かくて二刀は宴に煌めきて

透峰 零

かくて二刀は宴に煌めきて

 純白のベールに、真っ白いドレス。

 薄く化粧を施された顔は美しく、窓から差し込む陽光に照らされる様は彫像のようですらあった。

 花嫁衣裳。


 ――世界でもっとも幸せな娘が着る衣装だと、この国では言われているらしい。


「お似合いですよ、いち様」

 己と同じように白い装束に身を包んだ従者の男に言われ、壱は顔を上げた。

「戯言を」

「本心でございます」

 無表情のまま告げられ、壱はフンと息を吐いて己の着る純白の服を摘まみ上げた。

「冗談が上手くなったな」

 今度は、男は何も言わなかった。

 だが、もしもここに第三者がいれば「言う必要がないから」だと考えるだろう。壱には、確かにそれだけの美しさがあった。

 頭上で結われた髪は射干玉ぬばたまの黒。切れ長の瞳もまた同じく。素地となる肌は雪のように白く、朱をかれた唇は美しい弧を描いている。

千夜せんや

 呼ばれ、目を伏せていた男が顔を上げる。こちらもまた、怖気がするほどに整った目鼻立ちをした青年だった。

「父上は私を褒めると思うか?」

 千夜は少し躊躇っていたようだが、やはり眉一つ動かさずに「はい」と答えた。

「そうか。ここまで大義であったな」

「いえ」

「お前には最後まで手間をかけた。椿のこと、礼を言おう――後は好きに生きよ。お前は自由じゃ」

 壱の労いに、再び千夜は深く頭を下げる。


「――ご武運を、姫」


 頷いた壱はドレスの裾を捲り上げた。何枚、何十枚と重ねられた白いレースに埋もれた太腿に固定されているのは、一本の刀。

 やや小ぶりなそれは小太刀、と呼ばれるものだ。椿の透かし彫りを鍔に戴いたそれは、彼女が幼少の頃より最も手に馴染んだ武器である。

 その表面を白い指で撫で上げ、彼女は静かに告げた。


「――みなごろしだ」


 ◆◇◆◇


 かつて、この国より東へ向かった先には一つの国があった。

 国内で争いはあったが、勇敢な武将であった王をいただきとし、国民は朴訥とした人柄であり、国土は豊か。周辺からも孤立していたため、独自の進化を遂げていた。

 その国が滅ぼされたのは、まだ月齢が一周もせぬほどわずかな前である。

 滅ぼされた理由は単純で、かの国で黄金が出たから。

 敗けた理由はもっと単純で、物量が違い過ぎたから。

 勝利した西国の王は、傾国と讃えられし東国の姫をめとるためにさらった。姫に許されたのは、傍仕え一人のみ。


 そうして、壱はここにいる。

 色とりどりの花が飾られた、純白の舞台。父とそう変わらぬ年の西国の王が、誓いのさかずき代わりの指輪を取り上げた。

「ささ、姫。指を」

 醜悪な芋虫のような指が、壱の手に触れる。この指が母を犯し、父をなぶり殺したのだ。

 指輪が近づいてくる。

「あ」

 その銀環が指に通される直前、壱の指が跳ね上がった。高い音をたて、銀の光が床へと落ちる。

「申し訳ありません。わたくしったら緊張して」

 小娘のごとく甲高い声を出した壱は身を屈めて腕を伸ばし――流れるような所作で太腿に吊るした刀を抜く。


 呆気ないほどに一瞬だった。


 油断しきっていた王の首に刃が滑り込む。獲った、という確信を得た後は手が勝手に動いていた。

 人の首など、どれも同じだ。名のある将であろうと、名もなき歩兵であろうと、王であろうとやることは同じ。手首を返し、骨に沿って肉を切る。しぶいた血が、白い部屋を真っ赤に染め上げた。

 さすがに骨太で、なかなか落ちない。中途半端に骨を切られた首がぶらぶらと壱の方を向いた。

 白目を剥いて絶命しているその間抜け面が許せず、壱は渾身の力で殴りつけた。二度、三度。四度目で、鈍い音と共にようやく首は千切れる。

 髪を鷲掴み、とどめとばかりに腹を蹴ってやれば、かろうじて服に引っかかっていた首だけがずるりと壱の手中に収まった。

 身体の方は、阿呆みたいに口を開けて硬直している神職の方へと倒れていった。

 その悲鳴を押しつぶす声量で、壱は手にした首級くびじるしを高々と掲げて吠える。

「――聞け! 我が名は壱。貴様らに滅ぼされた東国が一つ、カマルの戦人いくさびとである! 逃げる者には慈悲を授ける! 命いらぬ者はかかってくるがよい!」

 空間そのものを裂くような、凄まじい怒声だった。その声で、会場にいた人間はようやっと我に返ったようだ。

 祝いの席に実戦用の剣を持ってきている者はいない。それでも、何人かが壱に向かってきた。

 もっとも、大半は悲鳴をあげて部屋をまろび出て行ったようだが。しばらくすれば、きっと騒ぎを聞きつけた城の兵が山ほど押し寄せるだろう。

 だが、それでも良い。

 残りの時間は、一人でも多くの人間を連れて行くために使うと最初から決めていた。

 豪奢なドレスの裾を破り捨て、壱は向かってきた者達に向き直る。

 大半が一合、持って二合でそのことごとくが壱の前で屍を晒していった。


 ――こんな弱い奴らに、己の国は滅ぼされたのだ


 そう考えると、壱の頬を涙が流れた。

 芳醇な花の香りはもはや跡形もなく、湯気を立てる血と汚物から立ち昇る生ぐさい臭気が部屋全体を満たしていた。

 そこに、扉の開く音。新鮮な空気が入ってきた先には、壱が切り捨てた華々しい恰好の者とは異なる、鎧兜に身を固めた兵士たちが隊列を成している。

 数は、恐らく五十は下るまい。圧倒的ともいえる人数を前にして、しかし壱が浮かべたのは笑いだった。

「冥途の土産には丁度よい、か」

 美しい相貌の半分を血で彩った佳人が嗤う。


 そこからは、地獄の様相を呈した。


 ――しかし、結論から言えば彼女は敗けた。

 目の前で折れた刃が、篭手で弾かれて遠くに落ちる。その音が壱の耳に届くよりも早く、圧し掛かってきた男に取り押さえられ、壱は床に組み伏せられた。

 途端、安堵の溜息が兜の隙間から漏れる。

「――あんな小刀で三十人だと」

「しかも女の身で」

「化物か」

「しかし、どうする? 陛下の仇とはいえ女だ」

「王弟殿下も欲しがっていたんだぞ」

 囁きながらも、彼らは剣をおさめた。それに、壱の頭に血が上る。自分の額で血管が何本かブチ切れる音を、彼女は確かに聞いた。

「ふざけるなっ! 私は戦士の子だ! 貴様ら蛮族に慰めものにされるくらいならば、ここで殺せえっ!」

 叫び、暴れる壱に兵士たちが一歩引いた。さっきまであった迷いの代わりに浮かんだのは、紛れもない恐怖だ。彼女の狂いっぷりから、解放しても同じことが起こることくらいは予想がついたらしい。

 一際体格の良い兵士の一人が、やがて壱の前に進み出て来た。

 剣を天に向け、神への祈りの言葉を呟く。最後に

「許せよ、娘」

 言って、剣を大上段に振り上げる。

 凶悪な光を見上げた壱の目が、大きく見開かれる。だが、それは死への恐れからではない。

 信じられないものでも見たような驚愕の表情から一転、彼女は唇を吊り上げる。


「お主らの国には、懐刀という言葉はあるか?」

「なに?」

 訝しげに問い――それが、男の最期の言葉となった。

 ズ、と二つに割れた頭から血が吹き上がる。

「私の刀は一本ではない」

 いつの間に現れたのか。納刀の姿勢で無表情に佇む青年の姿に、壱を抑えていた男をはじめ、周囲の兵達が気色ばむ。

「千夜。お前、なんで戻って来た?」

「いえ、やはり姫様の教育係として嘘は良くないと反省しまして」

「嘘?」

「ええ、まあ。――亡き主がお褒めになるかという、あれです」

 小さく首を傾げ、千夜は膝を落とす。壱に見えたのはそこまでだ。だが、前髪を吹き抜けた風で何が起こったのかはわかる。

 すぐに、自分を束縛していた男を跳ねのけると呆気なく自由になれた。鎧と兜の隙間を神速の居合術で斬られた男の首が、ころりと落ちる。

「多分、めちゃくちゃ怒られます、はい。しかも私は姫の傍仕えだった分も八つ当たられて、末代まで祟られるに決まってます」

 再び刀を納めた千夜が、壱の前に一振りの大刀を差し出した。椿と同じような意匠だったが、こちらの鍔にあしらわれているのは牡丹の花である。

「よくもまあ、牡丹まで持ち出したなお前」

「椿の片割れですから。とはいえ、もう姫様の二刀流は拝めそうにありませんね」

 足元に落ちていた椿の柄を拾いあげ、惜しむように千夜は布にくるんだ。

「その代わり、今はお前という刀がいる」

 大刀を手にした壱は、鞘からずらりと抜き放った。

「背中は任せるぞ。お前と私で二刀だ。蹴散らせるはずだな?」

「貴女の命とあれば」

「よし」

 愛刀を右に、倒れている兵の傍に転がっていた異国の剣を左に構え、壱は鮮やかに笑った。

「これよりお見せするは我が国に伝わる二刀流。――指南代は、諸君らの命で結構だ」


 鏖殺。

 彼女は、宣告通りに成し遂げた。




 ◆◇◆◇



 そうして、時は流れ。

 五年の歳月の後、一人の女性が大陸の国という国を飲み込み、不可能と言われた天下てんがの統一を成した。


 彼女の傍には常に、その代名詞とも言える牡丹の大刀があったという。

 だが、人々はこうもうたい継ぐ。


 ――彼女の懐にはもう一本、とっておきの刀があるのだ、と。



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かくて二刀は宴に煌めきて 透峰 零 @rei_T

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