだろうか。

 だから俺は、時折放課後に校舎を散歩する。なんとなく感じているみたいなものを満たすように。


 放課後の校舎は明るい。グラウンドを見ればサッカー部が走り込みをしているし、テニス部はネットの向こうでラリーを続けている。体育館まで足を運べばバスケ部のシューズが床を蹴る音も、バドミントン部のラケットが空を裂く音も聴こえるだろう。今、夕暮れ時の校舎では吹奏楽部のロングトーンがあちこちで響いている。

 俺の行先は決まっていなかったけれど、吸い寄せられる場所はある。


 視聴覚室。その中から聴こえる不協和音。「だから、どうしてそうなるのかなあ⁉」「部長こそわかってない。そのやり方じゃダメなのは今説明したじゃないですか」――普段ここを使っているのはコンピューター部だ。口論の原因は部活に関することだろうか。

 非常に良くない空気を感じる。淀んだ陰の感情が扉越しでも伝わってくる。


 俺は音を立てずに視聴覚室へ入った。センシティブな話のようなので、こっそりと鍵を落としておく。


 視聴覚室前方のホワイトボード。そこにプロシェクターが投影され、表示されたプレゼンテーション資料を見て彼らは揉めているようだ。部長と呼ばれた少女も、噛みついている少年も、議論に熱中していて俺には気づかない。

 そうしている間も二人を起点にして禍々しい感情が溢れていく。生まれている。周囲に部員があと何人かいるが、口を挟む勇気がなくて困惑しているようだ。どうせなら茶々を入れていっそう混沌としてくれた方が野次馬としては面白いが、あまり引き延ばしても仕方ないだろう。


 視聴覚室の電源をすべて落とした。

 空調も、プロシェクターも、コンピューターも、すべてが強制終了して真っ暗闇に包まれる。厚手の遮光カーテンで窓を覆っているのもあり、夕方とは思えない暗黒が一瞬にして生成された。


「嘘、何停電?」

「一体なんなのよこんなときに……ちょっと、職員室から顧問の先生呼んできて。復旧したら再起動しないと……」


 部長の指示で部員の一人が出入り口に向かう。引き戸に手をかけたときに絶望はどんなものなんだろうか。

 事態を把握するやいなや、件の部員は泣き出しそうな悲鳴をあげた。


「開かない! なんで⁉」

!」

「どういうこと……⁉ 誰かいないの⁉」


 たちまち視聴覚室内は騒然となった。嘆く者、怒る者、冷静であろうとする者、苛立ちで物にあたる者――ありとあらゆる負の感情が増幅し、黒い塊へと姿を変える。

 頃合いだろう。俺はヒステリックに叫んでいる部長とやらの隣に忍び寄り、その魂を、


「……ようやく、尻尾を出した」


 伸ばしていた右手が、吹き飛んだ。

 魂を無理矢理分断するような痛みに心が慟哭する。ああ、痛みのあまり絶叫するなんて果たしていつ以来だろう? 俺は俺を邪魔した輩を視認する。


 ああ、例の「呪われた子」だ。


 古風なセーラー服に日本刀。背中に二本背負っているうちの一本、長い方を両手で構えている。日本人形のような白い面は俺と少女に割って入った後とは思えないほどクールで息一つ乱していない。

 九頭見サクノは茫然としているコンピューター部の部員たちを一瞥する。もし俺が一般人だったら、突然現れた日本刀の少女を前にどうしたらいいかわからないと思う。きっと彼女らも同じだろう。腰が抜けて動けないんだ。


「祓い屋よ。早く逃げて」

「祓い屋……って、あの、先生が言ってた悪魔祓いエクソシスト……?」

「違うけどどうでもいい。命が惜しかったら逃げて。もう扉は開く。さもないと」


 怨霊ソイツに喰われるわよ。

 言うが早いか、俺は九頭見に飛び掛かった。呪われた子だかなんだか知らないが、所詮は人間の子供。退魔の力を秘めた刀だろうがなんだろうが、あんな大ぶりな刀で俺を捉えられるはずがない。まだ右腕を失った程度だ。そして、右腕くらいなら失ってもまた再生できる。


 九頭見の動きはしかし早かった。背中に挿したもう一本の刀――短い方を左手に構え、俺の一撃を片手で受け止める。あり得ない。勢いも腕力も俺の方があるはずだ。それなのにこの娘は何故、汗一つかかずに受け流すのか。

 すかさず右手の刀が動く。脇腹を斬られそうになったので反動で距離を取った。


 あり得ない……あり得ない!


 祓い屋の存在は知っていた。九頭見サクノが「呪われた子」と呼ばれ、異質な姿でこの土地にいるのは、ここ数か月高校で起こっている怪異おれを退治するためだと。

 ただ、祓い屋の力だってピンキリだ。やり方だって十人十色。陰陽師のように呪を唱えて調伏する奴、式神を使役して討伐する奴、退魔の武具で斬る奴。九頭見サクノは第三のパターンだったわけだが、これは武具を扱う者の身体能力勝負だ。どうみても筋力の乏しい娘にこれだけ俊敏かつ腕力のある動きができるとは思えなかった。


 だがどうだ。

 九頭見サクノは短い刀で俺の攻撃を確実に受け流しながら、勢いを殺すことなく長い刀で追撃する。押してもけして引くことがない。圧倒されているのは、俺の方だ。

 刀で身を斬られるたび、己の力が抜けていくのを感じる。これでは身体を再生できない。抜けていく……違う、? こころなしか長刀のきらめきが増したようにさえ見える。


「終わりね」


 最期の瞬間、俺は確かに見た。

 九頭見サクノの灰色の瞳が金色に変容し、感情の欠落した顔に似つかわしくない凶悪な笑みを浮かべたのを。


「失せろ。二度と還ってくるな」


 ――ああ。コイツは、呪われている。


 ***


 私が生まれたときから、それはいたという。

 退魔の家系に生まれた私に宿った怨霊。遠い昔、九頭見の祖先が命運を賭けて封印したとかなんとかというつきの化物。そんなものがどうしてか現代、私を依り代にして目覚めた。祖先の封印はなんだったんだと嘆いたものだ。


 それは己を封印した九頭見を当然恨んでいるし、なんなら九頭見の血を絶やしてやりたいとか物騒なことを言っているけれど、私の身体を飛び出して好き勝手をすることはできない。けれど私の身体ならば好き勝手出来る。ちょうど、さっき怨霊を滅した時のように。


 怨霊を祓う九頭見と、暴れたいそれ。妥協点ということでふたつはとりあえずの協力関係を築いている。


 ……私が意志を言葉にできる前に、それはもう決まっていたのだ。


「なーなーサクノ。今回のオレも最高にクールだったろ?」


 そして、この怨霊は何を勘違いしているのか変な方向に自我を芽生えさせている。今のところは無害な方向に。


「はいはいクールクール」

「あっ、てめーまた適当なこと抜かしやがったな! 同じ言葉を二回言う時は本心じゃねえってテレビで言ってたぞ」

「最後の最後だけ乗っ取るのやめてよ。そういうところがかっこつけなんだよ」

「最後に決め台詞を入れるのはヒーローのお約束だろ⁉」


 日本刀を背中の鞘に収め、頭に響く小言を黙殺する。スカートについた埃を払い、改めて周囲を見回した。

 怨霊を吸い寄せる元凶となったコンピューター部の部員たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。職員室にでも駆け込んだのだろうか。私が出てきた時点で事情を察してくれている学校側から、しかるべき対応をされるだろう。


 怨霊は負の感情を喰らう。それはきっと、この世を生きるならば常に隣り合わせのものだ。一応デカいのは片づけたし、しばらくは悪さできないだろうが……


「どーしたサクノ。腹でも減ったか」

「別に。学校は窮屈で大変だなって」

「お前浮いてたもんな。せっかくならブレザーとやらを着てみればよかったのに」

「そういうことじゃない」


 全部こいつみたいに享楽的だったらいいのに。

 照明が戻り、空調が動き出す。コンピューターが起動する音を聴き、私は視聴覚室を後にした。

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