こころの師

あきのななぐさ

道半ば

 二つの物事を同時にうまく行えることを、世の中では二刀流という言葉で表すという。


 その言葉の響き、その意味に、ある種のあこがれを抱かないと言えばうそになるに違いない。そう、誰しも一つの事をうまく行えるだけでも幸福なのだ。それが同時に二つとなると、至上の幸福だと言えるだろう。


 ただ、二刀流の開祖として名高い剣豪宮本武蔵も、二刀流が至上だという事は言っていない。いや、武蔵の場合は、むしろそれ自体にもこだわっていない。むしろ、そうなるのが自然であると――。


 かの五輪書の地の巻で、武蔵は二刀流の理由を説明している。


 今この場で、それを正確に思い出せる心の余裕はない。だが、リアリストな武蔵の事だから、両手があるのだからそれを使えという感じの事だっただと記憶する。


 それが二刀流の在り方。武士の当然。男の当然。


 もちろん、同時にうまく行えるようになるためには、並大抵のことではなく、それ相応の苦難の道のりがあった事だろう。二刀流はそうなるのが当然と言っても、修練を重ねることを否定していない。


 そう、だからこれは一流になるための試練。


 あの武蔵ですら、修練に修練を重ねただろう。武蔵ほどの人物でもそうなのだから、それ以外の人間にとってもそれは当然の事だといえる。周囲から何を言われても、それすらも糧にする必要があるのだと言える。


 つまり、今のこの状況はまさに道半ばの苦行。この状況に反論や弁明が通じるわけもなく、ただその罵詈雑言をこの身で受け止めるほかはない。その事が二刀流を極める結果になるのだろう。


 そう思うと、急にこの状況も愉快に感じられる。


「ふざけんな! 時間を返せ!」

「これからは、背中には気を付けて――」


 その言葉の後に、顔に咲いた二つの手形は、さらなる高みへと誘ってくれることだろう。


〈了〉


 

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こころの師 あきのななぐさ @akinonanagusa

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