彼方なるハッピーエンド

新巻へもん

ラーメンへの道

 一面の荒野が広がる。

 今この辺はどこら辺だろうか?

 中央アジアの広大なゴビ砂漠の一部ではあるんだろう。見渡す限り僕たち以外に人影はない。いいことだ。

 横を歩いていたカズミが手にした地図帳から顔をあげる。

「さっぱり分からないわね」

 まあ、そりゃそうだ。小学校の時に使っていた地図帳のアジアのページ。西はトルコから我が日本までがB4に収まっている縮尺だもの。

「北極星の位置から大体の緯度は割り出せてんだけどねえ。この線の辺り」

 僕は首を伸ばして地図帳を覗き込む。

「たぶん、黄河の北岸には出れると思うんだ」

「なるほど」

「問題は中国は人口が多いってことなんだよねえ」

 カズミは地図をしまうと、レーザーガンを担ぎ直しポンポンと叩く。

「さすがに10億ものナレノハテを焼くエネルギーはない」

 ナレノハテ。変異した狂犬病ウイルスに罹患して理性を失ってしまった元人間だ。面倒なことに知性は僅かに残っているし、いわゆるゾンビと違って外見が著しく変化していることはない。

 行動原理はシンプル。罹患する前の人生で気に入っていたものを追いかけるし、嫌いなものは排除しようとする。まあ、どっちにしても噛みついたり引っかいたりするんだけど。

 この狂犬病ウイルスはオリジナルと違って致死率が極めて低い。ほぼ100%だったのが30%ほどになっていた。お陰で人から人への感染が止まらなかった。

 まあ、人々にワクチンへのうんざりした気持ちがあったことが影響したことは否めない。

 ペットへのワクチン接種を控える飼い主が増えていたのも確かだ。最初期に犠牲になったので今では確かめる術は無いが。

 それで今ではこの地球上に50億ほどのナレノハテがいる計算になる。

 一応、従来の狂犬病ワクチンも発症を抑える効果はあるけど、この新型へ効果が持続するのはせいぜい1年。フランスで打ったものの効果はとっくに切れている。

 フランスの大学に留学中だった僕が、なんで中央アジアを放浪しているかというと、この横にいる幼馴染のカズミのせいだ。


 電子工学の専門家でイギリスの研究所に居たカズミが、パンデミック発生後の混乱期に僕の前にでかいリヤカーを引いて現れた。変わったゴーグルをつけたカズミは言う。

「テッペイ。一緒に日本に帰ろう」

 社会混乱でもう飛行機なんて飛んでない。2万キロ以上をどうするつもりだ。そんなどうやっての前に理由が気になる。

「なんで?」

「ラーメン食べたい」

 驚きのあまり黙っていると、カズミが手にした銃の引き金を引いた。

 音もなく光条が僕の顔の脇を通り過ぎる。僕の後ろから近づいて来ていたナレノハテの額に穴を開けた。

 まあ、カズミはラーメンが好きだ。以前もロンドンのラーメンは悪くないとか言っていた気がする。

「できれば出来立てのとんこつ醤油味のラーメンがいいが、インスタントのカップ麺でも許す」

「この状況だぞ。日本だってどうなってるか」

「まだここより食べられる可能性はある」

「それでどうやって」

「歩けばいいさ。アレキサンダーだってあの時代にインドまで行った」

「馬に乗ってるし、行程半分じゃねえか」

「些細な差だ」

「それに日本海はどうすんだよ?」

「これがある」

「そのリヤカーがどうしたんだ?」

「こう見えて、大きな太陽電池パネルを積んでいるし、リチウムイオンバッテリーもある。電気モーターとエンジンもあるし、水に浮く」

「だったらそこまでも自動車にすれば」

 ちっちっち。カズミは指を左右に振る。そして、またレーザーガンを構えて発射した。

「このレーザーガンのエネルギー源はもちろん電気だ。いざという時にガス欠ならぬ電欠というわけにはいかないだろう」

「じゃあ、なんで俺と一緒に?」

「質問が多いな。そりゃあ、私を守るために決まってるじゃないか。幼馴染だぞ」

 僕の視線は今また発射されたレーザーガンに向けられる。

「まあ、私にも多少は倫理があるからね。人は撃てないよ。この先感染していない者だって多少はいるだろう。秩序は崩壊し、警察なんていないんだぞ」

「だから?」

「極限状態で、こんな若くて魅力的な私を見たら、ひん剥いて薄い本にあるようなあんなことやこんなことをしようっていう奴もいるに違いない。テッペイは私がそんな酷い目に合うというのに胸が痛まないのか? なんとひどい幼馴染だ」

 またレーザーガンが発射される。さらに一発。わお、この短時間にエースだぜ。本当にナレノハテならって話だが。

「このゴーグルはナレノハテを見分けられるのさ」

 こいつテレパスかよ。

「いいよ」

「テッペイは私がひいひい言わされたり……」

「だから分かったって」

「嫌だというのに体が……」

「日本まで一緒について行くから、自作のエロ小説の説明はもうやめてくれ」


 日が落ちる前に簡単な食事を済ませ、リヤカー後部から中に潜り込む。CFRP製の筐体はナレノハテの力ではどうしようもできないので安全だ。

 その代わりと言ってはなんだがかなり狭い。幅はシングルサイズもないし、高さも1メートルほど。辛うじて足は延ばせた。

 LEDライトをつけ奥の方に胡坐をかいたカズミはにっと笑う。タンクトップと超ショートなパンツ姿。

「しかし、この天才カズミ様をもってしても想定外なことがあるとはなあ。まさか、テッペイに襲われてしまうとは」

 わざとらしく慨嘆してみせるカズミ。

「今夜も私を玩具にしようというのだな。ひどい男だ」

「人聞きの悪いことを言うな。お前から誘ったくせに」

「なんのことだ?」

 タンクトップの裾を半ばまでめくる。

「それだよ、それ」

「サイズが小さいんだからしょうがない。胸を圧迫されると安眠できないんだ」

 スポンと脱ぎ捨てた。ぷるんと揺れる豊かな胸は何度も見ているのに俺は反応してしまう。

 カズミはクスクス笑った。

「まあ、よろしく頼むよ。新世界のアダム君。いや、イザナギと言った方がいいのかな?」

 日本がどうなっているのか帰ってみなければ分からない。そもそも、まだ遥か彼方にある。

 でも、この物語は絶対にこう締めくくってやるつもりだ。

 それから二人は日本で幸せにラーメンを食べて暮らしましたと、さ。

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